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8・友達
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自販機で買ったバナナ豆乳を鈴木に渡し、『森脇に確実に会う方法』を訊いた。
俺だって、この一週間まったく森脇を探さなかったわけではない。ただ、日中は講義やレッスンがあるし、そもそも音楽科と建築学部では接点がなさすぎるのだ。
鈴木の意見もだいたい同じようなもので、森脇は休憩時間もあちこち駆け回っているからなかなか捕まえられないだろう、とのこと。
『でもどんなに忙しくてもバイトは休まないらしいから、彼のアルバイト先に突撃してみたらいいんじゃないかな』
森脇のバイト先は二か所だが、カラオケハウスはバックヤードにいて出てこないので、三番町のジャズバーに行くほうが話もしやすいらしい。
鈴木はその場でジャズバーの情報も検索して、見せてくれた。ジャズ&バー『カノン』……店名は音楽用語に由来しているのだろうか? 午後五時開店。不定休。森脇はほぼ毎日、夜九時から、十二時過ぎまでは出勤しているはずだと。
店舗の写真を見たとたんに、嫌なことを思いだして気が沈む。確かにその店は先日、蛇体に連れられて訪れたバーに間違いなく、帰り際、店員に激突して鼻血を出させたまま逃げてきてしまったから。
再訪するなら、やはり謝らなければならないだろう……。
というか、あの店に置いていったはずの本を森脇が届けてきたのは、バイトをしていたからだったのか。
(あんな中学生のような見た目で、バーのバイトが務まるのか? 皿洗いでもしているんだろうか)
いらぬ心配をしながら、三番町に向かう前に市内のデパートに赴き、手土産を買い求めた。脈楽堂の最中が昔から、大人たちがやり取りする手土産のなかで最上位とされていたので、それを。あとは適当な喫茶店で時間を潰してから、九時ちょうどに着くように三番町に向かう。
飲み屋が並ぶ通りの途中に、『カノン』の看板のついた扉を見つけた。あまりいかがわしい香りはなく、古き良き喫茶店のような佇まいだ。
呼吸を整えてから、ドアを押す。カラン、とカウベルの音。
店内はほの明るく、壁にレコードと酒瓶が並んでいる。一目で見渡せる広さの店内に、カウンター席とテーブル席がいくつか。奥の壁際にアップライトピアノがあるものの、カバーがかかっている上に酒瓶が並んでおり、使われている雰囲気はない。
店内に流れる音楽は、生演奏ではなくてレコードだったらしい。
カウンターのなかに、マスターらしき男性が立っていた。四十歳ぐらいで、巻いた髪に丸眼鏡、服装もベストに蝶ネクタイと、洒落ている。緊張した面持ちで店内を見渡していた俺に、ふわりと笑って声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。お一人かしら?」
先日俺が来たことを覚えていての問いかけだろうか。わからなかったが、覚悟は決まった。俺は先に森脇を見つけるのは諦めてカウンターに向かい、先日ウェイターにぶつかった件と、詫びに来たという目的を告げる。するとマスターはおかしそうに目を細めた。
「あら、それなら進ちゃんだわ。いま呼んであげる」
マスターは言葉遣いからすると、同好の士だろうか……そんなことを思っているうちに、すぐにカウンターの奥から若者が連れられて出てきた。
淡い色あいの髪をきれいに撫でつけ、ほっそりした体にぴったりと合ったベストとネクタイはマスターと色違いで、お揃いのようだ。まるで外国映画の主人公にでもいそうな、絵に描いたようなウェイターの青年……が、もしかして。
「……森脇?」
大学で見るときと、あまりにも印象が違った。森脇も俺を見て驚いたようだったが、落ちついた声音で、
「いらっしゃいませ」
という声すら大人びて聞こえ、いささか動揺した。
これまで俺は森脇を、ちょこまか動き回る小動物か、中学生くらいの子供のようにしか見ていなかったから、あまり身構えたりもしなかったのだが、同世代を意識してしまうと、とたんにどう振舞えばいいのかわからなくなる。
そして、
「この子がお探しの、あなたが先日ぶつかって鼻血を出した男の子です」
と、マスターに紹介されると、余計に。
まさか森脇は、最初から俺が非礼を働いた客だと知っていたのだろうか。
知っていながら本を届けてくれ――それは余計なお世話ではあったものの、その後俺の周りをうろつき、「ピアノを好きだ」とまで言ってくれるようになった神経がわからない。
呆然としている俺を、森脇がテーブル席に案内してくれた。先日も座った覚えのある椅子に腰を下ろし、改めてなにを言おうか迷ったあげく、
「森脇だよな?」
バカなことを訊いてしまったが、森脇は笑って受け流す。
「そうだよ、当たり前じゃん」
「俺がぶつかった客だと、最初から知っていたのか」
「そりゃそうだよ」
「あのときは申し訳ない」
俺はもう謝るしかなく、脈絡堂の最中をテーブルに置いた。
頭を下げながら差しだすと、森脇は驚いた様子で押し返してくる。
「いや、受け取れないって。ぶつかったのはお互い様だし、なんなら避けなかったオレが悪いわけじゃん」
「だがそれではこちらの気が済まない」
「謝ってくれたのは聞いたから、もう充分だって!」
とりあえず話を進めるために謝罪は受けてほしかったのだが、森脇はかたくなに詫びの品を受け取らない上に、俺の指に手が重なったとたん、ぱっといきなり両手を離した。
勢い余ってつんのめった俺は、危うくテーブルに顔をぶつけるところだ。
「ごめん! 矢奈の手、ピアノを弾く大事なものなのに……大丈夫っ? 怪我しなかった?」
手よりも鼻をぶつけそうだったのだが。呆れつつ――同時に、おかしくなる。
箱を押したくらいで手がどうにかなるわけもないのに、やっぱり森脇は、俺をピアニストとして尊重してくれているのだ、と。
「これくらい、別に。というより、そこまで迷惑か? 規則かなにかで受け取れないというのなら、持ち帰るが」
「迷惑とかじゃなくってさ。こっちも友達にそんなに気を遣ってもらいたくないじゃん? っていうか中身、なに?」
脈絡堂の最中の味わいの説明をすると、森脇は以前と同じに目をキラキラさせながら興味を示してくれた。
「えー、どうしよ。せっかくだから、いただいちゃおっかな」
笑顔で紙袋をのぞき込む様子に、よかった、変わりない……と、俺はほっとするのと同時に、なぜか胸の奥に疼くような痛みを感じた。
『友達』という言葉が……否定的な意味であるはずもないのに、どうしてか、心に突き刺さって。
俺だって、この一週間まったく森脇を探さなかったわけではない。ただ、日中は講義やレッスンがあるし、そもそも音楽科と建築学部では接点がなさすぎるのだ。
鈴木の意見もだいたい同じようなもので、森脇は休憩時間もあちこち駆け回っているからなかなか捕まえられないだろう、とのこと。
『でもどんなに忙しくてもバイトは休まないらしいから、彼のアルバイト先に突撃してみたらいいんじゃないかな』
森脇のバイト先は二か所だが、カラオケハウスはバックヤードにいて出てこないので、三番町のジャズバーに行くほうが話もしやすいらしい。
鈴木はその場でジャズバーの情報も検索して、見せてくれた。ジャズ&バー『カノン』……店名は音楽用語に由来しているのだろうか? 午後五時開店。不定休。森脇はほぼ毎日、夜九時から、十二時過ぎまでは出勤しているはずだと。
店舗の写真を見たとたんに、嫌なことを思いだして気が沈む。確かにその店は先日、蛇体に連れられて訪れたバーに間違いなく、帰り際、店員に激突して鼻血を出させたまま逃げてきてしまったから。
再訪するなら、やはり謝らなければならないだろう……。
というか、あの店に置いていったはずの本を森脇が届けてきたのは、バイトをしていたからだったのか。
(あんな中学生のような見た目で、バーのバイトが務まるのか? 皿洗いでもしているんだろうか)
いらぬ心配をしながら、三番町に向かう前に市内のデパートに赴き、手土産を買い求めた。脈楽堂の最中が昔から、大人たちがやり取りする手土産のなかで最上位とされていたので、それを。あとは適当な喫茶店で時間を潰してから、九時ちょうどに着くように三番町に向かう。
飲み屋が並ぶ通りの途中に、『カノン』の看板のついた扉を見つけた。あまりいかがわしい香りはなく、古き良き喫茶店のような佇まいだ。
呼吸を整えてから、ドアを押す。カラン、とカウベルの音。
店内はほの明るく、壁にレコードと酒瓶が並んでいる。一目で見渡せる広さの店内に、カウンター席とテーブル席がいくつか。奥の壁際にアップライトピアノがあるものの、カバーがかかっている上に酒瓶が並んでおり、使われている雰囲気はない。
店内に流れる音楽は、生演奏ではなくてレコードだったらしい。
カウンターのなかに、マスターらしき男性が立っていた。四十歳ぐらいで、巻いた髪に丸眼鏡、服装もベストに蝶ネクタイと、洒落ている。緊張した面持ちで店内を見渡していた俺に、ふわりと笑って声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。お一人かしら?」
先日俺が来たことを覚えていての問いかけだろうか。わからなかったが、覚悟は決まった。俺は先に森脇を見つけるのは諦めてカウンターに向かい、先日ウェイターにぶつかった件と、詫びに来たという目的を告げる。するとマスターはおかしそうに目を細めた。
「あら、それなら進ちゃんだわ。いま呼んであげる」
マスターは言葉遣いからすると、同好の士だろうか……そんなことを思っているうちに、すぐにカウンターの奥から若者が連れられて出てきた。
淡い色あいの髪をきれいに撫でつけ、ほっそりした体にぴったりと合ったベストとネクタイはマスターと色違いで、お揃いのようだ。まるで外国映画の主人公にでもいそうな、絵に描いたようなウェイターの青年……が、もしかして。
「……森脇?」
大学で見るときと、あまりにも印象が違った。森脇も俺を見て驚いたようだったが、落ちついた声音で、
「いらっしゃいませ」
という声すら大人びて聞こえ、いささか動揺した。
これまで俺は森脇を、ちょこまか動き回る小動物か、中学生くらいの子供のようにしか見ていなかったから、あまり身構えたりもしなかったのだが、同世代を意識してしまうと、とたんにどう振舞えばいいのかわからなくなる。
そして、
「この子がお探しの、あなたが先日ぶつかって鼻血を出した男の子です」
と、マスターに紹介されると、余計に。
まさか森脇は、最初から俺が非礼を働いた客だと知っていたのだろうか。
知っていながら本を届けてくれ――それは余計なお世話ではあったものの、その後俺の周りをうろつき、「ピアノを好きだ」とまで言ってくれるようになった神経がわからない。
呆然としている俺を、森脇がテーブル席に案内してくれた。先日も座った覚えのある椅子に腰を下ろし、改めてなにを言おうか迷ったあげく、
「森脇だよな?」
バカなことを訊いてしまったが、森脇は笑って受け流す。
「そうだよ、当たり前じゃん」
「俺がぶつかった客だと、最初から知っていたのか」
「そりゃそうだよ」
「あのときは申し訳ない」
俺はもう謝るしかなく、脈絡堂の最中をテーブルに置いた。
頭を下げながら差しだすと、森脇は驚いた様子で押し返してくる。
「いや、受け取れないって。ぶつかったのはお互い様だし、なんなら避けなかったオレが悪いわけじゃん」
「だがそれではこちらの気が済まない」
「謝ってくれたのは聞いたから、もう充分だって!」
とりあえず話を進めるために謝罪は受けてほしかったのだが、森脇はかたくなに詫びの品を受け取らない上に、俺の指に手が重なったとたん、ぱっといきなり両手を離した。
勢い余ってつんのめった俺は、危うくテーブルに顔をぶつけるところだ。
「ごめん! 矢奈の手、ピアノを弾く大事なものなのに……大丈夫っ? 怪我しなかった?」
手よりも鼻をぶつけそうだったのだが。呆れつつ――同時に、おかしくなる。
箱を押したくらいで手がどうにかなるわけもないのに、やっぱり森脇は、俺をピアニストとして尊重してくれているのだ、と。
「これくらい、別に。というより、そこまで迷惑か? 規則かなにかで受け取れないというのなら、持ち帰るが」
「迷惑とかじゃなくってさ。こっちも友達にそんなに気を遣ってもらいたくないじゃん? っていうか中身、なに?」
脈絡堂の最中の味わいの説明をすると、森脇は以前と同じに目をキラキラさせながら興味を示してくれた。
「えー、どうしよ。せっかくだから、いただいちゃおっかな」
笑顔で紙袋をのぞき込む様子に、よかった、変わりない……と、俺はほっとするのと同時に、なぜか胸の奥に疼くような痛みを感じた。
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