セキワンローキュー!

りっと

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第四Q その右手が掴むもの

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 自主練習を含めた一日の練習をすべて終えた雪之丞が校門を出ると、名塚が一人で校門前に立っていた。いつもファンクラブのメンバーと一緒にいる彼女が、一人でいるのは珍しい。

「お疲れっす。こんな夜に女一人で外にいると、危ないっすよ?」

 時刻はすでに二十一時を回ろうとしている。女子が一人でいるのを放置するのはいかがなものかと思い、声をかけた。

 名塚は雪之丞を一瞥すると、すぐに手中のスマホに視線を戻した。

「迎えの車を待っているだけですわ。貴方に心配されるいわれはありません」

「あ、そっすか。じゃ、気をつけて帰ってください。サヨナラー」

 その場を去った雪之丞だったが、少し歩いて足を止めた。やはり心配だ。念のためと思って引き返してみると、案の定名塚は三人の男たちに囲まれていた。

「おい、どっから沸いてきたんだよお前ら。この人になんか用かよ?」

 雪之丞が男たちに声をかけると、名塚は安堵したような表情を見せた。気丈に振舞っていただけで、いかにも柄の悪そうな男たちに囲まれ内心は怯えていたようだ。

「はあ? 誰だてめえ? ……なんだよ、てめえ左手がねえじゃねえか! そんなんで俺らに歯向かってくるなんて、度胸だけはあるみてえだな? あ?」

 中途半端に伸びた金髪、プリン頭の目立つ男が雪之丞に近づき、左手を指差して嫌な笑みを浮かべた。この三人の中でおそらくリーダーであろう彼は取り巻きの二人に自分の強さをアピールするように、大袈裟な身振り手振りで雪之丞を煽ってきた。

 今までこうやって馬鹿にされる機会は何度もあったが、苛つくことに慣れはしない。

「……で? 今から片手の男に殺される気持ちはどうだ?」

「……死にてえのか、コラ」

 雪之丞の煽りに男の顔色が変わった。人を小馬鹿にした笑みは消え、雪之丞を鋭く睨みつけている。次は手が出てくるだろうなと予想した雪之丞は名塚を背中に隠した後、

「あ! しまった!」

 と小さく叫んだ。いつもの癖でつい売られた喧嘩を買ってしまったが、あの夜、紗綾と夏希の前でもう喧嘩はしないと誓ったのだった。

「ハハッ! もう遅えよ! てめえはただで帰さねえからな!」

 男は取り巻きの二人をバックに、雪之丞との距離を縮めてきた。

 困った。こいつらを拳で黙らせることはできないし、名塚がいるため逃げるわけにもいかない。いかにして彼らを退けさせるかを急いで考える必要がある。

 しかし考えのまとまらないうちに、男は得意気に雪之丞の脇腹に横蹴りを入れてきた。

「どうだあ? 泣いて謝ったら許してやってもいいぞ? ああ?」

 ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべる男に対して、雪之丞が思ったことは一つだ。

「……あれ? こんなもん?」

 あまりに威力のない攻撃を受けた雪之丞は、拍子抜けして正直な感想を口にしていた。

「てっめえ……強がってんじゃねえぞ!」

 不用意な発言は男に油を注いだようだ。三人は束になって一斉に襲いかかってきたが、彼らは見かけ倒しの連中で拳も蹴りも非常に軽かった。雪之丞は一度も地面に尻をつくことなくリーダーの男の手首を捻って地面に倒し、背中の上に乗り上げた。

 相手の動きを完全に封じ込めた雪之丞の、実質的勝利である。

「お前らさ、弱えくせにイキがってんじゃねーよ。二度と俺の前に面見せんなよ?」

 雪之丞に右手一本で屈せられた屈辱か、それとも単純に痛みからか、男は醜く顔を歪めて歯を食いしばっていた。

「……丸山まるやまさん、一旦引き下がった方がいいかもしれません。こいつ、堀中だったあの鳴海っすよ」

 取り巻きの男は一秒でも早く帰りたそうに見えた。

「……あの、鳴海か……!? チッ、おいてめえ、離せ!」

「誰に口利いてんだよ。離したらすぐに俺の前から消えるか?」

 押さえ込んでいる手首への力を強くすると、丸山と呼ばれていた男は「わかったよ! だから離せよ!」と声を荒らげた。

 雪之丞が丸山を解放してやると、

「……鳴海、覚えてろよ!」

 三人は捨て台詞と共に去って行った。典型的な負け犬の遠吠えだ。雪之丞は手で追い払う仕草を見せながら、男たちが完全に見えなくなるまで名塚の側にいた。

「……お礼を述べさせていただきますわ。ありがとうございました」

 名塚は深く丁寧に頭を下げた。その仕草は育ちの良さを感じさせた。

「迎えを待つなら人通りの多い場所か、誰かと一緒にいた方がいいっすよ?」

「……明日からはそうさせてもらいますわ。ご忠告感謝いたします、隻腕の単細胞くん」

「そのあだ名、マジで勘弁してくださいよ……あ、迎え来たんじゃないっすか?」

 黒いクラウンが名塚の前で止まり、スーツの男が降りてきて一礼した。

「うちの運転手ですわ。送って行きましょうか?」

「いや、ガラじゃないんで。そんじゃ、俺はこれで」

 やっと帰れると思いながら、雪之丞は名塚に背を向けて帰路についた。
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