その神子は胃袋を掴まれている

成行任世

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「今日は庭を掃除しましょう」

「ゲッ」

「とうとうこの日が来たか…」

ヒューゴの言葉に、オーウェンとリオルは落胆した。
朝起きて、食事を3回摂り、掃除や洗濯をして、湯浴みをして休む。そんな規則正しく、らしからぬ生活をし始めて数日、オーウェンの恐れていた日が来た。
ディライト家の庭は広い。苔だらけで滑り気のある噴水や、雑草の生い茂る石畳の散歩道、枯れ果てて棘しか残らない薔薇のアーチ。屋敷の壁を無遠慮に這い回る蔦と、そこに住み着いた虫達の群れ。なんとも掃除のしがいがある庭である。

「掃除道具は?」

「勿論、箒ですよ」

「これだけか?」

「剪定鋏がありました」

「無理に決まってんだろ!俺様に何やらせようってんだよ!」

「庭掃除です。流石に私もやりますよ」

「当たり前だろーが!ニコルにもやらせようぜ」

「ニコルは料理に専念させましょう。あんな不味い食事が続くのは御免ですから」

ヒューゴはあっけらかんと答えた。
正論にリオルも押し黙る。あの後も味のしない食事が続いた。野営の方がまだ食べられた…というのも、肉を焼くだけだが、それでもまだ良かったというもの。調味料を使い調理という言葉になった途端、こんなにポンコツになるものなのかと驚いたのは記憶に新しい。

「本気でやるのか?」

「今日中に終わるとは思ってませんよ」

「つーか、一生終わんねェよ…」

「それでもなんだかんだ掃除するのが首領だよな」

「そりゃまぁ…」

ちらり、リオルは視線を上げた。つられるように顔を上げて、ヒューゴは驚いた。シャーロットが窓越しに見下ろしている。その目は相変わらず閉じられたままだし、自分達を見ているような、もっと遠くを見ているような、視線の先は分からない。彼女は見ることができないから、何とはなく視線を落としているのだろう。

「あんだけ気にされるとなァ」

「面倒見良いよね。お嬢はどうせ見えないのに」

「なーんか見られてる気がすんだよな。何も見えてないのは分かんだけどよ」

「それは分からないでもないが、あれは見えてない奴の動きで間違いないよ」

オーウェンは確信している。まるで歩き始めたばかりの子供のように不安定な動きも、手摺がなければ歩けないその手探りな様子も、決して繕っているものではない。彼女は目が見えない。だから、どれだけ庭を綺麗にした所で、彼女の目には何も映らない。

「ほら、さっさと手を動かしますよ」

「だァッ!なんでヒューゴが仕切んだよ!」

「戦闘なら勿論貴方に任せますよ。でも掃除なんてしたことないでしょう?」

「そりゃそうだけどよ、お前最近俺が首領ってこと忘れてねェ?」

「覚えてますよ。だからこうして楽な箒を任せてるんじゃないですか。それとも食事係が良かったですか?」

「ぅ…」

リオルは口を噤む。料理なんて出来やしない。獲物を捌くなら可能だが、それをどうこうしようなんて考えたこともないし、したいとも思わない。確かに、無理難題を押し付けるならばニコルが適任である。なぜなら彼は、文句を言いながらもなんだかんだ頑張る努力家だから。

「わーったよ。やりゃいいんだろ?やりゃ」

「その意気です。さて、オーウェンは低木の剪定と枯れ木の処理、どちらが良いですか?」

「え、面倒臭そ…」
「ニコルと代わります?」

「いや……。処理かな、そういうのが向いてる気がする」

木の剪定などしたことがないから、オーウェンにも選択肢はなかった。でしょうね。と呑気に答えてヒューゴはオーウェンに斧を託す。だいぶ力仕事だが、久々に刃物を振り回せるのは気分転換になるかも知れない。ここ数日箒やらモップやらと攻撃力の低いものばかり持っていたから、斧がやけに手に馴染む気がする。

「なぁ、お嬢にも何かやらせればいいんじゃねェか?どうせぼーっとしてるだけだろ?」

「あー。確かに。ずっと見られてる気がするのも嫌だし」

「何言ってるんですか」

ヒューゴは溜息を吐いた。お嬢様にそんなことさせる訳にいかないか、とリオルは頷く。だが、ヒューゴは冷たい瞳でリオルを見た。

「目が見えないのに邪魔でしょう?」

くるり、踵を返してヒューゴは低木に向き合う。手早く鋏を動かすその背中に、リオルとオーウェンは顔を見合わせた。
ヒューゴからそんな言葉が出るとは思わなかった。確かに、目が見えない人間がいた所でできることなどほぼないし、刃物を持たせるのは危ない。だけど、それでも。
シャーロットを想っての言葉ではない。現実的といえばそれだけだが、ヒューゴは4人の中で誰よりもシャーロットに肩入れしていると思っていたのだが。
意外にもどこか翳りのある物言いに、オーウェンは何も言えなかった。



----------



高い天井に煌びやかなシャンデリア。金色の燭台に揺らめく炎は、来客を歓迎するかのように暖かく照らす。大きな窓は丁寧に磨かれキラキラと輝きを放つかのようだ。テーブルに並べられたディッシュは、どれも凝った食材を作品のように並べられていて、食べるのが勿体ないと手を付ける人も少なかった。
幾重にも連なる紅色のカーテンの影で、使用人達が手早く手配を整えている。その広間の中央で、天使が談笑している。屈強な騎士に守られるようにして立つ天使に、人形のように愛らしくも凛々しい王子が頬を染めている。
ドンっと背中を押されて、足が数歩前に出る。咄嗟に構えた騎士は優秀だ。もたつく足をなんとか持ち堪えると、震える体を何とか抑えつけるように、拳を握る。顔を上げるのが、怖かった。

「わ、わたしと、おどっていただけませんか?」

弱々しい情けない声。
見上げると、天使は驚いていた。今でもよく覚えている。それでも、次にはにこりと微笑んで、その美しい紫色の瞳を、自分に向けてくれて。

「よろしくおねがいします」

そう言って、シャーロットはヒューゴの手を取った。


ーーー・ーーー・ーーー


「……夢か」

ヒューゴはくしゃりと前髪を掻き上げて、細く長い溜息を吐いた。まだ目が見えていた頃のシャーロットは、妖精だとか天使だとか、そんな大層な形容で呼ばれていた。そして、他国の下級貴族という身でありながら、無作法にも彼女にダンスを申し込んだのだ。
図々しくも公爵令嬢にダンスを申し込んで玉砕する、そんな恥ずかしい思いをヒューゴにさせようと目論んだ兄は、ダンスが受け入れられたことを酷く妬んだ。シャーロットの心根が優しいことは、兄の誤算だった。ヒューゴに恥をかかせたくてその背を押したはずなのに、と。
結果的に、他国の公爵令嬢とダンスをした自分は貴族社会で利用価値を測られ、実家からはそれでも婚約者候補にすらなれないからと邪険に扱われた。それもそのはず、シャーロットには国内外の王子の婚約者として縁談が絶えなかったからだ。そこに、ヒューゴが入り込む隙はない。ただの恥知らずだと烙印を押されたヒューゴは、腫れ物扱いされいつしか実家を飛び出していた。

(懐かしい…。今となっては、あんな家を出て良かったと思っていますが、まさかここで再会するとは)

何も言わないが、リオル達も何かを感じているだろう。自分が元下級貴族であることは、彼らも知っている。初恋だと言われるのは否定するが、シャーロットが自分にとって恩人であることは変わりない。あの時、身の程を弁えずにダンスを申し込んだ自分に笑顔で応じてくれたシャーロットは、結果的にヒューゴに恥をかかせない選択をした。本来ならば、自国の王子や他国の高位貴族と踊るはずなのに。

(あの時嗤いモノにされなかったのは、シャーロット嬢のお陰。だからこそ、あの時の天使がこんな扱いを受けている…というのは、納得がいかなかった)

恩人がこんな不遇な扱いを受けているなど、信じたくなかった。だが、クォーツ王国は一夫多妻も一妻多夫も可能な国だ。メアリーとシャーロットが異母姉妹であることも有名な話で、異母ながら両者共美しいと話題になったものだ。
そんな有名な姉妹だから、兄もヒューゴを嗤い者にするチャンスだと思ったのだろう。恐らく、メアリーにダンスを申し込んだら兄の目論見通りだったはずだ。彼女は気位の高い人間だから下級貴族である自分の手など取るはずがない。

(あの時、彼女は俺を受け入れてくれた。あの男の悔しそうな顔は今でも笑える)

ヒューゴにとって、シャーロットは恩人だ。恩を返せればと思って突拍子もないことを始めたが、いずれ潮時が来る。それが明日なのかもっと先なのか、それは分からない。リオルがこの生活に飽きるのが先か、ディライト公爵家の者に自分達の存在を知られるのが先か。
あの美しい紫水晶をもう見ることができないのは少し寂しい。だが、傷物令嬢を娶るモノ好きなど、年配の好色家しかいないだろうと思うと、ここでひっそりと生きる方がシャーロットの為になるのかも知れない。この生活が公爵の優しさ…なんてことはないだろうが、少なくともシャーロットにとっては、避難場所だったに違いない。

(そこまでして彼女が理由はわかりませんが)

いつか来るその日まで、彼女に優しくしよう。それが、恩を返す唯一の方法だと、ヒューゴは信じている。





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