騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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 空腹と倦怠感。
 人によっては眩暈や頭痛。
 さらには卒倒。
 これらは病気ではなく魔力の枯渇症状になる。
 私は大多数の人と同じ空腹と倦怠感を覚えるタイプだ。
 そして今、お腹がぐぅぐぅと盛大に鳴っている。だというのに、食事を頼むことすら億劫だと思ってしまう。ただ座りたい。
 こんなに気怠いのは、移動の疲労もあるのだと思う。
 レピオスの実を一粒口に運び、よろよろと集会場を出る。
 気合いを入れて挑んだものの、集会場の中は想像以上に惨かった。
 私だって冒険者ギルドで治癒士として何人もの怪我人は見てきたけど、グレートウルフどころかウルフ系の被害者もいない、意外と平和な辺境の村での治癒士でしかない。
 ハノンは”帰らずの森”に寄り添うように造られた村なのに、魔物による被害と言えば小型種と決まっている。
 魔物に深手を負わされる人の多くは、森の深部へ向かう冒険者ばかりで一般人は皆無に近い。
 何が違うのか…と考えて、ジャレッド団長たちが顔を顰めた魔物除けの香を思い出す。
「イヴ!」
 ふらついたのを見ていたのか、血相を変えてジャレッド団長が駆けて来た。
 ジャレッド団長が慌てふためいている様は貴重というか…面白い。
「大丈夫です。魔力切れなだけなので…」
「何が大丈夫だ!顔色が悪い。キースが吐いているのを見たことがある」
 キース副団長は嘔吐するタイプか…。
 珍しい。
「人それぞれです。私の魔力切れの症状は軽いんですよ」
「それでもだ!」
 憤慨しながらも、私をすいっと抱え上げる手つきは優しい。
 それが猛烈に恥ずかしい!
 なのに、暴れるだけの体力はない。運ばれるがまま、集会場横の木の下に降ろされた。
「腹が減ってるのに悪い。もう少し我慢してくれ。炊き出しをしてくれるそうだ」
 思わずお腹を隠すように手をやっても、ぐぅ~と鳴く音は止んでくれない。
 うぅ…抱っこより恥ずかしい…。
 音が聞こえないくらいに離れてほしいのに、ジャレッド団長は私の正面に腰を落とした。
「具合は悪くないか?」
 ふるふると頭を振れば、柔らかな微笑が向けられる。
 恥ずかしさが積みあがっていく…。
「キースとは症状が違うとはいえ、体調が悪ければすぐに伝えてくれ」
 こくこくと頷き、涼やかな木陰に小さく息を吐く。
 視線は自然と集会場に向かう。
 噎せ返るような血の臭いに、疲弊した老医師と看護師。
 重傷者は痛みに呻き、手足を失った人の家族は咽び泣いていた。
 道中で治療した女性のように腹部を引き裂かれた人もいた。
 治療中に息を引き取った人が1人いたのは辛い。
 こういう時、なぜ私は貴族じゃないんだろう…と意味もなく悔しくなる。貴族なら魔力量を多く持てたかもしれない。そうしたらもっと効率よく救えたはずだ。
 私の治癒はゆっくりじっくりなので時間がかかる。
 もどかしさが歯がゆく、そして不甲斐なさに悲しくなる。
 不幸中の幸いは、死傷者に子供がいなかったことだ。
 傷薬と解熱薬を村の老医師に託し、集会場の外に出ると、情けないことにほっとした。
 そっと巾着の中を確認すれば、レピオスの実が残り僅かとなっている。それに焦りを覚えながら、篝火の準備に走り回る村人たちに視線を馳せる。
 ハノンで見た篝火の鉄枠よりも大きく立派だ。
 ハノンの篝火は明かりの役割だったけど、ここの篝火は明かり兼武器なのが分かる。鉄枠とは別に、長い鉄棒の先を炎に炙ることができるように添えられている。あれで魔物を突けば、刃はなくとも熱で肉を衝き破ることができるだろう。長槍ほどあるのでリーチもある。
 鉄棒を使うのは村人たちで、敵討ちに鼻息を荒くしている。
 村人たち以外。ローリック村の守衛に就くのは、第2騎士団を除けば第1騎士団から4名、第3騎士団から6名、冒険者が3チーム計13名が駆けつけているそうだ。
 残り2頭と言われているけど、討伐された7頭にボスらしき個体はいなかったという。逃げた2頭もボスではない。それは、道中で遭った冒険者たちも、「あれはボスじゃない。ボスはデカいからすぐ分かる」と否定していたそうだ。
 となると、9頭というのが誤りになる。
 目撃されていない10頭目がいるのだ。
 少なくとも残り3頭が、虎視眈々とこちらの様子を窺っていると思うと怖気が走る。
 ハノンの冒険者ギルドの勉強会で、「ウルフ系とグリズリー系は獲物への執着が強い。もし、万が一、仲間がそれらの魔物にやられた場合、救出困難として撤収することをギルドは推奨している。討伐できると判断した場合、ウルフ系は群れの1頭も残らず討伐することが前提となる!」と強く教えられた。
 つまり見捨てろ…と。
 この2種は獲物に対する執着心が強い。さらにウルフ系のような群れを成す魔物は仲間意識が強く、人間と同じように復讐心を持つとされている。
 故の撤退推奨なのだ。
 ウルフ系を討伐するには、1パーティーでは手に余るからだ。
 ここを襲ったグレートウルフも、素直に撤退するとは思えない。ボスが残っているのなら夜襲だってあり得る。
「ぐるりと村を囲う塀があれば守りも簡単なのにな」
 何気ない独り言に、思いがけず「ふ」とジャレッド団長が微笑する。
 ぽんぽん、と頭を撫でられるのは子ども扱いに感じるけど、最近は頭を撫でられるのに慣れてしまった。むしろ、今は絶対的な安心感も相俟って心地良い。
 うっそりと目を細めると、「面白いことを言うね」と声がした。
「久しぶりだね、ジャレッド」
「大伯母様。ご無事でなによりです」
 ジャレッド団長が立ち上がり、貴族の礼ボウ・アンド・スクレープをとった。 
 頭を上げれば、僅かに茶色の髪を残した白髪の老婦が立っている。
 長い白髪を頭の後ろで丸く纏め、藍色のワンピースに薄い灰色のエプロンをしている。日に焼けた肌をしているけど、村人とか農婦というには顔立ちに品がある。
 なにより、グレートウルフの襲撃に動揺も怯えもなく、凛とした双眸はジャレッド団長に良く似ている。
 慌てて立ち上がろうとしたところで、「座ってな」と止められた。
「薬師を目指している卵だろう?ポーリーン・ビングリーだ。貴族風に言うなら、ポーリーン・クロムウェル・ビングリー。ジャレッドの大伯母…ジャレッドの祖父の姉になる。公爵家を出て今は平民だから、そんなに畏まる必要はないよ。そもそも平民歴の方が長いからね」
「公爵家から…」
 平民?
 頭の中ではてなマークが飛び交ってしまう。
 それを察したのか、大伯母さんは「私は変わり者なんだよ」と笑う。
「あ…私はイヴ・ゴゼットです」
「わざわざ駆けつけてくれて済まないね。礼を言うよ。あんたがいなけりゃ、死者はもっと出てた」
「礼なんて…」
 ふるふると頭を振ると、大伯母さんは苦笑する。
「それにしても壁を作るなんて面白いことを言うね。あっちではそれが普通なのかい?」
「いえ。故郷では違います。他は分かりません」
「まぁ、そうだろうね。町を塀を囲うのは堅実ではないからね。そういった塀は帝都。帝城や貴族街に限られてる。そうさね、例外は辺境伯領の領都だね。あそこは血気盛んな連中が多いからね」
「あの……どうしてそれ以外はダメなんですか?」
「まず、金がかかるだろう?領主も無限の予算を持ってるわけじゃないからね。必ず、何かしらで元手を回収しようとする。そもそも塀は作って終わりじゃない。維持管理しなきゃならない。もし内側に倒れでもしたら住民に死者が出るだろう?それに、囲うからには門兵が必要だ。税が取れなきゃ破綻するよ。万一、大型の魔物が入り込めば、塀の中はたちまち狩り場と化しちまう。逃げ場がないからね。それで滅んだ町が過去には幾つかあると歴史書で読んだよ。まぁ、その前に、田舎は農民が多いんだ。出入りも頻繁になる上に、農民は泥だらけで、土だらけの農具やら野菜やらを運ぶし、なんなら肥料になる馬糞の山も運ぶ。それらをいちいちチェックするのかい?効率の悪い」
 大伯母さんは鼻先で笑い、黄金色の双眸を弓なりに細めた。
「なにより、大事なのは農作業や林業に従事する塀の外で働く者たちの安全さね。塀があれば、騎士の出動に時間がかかっちまう。なにより、お嬢さんなら、塀のある村に住んで、農作業に従事する時、塀から離れた畑を割り振られたらどうだい?」
「…嫌です。すぐに逃げ込める塀の近くが良いです」
「そういうことさね。不平不満が出るだろう?農地もそまも塀では囲えない。酪農が盛んな場所なら、尚のこと厳しい。塀で囲える町ってのはね、塀の中で全てが成り立つことができる領地だけなんだよ。帝都は王侯貴族の保安対策さ。辺境伯領っていうのはね、あそこは農業に適さない土地だからだよ。鉱山があるから鍛冶師が多いし、血の気の多い輩も多いから冒険者やら狩人やらで成り立っているんだ。建物もぎゅっと密集していてね。だから塀で囲ってもさして不自由はない。でも、ここはね、杣工そまくの村なんだよ。杣工って分かるかい?」
 ふるふると頭を振ると、大伯母さんは遠くの森を指さした。
「あれは全部植林。”魔女の森”とはちっとも関係のない森でね。杣ってのは伐採地で、杣工っていうのは木々を伐採したり製材したりする職人のことだよ。要は樵だね。加工までするけどね」
「創られた森…」
「この領を維持するほど”魔女の森”の木々を伐採すれば、何が出てくるか知れない。実際、街道を造る時は警備に配置した騎士や冒険者に多くの死傷者が出たんだ。比較的安全だと言われていた個所の開拓なのに。昔々の領主はそれを知っていたから、長い年月かけてこの村を造ったんだよ」
 どこか誇らしげに大伯母さんは胸を張る。
「塀がなくとも在りえるのは、獣人だからかも知れないけれどね。人族の国だと、塀で囲ってる町は多いんじゃないかい?人族の非力は、獣人の非力とは異なるからね。まぁ、なんだかんだ言ってるが、結局は予算だね。金がなくちゃ始まらない。とはいえ、今後は何かしらの魔物対策もしなきゃね。いくら獣人でもグレートウルフは訓練を積んだ者じゃなきゃ無理さね…」
 悲哀を滲ませた声に、私まで胸が苦しくなる。
「櫓もないみたいですが、ここは魔物が出たことがないんですか?」
「櫓もあったんだよ。でも、前回の大雪の日に雪の重みで倒れちまってね。それから作ってないんだ。元々、ここらは魔物は出なくてね。出るのは小型の動物ばかりだから狩人もいないし、武具もない。その油断だね…」
「一度、全ての村の安全性を検証する必要があるな」
 と、ジャレッド団長が神妙な面持ちで集会場と村長家に目を向ける。
 集会場には負傷者が、村長家には子供と老人が身を寄せているのだという。
 女性は村長家と集会場の二手に分かれている。村長家では子供の相手を、集会場では怪我人の介護をと分けているのだ。他にも鍋を持ち寄り、決戦に備えて料理を担う炊き出し班もいる。
 村長と古株の男衆は、今後の対策と、葬儀について話し合っているそうだ。
 なんとはなしに眺めていると、騎士なみに体躯の良い男性が目についた。
 服装から冒険者というわけじゃない。
 肩に斧を担いだ、齢70才前半ほどの白髪に無精髭、筋骨隆々な男性だ。「おじいちゃん」というには、あまりのも威厳があって怖い。
 その男性が、ずんずんとこちらに向かって歩いて来ている。
 ひとり緊張していると、大伯母さんが「ラドゥ!」と少女みたいな声を出した。
「ポリーナ。姿がないから捜したぞ」
 低音ボイスの不愛想。
 私なら尻込みする圧も、大伯母さんには違うらしい。「私を捜してたのかい?」とか「愛されて恥ずかしいね~」と惚気まくりだ。
 それから、丸太みたいな腕にぴとりと寄り添った。
「イヴ。紹介するよ。私の番。旦那のラドゥ・ビングリーだ」
 つがい?…とは?
「ラドゥだ」
 こくり、と頷いた旦那さんに、私は恐る恐る頭を下げる。
「第2騎士団で治癒士をしているイヴ・ゴゼットです」
「ん」
 こくり、と旦那さんが頷く。
「ラドゥは無口なんだよ。表情筋も死んでるからね。不愛想に見えるけど、怒ってるわけじゃないよ?て、ジャレッドも似たようなもんだろうけどね」
 からからと笑う大伯母さんに、ジャレッド団長は渋面を作った。
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