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第二章 十月の修羅場

チーズケーキ2

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 ドアが乱雑に開閉して、佐山が飛び込んできた。
 振り上げていた腕を無言でつかまれる。
 
 「あっ」

 我に返ると同時に、ひときわ高いルナの泣き声が耳に刺さった。

 「びええぇぇぇんっ!!」

 腕から力が抜ける。

 「ごめ……ごめん、ルナ」

自分が何をしようとしていたか思い返すと、全身から熱が奪われていくように思われた。
 もし、佐山が来てくれなかったら──。




 「こういう時に、一人にさせるべきではありませんでしたね」

 佐山は、帰ったわけじゃなかった。
 買い物に行ってたらしい。

 ローテーブルにコーヒーが並んでいる。
 コンビニのコーヒーマシンでセルフで淹れるやつ。

 そして、何故か私の手元にだけ小ぶりなチーズケーキが。
 近くのコンビニで売っている物だ。

 「これ、私が好きなの……」

 何とはなしに口走ってしまい、慌てて口を噤む。
 あの後ルナは落ち着いて、そのままクッションの上で眠っていた。
 薄手の毛布を掛けてある。

 紙製のコーヒーカップの熱さは、今の私には救いのように思われた。

 「あの。本当にすみませんでした」

 「いえ。僕が飲みたかっただけです」

 佐山はそう答えてコーヒーに口をつける。
 私が言ったのはコーヒーのことじゃない。
 やはりどこかズレた男である。

 ちょっとした思いやり。
 昌也と私の間でこういうことをしなくなったのは、いつ頃だっただろう。



 「何をイライラしていたのです?」

 佐山が私の方をうかがっている。
 髪で顔の大半が隠れているので表情は分からない。
 バレてるかな、泣きそうなの。

 「何があったか知らないが浮かない顔だ。
 やはり動物と」

 「浮かなくないです」

 助けてもらった恩はあるが、動物の話はスルーさせてもらう。

 チーズケーキが入ったプラスチックのケースを開けた。
 ケーキの滑らかな表面に付属の小さなフォークを入れて一口頬ばると、柔らかな感触とともにほの甘さが口いっぱいに広がる。

 これ食べたの久しぶり。
 いつから食べていなかったっけ。


 ──これ、好きだっただろ?


 そんなことを言って、笑いかけてくれる日もあった。
 あんな男でも。

 付き合ったのは一年足らずなのに、ずっと前のことみたい。
 よく知ったチーズケーキの甘さの傍に、もうあの日の昌也はいない。

 頬を熱いものが伝い、すっかり甘くなった口の中にしょっぱさが混じった。

 「あーあ。何やってんだろ、私……」

 「ケーキを食べています」



 佐山らしいといえば佐山らしい答えに脱力する。
 浸ってたのに。一応。
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