その神子は胃袋を掴まれている

成行任世

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シエルは体が大きい方ではない。だから、アランからは諜報に回った方がいいと何度も言われていたが、そんな反対を押し切って兄であるアランについて騎士団に入った。騎士として成長し武勲を立てて、いつか兄に褒めてもらいたい、そんな打算もあった。
だが、幾ら厳しい訓練を積んだとしても、体の大きさは生まれ持ったものがある。登山に備えて揃えた備品は大きなリュックに納められたが、そのリュックが自分の体程…もしかしたら自分も入ってしまえるのではないかと思うような大きさで、シエルの体は限界に近かった。荷物を減らした方が良い、というヒースの助言を無視したことが、今更ながら悔やまれる。

「この山、どこまであるのかなぁ…」

「だいぶ登ったけれど、標高までは書かれていなかったし、先も見えないからね。なんとも言えないよ」

ヒースは目を細めて山道を見つめる。永遠に続くのではないかと思えるような獣道だ。鬱蒼と繁る針葉樹が強風に煽られ、一層不気味さを増している。
しかし、引き返す選択肢はふたりになかった。ディライト公爵家の別荘。地図にないその全貌をぜひ明らかにしたいという思いが強い。王家に申告されていないというのが、何かを隠している証拠だと、ヒースもシエルも確信している。

「こうも足場が悪いと、賊に襲われたらひとたまりもないね」

「ヒース、それフラグじゃない?」

「フラグ?とは何だい?」

「不吉なこと言ってると、その通りになるよってこと!もうっ、余計なこと言わないでよね」

宿屋の女将の話では山間部に館があるとの話だった。一般人には辿り着くことも出来ないが、険しい森を抜けると館が見えると聞いている。
山の中に果実はない。枯れ木と針葉樹、低木はどんな花が咲くかも分からない見慣れぬ葉が生えている。顔を覗かせる茸は赤や紫といった不気味な色をしていて、とても食用とは思えない。こんな枯れた山に動物などいる筈もなく、このままでは食糧の調達も出来ないから、普段なら冷静に状況を分析するヒースも少しだけ焦っていた。シエルに伝えたらきっと彼は混乱してしまうから、口には出せない。このままどこまで行けば良いのか、引き返す方が良いのか…悩んでいた矢先、シエルが大声を上げた。

「ヒース!あれ見て!」

針葉樹の向こうに、若草の色が見える。薄暗い世界の中で、久々に見えた淡い色にヒースとシエルは顔を見合わせた。どちらともなく駆け出せば、パッと視界が明るくなる。

「これは…」

「凄い凄ーい!これって獣道を抜けたってことだよね!」

シエルは若草の絨毯に寝転んだ。赤や黄色といった鮮やかな小花が散りばめられ、柔らかな香りを漂わせる。心なしか暖かくなった風が、冷え切った指先を撫でる。

「夢…かな?」

「もう、そんなわけないでしょ!これが夢だったら俺達死んじゃったみたいじゃん!」

「それにしても、不自然過ぎだと思ってしまうよ」

ここが天国だと言われても信じてしまうくらい唐突に現れた野原。寒々しい景色が一変し鮮やかな色に囲まれて、ヒースは思わず深呼吸をした。

「結果的に助かったんだから、良しとしようよー。ヒースは真面目なんだから」

シエルも大きく息を吸い込めば、花と草の香りがする。普段なら気にも留めない花の香りがあまりにも恋しくて、シエルは何度も深呼吸を繰り返す。獣道なんてもう懲り懲りだと言わんばかりに、土のクッションに微睡んだ。

「もうすぐディライト家の別荘かな?騎士団だって言えば、食糧とか恵んでくれるよね?きっと」

「分からないけれど、流石に体力を回復させたいね。またあの山道を降りなければならないし」

「そうだよねー。何日か休ませてもらって、その間に何か調べるとか出来ると良いんだけど」

気が抜けたせいか、気持ちが大きくなるシエルに反してヒースは腑に落ちない顔を崩さない。

「そんなに上手く行くだろうか?」

死にかけたとまではいかないが、ここまで険しい道のりだった。このままあっさり公爵家の秘密を暴けるとは、ヒースは思えない。そんな一筋縄で行くような相手ではないことは、王都にいれば一目瞭然だ。
それだけ神子の存在は偉大だし、公爵としての地位は軽視できるものではない。王家に何かあれば、公爵家は強い発言権を持つだろう。そんな家の秘密が自分達に暴けるのだろうか?と疑問に思うのは自然なことだった。

「とりあえず歩いてみようよ。まだ別荘にも着いてないんだし。相手の反応見て決めよう?」

「……そうだね。シエルがいてくれて良かったよ」

「何それ。変なヒース」

「だから、先に行っていてくれないか?」

「え?」

ヒースは抜剣した。居合のように薙いだ切先が、シエルの前で残像を残す。シエルが空気を吸うよりも早く、「へぇ」という愉しげな声が耳についた。

「骨のありそうな奴だね」

「君は誰だ?」

ヒースは目を細めた。体躯はシエルと同じくらいか、決して強者の厳つさはないが、その瞳は鋭利に研ぎ澄まされている。笑を浮かべる口許とは裏腹に、一寸の隙も見せない男に、シエルも慌てて剣を構えた。

「名乗る程の者でもないけど、恐らく味方でもないな」

「どうしてだい?」

「お前らが騎士団の服を着てるから」

「!っシエル走って!ここは僕が引き受けるよ!」

「えぇ!?」

「行かせないよ!」

「早く!」

シエルは一瞬、その場で足踏みした。だが、シエルに向かいかけた男の剣を受け止めるヒースが真剣な顔をしていたから、慌てて自分の足を叱責する。ここで立ち止まってはいけない。何が起こったのか、どうして襲われたのかわからないが、これは核心に迫っているということだ。

「ヒースも早くしてよね!」

シエルは駆け出した。後ろで響く剣の音がやけにリアルで、何度も何度も振り返りそうになりながら。
怖くない訳じゃない。ヒースのことは信じている。
だが、だからと言って絶対というものはこの世に存在しない。かつての英雄だっていつまでも生きている訳ではないし、王族がいつまでも平和な世を保てる保証もない。
だから今、自分に何ができるのか、シエルは必死に考えた。

「まさかオーウェンを出し抜くとはなァ」

(あ、これダメなやつだ…)

凶悪な顔とギラギラと鈍く煌めく剣に、シエルは足を止め尻込みした。足の震えを抑えるのがやっとだ。飲み込んだ唾では喉の渇きは潤わず、カラカラと恐怖を訴える。

「砦の奴らと同じ服だし、お前も騎士団の人間か?」

「だ、だったら何?」

「いんや、随分お子ちゃまが来たもんだと思ってよォ。オーウェンの相手してる奴の方が上手ってことか?」

カチンと来る言い方だ。だが、ヒースの方が戦闘に長けているのは事実だし、だからこそヒースは自分をここまで向かわせてくれたのだ。結果的に手強い相手と向き合うことになったが、ここで無様に引き返す訳にもいかない。

「そっちは盗賊?こんな所で何してるわけ?」

「あぁ?こんな真面目な格好してんのに、随分な言い草じゃねェ?どっからどう見ても使用人じゃねーか」

(こいつ本気なのかな…?)

シエルは正直戸惑った。使用人というのはシャツを着崩したりしないし、燕尾服もキチっと着こなすものである。首元を寛げて、シャツの裾を出して、腰に武骨な剣を帯びるような、恐ろしい格好はまずしない。

(これボケかな?)

ツッコミを入れるべきか悩んだが、男の放つ隙のない威圧感に、シエルは何も返せなかった。震える声をなんとか押し留めるシエルに対して、男はガシガシと乱暴に頭を掻いて、失礼な奴だななんてゴチる。

「あんたは公爵の知り合い?」

「公爵ゥ?」

心当たりがないのだろう。何言ってんだこいつとばかりに眉を寄せる男。無関係だとしたら、偶然盗賊と居合わせてしまったのだろうか?そう思うと、自分達の不運を呪いたくなる。今までも盗人や不成者を捕らえて来たが、仲間も上司もいたから、手練れと剣を交える機会は少なかった。たったひとりで解決しなければならないこの状況は、不安しかない。思わず剣を握る手に力が入る。
と、男は思い出したように頷いた。

「あ。そういや、お嬢は確か公爵令嬢だったな」

「お嬢?」

「公爵とは知り合いじゃねーが、お嬢なら知ってるぜ」

「え?え?どういうこと?メアリー様を知ってるってこと?」

「あ?メアリーって誰……あぁ、オネーサマの方か」

「お姉様?」

シエルは困惑した。メアリーが姉?メアリーには兄弟姉妹はひとりしかいない。8年前死別した妹だけだ。

「あ?知らねーの?シャーロットのこと」

「しゃ、シャーロットぉ!?じゃあこの先にあるのは、本当に幽霊屋敷ってこと!?」

宿の常連客の言っていた廃墟という話が、現実味を帯びて来た。ここまで来て幽霊屋敷だなんて、本当についてない。何せシエルは幽霊が苦手だった。見聞きできないからこそ、創造の産物とは恐ろしいもので。幽霊屋敷に住み着いた盗賊…そう思うだけで、近寄りたくもない案件である。
まさかシャーロット亡き後、その魂が浮遊して見かねた公爵が弔いのために別荘を建てたのだろうか?墓の代わりに別荘を建てたのだとしたら、公爵の娘に対する愛情に万感の拍手を送りたいくらいである。
ところが、シエルのそんな感動を他所に、リオルは呆れたように否定した。

「おいおい失礼だな。この俺様がキレーにしたんだぜ?幽霊屋敷な訳ねェだろうが」

「だ、だだだだって!シャーロット様は8年前に死んじゃったんだよ!生きてる訳がないでしょ!」

「あー…、そうなんだっけ?俺様良くわかんねーんだよなァ。でもお嬢の足は2本あるぜ?」

(お嬢の刺客ってわけじゃなさそうだな)

「か、体が透けてるとか」

「あー確かに、全体的に色素は薄いな」

律儀に答えてくれる男に、シエルは無意識に警戒心を解いていた。いや、気になることがあり過ぎて、男の危険性を勝手に下げてしまったのだろう。

「なんだお前、お嬢に会いに来たのか?」

「へ?あ、いや…幽霊に会いに来た訳じゃないんだけど」

「だから、お嬢は生きてるって。なんなら会ってくか?」

「え?あ、ぅー…」

館に向かいたい半分、幽霊は怖い半分。シエルは困った。ヒースがいてくれれば男の申し出にも二つ返事で受け入れたが、ひとりで向かうのは気が引ける。それに、この盗賊が信用できる人間なのか、シエルには判断しかねた。ただ、嘘を吐いているようには見えなかったし、館に向かい真相を究明したいという思いも強い。

「そうだ!さっきの男の人もあんたの知り合いなんでしょ?」

「さっきのっつーか、オーウェンのことだろ?」

「その人止めて!そして、俺とヒースを館に案内して欲しい!」

「…お前図々しいな」

「ひっ」

思わず声が引き攣る。凄みのある顔が、シエルは苦手だった。自信があって、経験からくる横柄さもあって、真綿に包まれたように貴族社会で生きて来たシエルには刺激が強い。ましてや兄は王太子殿下の護衛騎士でありながらオネェ言葉を使う変わり者だ。こんな無骨な人間ではない。

「ま、いいぜ。案内してやるよ。お嬢を見せて生きてること証明してからでも、遅くはねェしな」

「な、なにが?」

言外に、不吉な事を含んでいるのは明らかで。
にやり、笑った顔は極悪人そのものである。





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