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第三部
第09話 紛い物
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「本当にこんなものを使うだけで大丈夫なのか?」
時は少し戻り、エリアスたちが和平交渉の立ち合いのために旅立った少しあとの時刻。アイリス島の騒乱を鎮めるために旅立つ準備が整うのを離宮で待っていたアントンは、一本の矢を指でくるくると回しながら側近の女に問いかける。
「はい。もちろんでございます」
側近の女――ジュディスは石榴色の唇を三日月に模ると、ゆっくりとした動作でアントンの手を取り両手で包む。
「玉座に居るべきではない王と、それを囲う愚か者どもに裁きを与えるのです」
アントンがジュディスと出会ったのは疎開中、アイリス王国で過ごしていた時期だ。ルイスの父親であるトラヴィスは他の諸侯たちと違いアントンにも厳しく接してくるために子供のころから苦手意識を持っていた相手であった。
子供のころから何をやっても兄であるグレアムと比べられ、落胆され続けたアントンは自己評価が低かった。危険には近寄らずリスクのあるものには手を出さない。当たり障りのない言動で日々を無為に過ごしていた。アイリス王国に居た頃もそうして過ごすつもりでいたが、このジュディスとの出会いをきっかけに自信を身に付けたのだ。
「それにこれは、あの紛い物の力を振るう勇者を処分するまたとない機会なのです」
「勇者……? ああ、フェイスの近衛に居る奴だっけ? たしかレックスが見つけてきたとかいう」
アントンは特に興味を持っていなかったが、ジュディスのエリアスに対する執着は異様なものである。ここに居る顔ぶれ以外が居る時を除いては、事あるごとにエリアスのことを偽物や詐欺師だと罵っているのだ。
「この矢に刻まれているのは神竜テミス様の紋章。悪を裁く秩序の象徴です」
興奮気味に捲し立てながらジュディスは話を続ける。彼女が崇拝する神竜テミスの作ろうとしている理想郷の実現のためだと、自分たちは神に選ばれし使途なのだと。
「エリアスはテミス様から力を奪った紛い物がいいように操っているだけの木偶です。アントン様が案じることは何もありません」
「でも、フェイスも黙っていないだろうし」
アントンにとって危惧するべき相手は兄であるグレアムだけではなかった。むしろ妹であるフェイスのほうが何十倍も脅威となる存在だ。初代聖王リーヴの力を色濃く受け継ぎ、その王妃の生き写しとも言われる容姿。そしてなにより帝国との戦いで最前線で戦った。この事実が一番の強敵であった。
自分が王になるために兄殺しの計画に乗ってみたものの、その兄が死んでも優先される人間が妹に代わるだけなのではないか。そういった懸念がアントンにはあった。
「シスル王国の男爵位など、無いも同然な家の生まれの男に現を抜かしているものなど気に留める必要はありませんぞ」
別の取り巻きの男が鼻を鳴らしながら、この場には居ない者への悪態を吐く。シスル王国は国王が聖王国の辺境伯の位を有している。その為なのかその麾下についている貴族たちは、聖王国では実際の爵位よりも低く見られることが多い。
だが先の帝国との戦争では、この要所を守っていた者たちを蔑ろにしたせいで聖王国が一度滅んだといっても良いのだが、一部の貴族たちは未だそれを理解できていなかった。
彼らは自分たちの息がかかった兵を紛れ込ませ、聖王グレアムを暗殺するつもりである。準備した矢はエリアスに罪を擦り付けるための小道具に過ぎない。
そうして彼らが企んだ計画が為されたという報告は、アントンたち一団がアイリス島に上陸して少し経った頃に届いた。
*
「陛下の胸に刺さっているこの矢の紋章。俺は見たことがあるぞ!」
混乱し戦場となった地をエリアスたちとともに走っていた兵の一人が叫ぶ。そして非難するかのような視線をエリアスに向けると、手にしていた剣を突き付ける。
「お前の仲間の魔導士やらが持っていた異教徒の紋章だ!」
戦場が奇妙で嫌な雰囲気に包まれる。邪悪とは違うが正しさとも違った歪んだ力。
味方のはずの兵たちに刃を向けられエリアスはたじろいだ。すぐ近くに倒れているグレアムは急いで適切な治療を施せば助かるかもしれない状態である。
(これは――嵌められたか)
少しだけ離れていた場所から一部始終を見ていたオニキスは、すぐさまそう感じ取った。思えば今回の遠征には不自然な点が多かったと。
(この混乱の中で同士討ちなど危険極まりない。エリアス殿が抵抗を示す前に止めなくては)
幸いなことにエリアスは倒れたグレアムを気にするように兵から向けられた剣へと交互に視線を動かすだけで、抵抗の様子は見えない。だがそれでも生命の危機を感じれば剣を振るうだろうし、力量を考えると兵のほうが少しでも負傷した瞬間に他の兵までもが飛び掛かりそうな状態だ。
オニキスはゆっくりと、周囲を刺激しないように接近すると、エリアスの背後をとりその腕を捻りあげ拘束する。そのまま周囲にはグレアムの保護と治療を優先するように伝えた。
このときオニキスは内心ほっと胸をなでおろす。フェイスとの婚姻に際して宗教を変えた甲斐があったというものだ。
「エリアス殿。どうかここは抵抗せず、大人しくしていてください」
それが被害をこれ以上広げないために必要だと伝える。もとより抵抗の意思は無かったのか、大人しいままのエリアスの様子を確かめようとオニキスは顔を覗き込む。
「エリアス殿……?」
聖剣を失ったからなのか、味方に剣を向けられたという事実にショックを受けたのか、呆然とした様子のエリアスの動作は緩慢としていた。だが一つだけ、先ほどまでの彼と決定的に違う部分があった。
「なぜ、瞳の色が――」
女神アストレアの加護を受けた象徴ともいえる美しい翠色だった瞳は、夜闇のような深い紫色になっていた。
時は少し戻り、エリアスたちが和平交渉の立ち合いのために旅立った少しあとの時刻。アイリス島の騒乱を鎮めるために旅立つ準備が整うのを離宮で待っていたアントンは、一本の矢を指でくるくると回しながら側近の女に問いかける。
「はい。もちろんでございます」
側近の女――ジュディスは石榴色の唇を三日月に模ると、ゆっくりとした動作でアントンの手を取り両手で包む。
「玉座に居るべきではない王と、それを囲う愚か者どもに裁きを与えるのです」
アントンがジュディスと出会ったのは疎開中、アイリス王国で過ごしていた時期だ。ルイスの父親であるトラヴィスは他の諸侯たちと違いアントンにも厳しく接してくるために子供のころから苦手意識を持っていた相手であった。
子供のころから何をやっても兄であるグレアムと比べられ、落胆され続けたアントンは自己評価が低かった。危険には近寄らずリスクのあるものには手を出さない。当たり障りのない言動で日々を無為に過ごしていた。アイリス王国に居た頃もそうして過ごすつもりでいたが、このジュディスとの出会いをきっかけに自信を身に付けたのだ。
「それにこれは、あの紛い物の力を振るう勇者を処分するまたとない機会なのです」
「勇者……? ああ、フェイスの近衛に居る奴だっけ? たしかレックスが見つけてきたとかいう」
アントンは特に興味を持っていなかったが、ジュディスのエリアスに対する執着は異様なものである。ここに居る顔ぶれ以外が居る時を除いては、事あるごとにエリアスのことを偽物や詐欺師だと罵っているのだ。
「この矢に刻まれているのは神竜テミス様の紋章。悪を裁く秩序の象徴です」
興奮気味に捲し立てながらジュディスは話を続ける。彼女が崇拝する神竜テミスの作ろうとしている理想郷の実現のためだと、自分たちは神に選ばれし使途なのだと。
「エリアスはテミス様から力を奪った紛い物がいいように操っているだけの木偶です。アントン様が案じることは何もありません」
「でも、フェイスも黙っていないだろうし」
アントンにとって危惧するべき相手は兄であるグレアムだけではなかった。むしろ妹であるフェイスのほうが何十倍も脅威となる存在だ。初代聖王リーヴの力を色濃く受け継ぎ、その王妃の生き写しとも言われる容姿。そしてなにより帝国との戦いで最前線で戦った。この事実が一番の強敵であった。
自分が王になるために兄殺しの計画に乗ってみたものの、その兄が死んでも優先される人間が妹に代わるだけなのではないか。そういった懸念がアントンにはあった。
「シスル王国の男爵位など、無いも同然な家の生まれの男に現を抜かしているものなど気に留める必要はありませんぞ」
別の取り巻きの男が鼻を鳴らしながら、この場には居ない者への悪態を吐く。シスル王国は国王が聖王国の辺境伯の位を有している。その為なのかその麾下についている貴族たちは、聖王国では実際の爵位よりも低く見られることが多い。
だが先の帝国との戦争では、この要所を守っていた者たちを蔑ろにしたせいで聖王国が一度滅んだといっても良いのだが、一部の貴族たちは未だそれを理解できていなかった。
彼らは自分たちの息がかかった兵を紛れ込ませ、聖王グレアムを暗殺するつもりである。準備した矢はエリアスに罪を擦り付けるための小道具に過ぎない。
そうして彼らが企んだ計画が為されたという報告は、アントンたち一団がアイリス島に上陸して少し経った頃に届いた。
*
「陛下の胸に刺さっているこの矢の紋章。俺は見たことがあるぞ!」
混乱し戦場となった地をエリアスたちとともに走っていた兵の一人が叫ぶ。そして非難するかのような視線をエリアスに向けると、手にしていた剣を突き付ける。
「お前の仲間の魔導士やらが持っていた異教徒の紋章だ!」
戦場が奇妙で嫌な雰囲気に包まれる。邪悪とは違うが正しさとも違った歪んだ力。
味方のはずの兵たちに刃を向けられエリアスはたじろいだ。すぐ近くに倒れているグレアムは急いで適切な治療を施せば助かるかもしれない状態である。
(これは――嵌められたか)
少しだけ離れていた場所から一部始終を見ていたオニキスは、すぐさまそう感じ取った。思えば今回の遠征には不自然な点が多かったと。
(この混乱の中で同士討ちなど危険極まりない。エリアス殿が抵抗を示す前に止めなくては)
幸いなことにエリアスは倒れたグレアムを気にするように兵から向けられた剣へと交互に視線を動かすだけで、抵抗の様子は見えない。だがそれでも生命の危機を感じれば剣を振るうだろうし、力量を考えると兵のほうが少しでも負傷した瞬間に他の兵までもが飛び掛かりそうな状態だ。
オニキスはゆっくりと、周囲を刺激しないように接近すると、エリアスの背後をとりその腕を捻りあげ拘束する。そのまま周囲にはグレアムの保護と治療を優先するように伝えた。
このときオニキスは内心ほっと胸をなでおろす。フェイスとの婚姻に際して宗教を変えた甲斐があったというものだ。
「エリアス殿。どうかここは抵抗せず、大人しくしていてください」
それが被害をこれ以上広げないために必要だと伝える。もとより抵抗の意思は無かったのか、大人しいままのエリアスの様子を確かめようとオニキスは顔を覗き込む。
「エリアス殿……?」
聖剣を失ったからなのか、味方に剣を向けられたという事実にショックを受けたのか、呆然とした様子のエリアスの動作は緩慢としていた。だが一つだけ、先ほどまでの彼と決定的に違う部分があった。
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