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しおりを挟む「ニコルさん、お皿拭けました」
「ありがとうございます。んじゃ、今回はシチューに挑戦してみたんで、味見をお願いしてもいいっすか?」
「はい」
(本当に仲が良くなったな、このふたりは…)
ヒューゴもいるというのに、ニコルとシャーロットはまるでいないもののように扱っている。いや、もしかしたらシャーロットは自分に気づいていないのだろう。ニコルが自然に無視をするから、シャーロットは無邪気に笑ってニコルの指示を待っている。
(それにしても、成長期というのは恐ろしい…)
質素な食事とはいえ、栄養を摂り毎日入浴もするようになったシャーロットは、みるみる色艶を取り戻した。ヒューゴの知る柔らかい幼女ではなく、大人になり切れぬ危うさを纏う少女へと変貌しつつある。
そしてそれは、ニコルにも同じことが言えた。その日暮らしで切り詰めていた食生活から、栄養のあるものを摂るようになり、少しだけ肉付きが良くなった。まだまだ細身ではあるものの、筋肉の付きも良くなったのだろう。少しだけ身長も伸びたような気がする。
(これなら平民の青年と令嬢の恋に見えなくもない。芝居のネタになりそうだ)
貧相な男女ではなく、年相応の少年少女。身分違いの恋というのは、いつの時代も万人ウケするものだ。シャーロットの美しさは社交界でも有名だった。ニコルだって、見目麗しい俳優とまではいかないがそれなりに整った顔立ちをしている。ふとどこぞの劇団に台本を送れば一儲け出来るかもしれない、と思うのは、打算的なヒューゴの癖である。
「美味しいです。とろみが控えめなんですね?」
「お嬢の知ってる味と違います?」
「そうですね…。舌触りがもう少し、後味が残る感じでした。でも、お野菜の味がして美味しいですよ」
「うーん、ってことは、味が違うだけでいつもの野菜スープとそんなに変わんないってことっすよね?」
「そう言われてしまうと…、そうですね…」
うーん、と悩むシャーロット。料理経験もないし、見えない彼女からすれば原因など分かる筈もない。ニコルはニコルで、何でっすかねー?と呑気に鍋を混ぜながら、手元にある調味料を眺めている。何かが足りないのは分かっているようだ。
微笑ましい、とヒューゴは思った。最初は料理番を嫌がっていたニコルが、あらゆる料理に挑戦している。料理の楽しさに目覚めたのか、シャーロットのためなのか、それとも両方なのか、ヒューゴにはわからない。だが、いずれにせよニコルがシャーロットとのこの時間を楽しんでいることは一目瞭然で、ヒューゴはそれが嬉しかった。
「おーい!帰ったぜェ!」
幸せな時間を壊す声が響く。
シャーロットが顔を上げると、ニコルは優しく頭を撫でた。オーウェンとリオルは、侵入者に会いに行った筈だ。どんな報告がなされるのか不安もあるが、悟られたくない。シャーロットの目が見えなくてよかった、と少しだけ思った。
「どうでした、リオ……これはどういうことですか?」
扉の前で出迎えたヒューゴは、すぐに異変に気付いた。リオルとオーウェンの後ろに、ふたりの騎士が立っている。その服を、ヒューゴは知っていた。幼い頃の記憶ではあるが、いつかのパーティーで見たものと同じである。
「どうしてここに、クォーツ王国の騎士がいるんです?」
ビクッと、シャーロットの肩が跳ねる。
ニコルはふたりを見た。まだ若い騎士のようだ。オーウェンと似たような小柄な騎士と、細身ながら鍛えられた体躯の騎士。ふたりはシャーロットを見て、目を丸くしている。その視線を遮るようにシャーロットを隠して、ニコルは不機嫌に眉を顰める。
「ほ、本物のシャーロット様…?」
小柄な騎士がぽつりと呟く。信じられないとばかりに、猫のような目を見開いている。
「お嬢に会いたかったんだとよ。別にどうにでも出来るから、連れて来てやったぜ。その方が向こうの出方も分かんだろ?」
「……黙ってたら分からないでしょ。名乗りなよ」
ほら、とオーウェンは乱暴に促す。我に返ったふたりは、居住まいを正した。ニコルの影から少しだけ覗くシャーロットは、思わずニコルの腕を掴む。彼らの目的も、理由も、分からないことだらけで不安が募ってゆく。
「ご令嬢、僕はクォーツ王国騎士団所属、ヒース・アーノルドと申します。失礼ですが、貴女は本物のシャーロット嬢でしょうか?」
「ちょっとヒース!シャーロット様に失礼だよぉ!」
「でも、シャーロット嬢は亡くなったと…」
「そんなの、シャーロット様がここにいるんだから嘘に決まってるじゃん!シャーロット様、お、俺、クォーツ騎士団所属シエル・ベルベリーと申します!」
シエルは興奮していた。かの天使が目の前にいることに。
シャーロットの生存を認めるということは、暗にディライト公爵が虚偽報告をした事を指摘しているのだが、そんなことは頭から抜けている。シエルとは裏腹にどこか怪しむヒースを、ニコルは不愉快そうに睨みつけた。
「ご挨拶をありがとうございます。カーター・ディライトが娘、シャーロットと申します」
(うわーうわーっ!本物のシャーロット様だ!俺、シャーロット様に挨拶しちゃったよぉー!)
シエルは内心叫んだ。柔らかく優しい声だ。美しいカーテシーも、滝のような美しい髪も、幻想的で優美で、まるで王城に戻ったかのような錯覚をしてしまう。
2本の足で立ち、不安に揺れる声のまま自分達に視線を向けて…と、そこでふたりは疑問を抱いた。シャーロットは目を閉じたままだ。
「失礼ですがシャーロット様、もしかして目が…」
「その前に、あなた方の目的を教えて下さい。何故ここに来たのか、どうしたいのか。話はそれからです」
ふたりの穏やかで平和な時間を壊したのだ。思う所がない筈がない。ヒューゴは声色を厳しくした。
シエルとヒースは目配せした。長い付き合いだから何とかなるかと思ったが、所詮は他人。言葉もなく意思疎通なんて出来るはずもなく、仕方ないとばかりにヒースは溜息を吐いた。
何をどう話すべきか、どこまで話して許されるか、ふたりで打ち合わせをする時間もくれそうにない。それに、最重要人物である死んだはずのシャーロットは、リオル達を信用している。現に今尚ニコルの横で彼の手を握っているから、彼女からしたら部外者は自分達なのだと思い知らされる。
「僕達は調査の為にここへ来たんだ」
「調査?」
「あぁ。ディライト公爵が何かを隠しているのではないか、との疑惑を受けて、秘密裏にね」
「まさかそれが、亡きシャーロット嬢が生きていた、なんて衝撃的な事だとは思わなかったけどねぇ」
シエルは相変わらず無遠慮にシャーロットを見つめている。思わずオーウェンが乱暴にテーブルを叩くと、シエルは怯えたように身を縮めた。悪気はないのだろうが、無邪気さが許される場ではない。
「どうして公爵に隠し事があると思ったのです?」
「先日、神子の祝福が失敗に終わったんだよ。これまでメアリー嬢が神子として祝福して8年間、一度も祈りが届かなかった事はなかったからね。ある御方が不審に思ったんだ」
「前回の満月の夜っすね…」
「えぇ。恐らく、物資が送られる日にシャーロット様に祝福をさせるように指示されていたのでしょう。それが、あの日は成されなかった」
「どういうこと?祝福について何か知ってるの?」
シエルの疑問に、ヒューゴは簡潔に答えた。彼らが執事に成り代わる前のシャーロットの生活から、物資が送られていること、満月の夜決められた時間にシャーロットが祝福をすること。最初こそ驚いていたシエルだったが、メアリーが祝福を失敗したことも、彼女自身が神子ではないことも、すんなりと受け入れられた。
「メアリー嬢が国母になるなんて最悪だって思ってたもん。あんな利己的な神子、俺イヤだよ」
「つまり、シャーロット嬢が祝福の日に気づかなかったから、あの日は光の柱が出なかったんだね」
シャーロットは俯いた。祝福は失敗し、メアリーに恥をかかせたことになる。
結界は定期的に補修しなければ弱くなることを、シャーロットは理解している。しかし、満月の夜以外で祝福を捧げて結界を強化すれば、メアリーの、強いてはディライト家の意向に背く事になる。それはシャーロットとしては避けたかった。過去の記憶の限りでは、リリアンは自分を許さないだろう。今度はどんな仕打ちをされるのか、恐怖に身が震えてしまう。
「今はあちこちで結界の綻びが出来ているんだ。お陰で国王陛下は寝ずに働いておられるよ。神子様の結界に頼り切っていたからね」
「そりゃ自業自得じゃねェか」
「そうっすよ!神子に頼り過ぎっす!」
「仕方ないんだよぉ。メアリー嬢がいれば安泰、彼女をもてなして崇拝する事が幸福だって、王家が言っちゃったからねぇ」
「お姉様…」
「軍事力よりも信仰心による防衛力を取ったのでしょう。胸糞悪い話ですね」
ヒューゴの言葉がシャーロットの胸に突き刺さる。それを良しとして甘んじて受け入れたのは自分だ。メアリーが担ぎ上げられて、無責任にも期待を向けられて。
(お姉様も苦しんでいるかも知れない…)
よもや、そんな重圧を感じる事もないような鈍感な姉だとは、シャーロットは思っていなかった。
「それにしても、神子に関する何かが分かるかと思ったけど、まさかシャーロット様がご健在だって知れるとはねぇ。目的とは違うけど、殿下には良い報告ができそう!」
「でも、彼らは"公爵の影"なんだよね?つまり、僕らはこれからここを生きて帰らなきゃいけないよ?」
焦りこそしていないが、ヒースは退避経路を模索していた。幸い1階だから窓から飛び出せるだろうか。来た道を戻るだけなら何とかなるだろうか。その為には、背負って来た荷物は捨ててあの険しい山道を抜けなければならない。
考えれば考えるほど過酷である。そして、それを素直に口に出してしまうから、ヒースは出世が遅れるのだ。
「ヒース逃げよう!」
「待て待て待て。"公爵の影"が何だか知らねェが、国に報告されんのが困るのは事実なんだよ」
ニコニコと笑っているが、目の奥は笑っていない。襟首を掴まれたシエルは、ひえっと小さな悲鳴を上げる。こんな事なら引き受けなければ良かった。いや、王太子殿下の命令だから断れる筈もないか。混乱する頭で、シエルは自分にツッコミを入れた。
「君達は"公爵の影"ではないのかい?」
「俺達はシャーロット様の使用人です。少なくとも"影"と呼ばれる存在ではありませんよ」
「違うの?普段は真っ黒な服着てない?」
「着てねェって。どっからどう見ても立派な使用人っしょ」
(顔は悪人面だけど)
シエルは口にしなかった。リオルのような使用人がいたら、家柄を疑われる事だろう。だからこそ、彼らがただの使用人ではないと、公爵の影なのだと思ったのだ。
(ってことは、この人達なんなの?幾ら領地とはいえ、こんな野蛮な使用人に大事な娘を任せるかなぁ?)
「真っ黒な服?」
突然オーウェンが問い返し、シエルはハッとした。今は彼らの素性を問い詰める時ではない。彼らから情報を聞き出すのが先である。
「心当たりがあるのですか?オーウェン」
「いや、……確か、こいつらの前に来た客が、真っ黒な服を着てたような」
オーウェンは記憶を遡った。襲撃され咄嗟に反撃してしまい、尋問し損ねた汚点である。深い森の暗闇の中、彼らは全身黒い服をその身に纏っていたような気がする。
「………あれ?詰んでないっすか?」
誰も口にしなかった事を、ニコルは口にした。
ディライト公爵の"影"を殺し、王家お抱えの"騎士"にもバレてしまった。公爵家にも王家にも、自分達の存在を示してしまった。公爵の耳に届くことは終ぞ無かったが、シエルやヒースが王都に帰れば、シャーロットの存在と共に盗賊である自分達の事も明るみに出るだろう。
そうなれば、この屋敷で平穏に暮らすことは、最早できなくなる。
「…潮時のようですね」
ヒューゴは吐き捨てるように呟いた。
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