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何かいけないことを言っただろうか。とシエルは思ったが、オロオロすることしかできなかった。沈黙が痛くてシャーロットを見るが、彼女は状況が分からないからか、小首を傾げて次の発言を待っている。
「詰んでいる」とニコルは言った。彼らにとって今の状況は望ましいものではないらしい。それはそうだ。騎士団にこうして顔が割れてしまったのだ。明らかに公爵家の手の者ではない人間が、ディライト公爵家の別荘に居座っている。
沈黙はやけに長かった。もしかしたらほんの数秒のことだったのかも知れないが、まるで何時間も時が止まったような錯覚を覚えて、シエルはふるふると首を振る。そんな動きすら空気が読めていないような気がして縋るようにヒースを見るが、ヒースは何かを考え込んでいて、シエルには気づかなかった。
「ニコルさん?」
シャーロットは不安げに声を絞り出す。誰も動いていないことは察知できていたから、何が問題なのか知りたかった。これまでなら話をしよう等とは思わなかっただろうが、彼らは違う。だから、この緊迫した空気の中でも、尋ねることができた。
表情を窺えたらまた違う反応を示したのだろうが、幸か不幸かシャーロットは目が見えない。だから、ニコル達の苦しげな表情も分からなかった。
「お嬢…」
「……腹ァ括れ、ニコル」
リオルは険しい表情を浮かべている。
全員に見守られる居心地の悪さを背にして、ニコルはシャーロットの両肩を掴んだ。相変わらず閉ざされた瞼がをそっと撫でると、シャーロットの肩がびくりと震えた。
「お嬢、あの時の返事をくれませんか?」
なりふり構っていられない。このまま、シャーロットの前から消えなければならないかも知れないのだ。優しい口調を心がけるが、掌に困惑が伝わってくる。
「僕はお嬢と一緒にいたいっす。僕の作ったご飯を食べるお嬢の笑った顔が好きなんです。だから、僕のお嫁さんになってもらえませんか?」
「な、ななな何言ってるの!?シャーロット様は公爵令嬢だよ!?君達みたいないかにも堅気じゃない人間が懸想して良い相手じゃないんだから!」
「黙れよ」
「そうはいかないよ!ほら、ヒースからも説明してやって!シャーロット様はこの国のっ…」
「いいから黙れって!」
リオルに怒鳴られ、シエルは萎縮した。認められない。だが怖くて何も言えない。ただただ肩を震わせていると、ヒースがシエルの肩を叩く。期待に見上げたヒースの顔は、シエルの予想したものではなかった。
「落ち着いて、シエル。返事をするのは僕らではないよ」
ヒースにまで咎められ、シエルは気落ちした。公爵令嬢であるシャーロットならば、高位貴族との縁が幾らでもある。それこそ、王太子や王子に嫁ぐことだって出来る。王太子妃はメアリーだが、第二王子はまだ婚約者がいないはず。シャーロットのような美しい令嬢ならば、王子に見初められる可能性だってある。
「…ニコルさん達は、ディライト家の使用人ではないのですか?」
シエルの言葉を、シャーロットは聞き逃さなかった。見えないのを良いことに、明かしていなかった事があること。敢えて伝えなかったヒューゴは唇を噛んだ。
すっかり失念していたニコルは、困ったようにリオルを見る。少しだけ目を泳がせたリオルは、諦めたように頷いた。いずれ伝えなければならないことだ。最悪のタイミングではあるが、ここで明かさなければシャーロットに嘘を吐くことになる。ニコルにそんな芸当は出来ないし、可愛い弟分にそんなことはさせられない。
「僕は、ルイン帝国のスラムで育ちました」
「ルイン帝国の…。もしかして、他の皆さんも?」
「っす。……すみません、お嬢といるのが楽しくて、僕らのこと言い忘れてました」
これは嘘ではない。最初はシャーロットを騙すために使用人を装ったが、共に生活する内に絆されシャーロットのいる生活が当たり前になった。盗賊であることを忘れたわけではなかったが、使用人という自覚はなく、共に生活する仲間のつもりだった。
ルイン帝国のスラム街。スラム街そのものが存在しないクォーツ王国しか知らないシャーロットは、それは伝聞したものしか知らなかった。想像でしかないが、過酷な環境であることは家庭教師から学んだ事がある。決して関わってはいけない、とも。
「それは聞かなかった私にも非があります。ニコルさんが謝らないでください」
「いやいや、それは流石にお人好し過ぎでしょ…」
シャーロットは聞いたことを信じるしかないのだ。使用人だと言われれば、そうなのだと受け入れるしかない。それが見えない人間の代償である。
「……今返事をしないといけないのは、それが関係しているのでしょうか?」
「そうっすね…。僕らは本来ここにいられません。だから、僕はお嬢に受け入れてもらいたいっす」
「ちょっと待った。それは流石に看過できないよ」
黙っていたヒースは憮然としている。
「君はシャーロット嬢に全てを捨てさせる気なのか?君達と生きると言うことは、シャーロット嬢はディライト家の支援も令嬢の矜持も失うことになってしまうよ」
ニコルと生きるということがどう言うことか、シャーロットには想像もつかない。シエルの慌てようもヒースの苦言も、シャーロットには理解が追いつかなかった。誰がどんな存在なのか、正しいのか、何が起こっているのか…考えれば考えるほど思考の螺旋に堕ちてゆく。
しかし、シャーロットにはひとつだけ確信があった。
「私は、ニコルさんと一緒にいたいです。もう逃げません」
シャーロットは両手を顔に当てた。どうしたら良いか、そんなものもう分かっている。シャーロットの手から光が溢れ、シャーロットの全身が淡く光る。
守らなければならないものが増えた。それはつまり、リスクを増やすということ。それでも、リオルは笑っていた。嬉しいのだ。彼女の覚悟が。
窓の外をじっと見つめるヒースに、ヒューゴも空を見上げる。光が帯のように広がり、古代語を成して空全体を覆ってゆく。
「……優しそうなお顔をされているんですね、ニコルさん」
菫色の瞳に、情けない顔の自分が映っている。
「お嬢…」
「教えて下さい。全て。そして考えたいのです。私にとって、最善の選択を」
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