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忘却故の悲劇

何処にも行けない二人~例え「魔王」と呼ばれても~

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 ニュクスを怒り任せに傷つけそうになった。

 まぐわいが怖いといっている君の体を犯しそうになって寸前で何とかとどまって、君から離れて蹲る。

 君を傷つけたくないのに、傷つける自分が私は憎くてたまらない。

 嘗て、君の苦しみに寄り添った私はもう何処にもいない。

 いるのは、何一つできない、何一つ守れない無力な存在、君を傷つけてばかりいる私という存在。

――私が、私なんかがいなければ――
――君は、こうならずにすんだのに――
――私さえ、いなければ――


「――リアン、何をしている?!」
 父の声でふっと意識が戻る。
 むせかえる血の臭い。
 刃状になった私の腕を父が掴んでいる。
 そこら中に刃物が転がっている。
「……」
 答える気はない、私が生きている事が間違いだったのだ。

 あの凌辱の果てに殺されていれば良かったのだ。
 そしたら、ニュクスは此処迄追いつめられることはなかったのだ。
 私は最愛の君を追い詰めて、傷つける事が起きなかったのだ。

 ぼんやりと視線をさ迷わせると、ニュクスが私の体やもう片方の腕などを抱きしめている。
 まるで、守るように。

 そちらの腕の感覚は今は無い。
 刃になった手で、刃で、かなり傷つけたのだろう。

――何故、私を死なせてくれないのですか?――

「……リアン、お前が死んだら、誰がお前の妻を『救う』のだ? 誰が傍にいてやれるのだ?」
 父に撫でられると、刃状になった腕は元に戻った。

――誰かが、救ってくれるでしょう――
――私はニュクスを、救えない――
――傷つけることしか、できない――

「……傍にいるお前が一番知っているはずだ」
「……」
「今のお前の伴侶――ニュクスの傍にいて救うことができるのはリアン、お前だけだ」
「……」
「他の誰でもない、お前だけだ。それなのにリアン、お前はそのような行為をして、ニュクス一人を置いて逝くつもりか? お前無しでは生きることもままならぬ、お前の伴侶を」
「……」
「――お前の自死を望む行為を止めようとニュクスはこうなって以来一度も触れた事のない扉を開けようとして、その後我を忘れているお前を止めようとした――」

「己の体が傷つこうとも構わず」

 父の言葉に、血の気が引いた。
 心が動かなかったから気づかなかった、ニュクスは抱き着いているが、力が入っているような感触が無い。
 動く手を震わせながらゆっくりと自分の体から離す。
「――!!」
 血みどろになっていた、体には傷が無数についており、胸元から腰に掛けて深い傷跡ができていた。
 傷は塞がっている、だが、痕跡はくっきりと残っていた。

 私が付けた、傷が。

 ニュクスは浅い呼吸を繰り返している。
 死んではいない。
 けれども――

――私は、なんて、取り返しの、つかない、事を――

「リアン」
 父の声に顔を上げる。
 父は悲し気な顔をしていた。
「……お前は……伴侶を……傷つける自分が憎くて、たまらないのだな」
 父の言う通りだ。
 私は、最愛の存在を傷つけ、苦しめている。
 愛するニュクスの心を傷つけて、苦しめて、その上、痩せ細った体に傷痕を付けた。
「……」

――手放すことが、ニュクスの、救い、なのだろうか……――

「……父上……ニュクスを……休ませてください……私から……引き離してください……」
「――リアン、本当に、それで良いのか?」
「……」
 今の私は我を失った最中、愛する存在にこのような傷をつけてしまうのだ。
 だから、ニュクスは私から離れた方がいい。
 これ以上、君を私は傷つけたくはない。




 誰も手が付けられぬ、誰も救えぬ「不治の病」に似て非なるもの――
 まさしく、我が子とその妻がその状態にある。
 違う点は互いが互いの「薬」である事。
 互いが互いの傷を「緩和」させる事。
 引き離せばどうなるか目に見えた、リアンはそれを完全に理解していない――だから、こそ私は二人を一日だけ引き離した。

 酷い有様だった。
 我が子は酷い自傷と、他の存在への憎悪と敵意、殺意を剥きだしにし、暴れた。
 その伴侶は酷く怯えて、蹲り、許しを請い、触れられると発狂し、意識を失った。

 たった、一日でこの有様だ。
 一日後、私は再び我が子の元へと訪れた。
 拘束された我が子は父である私にさえも、憎悪と敵意を向けて、正気を失っていた。
 金の目を血の色に染めている。
 口枷を外して、我が子の顔を両手で包んで見据える。
「――リアン」
 獣の様な声。
「リアン!!」
 血の色の目が元の金の色へと戻る。
「ちち、うえ……」
「見よ、これがお前の状態だ。お前もお前の妻も自分達がどのような『傷』を負っているか理解しないが故の結果だ、相手の傷を理解しない結果がこれだ」
「……」
 呆然とした顔、我を失っていた間の事は何も理解できていないのだろう。
 私の言葉も、上手く理解ができていないのだろう。


 昔――片羽を失った妖精族の夫婦が居た。
 夫は左の羽を、妻は右の羽を失った。
 夫婦は常に寄り添い、残った羽を合わせる様にして、移動していたと言う。
 そして、妻が亡くなると夫も間もなく死去した。


 そんな話を聞いたことがある。
 我が子と我が子の妻はその夫婦に近い、だが、その夫婦のように残った羽を合わせて飛ぶことなどできはしない。
 残った羽も飛べぬ程に傷つき、足もずたずたに引き裂かれている。
 互いに傷をなめ合って、求めあい、二人だけの世界が唯一の安息、それ以外は害悪と感じる。
 そんな離れることができない二人を引き離せばこうもなる。
「――お前の伴侶を連れてくる」
「それ、は……」
「……お前の伴侶は――ニュクスはお前と引き離された途端精神状態が一気に不安定になった、他者に怯え、許しを請い、触れようとすれば気を失う。リアン、お前はそれを『良い』と思っているのか?」
 我が子はうつむいた。
「……」
「……今のニュクスはお前に自身の家族について聞いたことがあるようだな」
「……はい」
「――運が良いのか、悪いのか……いや、悪いな。ニュクスの家族が昨日来た。マイラが、家族に根負けして合わせた結果、最初は怯えていたニュクスは家族と知らされた途端、酷く許しを請い、自死さえしようとした」
「――」
「……ニュクスにとって家族といる事は安息にならぬ。お前だけだ、ニュクスの傍でニュクスに安息を与えられるのは。お前は傷つけてしまっていると思っているが、ニュクスにとってその傷以上に、お前の傍にいる事こそが救いなのだ」
「……わかり、ました」
 リアンは声を絞り出すように言った。

 私は客用の部屋に居るニュクスの元へと向かった。
 薬系統を使おうとしたら暴れる為使用できぬとの事で、術で眠らせている。
 最初に会った時の男か女か分からぬが、しっかりとした健康的な体は今は血色が悪く、痩せ細った体になっていた。
 それなのに黒く長く伸びた髪だけが艶を持っていて歪さを現しているようにも見えた。
 私は深い眠りに落ちている我が子の妻を抱きかかえて、部屋を後にした。

 我が子のいる部屋に戻ると、我が子はほんのわずかな時間しか経っていないのに、狂気に蝕まれていた。
 顔をシーツに擦りつけ、獣の様なうめき声をあげている。
「――リアン」
 名を呼べば顔を上げ、憎悪に満ちた表情を見せたが、それはすぐさま消えて失せた。
 最愛の存在を見たからだ。
 私は、眠るニュクスをベッドに寝かせ、我が子の拘束具を解いてやる。
 拘束が無くなると、我が子は眠る己の伴侶を抱きしめた。

 何処にも行くことができない、二人だけで生きていくことはできない、けれど二人だけでなければ安息を得られない。

 悪意に、敵意によってその生を、心を歪まれ、壊された我が子と、その伴侶。

 神の言葉を捻じ曲げて解釈する者がはびこるこの世界で。

 私は、二人の傷を癒すことを手伝うことなど出来はしない、ただ、愚者達から守ることしかできない。

 二人を守るためなら私はどんなことでもしよう「魔王」などと呼べばよい愚者共が。

 我が子と、神の御子を歪めた貴様らを――私は決して許しはしない





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