弾けないピアニストの俺が天使の羽根を奪うまで

ひぽたま

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6・疑念

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 その朝、俺は開門と同時に構内へ入り、建築学部のエントランス前で待っていた。
 助教や学生を幾人かやり過ごしたあと、三下教授を見つける。
 薄ぼんやりとしか覚えていなかったので、念のため、大学のホームページで確認しておいたのと同じ顔だ。
 五十がらみの、痩せた面立ち。目が細くて垂れていて、おとなしそうな、冴えない風体。整っていない白髪交じりの髪。
 そんな建築学科の教授は、季節に合わないトレンチコートの襟を立てて着ながら、速足でエントランスに入ろうとしていた。
 俺は、その背中に向かい、声をかける。
「失礼します。三下教授でいらっしゃいますか」
 三下が足を止め、胡乱げに振り返った。垂れた目をしばたたかせて、俺が誰だかわかると、驚愕に顔を強張らせる。珍獣でも見たような表情というか。
 俺はつとめて冷静さを保ちつつ、三下の窪んだ頬のあたりを見つめながら、淡々と告げた。
「おはようございます。音楽科、クラシックピアノ専攻の矢奈結加です。先日、お呼びだしいただいた件で来たのですが、いまお時間はよろしいでしょうか」
「あ、ああ。矢奈くん、か。ええと、だね」
 三下は腕時計をちらりと見る。あまりよろしくない用事でもあるらしい。
「手短に済まそうか。用というのは今さらで、別に」
「申し訳ありませんでした!」
 俺はいきなり、深々と頭を下げた。エントランスに入っていく人たちが、何事かと足を止める勢いで。
「教授にお声をかけていただきながら、今日まで訪問が遅れたことをお詫びいたします。建築科の森脇くんも、三下教授はお忙しい方だから失礼のないように、早く訪問するようにと急かしてくれていたのですが、僕は人見知りのほうで、どうしても緊張してしまって」
 ゆっくりと視線を上げ、三下の表情をうかがう。
 焦っているだけだった顔に戸惑いが混ざり、頬にほんのり朱がさしたのがわかった。
 俺は微笑む。自分の容姿の利用法はよく知っていた。
「ただ、森脇くんが、三下教授はとてもいい方だから、僕が口下手でも怒らないでいてくれるだろうと励ましてくれました。それで勇気をふるって今日、おうかがいさせていただいたのですが、どのような件でお呼びくださったのでしょうか」
「あ、……うむ。も……森脇くんが、私を褒めていたというのかね?」
「はい。この頃特に目をかけていただいて、大変だけれど将来のために役立つので嬉しい、と言っていました」
「ふうむ」
 三下はまんざらでもなさそうに鼻を膨らませた。俺は意外に思う。この教授は、どうやら森脇を特別に嫌っているというわけではなさそうだ。ではなぜ……。
 周りに人が増えてくる。ざわめきが自分たちに向けられていると気づいたらしく、三下が慌てたように言った。
「ともかく……ここではなんだから、ついてきなさい。矢奈くん、きみに少しだけ、確認しておきたいことがあるのでね」
「わかりました」
 先だって歩く三下の足取りが、わかりやすく弾んでいる。俺は素直な振りをして従いながらも、頭のなかの疑問符を消せなかった。
 嫌っていないのならなぜ、三下は森脇をいじめているのだろうか?
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