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「今日はパン粥と猪鍋っすよ!」
「昼間から最低のメニューだな」
「ぎゃっ!?ちょっとヒューゴさん!殴らなくても良いじゃないっすか!」
「殴りたくもなるよ。どんだけ重いんだよ、これ」
意気揚々と鍋を置くニコルの頭を小突いて、ヒューゴは湯気たっぷりの食卓を見渡した。元々成長は早い…というより、3食作っていた甲斐があってか、それらしい一品が並ぶのはまだ良い。ただ、この日の高い時間から、大量の具材が泳ぐ鍋を、それもパン粥というこれまた水分たっぷりな消化に良い病人食と共に食べるのは、明らかな水分過多である。
ぐつぐつと美味しそうな匂いのする鍋には、猪だけでなく野菜も入っていて、彩りも鮮やか。ニコルは腕を上げたな、と褒めたい所だが、3食のバランスの悪さは中々一筋縄でいかない。そこもニコルらしさだ。
「で、ですが、美味しそうな匂いがします」
「いいかお嬢。匂いじゃなくて見た目の話だ。これじゃ見ただけで腹がいっぱいになるぞ」
「見えなくても食べたら分かりますよ。食卓に並べるには相性とバランスが悪すぎます」
オーウェンに続き、ヒューゴも同意する。
レパートリーの少ないニコルの渾身のメニューは、3人に全否定されてしまった。
「文句言うなら食べなきゃいいのに」
「こんだけ食材あんだから、それなりにバランス考えろよ。まだパンだけのが良かったぜ」
粥になったがために、しっとりと沈んでこちらを見上げるパンが恨めしい。そういうものなのか、とシャーロットがテーブルを見ても、その全容は窺えない。とはいえ、顔にかかる湯気はしっとりとシャーロットの顔を濡らしている。
「それにしても、パンを焼いていたとは思いませんでした。いつもならパンの焼ける芳ばしい香りがするのに」
「あぁ、それは届いた物資に入ってたんすよ」
「え?」
「転送魔導具って便利っすね。人がいらないならもっと送ってくれればいいのに」
鍋の具材をよそいながら、ニコルは転送魔導器を思い出した。倉庫に置かれた魔法陣の描かれた板があるだけの簡素なそれに、積み上げられた木箱は3つ。その2つに食材が入っていて、後の1つは日用品が入れられていた。
ハッとしたのはオーウェンだ。物資が届いた事は、リオルに相談した。ニコルとヒューゴには、食材なら何とかなると説明した。
では、シャーロットには?
「物資が、届いているん…ですか…?」
「そっすよ。もう10日位前になるっすかねー」
「ニコル!」
オーウェンが口止めした時には、遅かった。ガタッと音を立てて椅子から立ち上がったシャーロットは、椅子が倒れるのも気にせず身を震わせている。日焼けを知らない陶磁器のような肌が、更に白くなってゆく。
「結界は…っ、結界は無事ですか?」
「え?えっと…」
「落ち着いて下さい、シャーロット様。結界は残っています。そんなに慌てずとも…」
「ですが!それではお姉様が…っ」
シャーロットは混乱していた。頭を振って取り乱し、その顔を絶望に染める。
「お姉様の祝福はどうなりましたか!?」
「し、祝福ですか…?」
ヒューゴはチラリとオーウェン見る。が、勿論オーウェンが知るはずもない。母国から出た事もなかったリオルやニコルは、以ての外だ。
祝福とは何なのか?シャーロットの姉といえば十中八九メアリーの事であろう彼女は、何をしているのか?そんなこと、ルイン帝国出身の彼らは知る由もない。
「お、おおお落ち着いて下さい、お嬢!祝福って何すか?僕ら、あんまり聞いてないんす。ほら、料理もできない下っ端なんで…」
とにかくシャーロットから話を聞かなければ。その為には、ヒューゴのように知ったフリをしている人間は、喋らない方が得策だ。それを承知しているから、無知を全面に押し出したニコルが尋ねる。
ニコルに両肩を掴まれて、シャーロットは少しだけ落ち着いたようだった。細い肩は震えていたが、それでも小さく息を吐き、冷静さを取り戻そうとしている。枝のように細く白い指を胸の前で組んで、今にも泣きそうな表情を浮かべている。
「王都で行われる"神子の祝福"です。満月の夜に、神子が祈りを捧げ、結界を維持する、王家主催の儀式…。皆さんもご覧になった事があるのでは?」
はっきり言って、全然知らない。
4人は顔を見合わせ、頼みの綱であるヒューゴに視線が集まるも、ヒューゴも知らないと首を振る。だが、毎月行われる儀式ならば、王都から派遣された筈の使用人が知らない筈はない。知らない、とは言えなかった。
「満月の夜に物資が届くのは、その日に王都で祝福が行われるからです。その日に祈りを捧げる事で、お姉様が結界を張り直し、国は平和を保てるのだと」
「あれ?でも、満月に祈るのはお嬢じゃん。オネーサマも祈ってるわけ?」
ふるふる、力なくシャーロットは首を振る。どうしよう。震える唇が弱く息を吐く。
「お姉様は聖力…正しくは、神聖力を持っていません。私が、お姉様の代わりに祈りを捧げているんです」
「ってことは…、本物の神子は」
眉を下げて、頷いて。シャーロットは肯定した。
「世間的には神子と言われていますが、私はただ神聖力を持っているだけです。神子と名乗るようなものでは…っ」
ヒューゴは不愉快だとばかりに眉を寄せた。神子の結界は他国からの侵攻も退けこの国にとってなくてはならないものと言われている。それなのに、その結界を張る神子がこんな僻地で冷遇されているなんて。しかも、シャーロットの話ではメアリーが成り代わっているというのだ。そんなこと、信じられないし許されることではない。
「8年前、神聖力に目覚めた時に決められたのです。私はお姉様を支える為に祈り続けるのだと。それなのに、祝福の日を忘れてしまうなんて…」
「ちょっと待ってください。貴女が神子なら、本来貴女が王太子妃になるべきでは?」
ヒューゴの疑問は尤もだ。世界にひとり存在するかどうかと言われる稀少な力を持つのがシャーロットなら、シャーロットこそ国に重用されるべきである。丁重に、それこそお姫様のように。ましてや公爵家という家柄のしっかりした身分、シャーロットなら引く手数多だろうに。
「それは、…私が醜いからなんです。お姉様のように美しいわけでも、気高くもない私の代わりに、お姉様が神子として表舞台に立って下さるのです」
「お嬢、普通に可愛いと思いますけど」
「…ニコルさんは優しいですね」
本気にされず、ニコルは目を泳がせた。普段女性を褒めるなんて滅多にしないからか、リオルやオーウェンの視線が痛い。
「丁度その頃、その…お義母様が馬の世話に使っていた鞭が私に当たり、私は目が見えなくなってしまって…。益々表舞台には立てないから、とこの屋敷に送られたのです」
「え?それってわざt…むぐっ」
口を塞がれて、オーウェンはリオルを睨む。
「シャーロット様はそれで良かったのですか?貴女のような方が、ここで最低限の生活をするなんて…」
「傷のある令嬢など、公爵家にとっては厄介者でしかありませんから。ですが、神聖力は稀少なものなので、それならお姉様に私の代わりに神子として務めていただくべきだと。私もその通りだと思いました」
「目が見えない位で、ここまでぞんざいに扱われんのを、そんな簡単に受け入れんのかよ」
リオルの声が低くなる。気分の良い話ではないし、シャーロットの諦めにも不快感を抱いた。少しでも幸せになるために生きることに必死になっている自分やスラムの人間からしたら、生きることに希望を抱かないシャーロットは不愉快だ。
宥めるようにニコルがリオルの背を摩る。それでも、シャーロットを睨む瞳の鋭さは和らがない。
「目が見えない、口が聞けない…。それは、貴族社会では致命的ですから」
「でもお嬢、口が聞けないわけじゃないっすよね?目が見えないだけなら別に…」
「見えないから、話せるんです」
困ったように、シャーロットは俯いた。
「まだ見えていた頃、怖かったんです。家族も、使用人も、友人も…みんな、その目で何かを訴えていました。でもそれが私には怖かったんです」
愛情も憎悪も羨望も嫉妬も。色々な色が混ざり合い漂い、その瞳に宿るものが恐ろしいものに思えた。
「発せられる言葉と瞳が異なって、感情と行動が伴わなくて、私はあの世界が恐ろしいのです。だから、見えなくなってホッとしました。言葉にも感情はありますが、少なくとも恐ろしい色を見る必要がないのですから」
シャーロットにとっては、視力障害は光明だった。姉に全てを押し付けて、社会から逃げられるから。どんな扱いをされようと、利用されようと、分からないものを分からないままにする理由がある。
「でも、それは逃避でしょう?何の解決にもなりませんよ」
「あの世界に戻らない、それだけで私にとっては最善の解決策なんです」
「……つまりお嬢は、貴族籍を抜けたいってこと?」
「貴族籍を抜けた位では解決しないでしょうね。聖!神子の結界というのは、この国にとってそれだけの価値がありますから」
ヒューゴは何かを考えるように眉を寄せる。
幼少期に見かけたシャーロットは子供ながらに美しく完璧な令嬢だと思っていたが、まさかこんなに悩み苦しんでいたなんて、思いもしなかった。多少の失敗なら揉み消せる公爵家という後ろ盾の強さも、上流階級としてどこか距離をとられているような態度も、シャーロット自身には負担でしかなかむたのだろう。
かつて自分に優しく手を差し伸べてくれた彼女の望むものを、自分が返せるとしたら。
「祈りましょう、シャーロット様。貴女が神子なら結界の回復も、そしてその視力も戻せるはずです。それを我々に証明して下さい」
「ですが…」
「貴女が神子であることを証明し、我々に協力してくれるなら、俺からひとつ提案があります」
「ヒューゴ?」
何を言い出すのか、とリオルは怪訝な顔をする。
神子という存在がこのクォーツ国でどのような意味を成すのか、それは結界の効果を見れば明らかだ。王族に嫁ぎ、その力を国に尽くす、それが彼女の生きるべき道であると。そんなこと、貴族社会に疎いニコルでも分かる。
「我々の誰かと婚姻関係を結びましょう。平民とはいえ婚姻を結んでしまえば、王族と言えど手は出せません。ましてや相手が平民なら、王城に招きたくもないでしょう?」
「おいおいヒューゴ!勝手に決めんなよ!」
「不満ですか?我々としては美しく特別な力を持つシャーロット様が手に入る。シャーロット様としては貴族として生きる必要がなくなる。両者に利があると思います。この国だって8年前までは結界がなくとも防衛できていたんです。神子の結界という楽な道を選んだ結果、シャーロット様だけがその責務を背負わされている。結界なんて、なくていいんですよ」
「やっぱ腹黒だよね、ヒューゴは」
「なら、オーウェンは外れますか?」
「……」
オーウェンは応えない。祈りを忘れてしまったのは自分のせいだという自責の念がある。あの時、異変に気づいてすぐにヒューゴ達に報告していれば…いや、主人であるシャーロットに報告していれば、シャーロットは神子として役目を果たせた筈なのだ。それが彼女の役目であり、生きる術なのだったのだから。
少しでもシャーロットに報いることができるなら、と手を挙げかけて、オーウェンは動きを止めた。ダンっと大きな音が、部屋に響く。
「なら、僕がなるっす!」
「ニコル?正気ですか?」
意外だった。ニコルに誰かを想う気持ちも、ましてや世界の違う令嬢との縁など、考える頭があると思わなかった。これはバカにしているのではない。ニコルはそういった色恋沙汰とは無縁だと思っていた。
「誰でもいいんすよね?なら、僕の方が適任じゃないっすか?家族もいないし、少なくともお嬢を道具扱いしないっすよ!」
どこか棘のある物言いに、ヒューゴは頬を引き攣らせた。そんなつもりはなかったが、そう受け取られても仕方ない言い回しをしたのは確かである。そして、ニコルはそれを不服と捉えた。
「お嬢、僕のお嫁さんになってくれますか?」
シャーロットは開いた口が塞がらなかった。
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