【完結】改稿版 ベビー・アレルギー

キツナ月。

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第四章 続・十一月の受難

温もり2

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 ヒュッと喉が鳴り、涙は完全に引っ込んだ。
 私、佐山と抱き合ってた!

 「大丈夫ですよ、もう」

 佐山の腕に力が加わる。
 声がしたのは耳のすぐ傍だ。
 動揺が震えとなって伝わり、佐山は私がまだ泣いていると思ったようだった。


 別の意味で大丈夫ではない!


 私は、身体は丈夫な方だと自覚している。
 二十九歳の健康体の女性が、ある一定の条件下で心臓発作を起こす。
 医学的にそういうことはあるのか、などと意味のないことを考える。

 そうこうする内、佐山の手が肩にかかって身体がそっと離された。
 前髪の間から覗く目が、様子をうかがうように私の方を向いている。

 「今日はこれで失礼しますが、大丈夫ですか?」

 すぐには声が出なくて、私はコクッと頷いた。
 佐山は、こちらに気遣わしげな視線を送ってくる。

 「僕が夜通しここにいるのも問題ですし」

 か、構わないけど。

 「ピーコを待たせているのでね」




 ……だから。いつもいつも、一言余計なんだよっ!!


 と、頭の中では怒号が渦巻いていたのだが。
 私が苦笑いとともに口にできたのは、たった一言であった。


 「でしょうね──」



 戸締りをきちんとするようにと言い置き、佐山は出て行った。
 我に返って見送りに立った時には、玄関の扉がバタンと音をたてて閉まるところだった。

 つい今まで、仮にも女性を抱きしめていたというのに。
 一切の余韻を引きずらない、見事なまでにドライなお帰りである。


 ピーコね。
 そうだ。佐山とは、そういう男だ。



 熱い風呂にでも入ろう。
 佐山に言われた通り玄関に鍵を掛けると、そのままバスルームに向かう。

 小さなバスタブに湯を張り始めて顔を上げ、驚愕した。
 鏡に酷い顔が映っている。

 化粧の剥がれた、薄汚れた顔面。
 涙の跡でグチャグチャだ。

 当然だが、警察に連行されて以来、顔のお手入れは一切していない。
 風呂にも入っていないので臭ったかもしれない。

 思えば寝顔も見られている。
 どんな顔をしていたか分かったもんじゃない。
 疲労でいびきをかいていたかもしれないし。


 最悪だ!


 私はバスタブの縁に手を掛け、狭いバスルームにうずくまった。
 ドボドボと湯がたまる音が響く。

 無様な姿しか見せてない。
 私って、こんなだったっけ?

 佐山には、どうも色々と誤解されているような気がしてならない。
 私だって、頑張ればもう少し……。


 今さら嘆いても取り返しはつかない。
 私はノロノロと顔を上げた。
 ルナの様子を見に部屋へ戻る。
 電気が煌々と灯る中、ルナはまだ気持ち良さそうに寝息をたてていた。

 この薄い壁の向こうに佐山はいる。

 隣に誰が住んでいようと関係ないと思ってた。
 少し前までは。

 壁にクッションを投げつける。
 怒られない程度に力は加減した。

 「何がピーコよ!
 私は鳥以下かっ!」

 モヤモヤが口をつく。

 まだ行かないで。
 そう言ってすがったら、佐山は今もここで私を抱きしめていてくれただろうか。

 白状すれば、あの温もりの中にいるのはそんなに悪くなかった。
 むしろ、もう少し温めてほしかったかも──。



 「素直じゃないわねぇ、もっと甘えとけば良かったのにぃ」



 楽しげな声がした。
 人の心を読んだかのような内容に心臓が飛び跳ねる。

 「あ、ルナ……起きてたの」

 私は懸命に平静を装った。
 ルナは短い腕を振り回し、歌うように続ける。

 「いい感じだったから、邪魔しちゃいけないと思ってね」
 
 「な、何を言ってるの。
 あれはそういうんじゃ……」

 「って、なぁに?」

 「大人をからかわない!」

 「好きなんだねぇ」

 「な……」

 「顔、赤いよ」

 「そんなことない!」

 「騒ぐと、またパパに怒られちゃうよ」

 「不公平だわ!   喧嘩はお互い様でしょう!?」

 「大人げ無さすぎだよ、絵美ぃ」



 ああ、もうチャージできてるみたい。
 私のメンタルは意外と頑丈だ。

 まだ行かないでと甘えたところで、佐山には見透かされてしまっただろう。
 そして、結局ピーコを優先するのだ。

 肌に触れる。
 わずかに残る、佐山の体温を確かめるように。

 いつもそう。
 彼の身体は温かい。
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