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6.――“Stand up” [1]
しおりを挟む6.――“Stand up”
扉の向こうで……ふいに、ずっと鳴り響いていた“音楽”が、途絶えた―――。
「…残念だよ」
言われたばかりの言葉の重さで呆然とする僕に向かい、山崎くんが囁く。
「君の気持ちが、たとえ“道”は違ったとしても、俺たちと同じ方向を向いていたなら……あるいは、一緒に夢を見ることができたかもしれないのに」
スイと僕から視線を外すと、振り返ったそのまま、彼は目の前の扉に手を掛けた。
そして、薄く開いていた扉を引き開ける。自分一人が入れるほどの間だけ。
「――そろそろ俺の音が恋しくなってきたんじゃないか、聡?」
その細い隙間から彼は中に居る渡辺くんに、冗談っぽい口調で、そう、告げて。
身を滑り込ませるようにし準備室の中に消えていった。
目の前で、がらがらと戸が閉ざされる。――それでも、立て付けの悪さからか、やっぱり僅かな隙間が空く。
そんな扉の向こうから、和やかに彼ら二人の交わす会話の声が聞こえてきた。
でも、僕の耳は、それを聞いてはいなかった。
聞こえているのに何も聞こえなかった。聞くことすら出来なかった。
ざわざわと…心が動揺してる。穏やかでない波が湧き起こり気持ちをグラグラと揺らし続けてる。さっきから。
『オマエが必要なんだ、トシヒコ』
『到底、“夢”を預けるに値しないね』
葉山と山崎くん、それぞれに言われた言葉がアタマの中をグチャグチャに掻き乱していて。
どうしたらいいのかが分からない。
何を信じたらいいのかも分からない。
ただ一つ、確実なことは。――僕が最も信じられないのは“自分”である、ということだけ。
「…オマエは、どうしたいんだよ?」
ふいに葉山が僕の耳元に囁いた。
「ミツルに、あそこまで言われて……それでいいのかよ、てめえは?」
「だって、そんなのは……」
――君たちの買いかぶり過ぎだ、と云う言葉を、咄嗟に僕は飲み込んで彼を見上げる。
確かに…僕は自分のピアノが信じられない。いくら“天才”だと言われても、こんな自分が奏でるピアノだからこそ納得できない。
でも、認める認めないに差はあれ、二人とも僕を“才能の持ち主”だと言ってくれた。
僕が僕を否定することは、その気持ちに対して失礼に当たるんじゃないかと思ったからだ。いま咄嗟の判断で。――これまで周囲の大人たちから褒められ続けてきたことに対する礼儀としての条件反射で。
その“咄嗟の判断”を、今、よりにもよってこの状況で出してしまった自分に、思わず自己嫌悪を感じた。
口を噤んでしまった僕に、しかし全く頓着せず、葉山は続ける。
「全てはオマエだろ? 誰が何をどう言おうが、他の誰でもなくオマエが、何を思うかじゃないのかカンジンなのは?」
――そして後……再び扉の向こうから“音楽”が聞こえてきた。
今度はギターの音色が加わって、扉を隔て、このシンと静まった廊下へと響き渡る。
渡辺くんが一人で奏でていたものとメロディは変わらないのに……でも、幾分か軽妙になったようにも感じられる。
こんなに…人間一人が加わっただけで、楽器が一つ加わっただけで、これほどまでに違った音に聴こえるだなんて……!
様々に如何様にも、その表情を変えられるもの。
そのバリエーションは、きっと無限。
――そうか……これが“音楽”というものなんだ……!
ふいに、まるで閃きのように理解できた。そのことを。
何年もピアノに…そして様々な曲に触れてきて尚、そのことを僕は知らなかった。
音楽とは、自分の世界で、たった一人で、奏でられるものだった。
そこには何の変化も存在しない。――ただ僕の色がポツンと存在しているだけ。
「選べよ。――いまオマエが何をしたいか」
葉山がクシャッと、かき混ぜるように僕の頭を撫でる。
「オマエ自身が、何をやりたいのか。どうしたいのか。――考えろ、自分で。それを。答えを見つけるまで」
そして、そのまま扉の持ち手に手を掛け、葉山も、そっと音を立てずに部屋の中へと入っていった。
僕は一人、シンと静まり返った廊下にポツリと取り残される。
――部屋の中から聴こえてきた……今度はドラムが加わった、また新しい生を受けた“音楽”。
室内に在る彼らと廊下に居る僕とを隔てた、この一枚の薄い扉が。
まるでブ厚い壁のように、まるで乗り越えられないほどの高さまで伴って、感じられた。
ここに一人残された僕との、それは“境界線”だった。
正しく、“音楽”というものを知っている者と知らない者とを隔てる―――。
やおら僕の両手が前に伸ばされ、その扉の表面に、触れた。
その木材の硬さと冷たさが、触れた僕の手を撥ね付ける。
それが無性に“悲しい”と思った。
淋しかった、とても。
まるで僕の奏でるピアノのように。――ここに一人取り残された僕が、とてもとても“孤独”なのだと、感じた。
苦しくて切なくて堪らなくなった。
――お願い、僕を一人にしないで。
否定しないで。“僕”という存在を。僕の弾くピアノを。
色の無い世界……僕だけしか存在しない世界……そんなのはイヤだ。もうイヤだ。
今わかった。ようやく理解できた。
――今までずっと……僕は、とても哀しかったんだ。
最初から“無い”と解っているものは、あえて自分から“欲しくない”と、否定し続けていた。全てに目を瞑って退けてきた。
“哀しい”と思うことすら…そうである自分すらも否定した。
最初から何も無い、これからも何も無い、そう思い込み続けている方がラクだったから。
どこかで誰かに与えられていたものだって、あったかもしれないのに。
何かを望むことを怖がっていた。
望んで、それゆえに何かが変わってしまうことを恐れてた。
でも、今は違う。――こんなにも望んでいる。
彼らと共に在ることを。
彼らと共に未来を描きたいと。
今までの僕に足りなかったものを、否定しては捨て続けてきてしまったものを……こんなにも取り戻したいと―――。
気が付いたら……僕の手が、そろそろと目の前の扉を引き開けていた。
押し寄せてくる音の波に、途端ひるみそうになる気持ちを何とか前に押し止めて。
開けた視界の向こうを見やる。
――窓辺に立つ渡辺くん。
――その横で椅子に座ってギターを奏でる山崎くん。
――反対側のスミに置かれたドラムセットの中に埋もれている葉山。
扉を引き開けた途端、そこに居た三対の視線が、一斉に一様に、この僕へと注がれた。
まず振り返った渡辺くんの唄が止まり、手が止まり……つられたように他の二人の手も止まる。
扉を隔てていた廊下と同じ静寂が、室内にも訪れる。
「あ…えっと、あの、僕……」
そんな中、ほぼ真下に向かって俯きながら小さく震える声で弱々しく口火を切ったのは、この僕、だった。
こうしながら内心、この沈黙の空気に押し潰されそうだった。
でも、どうしても……言いたかったのだ。言わずにはいられなかった。言わなくちゃいけないと思った。
「どうしても謝りたくて……渡辺くんに……それに、みんなにも……」
傷付けてごめんなさい。知らなくてごめんなさい。
幾ら頭を下げても謝っても取り返しが付かないけれど。謝って済むことでもないけれど。
それでも……ごめん、本当に。ごめんなさい。
「本当は……ただ欲しかっただけなんだと思う。僕がピアノを弾いていることの“意味”が。――“生きている意味”が」
素直じゃない…素直になれないだけの僕には、それを持っている皆への羨望から、それを否定し貶めることしか出来なかった。
その所為で、“知らない”ことを理由にし、渡辺くんを…そして皆のことまでも傷付けた。
赦して欲しいとは言えない。言えるハズも無い。
でも、一度でいい、“償い”をするチャンスを与えてもらえるならば……、
「僕は……“これから”の僕で、答えを出すよ。必ず」
自分の全てを肯定する。そう出来るようになる。――『99%の努力』と、全ての“枷”を受け入れられるように、強くなろう。
渡辺くんがそうであるように。
僕も誰かの“夢”になりたい。誰かの未来の糧となれる人間になりたい。
全ては“これから”。――今、この瞬間から、僕は、変わろう。
「これからは、自分の“生きる意味”を見つけるために……そのために、僕は、生きるから」
君たちの傍で、同じ方向を見ていたい。
君たちの中に見つけたい。“僕”という存在の在り処を。
――そうすることを、どうか、許してくれる……?
「僕がピアノを弾くことを…君たちと同じ“夢”のために弾くことを、許して、くれる……?」
――僕がここに居てもいい“理由”を……僕に、くれる……?
それを言い切るまで。
僕は下げた頭を、とうとう上げることが出来なかった。
言った後の沈黙が、下げた頭の向こうから圧し掛かってくる。
一度は『要らない』とまで言われたクセに、ムシのいいこと言ってると自分でも解っているけど。
それでも、僕は彼らの返事を待った。――待ちたかった。
こんな僕のことを一度は“仲間”として受け入れようとしてくれた彼らの気持ちに、ただただ縋り付いただけのこと、ではあったけど……。
「――弾いてよ、君のピアノ」
やおら耳に響いた声に、ハッとして僕は、顔を上げた。
上げた視線に映ったのは……僕の正面に立って僕を見下ろす渡辺くんの微笑み。
そして彼は続ける。――おもむろに僕の手を取って。
「弾いてよ、さっきみたいに。君の…君なりの尾崎豊のメロディを、さ」
「渡辺…くん……」
「オレも唄ってみたいから。君の演奏の前で。一緒に」
あまりにも優しい、その微笑みに戸惑いを覚えて、咄嗟に横へと視線を流し、傍らに座っている山崎くんを見つめてしまった。
――君も、それでいいの……?
流した視線で問うたけれど。
しかし予想に反して、彼の瞳は穏やかで。先刻のように僕を冷たく睨み付けてなどいなくて。それこそ、これっぽっちも。
「それはゼヒとも聴きたいね。そういえば、さっきの“賭け”の演奏も、途中で止まったままだったことだしー?」
言って、「なあ?」と同意を求めるように葉山の方へと向けた顔は……本当に普段通りの、彼特有の“人を食ったような笑み”、で……。
即答で「ああ、そうだったな」と、やっぱり普段通りのニヤニヤ笑いで応えた葉山の返答を得て、それが更に強力に顔面を覆う。まるで笑顔の仮面でも貼り付けたみたいに。
――その瞬間を目にして、即……なんだろう、僕の胸中が、よくわからないフクザツな色でモヤモヤとした。
「そういやー、“賭け”なんてしてたっけなートシヒコ?」
ドラムセットの向こう側から、そのニヤニヤ笑いを今度は正真正銘僕の方に向けて、葉山が意味ありげに、それを告げる。
「え…?」と僕が返答する間もなく、「そうだよ、忘れられちゃ困るな」と、反対側から山崎くんが畳み掛けるように言葉を被せてきた。
「最初にちゃんと言っただろう? 『聡の“唄”で。――君がコイツの“実力”を認めれば俺たちの勝ち、認められなかったら君の勝ちだ』って」
勝ち誇ったような…不愉快にさえ感じられるような、その穏やかな笑顔の中にニヤリとした企むような表情を、チラリと覗かせ。
おもむろに愛想100%のニッコリ笑顔を浮かべるなり、キッパリと、それを告げた。
「“賭け”は、俺たちの勝ちだ」
ひとときの間―――。
僕は何を言われたのかが理解できず、唖然としたまま無言で、彼の顔をマジマジと見つめるしか出来ずにいた。
それを、硬直した思考が徐々に理解していくにつれ……言葉も出せないままの口が、僕の意思でなく勝手にパクパクと動き出して。――そう、それはまるで酸欠の金魚のように。
ひとしきり、その“酸欠の金魚”になっていた僕は、我に返るや否や、思わずそれを叫んでいた。
「なっ…、――なんって詐欺ーーーっっ……!!!!!」
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