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しおりを挟むシャーロットは微笑んだ。最近、庭先が賑やかである。
幼少期に視力を失ってからというもの、暗く静かな世界でずっと過ごしてきた。たまに聞こえるセバスやメイド達の侮蔑の声や高らかな笑い声が、なんとか聞き取れる程度だった。
シャーロットの世界は、聴覚と嗅覚がメインとなった。最後に見たのは、自分に敵意を向ける義母と異母姉の憎悪の瞳だ。思い出したくないと思っても、自分に向けられる罵声や、掃除が行き届かない埃臭さは消えない。雨が降った時の湿気の匂いが、やけに安心するくらいに。たまに届く食べ物は、硬く臭く食べられるようなものではなかったが、それでも空腹は容赦なく自分の自尊心を襲い、何かわからないそれをひたすら口にした。
それがパッタリとなくなったのは、ヒューゴ達がやって来てからである。彼らは低い声で笑うが、それは会話を楽しんでの笑い声であり、どこか心地良い。たまに罵声や悲鳴が聞こえて来るが、大抵ニコルの声が聞こえる時。最初はニコルが責められているのかと思ってヒヤヒヤしていたが、どうやらニコルはそういう立ち位置にいるらしい。所謂いじられキャラである。
(そういう関係は、懐かしい…)
かつてシャーロットの目がまだ見えていた頃、そして母がまだ健在だった頃、使用人達は優しかったと思う。笑顔を向けられ、優しく世話を焼かれ、母の腕の温もりに癒されていた日々が懐かしい。
母が亡くなり、いつしか自分の世界は真っ暗になっていた。この地は比較的涼しい地域だから、冷え込めば寒いくらいだが、暖を取る事も出来ずただ与えられたベッドで休むしかない。黴臭いと思っても、それを口にすれば永遠とも思える位の長い時間を、食事も摂れず、清める水も貰えずに過ごして来た。
だからこそ、新しい使用人達の賑やかな声と共に食事を摂れる時間が、シャーロットは嬉しかった。使用人と食卓を囲んだ事はなかったが、家族と過ごした時間を思い出させてくれるのだ。
(この声は、リオルさんとオーウェンさんかな)
口下手だと、ヒューゴは言った。事実、リオルとオーウェンの言葉はシャーロットには馴染みのないものであったが、それでも楽し気な声色は心地良ささえ感じる。見る事が出来ないから想像でしかないが、彼らが笑っているのは分かる。
(ヒューゴは足音が小さくて、物腰も柔らか)
どんな容姿をしているのか、知る事は出来ないが、
(リオルさんは豪快で、仲間想い)
なんとなく、感じる事ができるのは、
(オーウェンさんは無音かな?でも面倒見の良さがある)
自分に理由があるのだと、知っている。
(ニコルさんは明るくて、安心感がある)
彼らと話してみたい。一緒に歩いてみたい。彼らなら今までの使用人達と違って許してくれる。そんな気がする。どこかピリッとした空気を持ち、どこか距離のある彼らだが、自分がココに来てから、一番温かいのは彼らだ。
ベッドはすっかり黴臭くなくなったし、部屋の中の埃っぽさもない。素材の味がしたり、塩味が強かったりと、安定しないが美味しいと思える食事。毎日湯殿を準備してくれて、清潔になったせいか、気分も晴れやかだ。
(彼らはいつまでいるんだろう?セバスはやけに長かったけど…またセバス達に戻るのかな?)
少しだけ、嫌だと思ってしまった。ふるふると首を振るが、自覚した想いは振り切れてくれない。
同性がいないのは不便だが、居ても居なくても自分の事は自分でやらなければならなかった。それなら、部屋の事をしてくれるヒューゴや、食事の際に説明をしてくれるニコルのような存在がいてくれる方が嬉しいと素直に思う。リオルやオーウェンも狩猟や掃除を率先してこなしてくれているとヒューゴに聞いた。お礼を伝えれば驚かれるが、それでも危険を冒してまで世話をしてくれるのは、情けないながらも助かるのだ。
(いつか、皆さんのお手伝いがしたい…。一緒に掃除や洗濯をしたり、料理をしたり…。同じ景色が、見られたら良いのに)
叶わないとしても、願わずには居られない。
こんなに人間らしく扱われたのは、久しぶりだった。
そんなシャーロットの穏やかな願いとは裏腹に、ニコルは落ち着かずに視線を泳がせた。
何か違うな、とニコルが感じたのは、間違いではない。最近、シャーロットは食堂に残る時間が長い。食事を終えて、お湯のような時には濃すぎる紅茶を飲みながら、のんびりとそこに座っているのだ。何をするでも、言うでもなく。最初はヒューゴが残って給仕にあたっていたが、シャーロットが不要だと言えば彼はすんなり役目を降りた。
それが無礼であると、ヒューゴは心得ている。だが、シャーロットの気紛れに付き合っていては、屋敷の運営が滞ってしまうのも事実。主人が立たなければ使用人は立ち去れない…なんて常識を知らないヒューゴ以外の3人は、その無礼に気づく事はないが。
「お茶まだ足ります?お嬢」
キッチンから食堂にひょっこり顔を出して、ニコルはシャーロットの様子を窺った。相変わらず瞼は閉じられ、その瞳を見る事は叶わない。少しだけ顔を上げたシャーロットは、口元に笑みを浮かべている。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「そっすか」
微笑みが眩しくて、ニコルは不意に顔を背けた。シャーロットに自分の顔は見えないのに、見られている気がして妙に気恥ずかしい。
シャーロットは、見違える程綺麗になっていた。十分とは言えないながらも食事を摂り、睡眠をとり、毎日入浴して血色も良くなったせいだろう。窓から挿し込む陽光を浴びる彼女は、どこか神聖なもののように見えて、ニコルは胸がざわつくのを感じた。それが何なのかはわからない。
「……もしかして、ここにいたら邪魔ですか?」
不意に、シャーロットは尋ねた。ニコルの返事に何か思う所があったのだろう。慌てて首を振るが、そういえば彼女は目が見えないんだ、と即座に口を開く。
「そんなことないっす!お嬢が元気になって良かったって思っただけなんで!」
「!そうでしたか…そう、言ってもらえて嬉しいです」
柔らかく、シャーロットは微笑む。普段から同じカップで紅茶を飲んでいるのに、シャーロットの所作が美しくて、ニコルは見入ってしまった。流石公爵家の令嬢だ。目が見えないとは思えないほど、落ち着いて洗練されている。
一応この屋敷に置かれていた、恐らく執事用の服を拝借し、ニコルも自分なりには正装しているつもりだ。泥や血に塗れた今までの服は、ここ最近は着ていない。それでも、自分がどんなに着替えた所で、シャーロットの優雅さには及ばないのだと思い知らされる。
住む世界が違う人間。そう思うと、胸がチクリと痛んだ。
「あの、ニコルさん」
「なんすか?」
「その…、我儘を、言ってもいいですか?」
ここ暫く、彼女が食堂に残っていたのは、頼み事があったからか。ニコルは合点がいった。
「ものによりますけど、僕にできることならいいっすよ」
(美味い飯を作れって言われたらまだまだ時間かかりますけど)
我儘と口にするのだ。公爵家のお嬢様は何を望むのだろうか。よく積み上げた箱を使用人に運ばせる令嬢がいるのを見たが、シャーロットもそういった買い物をしたいのだろうか?街に出るのはできれば避けたいが、シャーロットだってずっとここに閉じ込められていて不便だろう。森くらいなら連れ出せるかもしれないが、どちらにせよヒューゴやリオルへの報告は不可避である。
「お手伝いを、したいんです」
「………はい?」
ニコルは耳を疑った。この子は何を言っているんだ、と。
真っ白な顔で、骨のような指で、その見えない目で、何を言い出すんだと。しかし、口にはしなかった。シャーロットが困ったような、しかしその瞳が開いていたら、真っ直ぐにニコルを見据えていただろう意思を感じる。ギュッと握り締められた拳が震えているのが、何よりの証拠だ。
「見えない以上、掃除や洗濯は手伝えません。でも、私も何かをしたくて…。もし許してもらえるなら、テーブル拭きとか、お皿洗いとか、何かさせてもらえないかなと」
「いやいやいや!何言ってんすか!お嬢はお嬢なんだから、何もしなくていいんすよ」
「足手纏いなのは分かってるんです。でも、皆さんは今まで来た方々の中で一番優しくて、楽しそうで…。親近感のような烏滸がましい事は言いませんが、その、羨ましいなって、思って」
優しい?盗賊の自分が?リオルなんて凶悪な顔をしているし、ヒューゴもオーウェンも世情を疎んじ冷え冷えとした顔をしている。かくいう自分も、スラムで擦れた性格をしているのは自覚している。
とどのつまり、シャーロットの的外れな見解に、ニコルは言葉を失った。
「やはり、ダメでしょうか?」
「あー…いや、すんません。つい驚いちゃって」
ニコルはガシガシと頭をかいた。
「別にダメって事はないっす。物退かせばお嬢でもテーブルは拭けるし、皿とかもお嬢なら割らないだろうし」
シャーロットは目が見えないからか、行動が慎重だ。静かな動きでこちらが驚かされる位に。オーウェンのような無音には、実は暗殺者だと言われても納得できるくらいだとニコルは思っている。皿洗いをすれば多少皿やコップが割れるかも知れないが、下手にニコルがやるよりも割れないかも知れない。ヒューゴの手前証拠隠滅した食器の破片を片付けるチャンスもやって来るかも知れない、なんて打算も含めて。
「んじゃ、とりあえずそのテーブル拭いてもらっていいっすか?」
「はいっ!」
箱入りのお嬢様にやらせるなんて、と思いつつお願いしてみれば、シャーロットは元気に応えてくれて。
ニコルは嬉しくなってふはっと笑った。
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