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 朝一番でドアを蹴破って室内へ入ってきたのは眉間のしわがすごい事になっているテランスだった。

 リュー曰く、部屋には隠ぺいの魔法が掛かっており部屋を認識できないようにしてあったという事らしいが、蹴破られたドアの向こう側でロッセラが困ったような笑顔を浮かべていた。

「さすがに四日も籠りっぱなしになるとは思いませんでした」

 そう言ってため息を落とすロッセラに綾乃も大きく頷いた。

 もうへとへとだ。腰も痛い。体中が悲鳴を上げている。リューに愛しつくされた体は、全身筋肉痛という有様だ。

 なまじ部屋内に最低限生活できるものがそろっていたせいで、四日も部屋から出してもらえなかった。このまま邪魔が入らなければ、ずっとこのままだったのではないだろうかとさえ思う。

「うちの聖女様が世話になったな。クソが」

 テランスに手を引かれベッドから降りるが、綾乃の足はもはや立つ力すら残されておらず、床にぺたりと座り込んでしまった。

 そんな様子の綾乃を見て、テランスは小さく舌打ちをする。

 今は全裸で、体中にはリューにつけられた印があって――

 疲れた頭で正常な思考ができない綾乃の中にふつふつと羞恥という感情が湧き上がる。

 テランスは外套を脱ぐと綾乃をくるみ、ミノムシのようになった綾乃を抱え上げると、そのまま足音荒く部屋から出ていく。

「ふぁ~~」

 のんきにあくびをするリューを置き去りにして。



「あの……テランス……?」
「…………」

 ゴツゴツと怒りを内包した足音だけが静かな廊下に響く。恐る恐る声をかけるが、テランスはずっと苦し気に眉間にしわを寄せたまま歩き続けるだけで、綾乃を見ようともしない。

 外套を着ていたという事は、モーリマルタ教国から戻ってすぐに綾乃の元へ行き、いない事に気が付いた――もしかしたらタビサかロッセラから事情を聞いてそのままリューの部屋に突撃してきたのだろう。

 砂埃の匂いがする外套が、今しがたまで外にいた事を教えてくれる。

「………………」

 気まずさに口をつぐむが、そうすると今度は沈黙に居心地が悪くなる。シーツ越しに感じるテランスの手の冷たさが体中に染み渡っていくような感覚に陥り、次第に心根まで冷えていくようだ。

 やがて王族が住まう区画を表す赤いカーペットから、客室がある区画――青いカーペットの廊下に変わり、もうすぐで綾乃が間借りしている部屋が近づいていることを示す。

 そうして部屋の前まで来たテランスは乱暴に足蹴にして扉を開けると、そのまま部屋を突っ切り、部屋内にある小部屋の扉までも蹴破る。

 この小部屋はもともとは物置きとして用意されていた部屋で6畳ほどの広さがある。出入口は部屋に通じる扉のみで、直接廊下に行き来することが出来ない。今は物置き部屋としてではなく湯あみ用の部屋として使用させてもらっている。

「タビサ、湯あみを手伝え」
「は、はいっ!」

 いつもよりも鋭い声音に、タビサはピッと背筋を伸ばし返答する。

 伏せていた大きなタライに魔法で水を満たして温める。人一人ぐらい余裕で入れる大きさのタライだが、深さは当然タライなのでそこまでない。

 そこに包まれたまま降ろされ、じわりと外套がお湯を吸い肌に張り付く感覚。あまり心地よい感覚ではない。

「湯あみが終わったら呼べ」

 そう言うと、素っ気ない態度で部屋を出ていった。

「それじゃあタビサはいつも通り御髪を洗わせていただきますねー!」

 扉が閉まると、タビサが両手に泡を作り、頭を洗い始める。最初は自分でやると断っていたのだが、そうすると悲しい顔をしながら「タビサの存在意義を奪わないでください」と懇願するので、今では頭を洗うことはお願いしてしまっていた。綾乃はその間に体をタオルで洗っていく。

 洗い終わったらタビサが乾かしてくれてと至れり尽くせりなのだが、その環境に慣れすぎてしまい、もうタビサなしでは一人で風呂にも入れない始末だ。

「ずっとお戻りにならなくて、タビサはちょっぴり寂しかったです」
「そういえば、こんなに離れていたのは初めてね」

 異世界での生活を補助してくれているだけではなく、妹的な存在として寄り添ってくれるタビサは綾乃にとってなくてはならない存在になっている。ずっと一人っ子だった綾乃にとって妹という存在は憧れでもあった。



 さっぱりとした綾乃は、部屋着用のワンピースを着て鏡を見る。首筋に残る赤い印――デコルテが見えるタイプのワンピースでは点々と咲いた印が丸見えで居たたまれない。このままの姿でテランスの前に行くことを考えると胃が痛い。

「あ、そうだ……」

 ハンカチ代わりに持っているスカーフを取り出し、首に巻く。リボンを作ってデコルテに伸びるように垂らすと、完全にというわけにはいかないが概ね隠すことが出来た。

「これでいいかな」

 小部屋を出て部屋に戻ると、窓際で外を見ながら腕を組み仏頂面で立っているテランスが一つため息を吐き、椅子に座る。

 なんとなく目を合わせにくく思いながら、綾乃も向かいに座る。なんでこんなにも居心地が悪いのかと考えるが、罪悪感という言葉しか浮かんでこなかった。別に浮気をしたわけでもないし、テランスとそう言った縛りがあるわけでもない。でもこの胸を占めるのはまるで浮気がばれた時のような罪悪感だ。浮気をしたことが無い――というよりも深い男女関係になったことすらなかった綾乃だが、そわそわする胸の内はきっとそういう事なんだろうと思う。

「お茶淹れますね」

 湯あみ場の掃除が終わったタビサが今度はお茶を淹れるためにせわしなく動き始める。

「二つ多めに淹れてくれ」
「かしこまりました~!」

 用意されたカップは四つ、テーブルの真ん中にシュガーポットとクッキーの乗ったお皿。
 そうして準備が整った頃、扉をノックする音。テランスに蹴破られた扉はさすが堅牢な作りで、蝶番も歪むことなく扉としての役割を果たしている。多少、ドアの表面が汚れたぐらいだろうか。

「はーい。どうぞ~」

 タビサが扉を開けると、顔を見せたのはロッセラとリューだった。あらかじめロッセラにこの部屋に来るようにと話をしていたのだろう。リューも身支度を整えていて、きちんと礼服を着込んでいた。

「タイミングよかったみたいですね。」

 ロッセラはそう言うと席に着き、湯気の立ち昇るカップへティースプーン三杯のお砂糖を落とし、ゆっくりとかき回す。

 相変わらずの甘党だ。綾乃の口の中まで甘くなった気がして、自分のカップを持ち上げる。少し苦いお茶は、紅茶によく似ていて美味しい。

「さてと、話があるって? 僕とアヤノの関係については文句を言われる筋合いはないとだけ先に言っておこうかな。今回は合意の上だよ」

 そう言って、いたずらっ子ぽい笑顔を浮かべてウィンクをしてくるリューからぱっと視線を外す。まだ少し恥ずかしい。
「チッ……俺が教国に戻って確認してきた話をする」


 ★★★

 
 早馬を走らせモーリマルタ教国へとたどり着くと、すっかり深夜になっていた。だが、いつ寝ているんだか分からないほど仕事をしているミロスならばと執務室へと向かうと、案の定仕事をしている彼を見つける。

「やぁ久しぶりですね、テランス。順調に浄化を続けていると報告を受けております。お陰様で評判も上々で、他国からの要請と賄賂ががっぽが……コホン。さて、護衛の貴方がその役目を放り投げてまで戻ってきた理由を聞きましょうか」

「ランズェード国に伝わる神話を読んだ。『聖女、祈るたびに神気を蓄積し、いずれ体内より神気の氾濫を起こす。そして世界は神気に満ち――滅びるだろう』と」

 普段その柔和な表情を崩したことのないミロスが珍しく眉間にしわを寄せた。そして何か思案するように顎に手を添えて視線を巡らせる。

「他には?」
「……神気を開放するために魔素でも神気でもないものを体内へ取り込み、これを防ぐ。その栄えある役目には各国から代表選抜された六名の騎士が勤め上げた。そしてのちに産み落とされた聖女の落とし子は、聖女を祀る教国を建国した――以上だ」

「ふむ、我々が信仰する……というよりもこの世界で信仰の象徴となっているあの天使の像、あれは初代聖女様と言われています。そして我がモーリマルタ教国を建国した人こそが聖女様の御子だという事も……眉唾物だと思っていましたが、まさか事実だとは……」

「そのことに関して文献は残っていないのか?」
「ええ、伝え聞く程度で、それすらも風化しつつあります。ですがランズェード国に伝わっている神話のように、各国に我々の知らない神話が伝わり残っている可能性はあります。」

 そう一気に話し、一呼吸置くと再び話し始める。

「実は先日ランズェード国から使者がきまして、とある提案をされました。――我が国からも護衛として何名か聖女様の旅に同行させたい、と。あくまでも提案という形ですが、おそらく拒否権はありません。これは詳しく話すと長くなりますので割愛しますが、国同士の取り決めと思っていただけたら……」

「チッ、抜かりないな。おそらくはこのまま旅を続ければ各国から同じような要請を受けるだろうな。……めんどくせぇ」

「仕方ありません、このまま教国の派遣した聖女様と騎士が世界に平和を取り戻した……となれば、国交に多大なる影響を与えるでしょうし、教国の権力のみが膨れ上がれば各国のパワーバランスが一気に崩れます。」

「クソが……。」
「ところでもう一つの神気を蓄積というところは解決しているのですか?」

 そう切り出されたテランスは決まりが悪そうに頭を掻き、視線を外した。

「なるほど……。ならば聖女の護衛という任のほかにもう一つ貴方にはやってもらいたいことがあります。それは……」


 ★★★


「それは……?」

 ミロスの言葉の続きを一向に話そうとしないテランス。綾乃が首を傾げ聞くが沈黙が落ちるばかりだ。

 しばらくその沈黙が続くが「親父が言ってたのはこのことか……」とリューが吐き出すように独り言ちた。そしてその言葉尻を継ぐようにロッセラが話し始める。

「打診……がありました。私たちクレナイに国王から直々に。勅令ってやつですね」

 モーリマルタ教国の一人勝ちにさせたくない各国が一枚噛む為に護衛という名の干渉をし始めている。あわよくば御子を――という考えもありそうだった。

 ただ世界を――タビサの涙を拭いたい、そんな思いから始めた浄化だが、事が大きくなり始めていることをひしひしと感じて怖くなる。国家という蠢く大きな奔流に飲まれるんじゃないかと、綾乃は生唾をぐっと飲み下す。

「ねぇアヤノ、君は選べるよ。いくつも選択肢はある」
「え?」

 にっこりと柔和な笑顔を浮かべ、リューが指を三本立てた。

「一つ、各国から護衛という名の干渉を受けながら世界を浄化して回る。二つ、各国は浄化して回るが、干渉は受けないようゲリラで回る。三つ、嫌だと突っぱねる。決定権は君にあるんだ、君が嫌だと言ってこの世界を見放せばそれで終わりだ。世界はいずれ滅びるかもしれないけど、君のせいじゃない」

 指を一本ずつ折り込みながら、綾乃のこれからの可能性を述べていく。そして最後にこう付け足した。

「選択肢によって君がもし命を脅かされるようなことがあるなら、僕が全力で守り通すよ」

 きっとここですべてを投げ出して家に帰りたいと願えば、彼らはそれを叶えるために命すら賭してくれるだろう。

 テランスも不機嫌そうにしているが、目が合うと小さく頷いてリューの意見に同意した。

「現実問題、何かあったことを考えるとテランス一人では心もとないでしょう。せめてもう一人……リューは聖女様のそばにいたほうがいいですね。魔素の塊という不確定要素も増えましたし。ですので、各国からの干渉を突っぱねるにしても私たちの同行は認めていただきたいところです」

「チッ」

 小さく舌打ちはするが拒絶はしない。テランスにもわかっているのだろう。今回のように自分が側にいられない場合だって今後無いとは言い切れない。むしろ魔素の塊がまた発生し、数多くの魔物が押し寄せた場合――戦力が多いに越したことはない。今回これだけの魔素の波に飲まれ大した被害が出なかったのは運がよかったと言えよう。

 綾乃がいて、世界一大きな冒険者ギルドがあって、緊急ミッションが速やかに発令された。他にも要因はいくつもあるが、そういった積み重ねが結果に響いてくる。

「どうしたいかは考えておいて、じきに次の国へ出立する日がくるからその日までに……」

 そう言うとリューはカップをあおり一気にお茶を飲み干すと、立ち上がった。ロッセラの肩をポンと叩くと出口へと歩き始める。合図を受けてロッセラも立ち上がり、リューの後に続く。

「あとはテランスとよく話し合って」



 二人が部屋を出ていき、しばらく沈黙が続いたがぽつりとテランスがささやくように呟いた。

「本当は、俺だけがお前を守れれば……そう思うのは強欲なんだろうな」

 頬に手を伸ばされ、するりと撫でられる。指先は驚くほど冷たく、思わず綾乃はその手を覆うように自分の手を添えた。

 不機嫌さを滲ませていた表情がいつの間にか哀切に変わり、綾乃は胸がきゅっと締め付けられるような思いになる。

 零れ落ちそうな二つの気持ち。似ているようでどこか違う、テランスとリューに抱く気持ちはきっと不埒で不誠実。でも二つの気持ちは確かに綾乃の中から湧き出る正直な想いだ。

『自分がこんなにふしだらだなんて、思いもしなかった』

 椅子が倒れる音が響く――綾乃はテランスをその胸に抱き込む様に包み込んだ。
 
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