oldies ~僕たちの時間[とき]

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4.――“surrender” [2]

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 改めて思い返してみても……やっぱり山崎くんの口車に乗せられただけのような気もする―――。
 白と黒の鍵盤を叩いてイントロの旋律を奏でながら、シミジミと僕は、それを思う。
 ――でも、もう遅い。
 渡辺くんが椅子から腰を上げて、グランドピアノの横に立った時から。
 僕は、自らで始めてしまったのだから。――この“賭け”を。


 メロディを奏で始めたことが……既に僕の“ベット”だ。


 後は、彼ら側の“ベット”を待つだけ。
 そろそろ前奏部分が終わる。
 目の前に広げられた楽譜の中、歌詞が踊り始めるところまで……あと2小節。


 スウ…と、隣で深く息を吸い込む音が聞こえた。――と、ほぼ同時。


 ――ぞわっ…!! 一瞬にして全身を鳥肌が駆け抜けていった。


 まだほんの初っ端、唄い出しから。
 彼の…渡辺くんの声に、鳥肌が立った。


 クラリとした眩暈すら感じて、――その瞬間、世界が震えた。


 僕を取り巻く全ての何もかもが総動員されて、大きな衝撃をガツンと与えてきたかのように。
 ――なんて声だ……!!
 響く声。通る声。声量のある声。――そんな言葉じゃ、とてもじゃないけど言い表せないくらいな。
 …それは多分“存在感”。
 聴いた者それぞれの心の奥に直接届く……そんな“唄”だ、この声は。
“唄うために在る声”だ。
 言い方は陳腐だけれども、だからこそ真実。
 でも、そんな陳腐な言い方でも充分に伝えきれていないと感じられるほどに……それは、どこまでもどこまでも、限りなく澄み切って透明な……、


 ――“聴かせるため”に存在する声だ。これは正しく。


 そして正しく、そんな天性の声を持つ彼は、確実に“唄うために生まれてきた”と云うべき人間だった。そうとしか思えなかった。
 天賦の才を授かった人間。――それを“天才”と、凡人は呼ぶのだ。
 きっと技術的にみてみれば、彼の唄はまだまだ未熟なのかもしれない。
 未だ記憶の中に残る、かつてスピーカー越しに聴いたことのあるオリジナルと比べてみても、その唄い方には何だかムラがあるように思えた。“完成された歌”ではないことを感じさせた。
 でも、そんなことすら問題にならないくらいのパワーが、スピーカーを通さないで聴くナマの彼の唄には、充分に満ち溢れているみたいで。


『――あなたは“天才”なんだから』


 ふいに母の言葉が脳裏を過ぎった。
 そうじゃない、そうじゃないんだ、と……即座に全力で首を振って否定する自分が居る。
 僕は間違っても“天才”なんかじゃない。
 僕のピアノには感情が無い。
 僕のピアノには、在るはずのものが何も無い。


“天才”ならアタリマエのように持っているだろうものが……どこにも無いのに……!


 アタリマエのような存在感。
 アタリマエのように心へ響いてくる歌詞ことば
 からっぽの身体全体に、ストンと落ちては沁みわたっていく旋律メロディ


 痛感する。――“天才”と“そうでない者”の違いを。


 そう…僕は“天才”でも何でもない。
“凡人”ですら無い。
 ただの“機械”だ。ピアノを弾くためだけの。


 ――“機械”でしか無い僕には……彼のような“天才”の後ろで演奏するべき存在たり得ない……!


 知らず知らずのうちに……いつの間にか僕の手が止まっていた。
 つられたように、渡辺くんの唄も止まる。
 …もう、弾けなかった。
 弾いてはいけないと思った。これ以上。


「どうしたの……?」


 訝しげに降ってくる言葉に……だから僕は顔を上げられなかった。
 視界に映るのは、黒と白の鍵盤だけ。


「――僕には無理だ……」


 モノトーンの世界から顔を上げられないままで、呟くように、僕は返した。
 きっと山崎くんの狙いはコレだったんだ。
 僕に、渡辺くんの才能を認めさせること。
 認めさせ、降伏させること。
 それが解るだけに余計、とてもじゃないけど顔を上げられなかった。


 僕は相応しくない。――彼と…彼らと共に音楽を奏でるには。


 ――きっと山崎くんが“してやったり!”って表情になって、僕を見つめていることだろう。
 ――きっと渡辺くんは、困ったように…でも心配そうに、立ち尽くして僕を見守ってるんだろう。
 ――きっと葉山は…葉山だけは、何も変わらずに普段通り、僕を見つめてるんだろう。その常に真っ直ぐな眼差しで。


 ボロッ…と、なぜかそこで涙が零れてきた。
 泣きたくなんてないのに……なのに涙が止まらなくて。
「どうして……?」
 ポタポタと膝の上に落ちる涙を見つめながら、どことなく呆然と、僕は呟く。


「どうしてだよ……? なんで皆して、僕を“人間”に戻そうとするの……?」


 そもそも、こんな“賭け”なんかに乗らなければよかったんだ。
“機械”のままでいられれば……きっと、こんな苦い涙なんて知らなかったのに。
 彼のような“天才”と呼ばれる才能を前にしても、“機械”であることを恥じる気持ちなんて、感じなくて済んだのに。


“天才”と呼ばれる才能の前に……“悔しい”と思ってしまう感情なんて、知らなくてもよかったのに……!!


『あなたはママの言う通りに弾いていればいいのよ』
 …ねえ、お母さん。――僕は、あなたの代わりにピアノを弾いているの?
『あなたは何も考えなくていいの。すべて先生とママとで決めてあげるから』
 …ねえ、お母さん。――僕は、何も自分で決めることが出来ないの?
『あなたは天才なのよ。だからピアノのことを第一に考えなさい。ピアノのこと以外、考えなくていいの』
 …ねえ、お母さん。――僕には、ピアノしか無いの?


 …ねえ、お母さん。――“僕”という存在は、一体、なに……?


 すべての疑問にフタをして……すべてをあきらめて、受け入れて……感情のない“機械”でいようと頑張って……、
 そうやって、今日まで生きてきたというのに。
 そうじゃなきゃ、僕は生きてこれなかったのに。
「ピアノを弾くことにしか、僕の生きてる価値なんて無いのに……!」
 すべての疑問にフタをするには、それしか術が無いのだから。
「引きずらないでよ……!」
 僕を“人間”に引き戻さないで。
 憧れるだけでいい。――“憧れ”なら、それだけで終わる。
「僕は“機械”なんだ……」
 なぜなら、“人間”としての“僕”を認められていないから。
「僕は“機械”なんだ……!」
 感情を捨て去らなければ今の生活を生きられないから。
「僕は“機械”なんだ……!!」
 だから、“弾けない”なんてことは絶対に赦されない。


「ピアノしか無い……!! 僕にはピアノしか無い……!! 弾くこと以外、何も無いんだっ……!!」


 取り上げないで。…僕の居場所を。生きる場所を。
 奪わないで。…生きていてもいい理由を。


「僕は“人間”じゃない…“人間”になっちゃいけないんだ……! ――“人間”である僕なんて、生きてたって何の意味も無いのにっっ……!!」


 吐き出すようにそれを叫んだ途端。
 ふいにガッと強い力で僕の二の腕が掴まれた。
 その力で、掴まれたと同時に全身が大きく揺れ、そのまま勢いで背中が椅子の背もたれに叩き付けられる。
 そして……、


 ――パンッ……!!


 突然、頬に重く熱い衝撃が走った―――。


 自分が頬を張られたのだと……気付くのに時間を要した。
 あまりにも突然のことで。そして、あまりにも驚いて。今しがたまで泣いていたことすらも忘れ果てて。
 しばらくの間、頬を張り飛ばされた状態のままで硬直していることしか出来なかった。


「――ふざけんな……!!」


 おもむろに頭の向こうから声が降ってきて。
 そこでようやっと、のろのろと僕は頭を持ち上げる。
 僕の腕を掴み、怒ったような眼差しで、近くから真っ直ぐに僕を見下ろしていたのは……、――渡辺くん、だった。
 ――何故、彼が……?
 そこに立つのを彼と認識するや否や、僕の目が軽く瞠られる。
 だって、張り手とはいえ人を殴るなんて……普段の穏やかで少しボンヤリとした感もある彼からは、到底、想像もつかなくて……。
 それくらい、普段の渡辺くんは、あまり喜怒哀楽を必要以上に表面おもてに出さない人だった。感情が外見に現れ難い人なんだと思っていた。
 しかし今、こうやって僕を見つめる彼の瞳には、ハッキリとした感情が覗えた。――“怒り”という名の感情が。
「君が何を知っているんだ……!!?」
 呟くように…でも怒りを隠しきれない声音で、至近距離から、彼が告げる。
 同時に、襟首をガッシリと掴まれて締め上げられた。
「“生きる”ってことの意味の何を、君は知ってるっていうんだよ……!!」
 徐々に徐々に襟元を締め上げられる苦しさに、思わず僕は呻き、目を眇める。
 眇められて霞む視界の向こうで、相変わらずの怒りを湛え、渡辺くんが真っ直ぐ僕を見つめていた。
 ――その瞳に、微かだが“怒り”ではない感情の色が見えたように思ったのは……今しも気を失いそうになる僕の見た、錯覚、だったんだろうか……?
 苦しくて、揺らぐ視界の向こう側。
 彼の声が聞こえた。
 まるで悲痛な叫びのように……それは、聞こえた。


「生きたくとも生きられなかった人間の気持ちを……!! そんな人間が必死で生きていた意味を……!! その全てを、君は知っているとでも言うのかよ……!!?」



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