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顛末
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「――いッ痛いッ! 痛いィィィッ! 助け……て……!」
閃光に眩んだ視界の中、女の悲鳴が響いている。
ようやく視力の戻ったローゼが見たのは、身体の前面が赤く爛れた姿で、顔を覆いながら床を転げ回るベルタだった。
美しかった髪も、まとっていたドレスも焼け焦げていて、見る影もない。
一方、ベルタの最も近くにいたユリアンは、尻餅をついたような姿勢で放心している。
「ユリアン様!」
ローゼが駆け寄ると、ユリアンは我に返った様子で立ち上がった。
「だ、大丈夫ですか?」
「……ああ。お前こそ、怪我はないか?」
ユリアンは、ローゼの頭の天辺から爪先までを念入りに確認すると、彼女を抱きしめた。
「しかし、これは……何が起きたんだ……?」
無惨な姿で泣き叫ぶベルタを見下ろしながら、ユリアンは呟いた。
「……ユリアン様が手錠をかける為に近付いた時、ベルタ様の服の袖から、何か丸いものが落ちたように見えました」
ローゼは、自分が見たことをユリアンに話した。
「自分も見ました。おそらく、爆弾の魔導具かと」
兵士の一人が言った。
「それなら、何故、最も近くにいた俺が無傷なんだ? ……というより、負傷したのが容疑者だけというのは、不自然ではないか?」
ユリアンは、解せぬといった顔で首を捻った。
「じ、自分の目には、爆発の瞬間、ユリアン様の周囲に『見えない壁』が展開されたように見えました。ユリアン様が、そのような効果のある魔導具を装備されているのかと……」
少し離れた場所にいた、別の兵士が口を挟んだ。
「いや、そんなものは持っていない。とりあえず、容疑者には訊くことが山ほどあるから、死なせる訳にはいかん。大至急、病院へ搬送しろ」
ユリアンが、慣れた様子で部下たちに指示を出していく。
「ローゼ、お前も病院へ行くんだ」
「私は……大丈夫です。ユリアン様の、お傍にいたいです……」
ローゼは、ユリアンの服の袖を摘まんで言った。
「駄目だ。俺は、これから仕事があるし、お前も念の為、医師の診察を受けるんだ」
ユリアンの言葉に、ローゼは俯いた。
「俺も、本当は、お前と離れたくない……急いで仕事を終わらせて、お前のところへ行くから、待っていてくれ」
「……はい。お待ちしています」
寂しそうに言うユリアンの顔を見上げて、ローゼは微笑んだ。
ローゼが捕らえられていたのは、貧民街の外れにある廃屋だった。
廃屋から病院へ運ばれ、個室で医師による診察や処置を受けているローゼのところに、義理の両親であるクラウスとゾフィ夫妻が駆けつけた。
「ごめんなさい……私が一緒だったのに……」
ローゼの姿を見て泣き崩れるゾフィを、クラウスが支えた。
ほんの一日足らずの出来事だったにも関わらず、ゾフィは、げっそりとやつれている。
「いえ、私が不注意だったのです……どうか、ご自分を、お責めにならないでください」
ローゼは、嗚咽の止まらないゾフィの背中を優しくさすった。
「そう言ってもらえると、僕たちも救われるよ。だが、人の悪意というものは、避けようのない時もあるのだね……」
いつもは飄々としているクラウスも、さすがに疲れの色を見せている。
攫われた際に得体の知れない薬を嗅がされていた為、経過を観察した方がよいという医師の判断により、ローゼは病院で数日過ごすこととなった。
翌日の夜、事情聴取と言う名目で、ユリアンがローゼの病室を訪れた。
「……ユリアン様、休めていないようですが、大丈夫ですか?」
目の下に隈を作っているユリアンを見て、ローゼは心配になった。
「たしかに忙しいが、大したことはない」
ユリアンは事もなげに言って、ローゼの寝台の隣に置かれた椅子に座った。
「事情聴取なら、部下に任せてもいいんじゃないか?」
前日からローゼに付き添っているクラウスが口を挟んだ。
「分かってないわね……ローゼちゃんの顔を見たかったに決まってるじゃない」
ゾフィが、クラウスの脇腹を肘で突いた。
「そういうことだ」
苦笑いしつつも否定はせず、ユリアンはローゼが拉致された時の状況について、彼女に尋ねた。
「……初めて会った時のことを思い出します」
一通りの説明を終えた後、そう言ってローゼは微笑んだ。
「あの時も、こうして事情聴取されましたね」
「そういえば、そうか」
あの地下室でユリアンと初めて会った時は、まさか、このような関係になるとは考えていなかった――ローゼは、感慨深く思った。
「ところで、ベルタ様は怪我をされていたようですが、大丈夫なのですか?」
「あんな目に遭わされたのに、容疑者のことまで心配しているのか……酷い火傷を負ってはいるが、命は取り留めた」
「知っている方が傷ついたり亡くなったりするのは……嫌です」
「お前は、優しいな」
ローゼの言葉に、ユリアンは微笑んだ。
ユリアンと部下たちの捜査によって、ベルタが破落戸たちにローゼを拉致させた目的は、身代金目当てなどではなく、怨恨による殺害だったことが判明したという。
「想い人を盗られたって……怨恨どころか、逆恨みもいいところじゃないの」
ゾフィが、呆れ顏で呟いた。
計画では、拉致したローゼをテオに殺害させた後、テオも殺害し、証拠を隠滅するつもりだったらしい。
「現場に落ちていた破片から、容疑者が持っていたのは爆弾の魔導具だったことが分かった。本当は、全てが終わった後に、あの廃屋ごと爆破する予定だったそうだ」
「だが失敗して進退窮まったから、ユリアンと心中する気だったのか……待って、ユリアンは、その爆弾が爆発した時、至近距離にいたんだろう? よく無傷でいられたね」
クラウスが、驚きに目を見張った。
「それについては、俺にもよく分からないんだ……爆弾は軍で採用されている正規品ではなく、違法に製造されたものという話だから、あるいは不良品だったのかもしれないが。容疑者は裏社会の人間とも繋がりがあったそうだから、そこから入手したのだろう」
ユリアンも、首を捻りながら言った。
「でも、ユリアン様がご無事で、よかったです」
言って、ローゼは、そっとユリアンの手に触れた。
彼女の手を、ユリアンは力強く握り返した。
閃光に眩んだ視界の中、女の悲鳴が響いている。
ようやく視力の戻ったローゼが見たのは、身体の前面が赤く爛れた姿で、顔を覆いながら床を転げ回るベルタだった。
美しかった髪も、まとっていたドレスも焼け焦げていて、見る影もない。
一方、ベルタの最も近くにいたユリアンは、尻餅をついたような姿勢で放心している。
「ユリアン様!」
ローゼが駆け寄ると、ユリアンは我に返った様子で立ち上がった。
「だ、大丈夫ですか?」
「……ああ。お前こそ、怪我はないか?」
ユリアンは、ローゼの頭の天辺から爪先までを念入りに確認すると、彼女を抱きしめた。
「しかし、これは……何が起きたんだ……?」
無惨な姿で泣き叫ぶベルタを見下ろしながら、ユリアンは呟いた。
「……ユリアン様が手錠をかける為に近付いた時、ベルタ様の服の袖から、何か丸いものが落ちたように見えました」
ローゼは、自分が見たことをユリアンに話した。
「自分も見ました。おそらく、爆弾の魔導具かと」
兵士の一人が言った。
「それなら、何故、最も近くにいた俺が無傷なんだ? ……というより、負傷したのが容疑者だけというのは、不自然ではないか?」
ユリアンは、解せぬといった顔で首を捻った。
「じ、自分の目には、爆発の瞬間、ユリアン様の周囲に『見えない壁』が展開されたように見えました。ユリアン様が、そのような効果のある魔導具を装備されているのかと……」
少し離れた場所にいた、別の兵士が口を挟んだ。
「いや、そんなものは持っていない。とりあえず、容疑者には訊くことが山ほどあるから、死なせる訳にはいかん。大至急、病院へ搬送しろ」
ユリアンが、慣れた様子で部下たちに指示を出していく。
「ローゼ、お前も病院へ行くんだ」
「私は……大丈夫です。ユリアン様の、お傍にいたいです……」
ローゼは、ユリアンの服の袖を摘まんで言った。
「駄目だ。俺は、これから仕事があるし、お前も念の為、医師の診察を受けるんだ」
ユリアンの言葉に、ローゼは俯いた。
「俺も、本当は、お前と離れたくない……急いで仕事を終わらせて、お前のところへ行くから、待っていてくれ」
「……はい。お待ちしています」
寂しそうに言うユリアンの顔を見上げて、ローゼは微笑んだ。
ローゼが捕らえられていたのは、貧民街の外れにある廃屋だった。
廃屋から病院へ運ばれ、個室で医師による診察や処置を受けているローゼのところに、義理の両親であるクラウスとゾフィ夫妻が駆けつけた。
「ごめんなさい……私が一緒だったのに……」
ローゼの姿を見て泣き崩れるゾフィを、クラウスが支えた。
ほんの一日足らずの出来事だったにも関わらず、ゾフィは、げっそりとやつれている。
「いえ、私が不注意だったのです……どうか、ご自分を、お責めにならないでください」
ローゼは、嗚咽の止まらないゾフィの背中を優しくさすった。
「そう言ってもらえると、僕たちも救われるよ。だが、人の悪意というものは、避けようのない時もあるのだね……」
いつもは飄々としているクラウスも、さすがに疲れの色を見せている。
攫われた際に得体の知れない薬を嗅がされていた為、経過を観察した方がよいという医師の判断により、ローゼは病院で数日過ごすこととなった。
翌日の夜、事情聴取と言う名目で、ユリアンがローゼの病室を訪れた。
「……ユリアン様、休めていないようですが、大丈夫ですか?」
目の下に隈を作っているユリアンを見て、ローゼは心配になった。
「たしかに忙しいが、大したことはない」
ユリアンは事もなげに言って、ローゼの寝台の隣に置かれた椅子に座った。
「事情聴取なら、部下に任せてもいいんじゃないか?」
前日からローゼに付き添っているクラウスが口を挟んだ。
「分かってないわね……ローゼちゃんの顔を見たかったに決まってるじゃない」
ゾフィが、クラウスの脇腹を肘で突いた。
「そういうことだ」
苦笑いしつつも否定はせず、ユリアンはローゼが拉致された時の状況について、彼女に尋ねた。
「……初めて会った時のことを思い出します」
一通りの説明を終えた後、そう言ってローゼは微笑んだ。
「あの時も、こうして事情聴取されましたね」
「そういえば、そうか」
あの地下室でユリアンと初めて会った時は、まさか、このような関係になるとは考えていなかった――ローゼは、感慨深く思った。
「ところで、ベルタ様は怪我をされていたようですが、大丈夫なのですか?」
「あんな目に遭わされたのに、容疑者のことまで心配しているのか……酷い火傷を負ってはいるが、命は取り留めた」
「知っている方が傷ついたり亡くなったりするのは……嫌です」
「お前は、優しいな」
ローゼの言葉に、ユリアンは微笑んだ。
ユリアンと部下たちの捜査によって、ベルタが破落戸たちにローゼを拉致させた目的は、身代金目当てなどではなく、怨恨による殺害だったことが判明したという。
「想い人を盗られたって……怨恨どころか、逆恨みもいいところじゃないの」
ゾフィが、呆れ顏で呟いた。
計画では、拉致したローゼをテオに殺害させた後、テオも殺害し、証拠を隠滅するつもりだったらしい。
「現場に落ちていた破片から、容疑者が持っていたのは爆弾の魔導具だったことが分かった。本当は、全てが終わった後に、あの廃屋ごと爆破する予定だったそうだ」
「だが失敗して進退窮まったから、ユリアンと心中する気だったのか……待って、ユリアンは、その爆弾が爆発した時、至近距離にいたんだろう? よく無傷でいられたね」
クラウスが、驚きに目を見張った。
「それについては、俺にもよく分からないんだ……爆弾は軍で採用されている正規品ではなく、違法に製造されたものという話だから、あるいは不良品だったのかもしれないが。容疑者は裏社会の人間とも繋がりがあったそうだから、そこから入手したのだろう」
ユリアンも、首を捻りながら言った。
「でも、ユリアン様がご無事で、よかったです」
言って、ローゼは、そっとユリアンの手に触れた。
彼女の手を、ユリアンは力強く握り返した。
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