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第一部
第五十六話 兄を想う妹の悲哀
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進軍準備が整ったローレッタ軍は現在、王都アヴァロンの南東へと兵を進めている。向かうはマグノリア王国領だ。
海上での戦い以降、マグノリア王ウォルターは一切戦場に姿を見せていない。
王都奪還以降、これまで日和見を決め込んでいたローレッタの諸侯たちが合流したことで戦力は膨れ上がり、帝国派だと思われていたシスル王国軍までもが聖王国に付いたのであれば、帝国から最も遠い地にあるマグノリア王国への援軍など無きに等しい。
この状況であれば降伏し帰順するのが賢明だといわれているが、マグノリア軍は不自然なほどに敵対状態を解くことは無かった。
ゲームと同じように進んでいるとみるべきか、それとも何か思惑があるのかと警戒するべきかは判断がつき辛いが、マグノリアの竜騎士団が得意とする戦場を避けて進軍している。
偵察に出た者の話によれば、このまま進めば視界の開けた平地でマグノリア軍と衝突することになるようだ。情報が正しければこの部隊の指揮官はウォルターであり、これがマグノリア軍との最後の戦いになりそうだ。
しかし竜騎士団を主力に要するマグノリア軍が決戦の場に選ぶには違和感がある平地というのが実に不可解である。
「エリアスさ~ん!」
野営地でベルトラムたちと話していると不意に声をかけられた。声の発せられた方向は頭上――天馬の上にいるシュゼット王女からだった。
彼女は「ちょっと聞きたいことがあって」と話を切り出すと、こう続けた。
「エリアスさんの剣って悪い人を切る剣なんだよね?」
誰かから聞いたのだろう。しかしシュゼット王女が聖剣テミスの話題を振ってくる意図が判らない。
「兄さまを説得したいって話したら姉さまたちに叱られちゃったの。私ね、お父様が死ぬ少し前くらいから兄さまと全然お話しできなかったけど、また兄さまと一緒に暮らしたいんだ。兄さまはね、お顔は少し怖いけど凄く優しいのよ。でもね――」
皆が兄さまがお父様を殺したんだっていうのだとシュゼット王女は続ける。
若い彼女にはまだ分別が付かないのか、それともかつてと同じ穏やかな家族の時間が恋しいのか、兄の命を助けるために味方を探しているようだった。
「シュゼット!」
どうやら姉のジゼル王女が迎えに来たようだ。彼女は妹がどのような目的でこちらを訪ねてきていたのかを理解しているようで「妹がご迷惑を」と頭を下げると、シュゼット王女を連れて天馬騎士団の陣へと戻っていった。
「俺にも兄弟は何人かいるが、ああいうのを聞くと、どうにかならないもんかと思っちまうな」
ベルトラムには五人の弟が居る。彼はかつては闘技場で名をはせた剣闘士だったのだが、それに至る経緯が家族を養うために自らを売ったのが切っ掛けだ。
顔や身体にある無数の傷の中には余興で戦わされた獅子や魔物に負わされた傷もあるようで、武器による傷とは種類が明らかに違う傷が数多く残っている。
「だがこれが戦争ってもんだ。若い奴が苦しんでるのを見るとやるせねぇがな」
「ああ、そうだな」
ベルトラムのいう通り、戦争というのは理不尽なもので情け容赦なく大事なものを奪っていく。
愛する人、家族、友人、住む場所、地位――挙げ連ねていけば切りがないほど人は沢山のものを抱えている。
正義というものは立場により変化し、誰が悪くて誰が正しいかなどが解らなくなる。今回の帝国との戦争においては聖王国が被害者で帝国が加害者、マグノリア王国他多数の国々が共犯ないしは実行犯であるのだが、事を起こした切っ掛けがそれぞれバラバラだ。
リンデン帝国はかつての栄華を取り戻し大陸の覇者へと返り咲くこと、シスル王国は国王の後妻と息子を助けるため、マグノリア王国であれば今までの報復だろう。
「やっぱり国が違うとみんな仲良くってのは難しいんだろうな」
帝国では邪竜ロキが、女神アストレアを信仰するものが多いシスル王国を除く他の国々ではハール神を祀っているだけあり、この大陸は宗教だけでも三種類存在している。
気候も違い、食文化も違ければ考え方も違ってくるのは当然で個性といえばそうなんだろうけど、人という生き物は自分とは異なる存在を排除しようとする生き物だ。貴族が平民を見下し、人間が亜人種を大陸から追いやるまで迫害していたように。
「う~ん。俺は生まれてこのかた神様なんざ信じたことはねぇが、お前んとこの女神ってどうなんだ?」
「えっ? 俺あんまり女神詳しくないんだが」
俺が女神と対面したのはたった一度切り、夢の中での邂逅だけだ。断罪の剣と魂の罪を測る天秤が象徴とされているそうで、だいぶ前にマーリンから渡された護符にもこの二つは描かれている。
正義と秩序を司る女神と称される彼女は『人類の優しさ』を信じてくれている存在だ。神竜族がこの地を離れるその瞬間まで人々に正義を説き続けていたが、その願いもむなしく叶うことは無かった。
しかしそれでも諦めきれなかったからこそ彼女は俺に聖剣を与え、この地に住む人々を悪しき竜族より護ることができるようにと祝福をくれたのだ。
「優しさというものは伝染するそうだ。誰かに親切にしてもらうと、それを返したくなるだろ?」
「まあ、そうだな」
先ほどベルトラムがシュゼット王女たち兄妹のことを気に掛けることができたのは、彼にも守るべき兄弟たちが居たからだ。
かけがえのない家族を失った経験があるベルトラムだからこそ、出来る心配なのかもしれない。
しかし現実は残酷だ。降伏を呼びかけるために送り出した使者は物言わぬ骸となり、マグノリア王国との戦火が幕を開けることとなった。
海上での戦い以降、マグノリア王ウォルターは一切戦場に姿を見せていない。
王都奪還以降、これまで日和見を決め込んでいたローレッタの諸侯たちが合流したことで戦力は膨れ上がり、帝国派だと思われていたシスル王国軍までもが聖王国に付いたのであれば、帝国から最も遠い地にあるマグノリア王国への援軍など無きに等しい。
この状況であれば降伏し帰順するのが賢明だといわれているが、マグノリア軍は不自然なほどに敵対状態を解くことは無かった。
ゲームと同じように進んでいるとみるべきか、それとも何か思惑があるのかと警戒するべきかは判断がつき辛いが、マグノリアの竜騎士団が得意とする戦場を避けて進軍している。
偵察に出た者の話によれば、このまま進めば視界の開けた平地でマグノリア軍と衝突することになるようだ。情報が正しければこの部隊の指揮官はウォルターであり、これがマグノリア軍との最後の戦いになりそうだ。
しかし竜騎士団を主力に要するマグノリア軍が決戦の場に選ぶには違和感がある平地というのが実に不可解である。
「エリアスさ~ん!」
野営地でベルトラムたちと話していると不意に声をかけられた。声の発せられた方向は頭上――天馬の上にいるシュゼット王女からだった。
彼女は「ちょっと聞きたいことがあって」と話を切り出すと、こう続けた。
「エリアスさんの剣って悪い人を切る剣なんだよね?」
誰かから聞いたのだろう。しかしシュゼット王女が聖剣テミスの話題を振ってくる意図が判らない。
「兄さまを説得したいって話したら姉さまたちに叱られちゃったの。私ね、お父様が死ぬ少し前くらいから兄さまと全然お話しできなかったけど、また兄さまと一緒に暮らしたいんだ。兄さまはね、お顔は少し怖いけど凄く優しいのよ。でもね――」
皆が兄さまがお父様を殺したんだっていうのだとシュゼット王女は続ける。
若い彼女にはまだ分別が付かないのか、それともかつてと同じ穏やかな家族の時間が恋しいのか、兄の命を助けるために味方を探しているようだった。
「シュゼット!」
どうやら姉のジゼル王女が迎えに来たようだ。彼女は妹がどのような目的でこちらを訪ねてきていたのかを理解しているようで「妹がご迷惑を」と頭を下げると、シュゼット王女を連れて天馬騎士団の陣へと戻っていった。
「俺にも兄弟は何人かいるが、ああいうのを聞くと、どうにかならないもんかと思っちまうな」
ベルトラムには五人の弟が居る。彼はかつては闘技場で名をはせた剣闘士だったのだが、それに至る経緯が家族を養うために自らを売ったのが切っ掛けだ。
顔や身体にある無数の傷の中には余興で戦わされた獅子や魔物に負わされた傷もあるようで、武器による傷とは種類が明らかに違う傷が数多く残っている。
「だがこれが戦争ってもんだ。若い奴が苦しんでるのを見るとやるせねぇがな」
「ああ、そうだな」
ベルトラムのいう通り、戦争というのは理不尽なもので情け容赦なく大事なものを奪っていく。
愛する人、家族、友人、住む場所、地位――挙げ連ねていけば切りがないほど人は沢山のものを抱えている。
正義というものは立場により変化し、誰が悪くて誰が正しいかなどが解らなくなる。今回の帝国との戦争においては聖王国が被害者で帝国が加害者、マグノリア王国他多数の国々が共犯ないしは実行犯であるのだが、事を起こした切っ掛けがそれぞれバラバラだ。
リンデン帝国はかつての栄華を取り戻し大陸の覇者へと返り咲くこと、シスル王国は国王の後妻と息子を助けるため、マグノリア王国であれば今までの報復だろう。
「やっぱり国が違うとみんな仲良くってのは難しいんだろうな」
帝国では邪竜ロキが、女神アストレアを信仰するものが多いシスル王国を除く他の国々ではハール神を祀っているだけあり、この大陸は宗教だけでも三種類存在している。
気候も違い、食文化も違ければ考え方も違ってくるのは当然で個性といえばそうなんだろうけど、人という生き物は自分とは異なる存在を排除しようとする生き物だ。貴族が平民を見下し、人間が亜人種を大陸から追いやるまで迫害していたように。
「う~ん。俺は生まれてこのかた神様なんざ信じたことはねぇが、お前んとこの女神ってどうなんだ?」
「えっ? 俺あんまり女神詳しくないんだが」
俺が女神と対面したのはたった一度切り、夢の中での邂逅だけだ。断罪の剣と魂の罪を測る天秤が象徴とされているそうで、だいぶ前にマーリンから渡された護符にもこの二つは描かれている。
正義と秩序を司る女神と称される彼女は『人類の優しさ』を信じてくれている存在だ。神竜族がこの地を離れるその瞬間まで人々に正義を説き続けていたが、その願いもむなしく叶うことは無かった。
しかしそれでも諦めきれなかったからこそ彼女は俺に聖剣を与え、この地に住む人々を悪しき竜族より護ることができるようにと祝福をくれたのだ。
「優しさというものは伝染するそうだ。誰かに親切にしてもらうと、それを返したくなるだろ?」
「まあ、そうだな」
先ほどベルトラムがシュゼット王女たち兄妹のことを気に掛けることができたのは、彼にも守るべき兄弟たちが居たからだ。
かけがえのない家族を失った経験があるベルトラムだからこそ、出来る心配なのかもしれない。
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