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最終話
クマと蝶々とその次は
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淡い水色の空。地上は粉々になった石と、木の燃え滓で埋め尽くされている。
生き物の気配はない。精霊も、敵に下ったものはここには来ないし、王に殉じたものは空気に還った。風すらも吹くのを止めた廃墟の中心に、ただ一人若者がうずくまっていた。
蜜色の髪だ。豊かで、艶やかで、長い。肌も髪と同じく蜜色。若者の周囲はそこだけ星でも落ちてきたかのように大きく窪んでおり、窪みの中心に大振りの剣が深々と刺さっていた。
若者は袖をまくった両手を燃え滓だらけにしながら、剣のそばに穴を掘った。握りこぶしの大きさで、深さも同じくらいの穴。そのなかにポケットから出した樫の実をそっと置き、上から土を押し固める。
――おまえの実を土に還したぞ、精霊王。
髪や肌と同じく、艶やかな声だ。額の汗を拭い、立ちあがった若者は背が高く、しなやかな体格をしていても、威圧感などはない。静かな印象のまま、そっと笑う。
――実は土に埋めれば、命が生まれるのだったな? おまえが教えてくれたことだ、バロール。自らの体を傷めて生むことを忘れてしまったダナーの代わりに、おれがおまえの子を埋めた。バロールの子たちよ、無事に生まれて健やかに育て……エリウの地を埋め尽くせ。いつかおれがこの地に帰ってきたとき、おまえたちを埋めた親を見おろすほどになるように。
そう願った若者の周囲には、同じように実を埋めたあとが無数にあった。すべて彼一人で埋めたのだ。命のない人形として、命令のまま破壊しつくしたあとの土地に。彼が、その存在の意味も知らず美しいと感じて集めてきた植物の種を。
そんな彼。旅支度をすっかり整え、歩きだした若者の名前は、
「ルー……」
呟いて、自分の声に驚き、ぱちっと目を覚ます。
水色の空を切りとるように、ディランが琥珀を覗きこんでいた。
ここはどこ? わたし、どうしていたんだっけ? 瞬きをくり返しながらぐるぐる考えていると、ディランが先ににやっと笑う。
「新婚早々、寝言でほかのやつの名を呼ぶとか、いい度胸だな」
「し……んこんっ?」
頬に血がのぼった。ディランは、彼にしては珍しく錦の織物を重ねた厚着の正装をしており、頬には戦士の化粧も施されている。額飾りの宝石は虹色のオパールで、紫や青の色合いが混ざった彼の瞳にぴったりだ。
そして琥珀も彼とお揃いの格好をしている。光によって色が変わって見える錦の衣装。丹念に洗って香油で梳いた髪は蜜色が濃くなり、巻き毛もきれいに揃っていた。ところどころもつれたり、草の葉がくっついていたりするのは丘の上で寝ていたからだが。
「わたし、夢を見ていたの……?」
「なんの話だ? まったく、結婚披露の宴の最中に夫を置いてどっかに行きやがって。こちとらまた、あんたがどこかに……いや、それはいい。こんなところでなにをしていたんだよ」
こんなところ、とは、エリウを一望できる丘の上だ。かつてダナー神殿のあった場所。いまは大昔の精霊王の命でできた大木がそびえ、小鳥や虫や精霊たちの遊び場になっている。琥珀は、その木の真下で眠っていたのだった。
「宴の広間から、この木が見えたのよ。せっかくきれいにしてもらったから、バロールにも花嫁衣裳を見せたくなったの。そうしたらお腹いっぱいだったせいで、眠くなって……夢を見たわ。わたしと同じ髪の色の、男の人の夢。ううん、もしかしたら女の人だったのかも……よくわからないけれど、きれいな人で、その人が一度滅びた国に命の種を植えてまわったみたい」
「そいつがルーなのか? 人形の戦士だったっていう、英雄の?」
「うん……たぶん」
なにしろ夢の話なので、話しているうちにどんどん輪郭がぼやけていく。
丘のふもとでは、エルクウァルが主体となって神殿の再建が進められていた。これからの信仰の対象はダナーでもバロールでもなく、丘の上の生命の木であり、エリウの土地そのものとなるらしい。神殿は神をあがめる場所ではなくて、聖域を守り、土地に感謝を捧げる場所となるとか。
力を失くしたドルイドたちには、聖域の管理の役目が与えられる予定だとか。
アルティオのような古の精霊使いは、力を取り戻したからといって特に望むものもないので、これまで通り居心地のいい場所で静かに暮らしていくと言っていた。
面白いのはシアヴィルで、彼女だけダナーの秘術で作られた体のまま、当分は滅びそうにないので、いっそ船で外の大陸に渡っていろいろな動物に触れてみるつもりだと、入念に準備を進めている。
変わるものもあれば、変わらないものもある。
ルーがかつて撒いた種の木はメイヴによって燃やされたし、木の周りに育ったはずの草木も千年のあいだに刈り取られ、ここにあるのは彼が望んだような風景ではないのかもしれない。
でも、美しい。
(また千年たったら、ここから見える風景も変わるでしょうし、神殿の役割も変わるのかもしれないわね。でも、エリウの地はいつまでも精霊が暮らす、魔法の国でありますように……)
風景に見惚れる琥珀の横顔をじっと見ていたディランが、ふっと思いついたように言った。
「そういえば、やっと今夜だな」
「うん? なあに」
「寝所のあれやこれや」
すっかり忘れていた……というより考えないようにしていたことを指摘されて、琥珀の顔が爆発する。
「えっ……え、え? いくら夫婦になったからといっても、結婚の儀式を済ませたばかりよ。早すぎないっ?」
「済ませたんだから、早かねえよ。でも、ま――あんたはまだお子様だし、急ぐつもりもねえからさ。心が決まったら声かけてくれ」
ディランは呑気に伸びをしてみせるが、そういうのもずるいというか、がっかり……は、しないけれど、気勢が削がれるというか。
琥珀は大むくれにむくれてディランの頬をつねった。
「お? なんだ」
「……」
琥珀が手を離さないので、ディランも琥珀を睨む。怒っているわけではなくて、おかしそうに。じっと睨みあい、だんだんと顔の距離が近づいていくとき、二人のあいだに一匹の蝶が割り込んだ。
橙色と黄金色の羽を持つ大きな蝶……メイヴだ。
ダナーの女王の蝶は琥珀の鼻先に止まり、大きな羽を優雅に広げてはためかせた。
飛び散る鱗粉が琥珀の目に入る。「んっ」と身をよじった琥珀の様子にディランも慌てて蝶をつかまえようとしたが、メイヴはすぐに高く舞いあがり、からかうように二人の頭上を旋回してから大木の梢へと姿を消した。
『わらわからの結婚の祝いじゃ』
という、からかい混じりの声が聞こえたような。
「兄上……!」
丘のふもとから、エルクウァルが杖を携えて駆けあがってくる。後ろから長い衣をもたつかせてついてくるのはコリドウェンだ。
「いま、妙な魔法の動きを感じましたが、なにかありましたか? そもそもまだ披露宴の最中でしょうに、新郎が花嫁を放ったらかしにして、こんなところでなにをしてるんですか」
「おれが放ったらかしたわけじゃねえぞ。琥珀が先にここに来たから……あれ? 琥珀、どこ行った?」
『ここ―――!』
必死に呼びかけても声が聞こえないらしいので、ぴょんぴょん跳ねる。
離れたところを見まわしていたディランが、膝に飛びつく小さな生き物に気づいて、ぱっと両手で捕まえた。
「なんだこいつ、ずいぶん懐っこいな。……アナグマの子供か。どうした? 親とはぐれたのか」
『違いますっっ』
手足をぱたぱたさせて否定するものの、喉から出てくるのは掠れた鳴き声だけだ。
ディランの目に映る琥珀は――短い手足。低い鼻に、つぶらな瞳。可愛いとは思うものの、もとの姿とは似ても似つかない生き物になっていた。
「ちょっとその子を見せてください、兄上……ああ……蜜色の目ですね。まったく」
向けられた獣の目をちらっと覗きこんだだけで、エルクウァルが溜息をついた。
「そのアナグマは琥珀姫です。魔法をかけたのはダナーの……メイヴか。あの女王、蝶になっておとなしくなったのかと思ったら、仕返しの機会をうかがっていただけらしい」
『そんなー!』
琥珀は顔面蒼白だが、なにしろ今回は全身毛に覆われているので、顔の縦じまがややくっきりしたくらいのものだ。
「琥珀姫もこの国に来たばかりの頃は魔法が効きづらかったのに、いまはすんなり受け入れるようになったらしい。魔法の国の王妃になる身としては良いことかもしれませんが」
ちっともよくないが、アナグマでは喋れない。
代わりにディランが蒼ざめ、頬を引きつらせながら弟に訊ねた。
「でも、おまえならもとに戻せるんだろ? なにしろバロールのお墨付きで、いずれ精霊王になる器だからな」
「できるわけないでしょうが。そんな真似がすぐにできたなら、十数年も母親を熊にしておきゃしません。とりあえず……アナグマとしては健康そのもののようですから、餌と飼い方に気をつけて。希望さえ捨てなければ、いつかはもとに戻れます」
「希望ってのはつまり、メイヴをとっつかまえて魔法を解かせるってことだな」
「そういうことですね」
返事を聞くなりディランは「行ってくる」とエルクウァルにアナグマの琥珀を押しつけ、頭上の枝に飛び移った。
バロールの大木の幹が揺れ、鳥たちが驚いて飛びたつのもおかまいなしに上にのぼり、蝶の群れを探しているらしい。
しかし下から見ているとわかるのだが、蝶は飛べるし、葉っぱの影に隠れられるから見つかりづらいのだ。
『ああもう、じれったい。わたしも探しに行きたーい!』
「琥珀姫はおとなしくしていてください。あなたには野生の知恵もないんだから、ハゲワシの餌になるのがおちですよ」
エルクウァルがもっともなことを言いながら、琥珀の毛並みをゆっくり撫でる。コリドウェンもしゃがみこんでアナグマの琥珀と目を合わせ、にこにこしながら耳の付け根をくすぐってきた。
絶妙な撫でる手つきとくすぐり具合と温もりに、魔法で体を変えられた疲れもあいまって、琥珀はまた眠たくなってきた。
(ちょっとだけ……眠ったら、わたしも蝶を探しに行こう)
アナグマの口で大きなあくびをし、蜜色の目を半目にしながら、ディランの気配を求めてぴこぴこする耳が、不穏な言葉を捉える。
「どうしたんですか? 母上、琥珀姫の魔法がとけるかどうか試してみたいんですか?」
(え?)
「違う? 魔法は解けないけど魔法を上書きして、人の体に戻せるか試してみたい、と……琥珀姫がかわいそうだから。駄目です。そんな無茶苦茶な高度な術を失敗したら取り返しがつかないことになりますからね。とはいえ、考えてみれば……もうすでにアナグマになっているわけだから、失敗しても失うものはないのか。それに今後メイヴに悪戯をされたときの対処法の研究になるかもしれませんよね。なるほど、では」
では、って何っ……!
焦る琥珀を、抗いがたい眠気が夢の国へ引きずり込んでいく。
ここは魔法の国。琥珀の憧れの島。
ちょっとだけ、眠ったら。
……目覚めたときにまた、別の生き物に変えられていたらどうしよう!
生き物の気配はない。精霊も、敵に下ったものはここには来ないし、王に殉じたものは空気に還った。風すらも吹くのを止めた廃墟の中心に、ただ一人若者がうずくまっていた。
蜜色の髪だ。豊かで、艶やかで、長い。肌も髪と同じく蜜色。若者の周囲はそこだけ星でも落ちてきたかのように大きく窪んでおり、窪みの中心に大振りの剣が深々と刺さっていた。
若者は袖をまくった両手を燃え滓だらけにしながら、剣のそばに穴を掘った。握りこぶしの大きさで、深さも同じくらいの穴。そのなかにポケットから出した樫の実をそっと置き、上から土を押し固める。
――おまえの実を土に還したぞ、精霊王。
髪や肌と同じく、艶やかな声だ。額の汗を拭い、立ちあがった若者は背が高く、しなやかな体格をしていても、威圧感などはない。静かな印象のまま、そっと笑う。
――実は土に埋めれば、命が生まれるのだったな? おまえが教えてくれたことだ、バロール。自らの体を傷めて生むことを忘れてしまったダナーの代わりに、おれがおまえの子を埋めた。バロールの子たちよ、無事に生まれて健やかに育て……エリウの地を埋め尽くせ。いつかおれがこの地に帰ってきたとき、おまえたちを埋めた親を見おろすほどになるように。
そう願った若者の周囲には、同じように実を埋めたあとが無数にあった。すべて彼一人で埋めたのだ。命のない人形として、命令のまま破壊しつくしたあとの土地に。彼が、その存在の意味も知らず美しいと感じて集めてきた植物の種を。
そんな彼。旅支度をすっかり整え、歩きだした若者の名前は、
「ルー……」
呟いて、自分の声に驚き、ぱちっと目を覚ます。
水色の空を切りとるように、ディランが琥珀を覗きこんでいた。
ここはどこ? わたし、どうしていたんだっけ? 瞬きをくり返しながらぐるぐる考えていると、ディランが先ににやっと笑う。
「新婚早々、寝言でほかのやつの名を呼ぶとか、いい度胸だな」
「し……んこんっ?」
頬に血がのぼった。ディランは、彼にしては珍しく錦の織物を重ねた厚着の正装をしており、頬には戦士の化粧も施されている。額飾りの宝石は虹色のオパールで、紫や青の色合いが混ざった彼の瞳にぴったりだ。
そして琥珀も彼とお揃いの格好をしている。光によって色が変わって見える錦の衣装。丹念に洗って香油で梳いた髪は蜜色が濃くなり、巻き毛もきれいに揃っていた。ところどころもつれたり、草の葉がくっついていたりするのは丘の上で寝ていたからだが。
「わたし、夢を見ていたの……?」
「なんの話だ? まったく、結婚披露の宴の最中に夫を置いてどっかに行きやがって。こちとらまた、あんたがどこかに……いや、それはいい。こんなところでなにをしていたんだよ」
こんなところ、とは、エリウを一望できる丘の上だ。かつてダナー神殿のあった場所。いまは大昔の精霊王の命でできた大木がそびえ、小鳥や虫や精霊たちの遊び場になっている。琥珀は、その木の真下で眠っていたのだった。
「宴の広間から、この木が見えたのよ。せっかくきれいにしてもらったから、バロールにも花嫁衣裳を見せたくなったの。そうしたらお腹いっぱいだったせいで、眠くなって……夢を見たわ。わたしと同じ髪の色の、男の人の夢。ううん、もしかしたら女の人だったのかも……よくわからないけれど、きれいな人で、その人が一度滅びた国に命の種を植えてまわったみたい」
「そいつがルーなのか? 人形の戦士だったっていう、英雄の?」
「うん……たぶん」
なにしろ夢の話なので、話しているうちにどんどん輪郭がぼやけていく。
丘のふもとでは、エルクウァルが主体となって神殿の再建が進められていた。これからの信仰の対象はダナーでもバロールでもなく、丘の上の生命の木であり、エリウの土地そのものとなるらしい。神殿は神をあがめる場所ではなくて、聖域を守り、土地に感謝を捧げる場所となるとか。
力を失くしたドルイドたちには、聖域の管理の役目が与えられる予定だとか。
アルティオのような古の精霊使いは、力を取り戻したからといって特に望むものもないので、これまで通り居心地のいい場所で静かに暮らしていくと言っていた。
面白いのはシアヴィルで、彼女だけダナーの秘術で作られた体のまま、当分は滅びそうにないので、いっそ船で外の大陸に渡っていろいろな動物に触れてみるつもりだと、入念に準備を進めている。
変わるものもあれば、変わらないものもある。
ルーがかつて撒いた種の木はメイヴによって燃やされたし、木の周りに育ったはずの草木も千年のあいだに刈り取られ、ここにあるのは彼が望んだような風景ではないのかもしれない。
でも、美しい。
(また千年たったら、ここから見える風景も変わるでしょうし、神殿の役割も変わるのかもしれないわね。でも、エリウの地はいつまでも精霊が暮らす、魔法の国でありますように……)
風景に見惚れる琥珀の横顔をじっと見ていたディランが、ふっと思いついたように言った。
「そういえば、やっと今夜だな」
「うん? なあに」
「寝所のあれやこれや」
すっかり忘れていた……というより考えないようにしていたことを指摘されて、琥珀の顔が爆発する。
「えっ……え、え? いくら夫婦になったからといっても、結婚の儀式を済ませたばかりよ。早すぎないっ?」
「済ませたんだから、早かねえよ。でも、ま――あんたはまだお子様だし、急ぐつもりもねえからさ。心が決まったら声かけてくれ」
ディランは呑気に伸びをしてみせるが、そういうのもずるいというか、がっかり……は、しないけれど、気勢が削がれるというか。
琥珀は大むくれにむくれてディランの頬をつねった。
「お? なんだ」
「……」
琥珀が手を離さないので、ディランも琥珀を睨む。怒っているわけではなくて、おかしそうに。じっと睨みあい、だんだんと顔の距離が近づいていくとき、二人のあいだに一匹の蝶が割り込んだ。
橙色と黄金色の羽を持つ大きな蝶……メイヴだ。
ダナーの女王の蝶は琥珀の鼻先に止まり、大きな羽を優雅に広げてはためかせた。
飛び散る鱗粉が琥珀の目に入る。「んっ」と身をよじった琥珀の様子にディランも慌てて蝶をつかまえようとしたが、メイヴはすぐに高く舞いあがり、からかうように二人の頭上を旋回してから大木の梢へと姿を消した。
『わらわからの結婚の祝いじゃ』
という、からかい混じりの声が聞こえたような。
「兄上……!」
丘のふもとから、エルクウァルが杖を携えて駆けあがってくる。後ろから長い衣をもたつかせてついてくるのはコリドウェンだ。
「いま、妙な魔法の動きを感じましたが、なにかありましたか? そもそもまだ披露宴の最中でしょうに、新郎が花嫁を放ったらかしにして、こんなところでなにをしてるんですか」
「おれが放ったらかしたわけじゃねえぞ。琥珀が先にここに来たから……あれ? 琥珀、どこ行った?」
『ここ―――!』
必死に呼びかけても声が聞こえないらしいので、ぴょんぴょん跳ねる。
離れたところを見まわしていたディランが、膝に飛びつく小さな生き物に気づいて、ぱっと両手で捕まえた。
「なんだこいつ、ずいぶん懐っこいな。……アナグマの子供か。どうした? 親とはぐれたのか」
『違いますっっ』
手足をぱたぱたさせて否定するものの、喉から出てくるのは掠れた鳴き声だけだ。
ディランの目に映る琥珀は――短い手足。低い鼻に、つぶらな瞳。可愛いとは思うものの、もとの姿とは似ても似つかない生き物になっていた。
「ちょっとその子を見せてください、兄上……ああ……蜜色の目ですね。まったく」
向けられた獣の目をちらっと覗きこんだだけで、エルクウァルが溜息をついた。
「そのアナグマは琥珀姫です。魔法をかけたのはダナーの……メイヴか。あの女王、蝶になっておとなしくなったのかと思ったら、仕返しの機会をうかがっていただけらしい」
『そんなー!』
琥珀は顔面蒼白だが、なにしろ今回は全身毛に覆われているので、顔の縦じまがややくっきりしたくらいのものだ。
「琥珀姫もこの国に来たばかりの頃は魔法が効きづらかったのに、いまはすんなり受け入れるようになったらしい。魔法の国の王妃になる身としては良いことかもしれませんが」
ちっともよくないが、アナグマでは喋れない。
代わりにディランが蒼ざめ、頬を引きつらせながら弟に訊ねた。
「でも、おまえならもとに戻せるんだろ? なにしろバロールのお墨付きで、いずれ精霊王になる器だからな」
「できるわけないでしょうが。そんな真似がすぐにできたなら、十数年も母親を熊にしておきゃしません。とりあえず……アナグマとしては健康そのもののようですから、餌と飼い方に気をつけて。希望さえ捨てなければ、いつかはもとに戻れます」
「希望ってのはつまり、メイヴをとっつかまえて魔法を解かせるってことだな」
「そういうことですね」
返事を聞くなりディランは「行ってくる」とエルクウァルにアナグマの琥珀を押しつけ、頭上の枝に飛び移った。
バロールの大木の幹が揺れ、鳥たちが驚いて飛びたつのもおかまいなしに上にのぼり、蝶の群れを探しているらしい。
しかし下から見ているとわかるのだが、蝶は飛べるし、葉っぱの影に隠れられるから見つかりづらいのだ。
『ああもう、じれったい。わたしも探しに行きたーい!』
「琥珀姫はおとなしくしていてください。あなたには野生の知恵もないんだから、ハゲワシの餌になるのがおちですよ」
エルクウァルがもっともなことを言いながら、琥珀の毛並みをゆっくり撫でる。コリドウェンもしゃがみこんでアナグマの琥珀と目を合わせ、にこにこしながら耳の付け根をくすぐってきた。
絶妙な撫でる手つきとくすぐり具合と温もりに、魔法で体を変えられた疲れもあいまって、琥珀はまた眠たくなってきた。
(ちょっとだけ……眠ったら、わたしも蝶を探しに行こう)
アナグマの口で大きなあくびをし、蜜色の目を半目にしながら、ディランの気配を求めてぴこぴこする耳が、不穏な言葉を捉える。
「どうしたんですか? 母上、琥珀姫の魔法がとけるかどうか試してみたいんですか?」
(え?)
「違う? 魔法は解けないけど魔法を上書きして、人の体に戻せるか試してみたい、と……琥珀姫がかわいそうだから。駄目です。そんな無茶苦茶な高度な術を失敗したら取り返しがつかないことになりますからね。とはいえ、考えてみれば……もうすでにアナグマになっているわけだから、失敗しても失うものはないのか。それに今後メイヴに悪戯をされたときの対処法の研究になるかもしれませんよね。なるほど、では」
では、って何っ……!
焦る琥珀を、抗いがたい眠気が夢の国へ引きずり込んでいく。
ここは魔法の国。琥珀の憧れの島。
ちょっとだけ、眠ったら。
……目覚めたときにまた、別の生き物に変えられていたらどうしよう!
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楽しく読みました。題名を工夫すれば、もっと読まれると思います。熊になった琥珀姫、結婚出来るのだろうか、とか?
感想ありがとうございます!
楽しく読んでいただけたとのこと、すごくすごく嬉しいです!
タイトル、やっぱり大事ですよね……自分でつけるとなると照れが入ってしまうのですが、読んでいただけてなんぼなので、ちょっと考え直してみます。アドバイスありがとうございます!