その神子は胃袋を掴まれている

成行任世

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ニコルは無心でジャガイモを洗った。芽の部分まで土が落ちるくらい丁寧に、もう泥汚れが出てこないくらい丁寧に。
思い出されるのは、不味いと連呼する仲間達の顔だった。いや、あれは自分でも不味いと思ったが、作れといったのは他でもない彼らである。それなのに責められ、罵声を浴びせられ、ニコルは理不尽な反応に憤慨していた。

「料理なんてしたことないの、リオルさんだって知ってるのに…」

「料理したことないんですか?」

「わっ!?って…お嬢!ビックリさせないで下さいよー。てか、なんでここにいるんすか?」

「ごめんなさい。お水が欲しかったんです。そうしたら、ニコルさんの声が聞こえてしまって。盗み聞きするつもりはなかったのですが…」

「や、別に責めてる訳じゃないんすよ」

言いながら、ニコルは手早くコップに水を汲んで手渡した。こういう時、普段下っ端としてリオル達の世話を焼いているだけあって手際が良いのが、ニコルの性質たちである。ニコルからコップを受け取ったシャーロットは、ゆっくりとその水を飲み込んだ。

「ありがとうございます」

「いえいえー。それよりすいません、お嬢。僕料理なんてからっきしなんすよ。ただ、リオルさん達に雑用を押しつけられるというか、何というか…」

言い訳しながら、これって貴族に対して失礼じゃないか?とニコルは思った。本来なら、きちんと料理の資格を持つ人間が、彼女の料理番をする筈である。

「でも、美味しかったですよ」

「無理しちゃダメっすよ、お嬢。あれは食えたもんじゃないっす。そりゃ、笑顔は最高のスパイスとは言いますけど…」

「本当に、美味しかったです。温かくて、染み渡るような味でした」

それはスープが温かかったのと、塩加減が彼女には濃かったからだろうとニコルは思った。だが、もしかしたら彼女はそういった料理を出されなかったのかもしれない。幽霊のような彼女は使用人から冷遇されていた、というのが4人の見解である。ニコルもそれはひしひしと感じた。

「……もっと、上手くなるんで。暫く我慢して下さいっす」

「ふふっ。楽しみにしてますね」

無意識に、ニコルは口にしていた。料理を作ること、今後も彼女に料理を食べさせる約束を。
本人はそれに気づかず、喉を潤すシャーロットを見つめていた。まるでスラムにいた時のような気分になるのは、それだけ彼女が痩せているからだろう。その日暮らしの盗賊である自分達の方が、まだ栄養が摂れていると思う。

「んじゃ、早く寝ないと、倒れちゃうっすよ。お嬢体力なさそうですし」

「……ニコルさんは、まだ何かするんですか?」

「僕っすか?僕は…」

言いかけて、ニコルは手元のジャガイモを見下ろした。怒りに任せて磨き上げたジャガイモ。何をしたら良いか分からなかったが、とりあえず際限なく綺麗な水が使えることも、衣食住に困らない状況も初めてで、手持ち無沙汰に始めたジャガイモ洗い。この後どうするか、考えていなかった。

「このジャガイモ片付けたら、僕も寝るっす」

「そうなんですか」

シャーロットは眉を下げた。口元に手を添え、開きかけた唇が、また閉じる。相変わらず目は開かないが、何かに戸惑っているのはニコルにも分かる。首を傾げて、シャーロットの言葉を待った。

「あの、ニコルさん」

「はい?」

「えっ、と…その…」

言いかけて、シャーロットはまた黙った。ゆるゆると首を振り、何かを吐き出すように長く息を吐く。溜息ではないその吐息の後、シャーロットは困ったように笑った。

「なんでもありません。作業の手を止めてすみませんでした」

「それはいいんすけど…」

ぺこり。頭を下げて黙り込んでしまったシャーロット。恐らく何か言いたいことがあったはずだ。でも彼女は口に出さなかった。聞くべきだったのだろうが、見ず知らずの少女に色々と気を揉むのも自分らしくないし、彼女も賊なんかに話をしたくもないだろう。そう思い直して、ニコルは再びジャガイモに向き合った。手元の水が更に濁っている気がして、ニコルは大きく溜息を吐いた。
スラムとは、貧民街との呼び名の通り、不成者が多く存在する場所である。不衛生で、明日の命もわからず、昨日まで生きていた人間が屍となって転がっていることも少なくない。その日の暮らしができれば良い。それが自分の与えられた道であるとニコルは自覚していた。
気が付いたらひとりだった。両親がいた記憶はあるが、顔も髪型も覚えていないし、何故いなくなったのかも知らない。それを悲しいとか寂しいと思わなかったのは、リオルのお陰である。

(ま、リオルさん本人には言えないっすけどねー…)

リオルはいかにも悪人顔なわりには意外と世話好きで、面倒見が良かった。スラム街の子供達の親分のような役を担っていた彼は、ニコルのことも舎弟としてすんなり受け入れてくれた。スリに窃盗、時には貴族の家に忍び込んで強盗をしたこともある。とりあえず食材に火を通せば食べられる、と教えてくれたのもリオルだ。
そんな彼について、盗賊団の一員となるのにも抵抗はなかったし、疑問もなかった。リオルが盗賊になると言うのなら、自分もそうなのだろうと思っていた。
だから正直、ヒューゴがこの屋敷で使用人に扮すると言い出した時は、いつまで続くのか、と思ったものだ。ヒューゴだって飽き性だし、リオルは貴族を毛嫌いしている。オーウェンは面倒事を嫌うから、ワケあり王侯貴族に関わるなど御免だろう。とどのつまり、自分達にこの屋敷の生活は合うわけがないと思っていた。

(それなのに、この子はすんなり僕らを受け入れちゃってるんすよね…)

ジャガイモに続いて皿拭きをする自分を、目を閉じたまま見ている。いや、見ることはできないから聞いているのか、それとも何か考え事をしているのか、ニコルには分からない。シャーロットが自分の姿を捉えられないのをいいことに、ニコルは無遠慮に彼女を見下ろしていた。
皿を置いて、カトラリーを磨き、そうして片付けていく自分の顔など知らずに、ただ音だけで何をしているか考えているのだろう。その思考の中にどんな想いがあるのか、ニコルには不思議だった。
最初こそ、この子はなんで部屋に戻らないのか、とか、何故ここにいるのか…と疑問に思っていたが、邪魔をせず黙っているシャーロットに、ここ数日は声もかけなくなった。そこにいても、気にならない。彼女が何も言わないなら、何も言わない。

(可哀想、なんすよね。目が見えなくて、家族からも追い出されて。こんな荒れた屋敷で、使用人からも蔑まれて)

同情の余地はある。いや、同情しかない。
こんな凶悪な盗賊団に良いように利用されていても気付かず、粗末な食事をして。見えないから感じない恐怖を利用して、自分達もまた公爵家の雀の涙のような甘い蜜を啜っている。そして、それに気付けない。

(持ちつ持たれつ。これがオーウェンの好きな、ギブアンドテイクってやつっすね)

なけなしの知識で賢くなったような気分になりながら、ニコルはふと手を止める。シャーロットが首を傾げていた。

「どうかしました?」

「いえ、その…聞いたことのない歌だったので」

「……僕、歌ってました?」

「?はい。楽しそうでした」

(嘘でしょ…)

ニコルは苦笑した。下手くそな鼻歌を聴かせたのか。しかも、無意識に。恥ずかしいやら呆れやら、よく分からない感情が蠢く。
他人の不幸をどうこう思うつもりもなければ、寄り添うような優しさも持ち合わせていない。だが、自分のこれまでの思考の中に、浮かれるような要素はひとつもなかったはずだ。

(どちらかというと、お嬢への同情…)

そしてふと、手を止める。
同情。そうだ。同情だ。
自分は確かにこの子に同情している。憐れに思っている。

(貴族令嬢なのに、可哀想。……僕は、優越感を感じてるのか。この子に)

家族に愛され大切にされていたはずなのに、視力を失っただけで居場所を失い、人としての尊厳も削られて。そうやって生きる事を受け入れることしかできない彼女を、憐憫という言葉で縛っている。

(あー……。だから、リオルさんも。なんだかんだお嬢の世話を焼くんだろうな。あの人は放って置けない人だから)

ストン、とパズルのピースが嵌る。形が見えてしまえば、意外に単純だったとニコルは納得した。慣れない料理も、令嬢の世話も、やりたいわけではない。ただ、それをこなしてこの子が喜んで、馬鹿正直に受け入れている姿を見て、欺かれている姿を見て、優越に浸るのだ。

(喜んでるんだ、僕は。この子に僕が必要だと、笑顔にできるんだと、思うことで)

自分にもそんな感情があったのか、と。
ニコルは驚きと同時に気恥ずかしさを覚えて、見えていない視線から逃れるようにシャーロットに背を向けた。





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