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仕立屋
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カスティーロの中でも煉瓦造りの高級区画の中で店を構えるのは、シックな雰囲気の仕立屋【サルト ディア】。
そんな高級店で、草臥れた下着姿を晒すことになるなんて夢にも思わなかった。
店の前には厳つい顔の警備が仁王立ちしていて、店に入れば執事っぽい従業員がお出迎え。
着飾ったトルソーは、どれも上流階級を意識したものばかりで、間違っても平民が迷い込んではダメな場所だ。
そんな高級店に連れられ、気が付けば革張りのソファとテーブルが置かれた試着室で、全身隈なくメジャーを巻かれている。
メジャーを手に、私のサイズを測っているのは、公爵家お抱えの【サルト ディア】のテーラー、ケイト・ミンターだ。ケイトが測る数字を採寸シートに書き込んでいるのが、ケイトの助手、テーラー見習いのトレイシー・マロンになる。
全ての採寸が終わると、私は慌ただしく服を着る。
羞恥の時間は1秒でも短くしたいのだ。
草臥れた下着でもナイスバディなら胸を張れるけど、残念ながら胸と尻周りの肉付きはイマイチ…。しかも、冒険者ながら筋肉質とは縁遠い体型も、それなりにコンプレックスではある。
「ゴゼット様のサイズでは、古着屋は少し難しいですね」
ケイトは眉根を寄せ、採寸シートを見ている。
「そもそもクロムウェル領は殆ど人族がいないので、人族に合うサイズを取り扱っていません。人族と獣人は、単に身長が異なるけだけではないのです。肩幅や腕、足の長さが異なるため、ゴゼット様が身長に見合った子供服を着用したとしても、首回りや肩、袖などが合わないでしょう。獣人でも種によって人族に近しい体型の者もいますが、それでもちぐはぐになるかと思います」
「帝都や属国4ヵ国に接する領地なんかは、比較的人族が多いって聞くから、そっちの方に行けば手に入るかもですよ」
トレーシーは言って、「お茶の用意してきますね」とフランクな口調で試着室を出て行った。
どこか下町感のあるトレーシーには親近感を覚えるけど、上流階級の顧客をターゲットにする店の店員としては失格なのだろう。ケイトが口元をへの字にして、「あとで指導ね」と呟いたのが聞こえた。
「ゴゼット様、お座り下さい」
「あ…はい」
ケイトが手で示す方のソファに腰を下ろすと、ケイトは棚から見慣れないものを取り出して向かいに座った。
テーブルの上に置かれたのは2冊の分厚い本みたいなやつだ。
ケイトの手元にはノートと鉛筆。ノートの表紙には私の名前と”顧客カルテ”と書かれている。
「クロムウェル様より、ゴゼット様は冬用の衣服の持ち合わせがないと伺っておりますので、木綿のショーツとシュミーズ。あとは羊毛でドロワーズとパンタレットを数点ご用意させていただきます」
ドロワーズとパンタレット…。
若干引きつった私の表情に気付いたのか、ケイトが苦笑する。
「ひと昔前の下着というイメージかもしれませんが、今も貴族は着用するのですよ?ただ、昔と違い、ドロワーズとパンタレットは下着の上に履く防寒用下着となっています。帝国は国土の広さから、雪深い領地もありますので、社交シーズンは夏と決まっているのですが、帝国内でも南方地方は殆ど雪も降らないことから、冬でも社交が盛んなのです。そして、冬に咲く花々で彩った庭園でお茶会をするのが一種のステータスともされています」
「冬の庭で…」
「ええ。ですので、女性はドレスの下に防寒用下着を着用するのです。防寒効果は貴族の折り紙つきですわ」
そう言って微笑するケイトに、私は小さく頷く。
「それでは外套とケープ、セーター、ボトムス、スカートですが…」
ケイトがノートに走らせるデザインは、レース飾りや刺繍が無駄に多い。
私はお嬢様ではないし、暖かな暖炉前で春を待つ身分でもない。大雪でも救助要請があれば外に出る可能性もある。見栄えより機能性だ。
恐縮しつつも、あれやこれと口を挟ませてもらった。
ケイトのしょんぼり顔には心苦しさを覚えるけど、私としてはシンプルデザインが妥当だ。
「では、生地の提案をさせて貰います。こちらはバンチブックです」
と、テーブルに置いていた2冊の本を手で示す。
「バンチブック?」
「当店が取り扱っている生地の見本帳のことです」
分厚い本の表紙を捲ると、表紙より少し小さく切り取られた多種多様な生地が挟まっている。
「ああ、そうでした。下着については、木綿と絹。防寒用下着は木綿と羊毛から選べます。今冬を考えて木綿と羊毛と申しましたが、絹でもご用意できます。ご希望はございますか?」
「木綿と羊毛で大丈夫です」
クロムウェル公爵家で療養した際、用意された下着は全て絹だった。しかもレースをふんだんに使った、とても心もとないデザインで、誰に見せるわけでもないけど履いているだけで気恥ずかしさがこみ上げていた。
木綿なら馴染み深いので安心だ。
「承知しました。では、それ以外の生地を選びましょう」
ス…とバンチブックが私に向けられる。
「冬用を見繕っていますので生地は厚めになります。当店といたしましては、特殊素材をお勧めしております」
「特殊素材?」
「魔物から採られた毛を精紡した生地で、素材によって異なりますが、防水や保温に大きな効果があります」
聞くだけでお高そうだ。
「冒険者服のような感じですか?」
「似ているように思えますが、冒険者服というのは羊毛や木綿など糸に人工的に魔力を込めたもので、消耗品扱いと聞いております」
「え!?半永久じゃないんですか?」
思わず声を大にして訊けば、ケイトが苦笑しながら頷く。
「わたくしどもの【サルト ディア】は冒険者服の取り扱いをしていないので詳しくは存じませんが、わたくし個人の知り合いに人族の元テーラーがいるのです。彼女の話によれば、魔物の毛からの精紡糸は、魔物生来の魔力が籠っていますので半永久的に効果が続くそうです。ただ、冒険者服に使用される糸は、それを模倣して作られた糸になります。込められた魔力は経年劣化していくそうで、特に頻繁に攻撃にさらされると効力は長く持たないというのです。例えば、防火の冒険者服は10回から15回。炎を浴びると効力が薄れ、消えるのだとか。現在、彼女は冒険者服の効力強化の研究をしています。魔物の精紡糸に魔力を込めれば、人工的に付与した魔力と魔物生来の魔力の2重効果を半永久的に維持できるそうですが、手が出ないほどの高額商品になると肩を落としていました」
今の冒険者服も決して安くはないのに、それを定期的に交換しなくてはならないなんて…。低ランクの収入では無理だ。だから冒険者服を着ている人は高ランクが多いのかと腑に落ちた。
「魔物の精紡糸の効力は優れていますが、生地は防水と保温のみと選択肢はありません」
「防火素材とかはないんですね」
「火の魔力を保有する魔物の多くは鱗で、体毛はないのです。また、数少ない体毛のある火属性の魔物は、幻獣種や竜種となっています」
ケイトは苦笑する。
「皇帝陛下に献上されるような素材になります。万一、わたくしどもの手に入っても、売り物にならないほど高額になるでしょう」
皇帝に献上するような素材。
私がランスの剣を思い出していると、テーブルに2冊目のバンチブックが開かれる。
「こちらが魔物の毛で精紡された糸を使用した生地になります。防水タイプと、保温タイプ。それからその両方の特性を持ったタイプの3種類になります。低価格帯としましては、ジャッカロープとハイドロラットの2種類です。ジャッカロープは保温性と手触りの良さから、毛皮コートとして貴族の愛用者が多くなります。ハイドロラットは防水性に富んでいますので良質のものは外套に、質の落ちるものは馬車などの防水布に加工されます」
ジャッカロープは棲息している場所によって毛足の長さに差があり、バンチブックの見本毛皮はふわふわで、北方に棲息しているスノージャッカロープだと分かる。
その反対に、ハイドロラットは水辺に棲息するネズミのような魔物だ。ネズミとは言っても可愛いサイズではなく、分類は小型種になるものの、大きいものは体長1メートルを超える。
その毛で作られた生地に触れると、鋏で切るにも力が必要なほど頑丈だ。
「あ。もしかして騎士団の隊服ってハイドロラットですか?」
「よくご存じですね。ハイドロラットの生地は、特殊な鋏を使わなければなかなか裁断できないほど頑丈なのです」
確かに切るのに梃子摺った。
ロッドはジョキジョキ切り刻んでたけど…。
そんなことは言えるはずもなく、愛想笑いで次のページを捲ってみる。
「ホーンヘッドリンクスはジャッカロープよりも保温性に優れ、その毛並みから毛皮コートとして大変人気の商品です。ただ、皇族の方々が好まれる素材になりますので、高額商品となります」
それはそうだろう。
ホーンヘッドリンクスは雪山に棲息する角の生えた3メートル前後の魔物だ。筋肉質で短い尻尾が特徴のヤマネコだけど、魔物である以上は魔力を有す。多くの魔物は体内に魔力を貯めるだけで、派手な魔法を放つことはない。ディノガの棘も、魔力を噴射する要領で飛ばしているらしい。
ただ、このホーンヘッドリンクスは魔法を使う。
属性はランスと同じ氷。
ホーンヘッドリンクスの子供を罠で殺してしまった村人の村が、一夜で氷漬けになったという伝説もあるほど力は強い。
そんな上位魔物の素材に尻込みしてしまった私の前に、次々と同レベルの高級素材の説明が続く。
羊毛が恋しい。
「気になる生地はございましたか?」
魔物以外はカシミアゴートとかビクーニャなどの高級獣毛ばかりで、とても手が出ない。
下着と同じ羊毛か木綿でお願いしたい…。
お金のことを考えると恐怖で震える。
と、軽やかなノックでドアが開いた。
「失礼します」とワゴンを押して入って来たのはトレイシーで、その後ろにジャレッド団長が続く。
「お茶をお持ちしました」
ワゴンに注目すれば、茶器とチョコレートをふんだんに使った焼き菓子が乗っている。
あんなに屋台で飲み食いしたのに、口元が緩みそうになる。
慌てて口を引き締めると、ぽんぽん、とジャレッド団長に優しく頭を撫でられた。
「どうだ。決まったか?」
私の隣に腰を下ろしながら、テーブルの上のバンチブックへと手を伸ばす。
当たり前のように取ったのは魔物素材の方だ。
「ほぅ。ナータスがあるのか」
ジャレッド団長が見ているのは、薄い灰色の生地だ。
ナータスという魔物は、防水と保温に優れた体毛をもつイタチのような見た目の魔物らしい。単独行動する魔物なので、商品として出回ることが珍しく、魔物レベルは2ながらに市場価格は高いのだとか。
高級という単語を聞いてからは、あまり記憶には残らなかったけど、ハイドロラットに負けず劣らずの頑丈な生地だったと思う。
「昨年末になりますが、北方の冒険者がナータスの群れを討伐して、冒険者ギルドのオークションに出品されたのです。精紡商が落札して、そこから仕入れさせて頂きました。数に限りがございますが、今なら如何様にも仕立てられますわ」
うふふ、とケイトが微笑む。
「では、ナータスで外套を2着頼もう。1着は自分用に頼む。デザインを決めているかも知れないが、外套は2着ともフードをつけてくれ。ケープはジャッカロープで。ブランケットも追加だ。あとはカシミアとミンクが妥当だろう。靴下とマフラー、手袋、耳当てつきの帽子も必要だ。あとブーツも頼みたい」
「ブーツは外部発注となりますので、少々お時間を有しますがよろしいですか?」
「ああ、構わない。ブーツにはジャイアントグリズリーの素材を使ってくれ」
あれやこれやと話が纏まっていく。
高級素材のオンパレードは恐怖の一言に尽きる。
なんとか口を挟もうとするけど、「あの」とか「すみません!」という私の声は故意に無視されていると思う。
「デザインはイヴの希望を通してくれ」
ジャレッド団長が手形にサインを走らせ、ケイトが満面の笑みで「かしこまりました」と頭を下げた。
そんな高級店で、草臥れた下着姿を晒すことになるなんて夢にも思わなかった。
店の前には厳つい顔の警備が仁王立ちしていて、店に入れば執事っぽい従業員がお出迎え。
着飾ったトルソーは、どれも上流階級を意識したものばかりで、間違っても平民が迷い込んではダメな場所だ。
そんな高級店に連れられ、気が付けば革張りのソファとテーブルが置かれた試着室で、全身隈なくメジャーを巻かれている。
メジャーを手に、私のサイズを測っているのは、公爵家お抱えの【サルト ディア】のテーラー、ケイト・ミンターだ。ケイトが測る数字を採寸シートに書き込んでいるのが、ケイトの助手、テーラー見習いのトレイシー・マロンになる。
全ての採寸が終わると、私は慌ただしく服を着る。
羞恥の時間は1秒でも短くしたいのだ。
草臥れた下着でもナイスバディなら胸を張れるけど、残念ながら胸と尻周りの肉付きはイマイチ…。しかも、冒険者ながら筋肉質とは縁遠い体型も、それなりにコンプレックスではある。
「ゴゼット様のサイズでは、古着屋は少し難しいですね」
ケイトは眉根を寄せ、採寸シートを見ている。
「そもそもクロムウェル領は殆ど人族がいないので、人族に合うサイズを取り扱っていません。人族と獣人は、単に身長が異なるけだけではないのです。肩幅や腕、足の長さが異なるため、ゴゼット様が身長に見合った子供服を着用したとしても、首回りや肩、袖などが合わないでしょう。獣人でも種によって人族に近しい体型の者もいますが、それでもちぐはぐになるかと思います」
「帝都や属国4ヵ国に接する領地なんかは、比較的人族が多いって聞くから、そっちの方に行けば手に入るかもですよ」
トレーシーは言って、「お茶の用意してきますね」とフランクな口調で試着室を出て行った。
どこか下町感のあるトレーシーには親近感を覚えるけど、上流階級の顧客をターゲットにする店の店員としては失格なのだろう。ケイトが口元をへの字にして、「あとで指導ね」と呟いたのが聞こえた。
「ゴゼット様、お座り下さい」
「あ…はい」
ケイトが手で示す方のソファに腰を下ろすと、ケイトは棚から見慣れないものを取り出して向かいに座った。
テーブルの上に置かれたのは2冊の分厚い本みたいなやつだ。
ケイトの手元にはノートと鉛筆。ノートの表紙には私の名前と”顧客カルテ”と書かれている。
「クロムウェル様より、ゴゼット様は冬用の衣服の持ち合わせがないと伺っておりますので、木綿のショーツとシュミーズ。あとは羊毛でドロワーズとパンタレットを数点ご用意させていただきます」
ドロワーズとパンタレット…。
若干引きつった私の表情に気付いたのか、ケイトが苦笑する。
「ひと昔前の下着というイメージかもしれませんが、今も貴族は着用するのですよ?ただ、昔と違い、ドロワーズとパンタレットは下着の上に履く防寒用下着となっています。帝国は国土の広さから、雪深い領地もありますので、社交シーズンは夏と決まっているのですが、帝国内でも南方地方は殆ど雪も降らないことから、冬でも社交が盛んなのです。そして、冬に咲く花々で彩った庭園でお茶会をするのが一種のステータスともされています」
「冬の庭で…」
「ええ。ですので、女性はドレスの下に防寒用下着を着用するのです。防寒効果は貴族の折り紙つきですわ」
そう言って微笑するケイトに、私は小さく頷く。
「それでは外套とケープ、セーター、ボトムス、スカートですが…」
ケイトがノートに走らせるデザインは、レース飾りや刺繍が無駄に多い。
私はお嬢様ではないし、暖かな暖炉前で春を待つ身分でもない。大雪でも救助要請があれば外に出る可能性もある。見栄えより機能性だ。
恐縮しつつも、あれやこれと口を挟ませてもらった。
ケイトのしょんぼり顔には心苦しさを覚えるけど、私としてはシンプルデザインが妥当だ。
「では、生地の提案をさせて貰います。こちらはバンチブックです」
と、テーブルに置いていた2冊の本を手で示す。
「バンチブック?」
「当店が取り扱っている生地の見本帳のことです」
分厚い本の表紙を捲ると、表紙より少し小さく切り取られた多種多様な生地が挟まっている。
「ああ、そうでした。下着については、木綿と絹。防寒用下着は木綿と羊毛から選べます。今冬を考えて木綿と羊毛と申しましたが、絹でもご用意できます。ご希望はございますか?」
「木綿と羊毛で大丈夫です」
クロムウェル公爵家で療養した際、用意された下着は全て絹だった。しかもレースをふんだんに使った、とても心もとないデザインで、誰に見せるわけでもないけど履いているだけで気恥ずかしさがこみ上げていた。
木綿なら馴染み深いので安心だ。
「承知しました。では、それ以外の生地を選びましょう」
ス…とバンチブックが私に向けられる。
「冬用を見繕っていますので生地は厚めになります。当店といたしましては、特殊素材をお勧めしております」
「特殊素材?」
「魔物から採られた毛を精紡した生地で、素材によって異なりますが、防水や保温に大きな効果があります」
聞くだけでお高そうだ。
「冒険者服のような感じですか?」
「似ているように思えますが、冒険者服というのは羊毛や木綿など糸に人工的に魔力を込めたもので、消耗品扱いと聞いております」
「え!?半永久じゃないんですか?」
思わず声を大にして訊けば、ケイトが苦笑しながら頷く。
「わたくしどもの【サルト ディア】は冒険者服の取り扱いをしていないので詳しくは存じませんが、わたくし個人の知り合いに人族の元テーラーがいるのです。彼女の話によれば、魔物の毛からの精紡糸は、魔物生来の魔力が籠っていますので半永久的に効果が続くそうです。ただ、冒険者服に使用される糸は、それを模倣して作られた糸になります。込められた魔力は経年劣化していくそうで、特に頻繁に攻撃にさらされると効力は長く持たないというのです。例えば、防火の冒険者服は10回から15回。炎を浴びると効力が薄れ、消えるのだとか。現在、彼女は冒険者服の効力強化の研究をしています。魔物の精紡糸に魔力を込めれば、人工的に付与した魔力と魔物生来の魔力の2重効果を半永久的に維持できるそうですが、手が出ないほどの高額商品になると肩を落としていました」
今の冒険者服も決して安くはないのに、それを定期的に交換しなくてはならないなんて…。低ランクの収入では無理だ。だから冒険者服を着ている人は高ランクが多いのかと腑に落ちた。
「魔物の精紡糸の効力は優れていますが、生地は防水と保温のみと選択肢はありません」
「防火素材とかはないんですね」
「火の魔力を保有する魔物の多くは鱗で、体毛はないのです。また、数少ない体毛のある火属性の魔物は、幻獣種や竜種となっています」
ケイトは苦笑する。
「皇帝陛下に献上されるような素材になります。万一、わたくしどもの手に入っても、売り物にならないほど高額になるでしょう」
皇帝に献上するような素材。
私がランスの剣を思い出していると、テーブルに2冊目のバンチブックが開かれる。
「こちらが魔物の毛で精紡された糸を使用した生地になります。防水タイプと、保温タイプ。それからその両方の特性を持ったタイプの3種類になります。低価格帯としましては、ジャッカロープとハイドロラットの2種類です。ジャッカロープは保温性と手触りの良さから、毛皮コートとして貴族の愛用者が多くなります。ハイドロラットは防水性に富んでいますので良質のものは外套に、質の落ちるものは馬車などの防水布に加工されます」
ジャッカロープは棲息している場所によって毛足の長さに差があり、バンチブックの見本毛皮はふわふわで、北方に棲息しているスノージャッカロープだと分かる。
その反対に、ハイドロラットは水辺に棲息するネズミのような魔物だ。ネズミとは言っても可愛いサイズではなく、分類は小型種になるものの、大きいものは体長1メートルを超える。
その毛で作られた生地に触れると、鋏で切るにも力が必要なほど頑丈だ。
「あ。もしかして騎士団の隊服ってハイドロラットですか?」
「よくご存じですね。ハイドロラットの生地は、特殊な鋏を使わなければなかなか裁断できないほど頑丈なのです」
確かに切るのに梃子摺った。
ロッドはジョキジョキ切り刻んでたけど…。
そんなことは言えるはずもなく、愛想笑いで次のページを捲ってみる。
「ホーンヘッドリンクスはジャッカロープよりも保温性に優れ、その毛並みから毛皮コートとして大変人気の商品です。ただ、皇族の方々が好まれる素材になりますので、高額商品となります」
それはそうだろう。
ホーンヘッドリンクスは雪山に棲息する角の生えた3メートル前後の魔物だ。筋肉質で短い尻尾が特徴のヤマネコだけど、魔物である以上は魔力を有す。多くの魔物は体内に魔力を貯めるだけで、派手な魔法を放つことはない。ディノガの棘も、魔力を噴射する要領で飛ばしているらしい。
ただ、このホーンヘッドリンクスは魔法を使う。
属性はランスと同じ氷。
ホーンヘッドリンクスの子供を罠で殺してしまった村人の村が、一夜で氷漬けになったという伝説もあるほど力は強い。
そんな上位魔物の素材に尻込みしてしまった私の前に、次々と同レベルの高級素材の説明が続く。
羊毛が恋しい。
「気になる生地はございましたか?」
魔物以外はカシミアゴートとかビクーニャなどの高級獣毛ばかりで、とても手が出ない。
下着と同じ羊毛か木綿でお願いしたい…。
お金のことを考えると恐怖で震える。
と、軽やかなノックでドアが開いた。
「失礼します」とワゴンを押して入って来たのはトレイシーで、その後ろにジャレッド団長が続く。
「お茶をお持ちしました」
ワゴンに注目すれば、茶器とチョコレートをふんだんに使った焼き菓子が乗っている。
あんなに屋台で飲み食いしたのに、口元が緩みそうになる。
慌てて口を引き締めると、ぽんぽん、とジャレッド団長に優しく頭を撫でられた。
「どうだ。決まったか?」
私の隣に腰を下ろしながら、テーブルの上のバンチブックへと手を伸ばす。
当たり前のように取ったのは魔物素材の方だ。
「ほぅ。ナータスがあるのか」
ジャレッド団長が見ているのは、薄い灰色の生地だ。
ナータスという魔物は、防水と保温に優れた体毛をもつイタチのような見た目の魔物らしい。単独行動する魔物なので、商品として出回ることが珍しく、魔物レベルは2ながらに市場価格は高いのだとか。
高級という単語を聞いてからは、あまり記憶には残らなかったけど、ハイドロラットに負けず劣らずの頑丈な生地だったと思う。
「昨年末になりますが、北方の冒険者がナータスの群れを討伐して、冒険者ギルドのオークションに出品されたのです。精紡商が落札して、そこから仕入れさせて頂きました。数に限りがございますが、今なら如何様にも仕立てられますわ」
うふふ、とケイトが微笑む。
「では、ナータスで外套を2着頼もう。1着は自分用に頼む。デザインを決めているかも知れないが、外套は2着ともフードをつけてくれ。ケープはジャッカロープで。ブランケットも追加だ。あとはカシミアとミンクが妥当だろう。靴下とマフラー、手袋、耳当てつきの帽子も必要だ。あとブーツも頼みたい」
「ブーツは外部発注となりますので、少々お時間を有しますがよろしいですか?」
「ああ、構わない。ブーツにはジャイアントグリズリーの素材を使ってくれ」
あれやこれやと話が纏まっていく。
高級素材のオンパレードは恐怖の一言に尽きる。
なんとか口を挟もうとするけど、「あの」とか「すみません!」という私の声は故意に無視されていると思う。
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