その神子は胃袋を掴まれている

成行任世

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どこかの絵物語で、継母が窓枠に指を滑らせて、「掃除が足りない」と義娘をいびるシーンがあった気がする。
古い記憶を思い出しながら、オーウェンは指を滑らせた。指先についた埃の山が、オーウェンの吐息に吹き飛ばされる。自分でも汚いと思うのだ。これが公爵本人に見られれば、使用人達は即クビだっただろうと予測せずとも分かる。それくらい、この屋敷は手入れがされていなかった。

「よくこんな所に住めるよな」

「あ?屋根があるだけマシじゃねぇ?」

「貴族をアンタと一緒にするなよ。塵ひとつない豪華な屋敷に住むのがお嬢様だぞ?」

リオルは嫌悪に満ちた表情で箒に顎を乗せた。自分達が住むためとはいえ、広い屋敷の掃除をするのは億劫である。ましてやそれをオーウェンとふたりでこなすのだ。普段なら全てヒューゴやニコル、オーウェンに任せる所である。
しかし、今回ばかりはそうはいかなかった。貴族の事情を知るヒューゴがこの屋敷の主であるシャーロットの世話をするのが適任で、ニコルに料理番を押し付けたのはヒューゴで。それに異を唱えるつもりはない。ともなれば、必然的に急務である掃除はオーウェンになるのだが、ひとりでこなすのが不可能であることはリオルも承知してある。何より、リオルだけが楽をすることをオーウェンが許さなかったのだが。

「とりあえず俺らの部屋だけで良いだろ。あのお嬢ちゃんにゃ、今まで通り自分の部屋で過ごしてもらおうぜ」

「それには同意するけど、恐らくヒューゴがなんとかするんじゃない?」

「あー…。ありゃマジだろうな」

役割分担を決めてからというもの、ヒューゴはさっさとシャーロットの元へ向かった。あんなに見窄らしくなってしまったことが気掛かりなのか、それとも彼女を想っているのか、彼の口から何も語られないので分からない。ただ言えるのは、ヒューゴは彼女の世話を自ら買って出たという事実だけだ。

「食事だけ与えて生かしとけば良いんだろ?いずれ殺すかもしれないのになぁ」

呆れたような、同情するような、そんな音だった。リオルもそれには同意で、ヒューゴが空回りしなければ良いなと思っている。感情移入してしまえば、何かあったら時に足枷になる。自分達はここに永住する訳ではないのだ。いつここを出て行くか分からない身である。
例えば、目の前の重厚なカーテンを売ったり。飾られた剣や盾を盗んだり。もしかしたらこの屋敷を燃やすかもしれない。その命運は、彼女或いは自分達に気付いた誰かが決めるのだ。もし何事もなく過ぎれば、いつまでも居座るかも知れない。もし何者かが不審だと気付けば、この場所を焼き払い全てを奪い尽くすだろう。それは、流れ者としての彼らの宿命なのだ。

「ま、夢見させてやろうぜ。アイツの頼み事なんざ珍しいじゃねぇか」

「その結果、アンタが似合わない掃除してるんだけどね」

「なんだ?お前ひとりでやるか?」

「勘弁してくれ。流石にこれは無理だ」

オーウェンは両手を挙げた。4人分の個室と広間くらいは掃除をしようと意気込んだものの、なかなか進まないのが現状である。元々使っていた今は亡き使用人達は、恐らくほとんどを同室で過ごしていたのだろう。本当に最低限の労力で、彼女の世話をしていた。いや、もしかしたら監視をしていただけ。それが死を望んでなのか、何か他に意図があるのか、オーウェンにはわからない。ただ、命の危機に瀕した時に真っ先に彼女を差し出そうとしたあの薄情な様子から、彼女が冷遇されていたことも、生死が問われない立場であることも予測できた。
だから、環境もどうでも良かったのだろう。自分達がそれなりに過ごせれば、他は気にならなかったに違いない。まるで廃墟のような屋敷内も、枯れ果てた庭園も、価値がないから放置されてしまっていた。

「あの庭まで掃除するとか言い出したら、流石にふたりでも無理だよなぁ」

「そん時ゃヒューゴやニコルにも手伝わせるに決まってんだろ?なんならヒューゴは掃除すべきだぜ。大体なんで俺様がヒューゴの言いなりになんなきゃなんねーんだか…」

「適材適所だって納得しただろ?お嬢の世話しなくていいなら、俺は掃除のほうが楽だと思うぞ?」

「わーってるよ。だから俺様だってこうして健気に掃除してんじゃねぇか」

ヒラヒラと箒を振るリオルに、オーウェンは肩を竦めた。さっきから一向に綺麗にならないのは、リオルのせいだとオーウェンは思っている。少なくとも自分の過ごす部屋くらい綺麗にしたいのだ。それだと言うのに、いつまでも口数が減らないこの首領は、サボることしか考えていない。

「だったら口ばっか動かさないで手も動かしてくれよ」

「俺様に箒って似合わないと思わねぇ?」

「俺らの誰も似合わねぇだろ。あのヒューゴだって箒って柄じゃないさ」

自分達はあくまで盗賊なのだ。刃物ではなく掃除道具を持つなんて、そんな機会が来るとは夢にも思っていなかった。そして、できればそんな機会が来ないで欲しかった。
物思いに耽りながら、オーウェンはモップに持ち替える。バケツの水を取り替えようと、手を伸ばした。

「んぎゃぁあああっ!?」

つんざくような悲鳴だ。リオルも驚いたように目を見開いている。

「今の声…」

「ニコルだな」

言うが早いか、ふたりは部屋を飛び出していた。



----------



リオルとオーウェンが部屋掃除をしている頃、ヒューゴは薄暗い部屋で外を眺めるシャーロットをただ見守っていた。この屋敷は盲目の少女を主としながら、それに配慮された様子は全く見受けられない。それどころか、彼女が盲目であることを良いことに、何も与えられなかったのだろうと思われた。部屋の汚れ、金具の壊れた窓、鍵付きのクローゼット…どれもシャーロットには扱いにくいものだ。

「少し換気しましょうか」

「あ、ありがとうございます…」

シャーロットは戸惑っているようだった。少しだけ上擦った声で、ヒューゴの足音を追う。視線こそ感じないが、彼女が自分の存在を認識し、動きを追っているのは見て明らかだ。使用人が部屋にいること自体、多くないのだろう。

「お言葉ですが、少し汚れているようです。湯浴みをしてはいかがでしょう?」

「え?いいんですか?」

「えぇ、もちろ……ぁ」

頷いて、ヒューゴはたじろいだ。今のシャーロットは目が見えない。それに、貴族の湯浴みは使用人や湯番がいて、全てを磨き上げるものだ。その髪も、体も。しかし、今ここには自分と、世辞にも高潔とはいえない男ばかりである。

「すみません、お嬢様。その、今メイドがいないもので、湯の番をできる者がいないのです。湯浴みはまた後日に…」

「お湯を頂ければ、自分のことは自分でできます」

「ですが、お嬢様は目が…」

言いにくそうに、ヒューゴは言葉を濁した。言葉にして良いものなのか迷う。
シャーロットは首を振った。

「大丈夫です。見えないことにはもう慣れましたから」

「危険では?」

「着替えとタオルの置き場所を教えて頂ければ、これまでも何度かは利用しましたし」

ヒューゴはほっとした。同時に、苛立ちも覚えた。彼女は自分のことを自分でしなければならなかったのだ。公爵令嬢として当然の対応をしてもらうこともなく、湯の用意もしてもらえない。

(こんな扱いを、あの時憧れた貴女が受けているなんて)

ヒューゴはすぐに了解の意を伝え、湯殿の用意を素早く済ませる。こういう時、貴族で良かったと思う。使い方もどのように手配するのかも分かっているという、その知識はありがたい。

「ところで、ヒューゴさん」

「ヒューゴです、お嬢様」

シャーロットは困ったように口を噤む。

「ですが…」
「貴女様は私の主人です。使用人に敬称は不要です」

「……わかりました。よろしくお願いします、ヒューゴ」

ヒューゴは頷いた。再びタオルやドレスの用意を始めれば、シャーロットはソファに座る。忙しなく動くヒューゴに気後れしていたようだが、世話を焼かれるこの状況を受け入れつつあるのだろう。

「ではお嬢様、お手をどうぞ」

「…ありがとうございます」

まさかこのような形であのシャーロットをエスコートすることになるとは、幼少期の自分は想像もしなかった。痩せ細った指をヒューゴの腕に絡めて、シャーロットはキョロキョロと視線を泳がせた。不思議そうに、深呼吸を繰り返して、シャーロットはヒューゴを見上げる。どうしました?と問いかけるヒューゴに、シャーロットは首を振った。

「随分、掃除をして下さったのですね」

ぎゅっと胸が苦しくなるのを、ヒューゴは感じた。埃だらけで、蜘蛛の巣は張られ、窓は曇っていたこれまでの廊下を、目にできずとも感じていたのだろう。いや、人間はひとつの感覚を失うと、残された感覚が発達すると言われている。視覚を失った彼女は嗅覚や聴覚が発達したのだろう。その結果、彼女は、埃や虫の気配に敏感だった。

「喜んで頂けて光栄です」

ヒューゴの言葉に、シャーロットは微笑んだ。ここに何がある、どこにタオルがある、そういった説明を重ねてもシャーロットは全て頷いて把握していく。本当に賢いとヒューゴは思った。

「んぎゃぁあああっ!?」

「え?」

悲鳴に、シャーロットはビクッと肩を震わせた。今までに聞いたことのない大きな声だ。公爵家の使用人たるもの、教育は厳しく施されているのが常である。こんな悲鳴を上げるような使用人は、まずいない。
ヒューゴはシャーロットの両肩に手を置いた。

「お嬢様は気にせず湯浴みをなさっていてください。私が様子を見て来ます」

「ですが、あの悲鳴は只事ではないのでは?」

「今のはニコルの声です。彼のことですから、大したことではありません」

「そ、そうなのでしょうか…?」

ニコルの人となりを知らないシャーロットからすれば、説得力のない言葉だ。ただし、今はヒューゴの言葉を信じるしかないし、状況把握ができない自分は、気にした所で何かできるわけではない。ただし、怒号が続いて聞こえないから荒事ではないのだろうということだけは、シャーロットにも分かる。

「わかりました。ニコルさんのことよろしくお願いします」

扉の向こうにシャーロットが消えたのを確認して、ヒューゴは溜息を吐く。今頃悲惨なことになっているであろう調理場へ、その長い足を向けた。



----------



(こりゃないわ)

ニコルが料理出来ないことは、百も承知だった。それはリオルだって同じで、同じスラムで生きてきた者同士口に出来れば何でも良いというこれまでの生活から、食へのこだわり等なかったのだ。だから、ニコルがソレを出した時、まぁこんなもんだろうと思った。
しかしそれは、リオル達だけが食べるのなら、の話である。

「でかい悲鳴なんざ上げやがって」

「だって!おかしいでしょ!?なんで箱に入れただけなのに黒焦げになってるんスか!?」

「それはニコルが鳥をオーブンに入れたからでしょ?しかも電源入れたらそりゃ焼けるって」

「こんなのスラムになかったっす!僕が鳥を焼くことすらできないなんて!」

ニコルは地団駄を踏んだ。彼なりに真剣に料理に向き合ったのだろう。荒れた厨房には無惨に黒く仕上がった鳥の丸焼きと、床や流しに飛び出した野菜の数々が今後の行く末を待ち構えている。
食材を無駄にするなんてスラムでは許されない。だから勿論この鳥も頂くのだが、それでもこんな無残な姿にするつもりはなかったので、ニコルは冷や汗ものだった。

「まぁこの焦げた部分を落としゃ食えるだろ」

「つーか、あのお嬢さんは見えないんだし、別に平気なんじゃない?」

「…許してくれるっすかね?」

言外に、「ヒューゴが」と言っている。それを知っているから、リオルは肩を竦めた。

「さぁな」

「そんなっ!」

そんなことリオルが知ることではない。ヒューゴがシャーロットという令嬢に懸想…ならぬ特別な感情を抱いていることは分かるが、どの程度のものなのかは計りかねた。

「口に入れば一緒だし」

オーウェンは鳥皮を剥いで口に運ぶ。焦げた苦味はあるが食べられない訳ではない。料理のできない4人で生きてきたのだ。見た目や焦げ具合など問題ではない。口にして、体調を崩さなければそれで良い。

「ちなみにソレなんだ?」

「え?サラダっすけど」

「……そっちのが問題じゃねェか?」

「え?なんで!?」

「や、だってそれレタスだけじゃん」

「これキャベツっす。そんなことも分かんないんすか?オーウェンは…」
「なんか言ったかな?ニコル」

すかさずナイフをチラつかせるオーウェンに、ニコルはぶんぶんと首を振った。暗殺が得意な彼のことだ。きっと一瞬で自分の首は飛ぶ。物理的に。

「キャベツだけってアリなのか?」

「まだレタスのが正解だと思う」

この有様である。キャベツのサラダと鳥肉とパン。自分の実家の方がまだ良いものを食べている、とオーウェンは思う。彼の家が商家だからとかを抜きにしても、貴族の食卓ではないことは分かる。
しかし、ここからどうすれば良いか、そんな応用力は彼らになかった。とりあえず3人で冷蔵庫を漁ってみるものの、大量の野菜やパンは出てくるが、焼く以外の調理方法を知らない。酒場で出てくる料理はもっと凝っていたが、作り方など見たことがない。

「何を騒いでいるんです」

「げっ、ヒューゴさん」

浴室まで響いてましたよ。と呆れたように呟いて、ヒューゴはシャーロットの驚いた表情を思い出した。彼女は驚いても目を開けなかった。もうあの瞳を見ることは叶わないのだろうか?そう思うと、少し寂しい。

「げっ、とはな……、なんですかコレは」

黒い物体から煙が上がっている。

「鳥肉っす」

「それは見れば分かります。バカにしてるんですか」

「ならヒューゴさんが作って下さいよ!」

「私に料理なんかできる訳ないでしょう」

「それ自慢になんねェからな」

「魔導オーブンですか…。流石公爵家ですね」

「ヒューゴ知ってるのか?」

「魔物から取れる魔石を使う魔導具ですよ」

「へェ、そんな代物があるんだな?魔物だって今はほとんどいねェじゃねぇか」

オーウェンはまじまじとそれを見つめた。魔導具の存在は知っているが、謂わば古の産物である。骨董商等が取り扱っているとは聞いているが、本物を見るのは初めてだ。

「魔物は神子が産まれた頃からこの世から消えたと言われていますからね。ここ十数年はその存在を見た者はいませんよ」

「神子って、このディライト家の?」

ヒューゴは頷いた。ディライト家に令嬢が生まれてから魔物の存在は確認されていないのだ。魔石の動力は永遠に続くものではない。いずれこのオーブンも使えなくなる。

「でもオーウェンが知っていたのは意外でした」

「親が扱ってたのを見たんだよ」

「…そういうことにしておきましょう」

納得していない様子だが、ヒューゴはそれ以上問わなかった。徐に鳥皮を剥ぐと、鳥の焼き加減を確認して、それをほぐしてゆく。それをまぶすようにサラダに散らして、それらしい見た目に整えてゆく。

「流石ヒューゴ」

「ついでに人参とコーンも入れましょう。流石にキャベツだけはあり得ません」

「ダメっすか!?」

「当たり前でしょう。彩りを考えればマシになりますよ」

「やっぱ料理できるんじゃねーか」

「これを料理と呼ぶのは貴方達位です」

違うんすか?らしいぜ?
ニコルとリオルは顔を見合わせて首を傾げた。




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