中町通りのアトリエ書房 水彩絵師と不器用小説家、世話焼き白うさぎ

橘花やよい

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1巻

1-2

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「美形だなあ、一色さん。眼福だ」
「えっ」
「え?」

 となりにいたお雪さんが、突然ぴんと後ろ脚だけで立ちあがった。なにごと、と絵莉はお雪さんを見つめる。お雪さんの黒い瞳が、ぎゅっと細まった。

「いけませんよ、絵莉さん」
「なにが?」
「絵莉さんに恋人なんて許しません。まだ早いです」
「……お父さんか。ていうかまたその話? わたし、もう二十六なんだけど」
「子どもじゃないですか。ちょっと前まで、はいはいしていた赤ん坊ですよ」

 そうだった、お雪さんは長生きだった。
 絵莉が物心ついたころには、お雪さんはもうこの店にいた。なんなら彩乃が幼いころ、祖父が幼いころにも、お雪さんはここにいたという。長生きだし、ひとの言葉を話すし、なにかと不思議なうさぎなのだ。
 ふんす、と鼻息を荒くするお雪さんをなでて、苦笑する。
 このうさぎ、けっこう口うるさい。うさぎは声帯がないはずなのに。
 ――あのふたりのほうが、しゃべらないよなあ。
 そういう意味で、うさぎっぽさは、とわと一色のほうが勝っているかもしれない。
 とわはいつもうさぎ耳のついた上着を着ているし、一色の黒い瞳もお雪さんの瞳に通じるものがあった。うさぎ好きの絵莉からすると、彼らとも仲よくなりたいものだけれど……、しゃべらないと、なかなかむずかしい。
 そう思った翌日のことだった。
 はじめて絵莉は、ふたりと話すことができた。
 あいかわらず声を聞くことはできなかったけれど、会話はできるものらしい。


 二階にはいつものように、とわがいる。それから一色も。彼らは集まると、ちゃぶ台にノートとタブレットを並べる。絵莉は本の整理をしたり、一階で彩乃の手伝いをしたりして過ごしていた。
 そうして二階にもどってきたときだ。

「うわあっ」

 定番の一番奥のちゃぶ台に座ろうとすると、とわに服の裾をぎゅっとつかまれた。
 不意打ちすぎて絵莉は飛び跳ね、それに驚いたとわもまた、びくっと飛びあがる。

「あ、ごめんね。えっと、どうかしたのかな……?」

 心を落ち着けていてみても、とわはうつむいたまま服をつまむだけ。
 な、なんだこれは。困った、どうすればいいんだ。
 少年との初コンタクト。戸惑いを隠せない。
 ――そりゃあ、仲よくなりたいな、とは思ったけど。
 そのとき、すっと、横からなにかが差し出された。一色のスマホだ。

「え? えっと……」

 わけがわからず一色を見上げるが、彼はあいかわらずの顔でスマホを示す。突然襲いかかってくる出来事の連続にびくびくしながら、絵莉はそのスマホを見た。

『お雪さんは、本日どちらに?』

 そんな文章が打ち込まれていた。

「お雪さん、は、いま、一階でお客さまになでられていると思いますが……?」

 そういえば今日は、まだ二階に顔を見せていなかったかもしれない。
 一色はスマホを操作して、もう一度見せてくる。

『とわくんが、お雪さんに会いたいそうで』
「あ、そうなんですか。もうすこししたら来ると思いますよ」

 いま一階にいるのは常連さんだ。お雪さんをずいぶん気に入っていて、なではじめると長いのだと彩乃が言っていた。けれど、そろそろ常連さんも帰るころだろう。

「もうすこし、待っていてもらえるかな?」

 絵莉がとわに向けて言うと、こくんとうなずかれる。そのとなりでは、また一色がスマホに文字を打ち込んでいた。

『ありがとうございます。とわくん、お雪さんのことが好きなんです』
「そうなんですね。お雪さんも喜びますよ」

 ……というか、なんで筆記?
 疑問に思ったが、頭をぶんっと振った。なんでもかんでも詮索すべきではないと、反省したばかりじゃないか。もしかしたら、声を出せない病気とかそういうこともあるかもしれないし、無神経なことは言えない。
 すっ、とスマホを差し出された。

『すみません、俺、口下手なもので』

 ……口下手。口下手?

『お恥ずかしながら。筆記のほうが、うまく言葉を伝えられるんです』
「はあ……」
『いつも、ごあいさつすらできず、申し訳ありません。一色ふみと申します』

 一色は表情を変えずに打ち込んでいく。それから、深々と頭をさげた。
 絵莉はぽかんと一色を見つめてから、小さく噴き出す。
 なるほど。この美形さんは話すのが苦手なのか。それで筆記とは、よっぽどなんだろう。独特なコミュニケーションだ。
 でも、たくさんの本に囲まれたこの場所には、文章で気持ちを伝える行為が馴染なじんでいる気がする。これはこれでよし。面白い。はじめてのタイプだ。

「全然いいですよ。お気になさらず、顔をあげてください」
『助かります』
「いえいえ。いつもおじぎしてくださるので、それだけでうれしいですし」
『よかった』

 ほんのすこし恥ずかしそうに眼鏡の位置を直した一色に、どきりとする。
 なんだか突然、かわいく見えてきたぞ、このひと。
 不機嫌そうに見えるのに文章は丁寧だから、単にそういう顔というだけなのだろう。ギャップがいい。そして美形だ。絵莉の好みだった。絵のモデルにしたい。

「わたし、安雲絵莉といいます。店主の彩乃とはいとこ同士で、いまは三階に居候いそうろうしてるんです」
『そうなんですね。俺は兎ノ書房が好きなので、あなたにもお世話になることが多いと思います。よろしくお願いします』
「こちらこそ」

 その横でとわは、べつのちゃぶ台に向かってノートを広げた。
 話しかけるなら、いましかない気がする。

「おふたりは、お勉強をされているんですか?」

 思いきって言ってみると、一色は首を横に振った。

『ふたりでそれぞれ小説を書いたり、読み合ったりしています』
「小説を?」

 首をかしげた絵莉を見て、とわは大きな目をまたたかせ、しばらく迷ってからノートを差し出してきた。

「えーっと、読んでいいのかな?」

 こくり、とうなずかれる。
 ――なんか、急に打ち解けてきた気がする。
 うれしさに口もとをゆるませながら、ノートを受け取った。
 たどたどしい文字でつづられた物語に目を落とす。
 男の子が、お父さんとお母さんとともに、いろいろな場所へ旅をする話だった。それはときに近所の公園だったり、ときに海の中の遊園地といったファンタジーな世界だったりと、子どもの自由な発想が広がっている。
 言葉から、たくさんの色があふれてくるみたいだ。
 未完なのか、途中でぷつりと文章が切れている。
 絵莉はノートを閉じた。
 その顔にふわりと笑みが浮かぶ。

「楽しいお話だね。ありがとう」

 瞬間、とわの表情がぱっと明るくなった。丸くやわらかそうな頬が朱色に色づく。
 なんだそれ、かわいい。絵莉はだらしなくなりそうな頬を気合で持ちあげた。

「そっか、とわくんたち、小説を書いてたんだね。完成したら、また読ませてもらえるかな?」

 こくこくこく、と、とわがうなずく。絵莉も内心、よっしゃとこぶしをにぎった。
 せっかく同じ時間を同じ場所で過ごしているのだから、仲よくなりたいと思うのは自然だろう。

「一色さんも、小説を書かれてるんですよね? どんなお話なんですか」

 すると彼は固まってから、迷いがちにいてくる。

『読みますか?』

 あ、ちょっと踏み込みすぎたかも。創作物を他人に見せたくないひともいるし……と思いながらも、絵莉はうなずいた。

「一色さんが嫌じゃなければ、読んでみたいです。あ、本当に嫌ならいいんです。ご無理をなさらず」

 もともと、絵莉は本が好きだった。兎ノ書房にも子どものころは何度も遊びに来たくらいだ。就職してからも装画を描く副業上、小説を読む機会は多かった。
 一色はうなずき、タブレットを手渡してくれる。

「ありがとうございます。読ませていただきますね」

 絵莉は笑顔で受け取り、文字に目を落とす。
 はっとした。
 ――うまいな、一色さん。
 書き出しから、物語に引き込む力がある。とわと読み合いをしているだけあって、使っている言葉は平仮名のやさしいものばかりなのに、想像を膨らませる文章に仕上がっていた。けれど文章全体の雰囲気は落ち着いていて、ほんのりとした色合いがやさしい。
 これは画面じゃなくて、紙の本で読んでみたい。

「すごいですね、一色さん。プロみたいです!」

 思わずはずんだ声を出してしまうと、一色はなぜだかわたわたと手を動かして(それでも無表情は崩れない)、スマホに文字を打ち込んでいく。

『一応、小説家を生業なりわいにしておりまして』
「え、あ、そうなんですか……!」

 小説家。
 ……どうしよう。プロに、プロみたい、と言ってしまった。失礼では。
 それに小説家って、はじめて見た。つい、まじまじと見てしまう。

「すごいですね、一色さん。あ、一色先生?」
『いえ。先生などと呼ばれるほどでは』
「でも小説家になるのって大変なんでしょう? 狭き門だって聞いてます。わたしには、すごいことだと思えますけど」
『ありがとうございます。ただ細々と執筆している身なので、本当にそこまで言ってもらえるほどでは。毎日綱渡りの生活です。それにいま、ちょっとスランプで』
「あ……」

 わずかに肩を落とした一色に、なんて言えばいいかわからず口をつぐんだ。
 スランプは、つらい。わかる。

「えっと……、出版業界が厳しいって話は聞いています。作家さんも本屋も、大変みたいですね」

 絵莉は苦笑を浮かべて話をそらした。
 本屋の主である彩乃が、深々とため息をついているのを知っている。
 いまやスマホひとつでなんでもできる時代。無料で遊べるゲームや動画サイトも充実している。だから余暇を読書についやすひとは減っているそうで、出版業界は不況なのだ。そのうえ、ネットで本を買える時代だから、書店を利用する客もすくなくなっているらしく、閉店する店は多い。がらいものだ。

「作家さんも、会社勤めをしながら、副業として執筆している方が多いんですよね」
『はい。なかなか、作家一本は厳しいです』
「へえ。一色さんも、ほかにお仕事を?」
『俺は話すのが苦手なので、会社勤めは性に合わなくて。いまはフリーのライターをしています』
「やっぱり書き物仕事なんですね」
『それしか能がないので』

 一色が眼鏡の奥の瞳で遠くを見つめた。ほぼ無表情だが、憂愁がただよう。
 絵莉は苦笑してうなずいた。

「創作活動は個人の時間が多いから、一色さんとは相性がいいんでしょうね」
『そうなんです。あなたも、なにか創作をされているんですか?』
「わたしは絵を描いていて……」

 まあ、いまは描けていないのだけど。
 心の中でつけ足したとき、だんだん、と音がした。

「あれ、お雪さん」

 一階からのぼってきたお雪さんが、後ろ脚で床を蹴っているのだ。ふんす、と鼻息が荒い。うさぎは怒ると、床を蹴る。まるで子どもが地団駄を踏むように。
 ――絵莉さんに恋人は早いです、って言われているような気が……
 なんだか気まずくて、苦笑が深まった。気分的には、男性といるところを父親に見られた、という感じだ。
 目をまたたく一色に「ちょっと虫の居所が悪いみたいですね」と言ってから、もうすこし声を大きくしてお雪さんに言う。

「とわくん、ずっとお雪さんのことを待っててくれたんだよ」

 お雪さんはふんっと鼻を鳴らしてから、気を取り直したのか、とわに向かっていった。とわも、ぱっと鮮やかな色を瞳にともして、お雪さんに手を伸ばす。
 ――本当にうさぎが好きなんだな。
 微笑ほほえましいと思った。


「とわくんたち、小説を書いてるんだって」

 店を閉めたあと、絵莉は図書室の畳に寝そべった。
 冬は、夜の色が空を侵食するのが速い。もうすっかり窓の外は深い色に包まれていて、寒々しかった。けれど図書室の色あせた畳や本棚は、みつ色のやさしい灯りに照らされている。
 絵莉は本棚に手を伸ばして、一冊抜き取った。
 この本は読んだことがある。

「絵莉さんが子どものころから、ここにある本ですね」

 お雪さんがとんとんっと軽い足取りでとなりに並んだ。その頭を指先でなでながら、表紙を見つめて、うーんと悩ましい息をこぼす。

「やっぱり、この表紙が気に入らないんだよね。もうちょっとこう……、淡い色づかいが合ってると思うんだ、この物語には」
「それ、むかしも言っていましたよ」
「え。ほんと?」
「本当です。絵莉さんは変わりませんね。いつか表紙を描き直してやる、と言っていました」

 そんなこと言ったっけ。若気の至りというか、なんというか。先輩画家になんて失礼なことを……。でも納得がいかないのだから仕方ない。表紙は物語世界への入り口だと思うから、その物語にもっともふさわしい絵で飾るべきだと思う。

「あ、この絵は好き。鹿先生」

 抜き出した本は、淡い水彩のイラストが目を引く一冊だった。海の中のようにも、空の上のようにも見える、青を基調とした絵。波間のような雲のような、白く輝く揺らめきに、目が吸い込まれる。
 鹿野は児童書を中心に、最近よく表紙を描いている売れっ子の画家だ。
 絵莉のあこがれで、参考にしているひとでもあった。

「いまの絵莉さんなら、さきほどの本にどんな表紙を描きますか?」
「え? うーん、そうだなあ。わたしなら――」

 返す言葉に迷った。
 筆をにぎる感覚は、指先に残っている。
 だが描けるかと言われたら、無理だと思う。

「……前に言ったでしょ。わたし、描けなくなったの。アイデアも降ってこない」

 ぽつりと言う声は、乾いた絵の具みたいにぱきぱきとしていた。
 スランプと言っていた一色と同じように、絵莉もまた迷路をさまよっている。
 心に濁った灰色が広がって、苦しくなった。せっかく生活を変えて長野にまで来たのに、この暗い色は簡単に消えてくれないらしい。
 お雪さんは絵莉を見上げて、ふむ、とうなずく。

「そういえば、絵莉さんが帰ってきた理由を、聞いていませんでしたね」
「んー、たいした意味なんてないよ? ひとに聞かせるほどじゃない」

 お雪さんの視線が絵莉へ、じっと注がれた。絵莉はこの瞳に弱い。びくりとする。
 全部、見透かされているみたいだ。
 でもお雪さんの声は、やわらかかった。

「絵莉さん。わたしは、うさぎです」
「え? うん、知ってるけど」

 もふっと頬ずりしてくるのは、どこからどう見ても、かわいいうさぎ。美声を響かせるし長生きだけれど、うさぎにはちがいない。

「それがどうかした?」
「ひとに聞かせられずとも、うさぎになら聞かせていいのでは?」

 絵莉はきょとんとした。言われたことを理解するのに、数秒かかった。

「……ああ、たしかにそうかもね。お雪さんは、うさぎだもんね」

 気が抜けたように笑って、お雪さんの背中をなでてやる。
 まったくこのうさぎは、イケメンだ。

「お雪さんモテるでしょ」
「ええ。けっこう」
「うさぎにしておくには、もったいないなあ」

 いや、この場合はうさぎだからこそ、いいのか。
 ひとしきり笑ってから、深く息を吸った。
 うさぎになら聞かせてもいいかと、絵莉はいままでのことを話しはじめる。
 美大でまわりの実力に圧倒されたこと。
 会社での平坦で退屈でつらい日々。
 機械に負けてしまったこと――

「描くのが、楽しくないんだ」

 つぶやいて寝転がり、お雪さんのふかふかの毛に顔をうずめた。
 あたたかい。最高のクッションだ。

「それでね、どうしよう……って思ったとき、兎ノ書房を思い出した。居心地がいい場所だったなあって。兎ノ書房でゆっくりしたいって思ったの」
「そう言ってもらえるのは、うれしいですね。しげるさんときょうさんも喜びます」

 祖父母の名だ。
 絵莉は笑って、寝返りを打つ。
 兎ノ書房は、おだやかな時間が流れている。だれでも受け入れてくれる、そんな空気は祖父母が、そしていまは彩乃がつくり出しているのだろう。
 店の手伝いをしてくれるなら格安家賃で住まわせてあげる、という彩乃の言葉に、絵莉はすぐさまうなずいて、ここに転がり込んだのだ。

「童話みたいな空気感があると思うんだよね、兎ノ書房って。やさしくて、あったかくて……。あとほら、お雪さんがいるし。不思議の国のアリスの白うさぎみたいな。兎ノ書房のマスコット」

 こちょこちょと指先でなでると、お雪さんはぷう、と高く鼻を鳴らした。ご機嫌のサインだ。
 やさしい場所に、身を置きたくなった。だから絵莉はここに来た。
 もしかしたら、とわや一色も、そうなのかもしれない。だとしたら、いまは二階を任されている身として、彼らにも居心地のいい空間を提供したい。
 起きあがって、ぺしっと自分の頬をたたいた。

「さて、夜ごはんつくろっか。今日はオムライスね」

 ひとまずは、目の前のやるべきことをこなそう。
 夕食づくりも、ここに住むときに彩乃から提示された条件だ。

「お雪さんって、オムライスも食べられるの?」
「わたしはなんでも食べますよ。そこらのうさぎとは、ちがいますから。半熟とろとろの卵でお願いします」
「難易度高いことを……。できるかなあ。がんばってみる」

 結果、卵は失敗した。スクランブルエッグになった。大失敗だ。
 それでもお雪さんは「おいしい」と食べてくれたし、彩乃はけらけら笑っていた。


 ちょっと配達に行ってきて、と彩乃に言われたのは、二階のちゃぶ台でだらだらしているときだった。今日はめずらしく、とわもいない。二階は完全に無人だ。

「配達?」
「そ。足腰悪いおじいちゃんおばあちゃんの家には、直接本を届けに行ってるの。自転車で行ける距離のお宅しかないから、安心して」
「えええ……」
「なによその顔。寒いから嫌とか?」

 それもたしかにある。けれど、それ以上に重大な問題があった。

「わたし、重度の方向おんです。スマホあっても、知らない道は必ず迷います」

 手を挙げて宣言すると、彩乃は「なんだそりゃ」と笑って絵莉の背中をたたく。

「大丈夫。優秀なナビをつけてあげるから。へい、お雪さーん!」
「道案内ですね。わかりました」

 白うさぎはすべて理解した顔でうなずく。
 あれよあれよと、荷台に本をくくりつけた兎ノ書房の自転車のもとまで連れていかれた。外に出ると、当然のように息が白く立ちのぼる。
 恐ろしいことに、彩乃の手には絵莉のコートとマフラーがあった。準備がよすぎる。
 ため息をついてコートを着込み、マフラーで鼻まで覆う。
 優秀なうさぎナビは、自転車のカゴに飛び乗った。

「では行きましょう」
「うわあ、自転車乗るの久しぶり。中学生ぶりかな」
「……倒れないでくださいよ?」
「失礼な。そこまでドジじゃないです」

 絵莉はマフラーの下でむっとしながら、自転車を出発させた。最初すこしふらついたのは……、まあ、仕方ないじゃないか。カゴの中からもの言いたげなお雪さんの視線を感じて、あはは、と愛想笑いが浮かんだ。

「まったく。そこを右です。あの赤い屋根がみねさんのお宅。ミステリー小説がお好きなご婦人です。今回は二冊のお届けですね」

 お雪さんが配達メモを見ながら指示してくる。
 平日の昼間とはいえ、観光客の姿はある。すれちがうひとたちに「え、うさぎ⁉」と二度見されてしまった。

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