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2.――“troublemaker” [2]
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それから僕の日常は、呆気ないほど簡単に“それまでの日常”に戻った。
葉山は、放課後に声楽室で僕がピアノを弾いていても、あれ以来もう顔を出しにくることは無かったし。
もともと隣のクラスとはいえ全く交流すら無かったのだから、校内でバッタリ会うことも無い。
――もう……きっと葉山が、ここに顔を出すことは無いだろう。絶対に。
全く変わり映えの無い僕の日常が戻ってきた。…それだけのことだ。
相変わらず放課後の僕は、合唱部の練習に参加して、その後に声楽室で一人ピアノの練習をして、それからレッスンのために先生のもとへ通う。…その繰り返しが、再び訪れようとしていた。
結局、変わり映えの無い日常を変えるためだった“布石”も、やっぱり新たな“変わり映えの無い日常”と定まりつつある。
そんな矢先のこと。
――がたっ…!! ごとごと、がたっ……!!
いつものように、僕が声楽室で一人ピアノを弾いていた時のことだ。
相変わらず古くて立て付けの悪い声楽室の引き戸が、そんな派手な音を立てて開かれた。
驚いて、思わず我に返ってパッタリと鍵盤の上を動いていた指を止め、その場を立ち上がってグランドピアノ越しに出入口を見やると。
「ごめん……こんなに大きな音が出るとは、思わなくて……」
演奏の邪魔する気は無かったんだ、という低い声と共に、開いた扉の隙間からヒョッコリと覗いたのは……おそろしく無愛想に整えられた綺麗な顔。
ああ、そういえば女子が騒いでたっけな…と、そこで僕は思い当たった。
確か同じ学年の…四組のヤツだ。見かけたことくらいはある。名前は知らないけど。――聞いたことあるような気もするんだけど、なんだっけ?
その女子に人気のある無愛想な美形くんは、僕を見止めるなり、“あれ…?”という顔をした。
「あんた一人? ここに二組の竹内くんが居るって聞いてきたんだけど、どこに居るか知らない?」
「『二組の竹内』は、僕だけど……?」
「えっ!? あ、ごめん…!! オレ、てっきり合唱部の女子だと思って……!!」
「なっ……!?」
――フツーに男子の制服を着てる僕の、どこをどう見たら女子に見えるっつーんだよ……!!
その失礼な美形くんは、言った途端、“ヤバ…!!”とでも言いたげにハッと手で口を塞いだけれど。――遅いだろう、それは幾ら何でも!
確かに…僕は一般的な中学生男子にしてみたら間違いなくチビだし、おまけに童顔だし、私服を着てると女の子に間違えられることだって、たまにはあるけど!
とはいえ、だからといって、幾ら僕が女の子だと見えたにせよ、初対面の人間に面と向かって言っていいことか、それは?
言った当の本人は、さっきまでの無愛想さが嘘のように、わたわたと落ち着かない様子で困り果てている。
…分かった、単に“ウッカリ野郎”なだけなんだなコイツ?
きっと、さっきの言葉にだって、何の他意も悪意も含みもサラサラ無いに違いないんだろう。
そのまま「いや、あの、えっと…」と言わせておくだけでは埒が明かないので、とりあえず僕の方から、「何の用?」と訊いてやった。
そしたら途端、あからさまにホッとしたように僕を見つめ返してくれやがるし。
…やっぱり単なるウッカリ野郎だ、コイツは。
そんなウッカリ野郎な美形くんは、軽くバツの悪そうに微笑みつつ、それを言う。
「あの……ここに光流、まだ来てない?」
「――誰?」
「光流…山崎光流、なんだけど……」
「…………」
何を言われたのか、そして目の前のヤツが僕に何を訊きたいのか、分からないままに口の中で言われた言葉を転がしてみる。
『ヤマザキミツル』…? ――聞いたことのある名だ。
「もしかして、生徒会長の山崎くん……?」
「そう、その山崎。…来てない?」
「来てない、けど……?」
――てゆーか、そもそも生徒会長がココに来る予定も無いですケド……?
そんな疑問を浮かべた僕の様子など、このウッカリ野郎な美形くんが気付いてくれようハズも無く。
「おかしいな…先に出てったハズなのに。どこで寄り道してんだろ?」
「そもそも山崎くんがココに来る用も無いと思うんだけど……?」
「え? だって、ここで待ち合わせてるんだぜ? そのうち来るだろ?」
「…つーか、なにそれ『待ち合わせ』って?」
そのミョーに食い違う会話に為す術もなく疲れてきた僕は、思わず眉をしかめて、そう返すと。
即座に「あれ、聞いてない?」と、グランドピアノの向こう側から驚いたような視線が返ってくる。
――だから、そもそも何をだよ……?
反射的にぴきっと浮かんできたコメカミの血管を押さえつつ、「あのさあ…!」と、僕は口を開きかけた。
それと同時だった。
――だだだだだだッ……!!
ふいに、声楽室の出入口の向こうから、廊下をスサマジイ勢いで駆け抜ける複数の足音が聞こえてきて……、
「くぉら、葉山!! 今日という今日は逃がさんっっ!! 大人しくお縄につきやがれ!!」
「そろそろカンベンしてよ、とっつぁーん!!」
「どぁーれが『とっつぁん』だ!! 『先生』と呼べ、『先生』と!!」
「普通、『先生』はバリカン片手に生徒を追っかけたり、しないんじゃーないでしょーかっっ!?」
「バカモン!! 追いかけられるのがイヤなら、校則に則った髪型にしてこんかァーい!!」
「めちゃくちゃ“校則通り”じゃん!! フツーに短髪だし、茶髪にもしてないし、ソリ入れたリーゼントにもしてないしっ!!」
「だからといって、金髪にしていいとは書いてないだろうが、どこにもっっ!!」
「じゃー校則を変えてくれよ、っつの!!」
「どバカモン!! オマエごときのために校則から変えてられるかー!!」
「くっそうッッ…!! ご高齢のくせに、こんなに走ると腰にきまっせ先生っ!?」
「そう思うなら定年間近の教師を走らせんな!! 少しは労われ、バカ生徒が!!」
けたたましい足音と一緒に、そんな怒鳴り合いの応酬がコチラに近付いてくるなー…と、思ってみるや否や……、
――ガラぴしゃ、ばったん!!
気が付いてみると……勢い良く閉ざした声楽室の扉にピッタリ背を付けてしゃがみ込み、葉山がぜえぜえ息を吐いて、そこに、居た。
あの立て付けの悪すぎる引き戸を、一瞬のうちに良くもまあ、開けて閉められたものだよな……これが俗に言う〈火事場の馬鹿力〉と云うヤツだろうか?
「くぉら葉山!! 無駄な抵抗はやめて、さっさと出てこい!!」
すぐさま、扉をドンドンと叩かれる音と共に響いてきた野太い声に、軽く「ひいいぃっ…!!」と呻きつつ、“ここを開けてなるものか!”とばかりに葉山が更に扉を押さえつける。
しかも撒いたんじゃなかったのか……どうせなら撒いてから逃げ込んでこいっつの。
「いい加減、見逃してくれよう!!」
「オマエこそ、いい加減、観念したらどうだ!!」
「いかに学校とはいえ、一個人の自由と個性を無下にする権利はあるのかー!?」
「オマエの“個性”とやらは行き過ぎてるんだと、ナゼわからんかー!!」
――てーか、そもそも、ナゼそれを、ココで、やる……?
ああウルサイ…と、ボヤきつつ軽く耳を塞いで、呆れ果てた僕が再び椅子の上に腰を下ろしたらば。
「おい、サトシ!! そこで笑って見てねーで、テメエもドア押さえるの手伝いやがれ!!」
聞こえてくる、そんな葉山の心の底から切実そーなセリフ。
…ああ、と僕は思い出した。そこでようやく。
そうだ、『サトシ』だ。ウッカリ野郎な美形くんの名前。――フルネームは『渡辺 聡』、だったっけ確か。
フとグランドピアノの向こうに立つ当の渡辺くんを眺めやると、やっぱり呆れたように笑いながら、「ヤダよ、とっつぁん敵に回すのは」なんて返している。
「そろそろ大人しくお縄についてやったらールパンくん?」
「誰が『ルパン』かー!! 俺はあそこまで猿じゃねえっ!! …いいぜ、こうなったら籠城作戦っ!! 意地でもココは開けねえぜ!! 勝負だ、とっつぁん!!」
「どアホウ!! なーにが『勝負』だ!! 貴様と勝負なんぞしたくもないわ!!」
「どうとでも言いやがれ!! あくまで俺は、断固この全身の熱い血潮に染み渡ったロッカー魂を主張する!! ハードロッカーたるもの、服装をハードに貫き通してこそ真の漢!! これは絶対に曲げらんねえぜっっ!!」
「やかましいわ!! そんなワケもわからん屁理屈なんざロッカーの中にでも仕舞っておけいっっ!!」
――てゆーか……いつまで続けるつもりなんだろう、コレ……?
付き合うのも馬鹿らしい…と、僕は椅子の上で頬杖を突きつつタメ息を洩らす。
このまま立て籠もるのは好き好きだけど……このまま続けられたら、僕が出たい時に出ることも出来ないじゃないか。
ホントいい迷惑だよ、まったく。
「――まあまあ、先生。今日のところは、このへんで許してやったらどうですか?」
そして、やおら扉の向こうから聞こえてきた、渡辺、葉山、先生に続く、――第四の声。
(誰だ……?)
低い声から、男子だということは判るけれど……でも、どこかで聞いたことのあるような無いような……?
そもそも学校内に“友人”どころか“知人”というものが極端に少ない僕のこと、思い当たるフシなんて、あったタメシが無いハズなんだけど。
そんな僕でも、どこかしらで聞いたような覚えのある声……? ――ってことは……?
ここで登場してきた“第四の人物”は、なにせ全ては扉の向こう側でのこと、僕にはよく聞こえなかったのだが、しばらく廊下で先生をとりなしていたようだった。
やがて、「おまえがそう言うなら今回は…」などとブツブツぼやきながら先生が廊下を去っていく足音が聞こえてきて。
しばし後、おもむろにコツコツと軽く扉がノックされる。
「もういいだろう、ケン? とっつぁんは引き上げたから……そろそろ開けてくれないか、ここ?」
聞こえてきた言葉と共に、ふうーっとした深い息と共に葉山が脱力してその場にヘタり込み。
そうして、つっかえるものの無くなった扉を、渡辺くんが、がたごとと引き開けて。
「…遅かったじゃんか、光流」
「ああ、ちょっとヤボ用で」
そんな言葉と共に、開いた扉の隙間から滑り込むように声楽室に入ってきたのは……案の定。
予想に違わず、生徒会長の山崎くん。
「あーもう、助かったぜーミツルー!」
「…ったく毎度毎度! 礼を言うくらいなら、最初から俺を巻き込むなよ! とっつぁんのシツコさと執念深さを知らないのか貴様は!」
そうして振り下ろされた片手チョップを白羽取りしつつ、葉山がニマッと笑って「知ってるからこそ巻き込んでんじゃん!」などと、いけしゃーしゃーと返す。
「さっすがセイトカイチョー! ホンマに頼りにしてまっせ? ――てーか、あの定年目前日和見公務員とは思えんスバラシイ教育的指導ダッシュは、ホント何とかして欲しいよなー……ヒトの顔、見るたび見るたび、なんでああ嬉々として走ってくるかなあ……」
「仕方ないだろ。オマエのよーな不良生徒を更正させるのが老人の生き甲斐なんだよ。それが分かったら、今度はサッサと丸刈りにされてやれ」
「――オマエまで俺に金髪坊主になれとゆーか……!!」
「出てる杭である以上、打たれるのは当然なんだよ。お分かりー?」
「ちっくしょーっ……!!」
そこで、やりこめられて口の中でブツブツ呟き始めた、まだヘタり込んだままの葉山の脳天を、今度こそバシッと引っぱたいて黙らせて。
フと生徒会長は、そこで僕の方を振り向いた。
「君、二組の竹内くん…だよね?」
ふいに自分へと話を振られて、「はい…!?」と、慌てて僕は椅子から立ち上がる。
「そうだけど……僕に、何の用?」
「あれ? 君、ケンから何も聞いてないの?」
「『何も』って…、――何を……?」
「ケーンー……?」
途端、僕と生徒会長、ついでに渡辺クン、三人分の白い視線が、戸口でヘタり込んだままの葉山へと一斉に集中する。
にも拘らず、「うん、言ってねえ」と、ヤツは悪びれもせずシレっと言ってのけた。
…だから、何だっていうんだ一体?
「まあ、いいじゃねーか。そんな細かいことは」
「『細かいこと』じゃねーだろうが! だいたいオマエは、いつもいつもッ……!」
「あーはいはい、わーったわーった! じゃあ、いま言えばいいだろ?」
立ち上がりながら、何事か文句でも言いたげな会長へ手を翳しつつ、無理矢理その言葉を遮って。
そして葉山は、そのまま振り返って「竹内」と、おもむろに僕を呼んだ。
「つーワケで。――オマエ、ウチのキーボードに決定な?」
「はいっ……!?」
――正真正銘、まさに言葉通り、言われたことの意味が分からないんですけれども……?
キョトンと目を瞠って見上げた僕の視線を、真っ向からニヤリと見つめ返して。
まるで悪巧みをする子供のように、それを葉山は、楽しげに、言った。
「俺たち四人でバンド組むことになったから。つーワケで、オマエがウチのキーボード担当。――OK?」
――そんなもん……どー考えたって『OK』と言えるハズもないだろうがよ?
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