弾けないピアニストの俺が天使の羽根を奪うまで

ひぽたま

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18・相談

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 浴槽を拭きあげていたら時間がかかった。用意されていた着替えを身に着け、脱衣所を出ると、台所にいた森脇が俺を振り返るなり、ぷっと噴きだす。
「どうしたんだ?」
「いやー……キャラ物のTシャツ、似合わねーなって」
「そちらが用意したんだろう」
 俺はやや憮然とする。名前は知らないが、頭の大きな黄色いひよこ?と英語のついたTシャツだ。
「だっておまえが入りそうなサイズの、それしかなかったんだもん。でもジーンズも入ったみたいでよかったわ。オレ、それ中学のときに憧れてバイト代で買ったのに、まだ背が伸びないから着られねーんだよなー」
(まだ……?)
 とは思ったものの、口をつぐむ。森脇はまだ二十歳になっていないそうだし、人の成長期はいつ来るかわからないものだ……と、思っておくことにする。
「矢奈、先になかに入って、座ってて。チキンラーメン、もうすぐできるから」
「森脇の夜食か?」
「おまえのぶんもだよ。Aランチもほとんど消化してなかったじゃん」
「……」
 Aランチ、諸々だ。森脇に吐しゃ物を見られ、あまつさえそれを片付けさせてしまったのだと改めて自覚して、猛省する。吐く前に、突き飛ばしてでも離れるべきだった……が、それをさせない勢いでつかんできたのは森脇のほうなので、いったいどうすればよかったのか。
 促されて玉すだれをくぐると、そこがリビングというか、茶の間らしい。
 真四角のテーブルに、座布団が二枚。カラフルな洋服箪笥と本棚で、ほぼスペースが埋まっている。もう一方の壁際に寄せている小さめのテーブルに、コーヒーカップと、封を切っていない脈絡堂の最中が並んで置いてあった。
(おやつの用意か? 誰の……)
 コーヒーカップの前に、写真立てがある。なんの気なしに写真を覗きこんだ俺は、誰かによく似た人物に笑いかけられた気がして、鼓動が跳ねた。
(森脇……?)
 に、見える。顔はそっくりだ。ただ体つきが森脇よりもしっかりしているというか、頭身が違うように見える。そして着ているものは、俺も良く知る類のタキシードとドレスシャツで、要はステージ衣装だ。背景にあるのはグランドピアノ。
 どういうことだ? 森脇が、もしかしたらピアノを?
 動けない俺の背後から、声がした。
「あ、それ父さん」
 森脇が、湯気をたてた丼をテーブルに置きながら、あっさり説明してくれる。
「うちの大学で、ピアノ科だったの。卒業コンサートの写真だったかな? オレも時々自分に似てると思ってドキッとするんだよね」
「お父上が、ピアノを……森脇も、父君にピアノを習ったのか?」
「ないない。父さんオレが二歳のときに死んじゃったし。このアパート壁が薄くて、隣の家の鼻歌まで聞こえちゃうくらいだしさ。とにかく食おうぜって。チキンラーメン」
 促されて座布団を借り、戸惑いながら、丼に向かって手を合わせる。森脇の肩越しに写真立てが見えるので落ちつかなかったが、細い縮れ麺を箸でつまみ、おずおず口に入れると、あまり経験のない香ばしさとスープの出汁の味わいがいっぺんに体に沁みてきて、驚いた。
「ほらー、うまいだろー」
 森脇が自慢気に言う。
「チキンラーメン様はどこで食べてもうまい! 矢奈は家でラーメン作ったりしねーの」
「しないな……これは、即席麺か?」
「チキンラーメン様、知らねーの? しましまの袋とひよこちゃんが目印だよ。生協でもどこでも売ってる国民食なんだぜ」
 森脇が指さしたほうを振り向くと、台所に、いま俺が着ているTシャツとは違う種類のひよこがついた袋が置いてあった。どうやらあれが『チキンラーメン』の袋らしい。なるほど。
(森脇はひよこが好きなんだろうか)
 訊いてみたいことはいろいろあったが、せっかく料理してもらったのだからという気持ちが先に立って、食べるのに集中する。俺は家ではトーストを焼くのがせいぜいで、昼食のAランチに麺類が出ることはまずないため、ラーメン自体が新鮮だった。しかも店ではなく、誰かの――森脇の、家で。
 彼が(ついでとはいえ)俺のために調理してくれたもの、というのが信じられない。
(夢でも見ているのだろうか。つい数時間前までは……)
 三下と。嫌なことを思いだしそうになり、気持ちを落ちつけるためにスープを一口。半生の黄身がするりと喉まで流れて行って、甘い風味があとに残った。
 先に食べ終えた森脇が、ネギをつまみながらぽつぽつと語る。父君とバイト先のマスターが、うちの大学の音楽科で同輩だったこと。自分は音楽は学んでいないが、ジャズバーで様々なレコードを聴いてきたので、耳は肥えているとか、そのなかでの俺の音は特別だと感じたとか。
「おまえのピアノの音って、聞いていると嬉しくなるんだよ。人を幸せにできる音が出せるんだなって思ってる。だけど今日の午後、ショパンの幻想即興曲……だっけ? 窓を開けたまま、怒っているみたいに、変なふうに弾いていたのは、わざとそうしたんだろ」
「知らない。意識していなかった。ただ、三下に頼まれたから弾いただけだ」
「矢奈……」
 森脇が箸を置く。俺はもう少し、ただこのチキンラーメンの味と、森脇とのとりとめない会話を交わす空気に浸っていたかったが、そうもいかないらしい。視線をあげた俺を、森脇はいつものまっすぐな目でじっと見ていた。
「もう、すんなよ」
「ピアノを弾くのを?」
 俺は茶化す。
「ちげーって。三下のために弾くとか、それもやめてほしいけど、それはオレが指図できることじゃない。だけど、嫌いなやつと寝るとか、それだけはやめろ。親から貰った体だろ、もっと大事にしなきゃダメだって」
(親……)
 すぐに思いだせたのは、母親の鬼のような形相だ。彼女が望んだ芸術大学すべてから不合格通知が届いた息子を蔑み、心底憎んで怒鳴りつけた本音の言葉。
 ――どうして、どうしてどこもかしこも不合格になるの! おまえにいくらお母さんがお金と時間をかけたかわかっているのっ? 行けるのが地方の総合美術大学だけですって……こんな無名に大学に入るつもりなら、もう二度とうちには帰ってこないでちょうだい!
 あるいは父親……は、そもそも家に現れもしないので、俺の進学についてどう考えていたのか知りようがない。
 だが、父親を亡くしているという森脇に二親の悪口を言うのは憚られ、俺は溜息をついた。
「親は、何不自由なく育ててくれて、それは感謝しているが、今は親のほうが俺を見捨てているから、どうなろうと気にしないかもしれないな」
「なにそれ。矢奈は自慢の息子じゃないの?」
「コンクールに出場して優勝するのが当たり前だったころは、自慢だったかもしれない。だが俺は早熟だっただけで、人より才能に優れているわけでもないんだ。二位、三位と順位が落ち、入賞するのもやっとになると、母は焦った。そして俺を某有名なピアニストのところへレッスンに通わせるようになり……」
 ここから先を、言わないでおくことはできた。精神が健康な森脇にとっては重すぎる内容だろうし、そもそも知ったから今さらどうこうできる問題でもない。
 でも……と、思う。森脇は相当の理由がなければ、俺が彼に心配される価値などない人間だということを理解しないのではないだろうか。
「よくないやつだったの?」
 俺をじっと見ながら、森脇が問う。いつもキラキラした光を宿す目が、心配そうに翳っていた。
 俺は彼を直視できずに俯き、微笑む。天使に向かって懺悔する気分だった。
 赦されようと赦されまいと関係なく、ただ打ち明けられることが――彼がここにいて、俺の言葉に耳を傾けてくれる事実こそが、喜びなのだと。
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