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7・不安
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きっかけは学食だった。昨日のことだ。
一年ぶりの親子丼を食べていた俺に、相変わらずの山かけ蕎麦をたぐりながら葉山が訊いたのだ。
「どうよ、Aランチ以外の味は」
「……別に」
前日、砂の味に感じられたAランチよりはましかもしれないが、甘しょっぱい以外の感想は特になく、黙々と食べすすめる。
食べるのが早い葉山はさっさと済ませて水を飲みながら、食堂を見まわしていた。
「今日もあの子、来ないわねー。建築科の森脇くん。姿を見せなくなって、ひいふう……四日になるかしら? けっこう可愛い子だし、いないとさみしくなっちゃう」
「どうでもいい」
と、言いつつ……少しだけ気になり、葉山を見た。頬杖をついて、いつも通りの飄々とした態度だが……こいつは森脇を気に入っていたのだろうか。
とはいえ問い詰めるほどの理由も見いだせず、俺は丼に目を戻す。
『また! できれば!』
そう言って別れたのを最後に、森脇が現れなくなって、四日。週末を挟めばほぼ一週間だ。
音楽科の建物で偶然出くわすこともなくなり、学生食堂にも現れず、『近世音楽史』の講義にももちろん来ない。
……休学でもしたのだろうか。
本人の事情、経済的事情、理由はいくらでも思いつく。もしくは体調を崩して休んでいるだけか、それともただ単に。
(……ピアノを聴けたから満足して、もう現れないだけか)
興味が満たされたから、俺に構う理由がなくなっただけなのだろう、きっと。
ぐちゃぐちゃの卵と鶏肉が混ぜ合わされた親子丼に対して、急に食欲を失くす。
半分以上残っていたが、諦めて箸を置こうとしたとき、葉山がふいに身を起こした。
「あ、来た。おーい」
どきっとする。森脇か? とっさに再び箸をつかんだものの、近づいてくる足音は森脇のように慌ただしいものではなくて、もっと規則正しかった。
「ごめんごめん、お待たせー。葉山に矢奈くん、ずいぶん待った?」
現れたのは、鈴木だった。葉山と同じ写真科の。
おまえなど待った覚えはない、と、喉元まで出かけたのを堪える。
葉山は鈴木が来ると知っていたようで、
「ずいぶん、ってほどでもないけど、遅かったわね。坊やの情報はどうなったのさ」
「どうもなにも、聞くも涙の苦労話を聞いてくださいよ。建築学部の連中って理系頭らしくて、僕たち芸術系のノリとは違うわけよ。男子学生ばっかりで噂にものってこないし、そもそも森脇くんがバイトばっかりでサークルにも入っていないから、彼のことを知っている人が少なくて」
(森脇?)
鈴木が自称・情報屋だということは知っている。葉山が森脇を調べるように頼んだのだろうか。こいつはそこまで森脇を気にしていたのか?
つい耳をそばだててしまう俺に構わず、葉山は鈴木と話を進める。
「収穫ゼロってわけじゃないんでしょ? 結局、森脇くんって、最近どうしてんのさ」
「どうしたもこうしたも、レポートだかに追われているっていうくらいは知っていたんだけどさ、問題はその理由。なんでも環境デザイン科の三下教授を怒らせちゃったらしくて、いじめられているらしいよ。必修科目だから単位を取らなきゃならないのに、講義中もなにかといえば当てられて質問されて課題を出されて、レポートを出しても再提出を命じられて、それのくり返しなんだって。森脇くんはめげずに受けて立っているらしいけどさ、もともと真面目だから昼休みも返上で図書館にこもって勉強する羽目になってて、ロクに食事も取っていないんじゃないかな」
「あっちゃー、そりゃ大事だわ。でも森脇くんて、そんなに人当たりが悪い子でもなさそうなのに、なんだってそんなに教授を怒らせちゃったのかしらね?」
「そればっかりは誰も知らないみたいで。どっちかといえば三下教授にはすごく気に入られていろいろ手伝いもさせられていたのに、先週ぐらいから急に態度が豹変したらしいよ」
(先週?)
環境デザイン科の三下……そいつは確か、レッスン棟の裏庭で森脇と一緒にいた中年男ではないだろうか。俺に話があるから教授室に来い、と言ったやつだ。
森脇が、もう話はついたから行かなくていい、と言っていた相手。
「そうなんだってさ、矢奈」
葉山がいきなり俺を向く。
「……だからどうした。俺に話を振るな」
「だってあんた、Aランチも親子丼も喉を通らなくなるくらいに森脇くんのこと、気にしているわけじゃん? あたし明日には南米に行っちゃうからさ、留守のあいだあんたを任せておける友達の無事を、確かめておいたほうがいいと思ったわけよ。はいこれ、鈴木、報酬。バナナプリンだけでよかったわけ?」
「素人情報屋なので料金も適正価格で済ませております。矢奈くんも、なにか知りたいことあったら任せてよ。今ならバナナ豆乳一本で手を打つからね」
知りたいこと……。
俺は親子丼を見つめる。
一年ぶりの親子丼を食べていた俺に、相変わらずの山かけ蕎麦をたぐりながら葉山が訊いたのだ。
「どうよ、Aランチ以外の味は」
「……別に」
前日、砂の味に感じられたAランチよりはましかもしれないが、甘しょっぱい以外の感想は特になく、黙々と食べすすめる。
食べるのが早い葉山はさっさと済ませて水を飲みながら、食堂を見まわしていた。
「今日もあの子、来ないわねー。建築科の森脇くん。姿を見せなくなって、ひいふう……四日になるかしら? けっこう可愛い子だし、いないとさみしくなっちゃう」
「どうでもいい」
と、言いつつ……少しだけ気になり、葉山を見た。頬杖をついて、いつも通りの飄々とした態度だが……こいつは森脇を気に入っていたのだろうか。
とはいえ問い詰めるほどの理由も見いだせず、俺は丼に目を戻す。
『また! できれば!』
そう言って別れたのを最後に、森脇が現れなくなって、四日。週末を挟めばほぼ一週間だ。
音楽科の建物で偶然出くわすこともなくなり、学生食堂にも現れず、『近世音楽史』の講義にももちろん来ない。
……休学でもしたのだろうか。
本人の事情、経済的事情、理由はいくらでも思いつく。もしくは体調を崩して休んでいるだけか、それともただ単に。
(……ピアノを聴けたから満足して、もう現れないだけか)
興味が満たされたから、俺に構う理由がなくなっただけなのだろう、きっと。
ぐちゃぐちゃの卵と鶏肉が混ぜ合わされた親子丼に対して、急に食欲を失くす。
半分以上残っていたが、諦めて箸を置こうとしたとき、葉山がふいに身を起こした。
「あ、来た。おーい」
どきっとする。森脇か? とっさに再び箸をつかんだものの、近づいてくる足音は森脇のように慌ただしいものではなくて、もっと規則正しかった。
「ごめんごめん、お待たせー。葉山に矢奈くん、ずいぶん待った?」
現れたのは、鈴木だった。葉山と同じ写真科の。
おまえなど待った覚えはない、と、喉元まで出かけたのを堪える。
葉山は鈴木が来ると知っていたようで、
「ずいぶん、ってほどでもないけど、遅かったわね。坊やの情報はどうなったのさ」
「どうもなにも、聞くも涙の苦労話を聞いてくださいよ。建築学部の連中って理系頭らしくて、僕たち芸術系のノリとは違うわけよ。男子学生ばっかりで噂にものってこないし、そもそも森脇くんがバイトばっかりでサークルにも入っていないから、彼のことを知っている人が少なくて」
(森脇?)
鈴木が自称・情報屋だということは知っている。葉山が森脇を調べるように頼んだのだろうか。こいつはそこまで森脇を気にしていたのか?
つい耳をそばだててしまう俺に構わず、葉山は鈴木と話を進める。
「収穫ゼロってわけじゃないんでしょ? 結局、森脇くんって、最近どうしてんのさ」
「どうしたもこうしたも、レポートだかに追われているっていうくらいは知っていたんだけどさ、問題はその理由。なんでも環境デザイン科の三下教授を怒らせちゃったらしくて、いじめられているらしいよ。必修科目だから単位を取らなきゃならないのに、講義中もなにかといえば当てられて質問されて課題を出されて、レポートを出しても再提出を命じられて、それのくり返しなんだって。森脇くんはめげずに受けて立っているらしいけどさ、もともと真面目だから昼休みも返上で図書館にこもって勉強する羽目になってて、ロクに食事も取っていないんじゃないかな」
「あっちゃー、そりゃ大事だわ。でも森脇くんて、そんなに人当たりが悪い子でもなさそうなのに、なんだってそんなに教授を怒らせちゃったのかしらね?」
「そればっかりは誰も知らないみたいで。どっちかといえば三下教授にはすごく気に入られていろいろ手伝いもさせられていたのに、先週ぐらいから急に態度が豹変したらしいよ」
(先週?)
環境デザイン科の三下……そいつは確か、レッスン棟の裏庭で森脇と一緒にいた中年男ではないだろうか。俺に話があるから教授室に来い、と言ったやつだ。
森脇が、もう話はついたから行かなくていい、と言っていた相手。
「そうなんだってさ、矢奈」
葉山がいきなり俺を向く。
「……だからどうした。俺に話を振るな」
「だってあんた、Aランチも親子丼も喉を通らなくなるくらいに森脇くんのこと、気にしているわけじゃん? あたし明日には南米に行っちゃうからさ、留守のあいだあんたを任せておける友達の無事を、確かめておいたほうがいいと思ったわけよ。はいこれ、鈴木、報酬。バナナプリンだけでよかったわけ?」
「素人情報屋なので料金も適正価格で済ませております。矢奈くんも、なにか知りたいことあったら任せてよ。今ならバナナ豆乳一本で手を打つからね」
知りたいこと……。
俺は親子丼を見つめる。
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