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第三部
第11話 雨音
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換気と採光用の小窓から雨が流れ込んできているのが見えた。いま俺が居る地下牢には雨音以外の物音は一切なく、鉄格子の隙間から見える見張り役も机に突っ伏して寝こけれいるほどであった。
尋問の名目で多少の暴行を受けた。全身が酷く痛むが、それでも動けないほどでは無い。だが足枷から延びる鉄球がやけに重く感じる。
あの戦場で聖剣テミスは折れた後、砂のように崩れ落ち風に流され消え去っていた。訳も判らないまま呆然としていた俺を取り押さえたオニキスによれば瞳の色が変化しているそうだが、きっと女神から加護を貰ったあの日に変化した色が元の色に戻っただけだろう。
(俺は、普通の人に戻っちまったんだな……)
そう、普通の人。マーリンによって未踏の地ティルナノーグの街にある神殿に連れていかれ、女神の加護を貰うまでは俺はごく普通のどこにでも居る『その他大勢』だった。
あの男は俺のことを『用済み』だと言っていた。そしてあの聖剣テミスによく似た大剣――新しい勇者なのだろうか。女神アストレアは俺が不要になったから、新たにもっと強い勇者を指名したのだろうか。
でもなんであのような混乱を起こしたのか。その意味が解らない。
「酷い状態だな」
足音もなく現れた気配は冷たい鉄格子の向こう側から俺に話しかけてくる。口元を布で覆った小柄な男――ヘルゲは感情の読めない表情のまま、そこに立っていた。
「……俺でもそう思うよ」
たまに指を動かしていることからヘルゲは潜んでいる仲間に何かのサインを送っているのだろう。そうでもなければ地下牢に入り込むなんて出来はしない。
「こんなところまでいったい何の用だ?」
「お前をここから出してやる」
言いながらヘルゲは懐から道具を取り出し、手慣れた手つきで牢の鍵を開けると、次いで足枷を外してくれた。
「アンタの独断ではなさそうだけど、どういうつもりなんだ」
「主命を果たしただけだ」
ヘルゲに渡された上着をボロボロになってしまった服の上から羽織る。そして立ち上がったところで一度足を止めた。
(脱獄して、そうして後はどうする? 逃げて隠れ続けるのか?)
「何をしている? もたもたするな。ついてこい」
進もうとしない俺に焦れたのか、ヘルゲに腕を掴まれ引っ張られるようにして地下牢を後にする。
誘導されるがままに城内の人気のない場所を進み外に出ると、そのまま裏手にある森を抜けていく。雨で足場がぐちゃぐちゃになっているが、これだけの状態であれば追跡は難しいだろう。
そうして進んだ森の出口付近。そこには馬が繋がれていた。すぐ隣には夜闇に紛れるような暗色の外套で輝く金色の髪を隠しているミシェルの姿がある。
「よかった。無事に脱出できましたのね。さあ、早くこの場を離れましょう」
傷の手当なんかはもう少し先に進んだ隠れ家でするなどと説明しながらミシェルは俺の手を引いた。いつも冷たいとばかり思っていた彼女の手が、なぜだかとても暖かく感じる。
でも、この温もりを求めてはいけない。今回の件で俺にはもう、彼女の傍にいる資格が無くなってしまった。そっと手を振りほどく。
どうしたのかといった様子でミシェルが俺の顔を覗き込んでくる。
「きっと俺なんかが君の隣に立ったこと自体が間違いだったんだ。だから――」
ここから先は一人で逃げよう――そう思い、俯いたまま話を切り出す。俺と一緒に居たら彼女を不幸にしてしまう。今のうちに引き離さなくては。そう思ってしまうのに、救いの手を伸ばしてくれたその手を握り返したい。そんな自分が居た。
「疲れているから嫌なことばかり考えてしまうのです。お腹が空いて居る時にイライラするのと一緒です」
そっと両手で頬が包まれる。暖かい。張りつめていた感情が堰を切ってあふれ出した。
「大丈夫。エリアスのことは私が護ります」
縋りついて情けないほど泣いた。何度もなんども大丈夫と言い聞かせるように背を撫でられながら馬に乗せられる。
身に沁みついた癖なのか、手綱を持った手は自然と馬を駆り雨でぬかるんだ道を進んでいく。
「テオに手紙を出してあります。シルフ鳥を使っているとはいえ、今は砂漠の向こうに居るそうですから多少の時間はかかるでしょう。でも、ある程度の準備は出来ていたそうなので、まずは聖王領を脱出しましょう」
シルフ鳥といえば伝書鳩よりも素早く正確に手紙を届けられる手段だ。風魔法を扱うものたちが使役するそうだが、生息数自体が少ないのであまり見かけない。
思えばマーリンと二人で旅をしていた時からメテオライトには助けられていた。次の目的地の地図であったり、有益な情報であったりを届けてくれたのはそのシルフ鳥だ。
(そういえばセフィロトに居た時も、困ったことがあったらうちに来いとか言ってくれてたっけ)
ワープの杖による移動は警戒している相手がいると察知されやすいらしい。現状では移動先を察知されないためにも、ヘルゲたち密偵が手分けして分散し複数の痕跡を作ることで少しでも追手となるものたちへの妨害を行うようだ。
聖王が直接統治している地域を抜けるまでは徒歩や馬を使い、その後はワープの杖で移動できる限界距離を移動しながら目的の地を目指した。
尋問の名目で多少の暴行を受けた。全身が酷く痛むが、それでも動けないほどでは無い。だが足枷から延びる鉄球がやけに重く感じる。
あの戦場で聖剣テミスは折れた後、砂のように崩れ落ち風に流され消え去っていた。訳も判らないまま呆然としていた俺を取り押さえたオニキスによれば瞳の色が変化しているそうだが、きっと女神から加護を貰ったあの日に変化した色が元の色に戻っただけだろう。
(俺は、普通の人に戻っちまったんだな……)
そう、普通の人。マーリンによって未踏の地ティルナノーグの街にある神殿に連れていかれ、女神の加護を貰うまでは俺はごく普通のどこにでも居る『その他大勢』だった。
あの男は俺のことを『用済み』だと言っていた。そしてあの聖剣テミスによく似た大剣――新しい勇者なのだろうか。女神アストレアは俺が不要になったから、新たにもっと強い勇者を指名したのだろうか。
でもなんであのような混乱を起こしたのか。その意味が解らない。
「酷い状態だな」
足音もなく現れた気配は冷たい鉄格子の向こう側から俺に話しかけてくる。口元を布で覆った小柄な男――ヘルゲは感情の読めない表情のまま、そこに立っていた。
「……俺でもそう思うよ」
たまに指を動かしていることからヘルゲは潜んでいる仲間に何かのサインを送っているのだろう。そうでもなければ地下牢に入り込むなんて出来はしない。
「こんなところまでいったい何の用だ?」
「お前をここから出してやる」
言いながらヘルゲは懐から道具を取り出し、手慣れた手つきで牢の鍵を開けると、次いで足枷を外してくれた。
「アンタの独断ではなさそうだけど、どういうつもりなんだ」
「主命を果たしただけだ」
ヘルゲに渡された上着をボロボロになってしまった服の上から羽織る。そして立ち上がったところで一度足を止めた。
(脱獄して、そうして後はどうする? 逃げて隠れ続けるのか?)
「何をしている? もたもたするな。ついてこい」
進もうとしない俺に焦れたのか、ヘルゲに腕を掴まれ引っ張られるようにして地下牢を後にする。
誘導されるがままに城内の人気のない場所を進み外に出ると、そのまま裏手にある森を抜けていく。雨で足場がぐちゃぐちゃになっているが、これだけの状態であれば追跡は難しいだろう。
そうして進んだ森の出口付近。そこには馬が繋がれていた。すぐ隣には夜闇に紛れるような暗色の外套で輝く金色の髪を隠しているミシェルの姿がある。
「よかった。無事に脱出できましたのね。さあ、早くこの場を離れましょう」
傷の手当なんかはもう少し先に進んだ隠れ家でするなどと説明しながらミシェルは俺の手を引いた。いつも冷たいとばかり思っていた彼女の手が、なぜだかとても暖かく感じる。
でも、この温もりを求めてはいけない。今回の件で俺にはもう、彼女の傍にいる資格が無くなってしまった。そっと手を振りほどく。
どうしたのかといった様子でミシェルが俺の顔を覗き込んでくる。
「きっと俺なんかが君の隣に立ったこと自体が間違いだったんだ。だから――」
ここから先は一人で逃げよう――そう思い、俯いたまま話を切り出す。俺と一緒に居たら彼女を不幸にしてしまう。今のうちに引き離さなくては。そう思ってしまうのに、救いの手を伸ばしてくれたその手を握り返したい。そんな自分が居た。
「疲れているから嫌なことばかり考えてしまうのです。お腹が空いて居る時にイライラするのと一緒です」
そっと両手で頬が包まれる。暖かい。張りつめていた感情が堰を切ってあふれ出した。
「大丈夫。エリアスのことは私が護ります」
縋りついて情けないほど泣いた。何度もなんども大丈夫と言い聞かせるように背を撫でられながら馬に乗せられる。
身に沁みついた癖なのか、手綱を持った手は自然と馬を駆り雨でぬかるんだ道を進んでいく。
「テオに手紙を出してあります。シルフ鳥を使っているとはいえ、今は砂漠の向こうに居るそうですから多少の時間はかかるでしょう。でも、ある程度の準備は出来ていたそうなので、まずは聖王領を脱出しましょう」
シルフ鳥といえば伝書鳩よりも素早く正確に手紙を届けられる手段だ。風魔法を扱うものたちが使役するそうだが、生息数自体が少ないのであまり見かけない。
思えばマーリンと二人で旅をしていた時からメテオライトには助けられていた。次の目的地の地図であったり、有益な情報であったりを届けてくれたのはそのシルフ鳥だ。
(そういえばセフィロトに居た時も、困ったことがあったらうちに来いとか言ってくれてたっけ)
ワープの杖による移動は警戒している相手がいると察知されやすいらしい。現状では移動先を察知されないためにも、ヘルゲたち密偵が手分けして分散し複数の痕跡を作ることで少しでも追手となるものたちへの妨害を行うようだ。
聖王が直接統治している地域を抜けるまでは徒歩や馬を使い、その後はワープの杖で移動できる限界距離を移動しながら目的の地を目指した。
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