弾けないピアニストの俺が天使の羽根を奪うまで

ひぽたま

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20・懇願

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「純粋な善意を踏みにじられるのがどんな気持ちか知っていたから、俺は三下を許せなかったんだ」
「……でもさ、矢奈」
 俺をまっすぐに見ていた森脇が、くしゃりと、泣きそうな顔をした。
「三下がオレを誤解してどうこうしようとしていたんだとしても、だったらオレがわかって、なんとかしなきゃならなかったんだ。なのにおまえは自分を犠牲にして、三下の気持ちをオレから逸らそうとして身を捧げたんだろ?」
「そこまで愚かじゃない。寝たからといって、三下になにかを捧げたつもりはない」
「同じことだろ! 体、好きにさせたんだろ! それって自分を犠牲にするってことじゃん!」
 森脇が声を荒げたとたん、どん! と音を立てて部屋の壁が揺れた。俺はただ驚いただけだが、森脇は頭を抱えてうずくまる。
「どうしたんだ?」
「お隣さん……壁、薄いんだった」
 森脇は畳に額を擦り付けながら「こんちくしょう」とか「オレのバカ野郎」などとぶつぶつ呪いの言葉を吐いている。俺の勝手な行動こそ責めればいいものを、どうして彼が自分自身を責めてしまうのか、理解しがたかった。
(俺が三下に脅されて、無理やり言うなりになったと思っているからだろうな)
 俺は森脇を正直でまっすぐで、正義感も強い人間だとわかりつつあったが、森脇のほうが俺をどう捉えているのかいまいちわからなかった。幼児期に受けた扱いの話をしたり、目の前で吐いたりしてしまったので、頼りないと思われている可能性は充分にあったが、それで憐れまれて森脇が自分を責める結果になっているのなら誤解は解きたかった。
 たとえ憐れみが蔑みに変わるとしても、森脇の気持ちが軽くなるほうがいい。
「俺の携帯を知らないか」
 訊ねると、森脇は紙袋を指さした。先ほどまで着ていた俺の衣服の上に、伏せて置いてあるスマートフォン。ボイスレコーダーを立ち上げ、適当に選んだデータの再生ボタンを押すと、最中の三下の声がいきなり流れだした。
 ――『矢奈、くんっ……きみは、学生なのに……教授とこんなことをして、いいと思っているのかねっ……?』
 三下の声の合間に、肉のぶつかる音と、濡れた音。それから……俺自身の息遣いらしきものも聞こえてくる。近頃の機械は優秀だ。森脇が顔をあげ、スマホと俺の顔を見比べた。
「……これ、なに?」
「三下とのやり取りだ。最中も前後も、全部録音してある。やつが学長の悪口を言っているところも、私欲で学生をいじめていたと白状しているところも、全部。これを事務局に提出すれば、少なくとも三下はうちの大学にいられなくなるだろう」
「ちょっと、待て……これって、矢奈の名前も入ってるじゃん! こんなんさらしたら、おまえだってただじゃ済まないだろっ」
「俺はいい。どうせ蛇体の作品のモデルが俺かもしれないということで噂になっているんだ。もともとない評判がさらに地に落ちたところでどうということもない」
「あるだろ! ダメだろ、こんなん……消しちまえよ!」
 森脇が顔色を変え、スマホを奪い取ろうと手を伸ばした。正義感のかたまりのような彼にとって、このような卑怯な手段は許しがたいものなのだろう。しかし、正攻法でいくら立ち向かったところで、教授と学生の立場では圧倒的に森脇のほうが不利だ。彼の今後のためにも、せっかく手に入れた武器を捨てるわけにはいかない――俺はスマホを素早くつかみ、森脇から遠ざけようとして身を引いた。
「わっ……」
 体勢を崩した森脇が圧し掛かってきた。小柄とはいえ勢いのついた人一人の重みを支えきれず、俺が真後ろに倒れそうになると、とっさに森脇は片腕を俺の首の後ろにまわして、頭を打たないように支えたらしい。そのまま、二人して床に倒れこんだ。
「っ……」
 どこにも痛みは感じなかったが、重みは感じる。森脇が、俺に覆いかぶさって真上から見下ろしていたから。
 彼の片腕は俺の頭を抱きかかえ、もう一方の手は手首を捕らえていた。
 このような情景をどこかで見たような気がしたが、
(違う。あれは、ただの妄想だった)
 俺が三下に抱かれているとき、思い描かずにいられなかった情景だ。この相手が森脇だったら。もしも彼が俺を組み敷いて、甘い言葉を囁いてくれたらどんなに……だが、ノーマルの友人をそんな妄想に利用してしまう気持ち悪さもよくわかっていて、自分で自分を許せはしなかった。
 森脇の顔が近い。
「あ、えっと、矢奈。ごめ……」
「離れろ。気持ち悪いぞ」
 森脇が目を見開く。彼を汚したくなくて言ったつもりが、誤解されて傷つけてしまったのだとすぐにわかった。
「ごめん。だけど、オレ……」
「違う――言い方が悪かった。俺にとっての森脇がではなくて、森脇にとっての俺が気持ち悪いという意味だ。森脇はノーマルだろう? ゲイに軽々しく触れないほうがいい」
「そんなん言うなよ、友達じゃん」
「森脇がそう思うなら、余計に」
 言うな、と止める心と、言ってしまえとつつく心がせめぎあう。
 森脇は俺を友達だと思っているのだ……友達だとしか、思っていないのだ。だったら俺もそのように振舞うべきだし、実際に、ここまでは落ちついて話せていたはずだったのに。
 俺が引こうとしている線を、いつも森脇のほうが踏み越えてくる。吐いたときもそうだし、今も。俺が勝手に録音したデータなのだから、ただ放っておいてくれればいいのに。
(どうしていつも、おまえのほうから俺に構うんだ。どうして近づこうとするんだ)
 ノーマルな人間なら俺のような汚れたものとは関わり合いになりたくないし、口も利きたくないものではないだろうか。なのに森脇は俺を組み敷き、こんなにも間近に触れていながら、いつもどおりのキラキラした目に蔑みの色はかけらもなかった。
(これ以上近づかないでくれ)
 俺はおまえの眩しさに耐えられない。闇の生き物は太陽の光のもとでは灰になって、散ってしまう。そうなるとき激情した俺が、おまえを傷つけたりしないように。
 俺は、絶対に森脇には隠し通すつもりだったことを、とうとう白状した。
「三下との行為の音声で俺が傷つくと思っているなら、教えてやる。俺はあいつとのプレイでもそこそこ楽しめていたんだ」
「ゲロ吐いといて? どの口が言うんだよ」
「三下は大嫌いだが、行為のあいだ俺がなにを考えていたのか教えてやる。相手が森脇だと想像していたんだ。森脇が俺を組み敷いて、犯しているんだと」
「……え?」
 大きく見開かれる、目。彼のきれいな目に映る俺は、欲望に蝕まれた闇のかたまりだ。
「気持ち悪いだろう?」
「気……って、えっ? オレ、別にそういう気持ちで矢奈を追いかけていたわけじゃないよっ?」
「知っている。森脇はノーマルで、俺のピアノの音色を好きになってくれただけだ。ただ、俺のほうが……おまえに純粋な好意を寄せられて、自分でも思ってもみないくらい嬉しかったらしい。森脇が三下にしごかれて、会いに来なくなると落ちつかなかった。だからアルバイト先まで会いに行って、おまえの夢を聞かされたら余計に」
 ジャズバーで向かい合ったとき、森脇は『でっかい建物をつくりたい』と、目をキラキラさせながら語ってくれた。
 夢や目標を持ち、そこに向かってまっすぐ進んでいける彼は、葉山と同種の人間だろう。地を這って生きる俺の前から飛び立っていく人たち。それだけなら、憧れて見送るだけで済むのに……。
(森脇は、いつも俺のそばで眠る。木の枝で羽を休める小鳥のように、無防備に。そして目覚めたときも、空ではなくて俺を見てくれるんだ――……黙って飛び立っていかずに。動けない樹木がおまえとともに飛べるはずもないのに、それでも)
 嬉しかった。森脇が俺に向けてくれる笑顔や、てらいのない眼差しが。俺は俺自身を見つめてくれる人をこんなにも欲していたのだと、今ならわかる。
 ピアノの才能とやらではなく、容姿でもなく、『矢奈結加』を見てくれる人を。
(勘違いするな。森脇だって、俺のピアノの音色を気に入ってくれただけだ。ピアノがなければ俺自身になど見向きもしないはずだ)
 そして俺も、ただ森脇が俺に構ってくれるからという理由だけで、この気持ちを勘違いしそうになっているだけだ、きっと。
 森脇はぽかんとしたまま、固まってしまっている。手首をつかむ手のひらから、どちらのものかわからない脈が伝わってくる。俺は笑った。
「おまえはノーマルだから、俺を恋愛対象としては見ないだろう? それがわかっていたから俺は三下を利用して……誘って、暗い歓びに浸ったんだ。この行為は森脇のためだと。いく直前もおまえの姿を思い浮かべた。まったく、どうしようもなく気持ち悪いやつだ」
「いや、ちょっと……待て、って」
 さっさと離れてやろうとしたのに、森脇が汗ばんだ手に力を込めて、俺を押さえつけた。
 これ以上どうしたらいいんだ? 理解をするのに時間が必要なのか?
 呆れたものの、結論は決まっているのだから、焦る必要もないのか。俺は抵抗をやめて、おとなしく沙汰を待つ。つまり森脇が、
 ――『ごめん、オレ、ゲイにはなれねーから』
 と、困った顔で逃げるか、それとも、
 ――『悪い冗談ばっかり言うなよ。矢奈はそんなやつじゃねーだろ』
 などと、現実から目を逸らして笑おうとしてくれるのを。
「あ、えっと……」
 どちらを選ぶのか、いっそ楽しみだった。森脇が偏見まみれの罵声を浴びせるような人物ではないとわかっているからこそ、どんなに気を遣った拒絶をしてくれるのだろうと。
 首の後ろの腕が熱い。俺を押さえつけていた手にも汗がにじみ、そのせいかするりと滑って、スマートフォンの下をくぐるようにして手のひらに重なってきた。俺の筋張った指のあいだに森脇の指が割り込み、力を込めて握ってくる。思いがけない行為に、俺は戸惑った。
「森脇?」
「……とりあえず……試してみてもいい?」
「なにを、どこから」
 いま森脇がしているように手を握られたことは、もちろんある。だいたいがベッドの上で、組み敷く側の人物がすることだ。でも、森脇はノーマルなはずで……混乱している俺よりもさらに混乱した様子で、ぺらぺらと言い訳を並べ立てはじめた。
「いや、いますぐ全部ってわけじゃなくて、それはオレもさすがに抵抗あるし、デートにだって順序ってモンがあるしねっ? だいたいオレ、自分がゲイの素質あるかどうかわかんねーから、やるって言ってダメだったら矢奈に申し訳ないしねっ? だから、ちょっとだけ……確かめさせて」
「なにを」
 なにをどんなふうにして確かめたら、ノーマルの友人がゲイに向いているかどうかわかるというのか。
(いったい森脇はなにをどうしたい前提で、デートだのやるだのと言っているんだ?)
 わかろうとするのは、期待することだ。期待をして失望をしたくないからわからない振りをしていると、森脇がそっと肘を曲げて、俺の首元に顔を伏せた。
(な……)
 薄い肌に、吐息が触れる。
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