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星見酒と月の蝶
(一)
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この家には、「おかしな隣人」がたくさんいるらしい。
庭の銀杏の木に、鳥ではない影がある。うさぎに翼が生えたような、へんてこりんな姿。それからコスモスに紛れて、ペンギンのような黒い身体に一つ目の者が、こちらを見て瞬きひとつ。
「穂乃花さん。なにか羽織らないと風邪引くよ。耳、赤くなってる」
「わっ、雪斗さん……!」
振り向くと上着をかけられ、ついでに白い指でつんつんと耳に触れられたものだから、穂乃花は飛び上がった。
「雪斗さんの手、冷たいんですけど」
恨めしげに見上げると、彼の手首でブレスレットの鈴が、ちりりん、と軽やかな音を奏でる。
「ごめんごめん。マフラーも持ってこようか?」
「あー……、ううん、いいです。マフラー、段ボールの中だし。でも、さすがに山は冷えますね」
紅葉に覆われた山の中腹に、ぽつんと建つ古民家。障子が開け放たれて庭から丸見えの居間には、いくつもの段ボールが積まれている。これからあれを片付けるのかと思うとため息が出て、また雪斗に笑われた。
「あ、あの子かわいい」
穂乃花の視界の端に、ててて、とひとりの少女が走っていく。ふとすれば見失ってしまうような、親指サイズの和装少女。きれいなおかっぱ頭だった。ちょっとこっちを向いて、草木の中に消えていく。
「穂乃花さん、なにを視ているの」
つんとした声は、玄関から出てきた雪斗の母だ。クールな彼女は、穂乃花の見ていた先を確認して、いつもよりもっと顔を冷たくした。
「なにかいたの?」
穂乃花の胸が、ひやりとする。
「――いいえ、なにも」
顔がこわばりそうになりながら、無理やり口角を持ち上げた。
彼女は黙って穂乃花を見据えてから「そう」とだけ言って、庭に駐まっている車に向かう。途中、庭を見渡して眉をひそめ、ぶるりと身を震わせた。
「まったくあの子ったら。ごめんなさいねえ、穂乃花さん。あの子怖がりなのよ」
すこし遅れて、行儀よく着物をまとった老婦人が玄関から姿を見せた。雪斗が「おばあちゃん、もう行くの?」と残念そうな顔になる。優しい彼がそういう顔をすると、他の人の何倍も情けない。
「ええ、早くしないと怒られてしまうわ。あの子せっかちだし」
老婦人は肩をすくめて、車の方を見る。それからまた穂乃花たちに微笑んだ。
「あとのことはよろしく頼みますよ。まあ、雪斗がいい子なのは知っているし、穂乃花さんも優しい子だから、大丈夫ね」
朗らかに言ってのけた老婦人に、穂乃花もやっと心が落ち着いて微笑んだ。
「千代さん、私と会って一日しか経ってないのに、そんなに信用していいんですか? 私、悪い子かもしれませんよ?」
「雪斗が連れて来た女性というだけで、十分お墨付きですよ。――あ、そうそう。家の裏手にある社には、毎日お供えしてあげてちょうだいね。大事な龍神さまですから」
それじゃ、と老婦人、千代は深くお辞儀をして車の後部座席に乗り込んだ。
「さて、寒いし中に入ろうか」
「はい」
「穂乃花さん、大丈夫だよ。母さんはそんなに怖い人じゃないから」
「……はい」
大丈夫、大丈夫と微笑む雪斗のおかげで、なんだか大丈夫な気がしてきた。雪斗の母と祖母を乗せた車が山を下りていくのを見送って、雪斗は木と畳の匂いに満ちた家の中へ入っていく。穂乃花も小走りで追いかけた。
今日からふたりで暮らす、山の中の家。
穂乃花は引っ越し――というより、ここに逃げてきた。
雪斗の母の、あの目から。
庭の銀杏の木に、鳥ではない影がある。うさぎに翼が生えたような、へんてこりんな姿。それからコスモスに紛れて、ペンギンのような黒い身体に一つ目の者が、こちらを見て瞬きひとつ。
「穂乃花さん。なにか羽織らないと風邪引くよ。耳、赤くなってる」
「わっ、雪斗さん……!」
振り向くと上着をかけられ、ついでに白い指でつんつんと耳に触れられたものだから、穂乃花は飛び上がった。
「雪斗さんの手、冷たいんですけど」
恨めしげに見上げると、彼の手首でブレスレットの鈴が、ちりりん、と軽やかな音を奏でる。
「ごめんごめん。マフラーも持ってこようか?」
「あー……、ううん、いいです。マフラー、段ボールの中だし。でも、さすがに山は冷えますね」
紅葉に覆われた山の中腹に、ぽつんと建つ古民家。障子が開け放たれて庭から丸見えの居間には、いくつもの段ボールが積まれている。これからあれを片付けるのかと思うとため息が出て、また雪斗に笑われた。
「あ、あの子かわいい」
穂乃花の視界の端に、ててて、とひとりの少女が走っていく。ふとすれば見失ってしまうような、親指サイズの和装少女。きれいなおかっぱ頭だった。ちょっとこっちを向いて、草木の中に消えていく。
「穂乃花さん、なにを視ているの」
つんとした声は、玄関から出てきた雪斗の母だ。クールな彼女は、穂乃花の見ていた先を確認して、いつもよりもっと顔を冷たくした。
「なにかいたの?」
穂乃花の胸が、ひやりとする。
「――いいえ、なにも」
顔がこわばりそうになりながら、無理やり口角を持ち上げた。
彼女は黙って穂乃花を見据えてから「そう」とだけ言って、庭に駐まっている車に向かう。途中、庭を見渡して眉をひそめ、ぶるりと身を震わせた。
「まったくあの子ったら。ごめんなさいねえ、穂乃花さん。あの子怖がりなのよ」
すこし遅れて、行儀よく着物をまとった老婦人が玄関から姿を見せた。雪斗が「おばあちゃん、もう行くの?」と残念そうな顔になる。優しい彼がそういう顔をすると、他の人の何倍も情けない。
「ええ、早くしないと怒られてしまうわ。あの子せっかちだし」
老婦人は肩をすくめて、車の方を見る。それからまた穂乃花たちに微笑んだ。
「あとのことはよろしく頼みますよ。まあ、雪斗がいい子なのは知っているし、穂乃花さんも優しい子だから、大丈夫ね」
朗らかに言ってのけた老婦人に、穂乃花もやっと心が落ち着いて微笑んだ。
「千代さん、私と会って一日しか経ってないのに、そんなに信用していいんですか? 私、悪い子かもしれませんよ?」
「雪斗が連れて来た女性というだけで、十分お墨付きですよ。――あ、そうそう。家の裏手にある社には、毎日お供えしてあげてちょうだいね。大事な龍神さまですから」
それじゃ、と老婦人、千代は深くお辞儀をして車の後部座席に乗り込んだ。
「さて、寒いし中に入ろうか」
「はい」
「穂乃花さん、大丈夫だよ。母さんはそんなに怖い人じゃないから」
「……はい」
大丈夫、大丈夫と微笑む雪斗のおかげで、なんだか大丈夫な気がしてきた。雪斗の母と祖母を乗せた車が山を下りていくのを見送って、雪斗は木と畳の匂いに満ちた家の中へ入っていく。穂乃花も小走りで追いかけた。
今日からふたりで暮らす、山の中の家。
穂乃花は引っ越し――というより、ここに逃げてきた。
雪斗の母の、あの目から。
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