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疎まれた令嬢の死と、残された人々の破滅について
疎まれた令嬢の死と、残された人々の破滅について-1
序章
大陸の北に位置する、ニルナ王国。
山脈にある水源からもたらされる河川の恵みと、豊富な資源により繁栄する国だ。
そのため他国から領地を狙われることも多く、幾度となく戦火に晒されてきた。
強大な軍事国家である隣国、ステラ帝国と同盟を結んだことや、十数年前の戦で勝利を収めたことにより、ようやく安定した国力を手に入れ、平和な時代を享受している。
今夜、王城では貴族子女が通う王立学園の卒業記念式典が開かれている。
豪華な装飾が施されたきらびやかな大広間には、楽団が演奏する優美な音楽が流れており、集まった卒業生とそのパートナーや親族たちは、一様に浮かれ顔で未来への希望を語り合っていた。
「皆に伝えたいことがある」
そんな和やかな空気を裂くような低い声が響き渡り、客たちは会話を途切れさせた。奏者たちも手を止めたせいで、広間には突然の静寂が訪れる。
声の主は、壇上に立つ王太子ベルビュート。
王族の証である赤い髪と緑の瞳を備えた精悍な顔立ち。青年から大人の男性へ成長をはじめたたくましい体躯。まだ十九歳という若さではあるが、彼の表情はこれからこの国を支えていくという自信に満ちているように見えた。
「この時をもって、このベルビュート・ニルナはロロナ・リュースとの婚約を破棄する」
会場が揺れるほどのざわめきが起こる。
突然の発言に、誰もが混乱しているようだった。
ある者は眉をひそめ、ある者たちは顔を見合わせ小声で何ごとかを囁きあっている。
困惑と驚愕が広がる中、一人の少女が前へ進み出た。
「殿下……いま、なんとおっしゃいましたか?」
「聞こえなかったのか、ロロナ。俺はお前との婚約を破棄すると言ったんだ」
深紅のドレスを身にまとい、銀色の髪をきっちりと結いあげて細い首筋を晒す美しい少女の名は、ロロナ・リュース。
十八歳とは思えないほど大人びた顔立ちのロロナはリュース伯爵家の令嬢であり、この卒業記念式典に在校生代表として出席していた。
にもかかわらず、その横には誰もいない。
本来ならば婚約者であるベルビュートにエスコートされているべきなのに、二人の間には誰の目にもわかるほどの距離が存在していた。
ロロナは壇下からベルビュートを見つめ、菫色の瞳をわずかに細めたが、その表情からはなんの感情も読み取れない。
「本気でおっしゃっているのでしょうか」
紅の塗られた唇から紡がれる声は硬質で、怒りも悲しみも感じていないようだった。
「ロロナ……本当にお前は可愛げのない女だ。俺の言葉を聞いても動揺するそぶりすら見せないとは、さすが『水晶姫』だな」
侮蔑の滲んだ言葉を発するベルビュートは、忌々しいとでも言いたげに口元をゆがめた。
「殿下からそのように呼ばれる日が来るとは思いませんでした」
「はっ……『心を持たぬ紫水晶』とはよく言ったものだ。笑うことも怒ることもない冷徹なお前には似合いの二つ名だろう?」
あからさまな煽りを受けたにもかかわらず、ロロナの表情が乱れることはない。
そのことが不満なのか、ベルビュートは眉間に皺を寄せる。
「ベルビュートさま!!」
そんな二人の空気を壊すように、ベルビュートの背後から突如として小柄な少女が現れた。
「お姉さまにそんなひどいことを言わないでさしあげて……あまりにかわいそうです」
「ルミナ……お前は本当に優しいな」
ゆるくウエーブのかかった飴色の髪に、とろけた蜂蜜のような瞳をした愛らしく可憐な少女は、ロロナの異母妹であるルミナだ。
先日ようやく十六歳となり社交界入りしたばかりのはずなのに、ルミナは自分がここにいるのが当然だというような顔をしてベルビュートの横に並んだ。そして瞳を潤ませながら、その腕に縋りつく。
二人の姿はまるで仲睦まじい恋人同士にしか見えず、周囲のざわめきが色濃くなる。
ベルビュートはルミナを愛しげに見つめた後、鋭くも冷たい視線をロロナに向けた。
「……ロロナ。お前は母親が貴族ではないという理由だけで、妹であるルミナを虐めていたそうではないか。そのような悪辣な女を、俺は妻に迎えるつもりはない」
「それが理由ですか?」
「いいや、それだけではない。お前はいやしくも伯爵家の一員でありながら、市井で平民にまざり商売をしているそうだな。俺の婚約者という肩書きを悪用し、私腹を肥やしているという噂まである。そんな品性の欠片もないお前が、王妃になれるはずがないだろう」
「……さようでございますか」
ベルビュートの言葉にロロナはわずかに目を伏せるが、表情に変化はないままだ。
周囲から「やはり感情がないというのは本当なのか」「さすがは『水晶姫』だ」と心ない囁き声が漏れはじめても、動揺するそぶりすら見せない。
「かしこまりました」
静かな声で返事をしたロロナは、指先でドレスの裾を軽くつまみ、深く頭を下げた。
その美しく完璧なしぐさに、周囲はいま起こった騒動を忘れたかのように、ほぅとため息をこぼす。
ベルビュートさえも、彼女のしぐさに呆けたように目を奪われていた。
「それでは、失礼いたします」
ふわりとドレスの裾をなびかせ、ロロナは颯爽と壇上の二人に背を向けた。その動きはまるで舞台に立つ女優のように凛としたもので、誰もが言葉を忘れてその姿に見惚れている。
ロロナの靴が立てた優雅な足音に、ようやく我に返ったベルビュートが「おい!」と叫ばなければ、彼女はそのまま会場を出ていってしまっただろう。
「まだ何か?」
呼びとめられたのが意外とばかりに振り返るロロナに、ベルビュートは慌てた様子で表情を引き締め、わざとらしく咳払いをした。
「お前、何か申し開きはないのか?」
「ございません」
「なっ……なんだと!」
うわずった声で叫ぶベルビュートの横では、ルミナが困惑の表情でロロナを見つめている。
婚約破棄を告げた者と告げられた者という立場が、まるで逆転したような構図だった。
「お話は以上ですか? では、婚約解消の手続きはベルビュート様にお任せいたします」
「おい!!」
これ以上は時間が惜しいとでも言うように、ロロナはためらいなく会場を出ていく。
舞台の幕引きのような、とても清々しい去り様だった。
残されたベルビュートは「最後まで可愛げのない女だ!」と苦し紛れに叫んで、無理やりにその場を収めることしかできなかった。
突如として起きた王太子と伯爵令嬢の婚約破棄騒動は、その夜のうちに式典の参加者の口から王都中に広まることになる。
未来の王妃として社交界に名を馳せていたロロナが抱える昏い噂に皆が熱狂し、早く誰かと語らいたいと夜明けを待ちわびた。
その翌日、さらなる衝撃的な知らせが彼らにもたらされた。
伯爵令嬢ロロナ・リュースが事故死した、と。
第一章 終わりのはじまり
王太子ベルビュート 一
「ロロナが死んだ、だと?」
知らせを受けたベルビュートは目を見開いて固まった。
ようやく自室に戻り、疲れ切った身体を休めようとしていた矢先のことだった。
思わずよろめきながらも、椅子にしがみつくようにして腰を下ろす。
「なぜこのタイミングで……」
ぐったりとうなだれながら頭を抱えたベルビュートは苛立たしげに舌打ちし、前髪をぐしゃりと握りつぶした。
「どうせ死ぬのならば、もっと早く死んでくれていればよかったものを!」
怒声とともに机を蹴りあげると、その場に控える執事やメイドたちが身体をすくませる。
ほんの数刻前、ベルビュートは国王と王妃に、昨夜の騒動について釈明をしたばかりだった。
「本当に最後まで忌々しい女だ」
疲れ切った様子で苦言を呈する両親の顔を思い出し、ベルビュートは長いため息をこぼす。
事前になんの相談もなくロロナに婚約破棄を告げたことを、国王も王妃もひどく憂いていた。
王族ならばもっと手順を踏み、騒動にならぬよう行動を起こすべきだったとベルビュートを非難したのだ。
幸いだったのは、婚約破棄そのものを撤回しろと言われなかったことだろう。
『王太子として自らの発言には責任を持て』
国王の静かな言葉を思い出し、ベルビュートはふんと鼻を鳴らす。
『もちろんです。この婚約破棄に関わる責任や賠償はすべて自分で賄います』
もとよりそのつもりだったとベルビュートは国王に宣言したのだった。
(俺の行動は英断だと讃えられるべきだ。ロロナは王妃にふさわしい女ではなかった)
ロロナが死んだことでその証明は難しくなったが、考えようによってはずいぶんと話が早くなった、と気を取り直す。
婚約破棄と言ってしまえば簡単だが、その手続きは意外と手間がかかる。
貴族の結婚は契約だ。正式な書面を作り、貴族院と教会の許可を得て締結される。
もし破棄するとなれば、双方の同意を示す書類と違約金を用意しなければならない。
だが、片方が死んだとなれば話は別だ。死別は契約違反ではない。
ベルビュートは、ロロナの死のおかげで婚約破棄に伴う事務作業と高額な違約金を支払う義務から解放されたのだ。
「最高の遺産だよ、ロロナ」
うっとりと微笑むベルビュートの顔に、王太子らしい気品は欠片もなかった。
ロロナの生家であるリュース伯爵家は歴史こそ古いが、特に大きな影響力があるわけではない平凡な伯爵家。なのになぜ、王太子ベルビュートがロロナと婚約することになったかといえば、ひとえに十数年前の戦が原因だった。
ロロナの父であるリュース伯爵は、その戦で将として前線に立ち、大きな戦果を上げた。英雄リュース伯爵の活躍がなければ、ニルナ王国は負けていたかもしれない。その功績に対する褒美の一つとして、彼の娘ロロナを王妃として迎え入れるという約束がなされた。
婚約はベルビュートが四歳、ロロナが三歳の時だ。
だから物心ついた時、ベルビュートの横にはもうロロナがいた。
王族として生まれ、同じ年頃の子どもと触れ合う機会がなかったベルビュートにとって、ロロナは唯一ともいえる交流相手だった。
机を並べて学びながら、ともに成長し、デビュタントの日にはファーストダンスを踊った。
十四年もの長い間、隣にはずっとロロナがいたのだ。
「…………」
一瞬、ベルビュートの胸に苦いものがこみあげる。
その感情がなんなのかわからず、ベルビュートは思い切り顔をしかめた。
深い愛や恋心があったわけではないが、ともに過ごした日々で積み重ねた情のようなものは確かにあった。結婚してもそれなりの関係を築いていけると信じていた頃もある。
だが、いつしかベルビュートはロロナのことを疎ましく思うようになっていた。
ロロナは優秀すぎたのだ。どんな勉学においてもベルビュートの一歩先を行く。追いついたと思っても次の瞬間には遥か高みに登っていく。それが歯がゆかった。自分を支え、隣を歩くはずの存在が、自分よりも優秀であるという事実は、ベルビュートの矜持をひどく傷つけた。
愛らしい少女から美しい女性に成長する姿に、感動よりも先に畏怖を感じてしまったのも大きい。
何があっても怒ることも声を上げて笑うこともないロロナ。感情があるのか不安になるほど表情を変えないことから、瞳の色になぞらえて『心を持たぬ紫水晶』とまで呼ばれるほどに無機質で神々しい美しさを湛えるロロナが、ベルビュートは恐ろしかったのだ。
触れれば壊れてしまうのではないか、本当は腹の中で無能な自分をあざ笑っているのではないか。ベルビュートの心を不安が蝕むのに、そう時間はかからなかった。
いまのベルビュートがロロナに対して抱く思いは、もはや憎しみと失望だけのはずだったのに。
「……まあいい。これで俺はルミナと婚約できる。あいつだってリュース伯爵家の娘だ、約束を反故にするわけではない」
まるで自分に言い聞かせるように呟いて、ベルビュートは自分の中に湧きあがった感情に蓋をしたのだった。
異母妹ルミナ 一
「お姉さまが死んだ?」
真っ青な顔をした執事長が持ってきた知らせに、ルミナは急いで両手で顔を覆った。
その姿は、周囲からしてみれば姉の死を嘆き悲しんでいるように見えただろう。
だが、実際には笑い出したいのを必死にこらえているだけだ。
手のひらに包まれた口元は、三日月のごとき孤を描いている。
(なんてこと、あの邪魔なお姉さまがいなくなるなんて!! これですべて私のものだわ!)
叫び出したいのを呑みこむと、身体がふるふると震えた。
「ルミナ様……ああ、なんとおいたわしい」
執事長は彼女が泣いていると思ったのだろう。震えるルミナの肩にショールをかけて椅子に座らせる。
「ロロナお姉さまはどうして死んだの?」
顔を両手で覆ったままルミナが問えば、執事長はためらいながらもゆっくりと口を開いた。
「馬車が事故を起こしたのです。それはひどい有様で……ロロナ様のお身体は、その……」
「どうなったというの?」
「お顔が……これ以上はお許しください……」
「そう……しばらく一人にしてちょうだい……おねがい……」
か細い声で訴えると、執事長やメイドたちは静かに頷き、部屋を出ていく。
残されたルミナは、完全に人の気配がなくなったことを確認してからようやく顔を上げた。
「ふふふ! やった! やったわ! なんて幸運なの!」
淑女としての慎みを忘れてソファにあおむけに横たわると、子どものようにはしゃいだ声を上げる。
晴れ晴れとした表情には、姉の死を悼む気配など欠片もない。
「これでベルビュートさまとリュース家のすべてが私のものになるのね! 素敵!」
嬉しくてたまらないといった様子で、ルミナはクッションを抱きしめた。
ルミナにとって二つ年上の異母姉であるロロナは、目の上のたんこぶでしかなかった。
いつも澄ました顔で、勉強や礼儀作法を完璧にこなす品行方正なロロナ。
顔立ちは女神のように美しかったが、それだけだ。声を上げて笑うことも、足を踏み鳴らして怒ることもないロロナのことがルミナは大嫌いだった。
「あの嫌な女がいなくなってせいせいするわ」
吐き捨てるように口にしながら、ルミナは愛らしいと称される顔を嬉しそうにゆがめた。
二人はリュース伯爵家の娘ではあったが、母親が異なる。
ロロナを生んだ前リュース伯爵夫人はしがない子爵家の令嬢で、菫色の瞳以外は平凡な顔立ちだった。飾られている肖像画を目にするたび、どうしてこんな女からロロナが生まれたのだとルミナは不思議に思ったくらいだ。
対して、ルミナの母であり現リュース伯爵夫人であるベルベラッサは華やかな美女だ。ルミナと同じ飴色の髪に蜂蜜色の瞳。華奢な身体と上品な立ち居振る舞いは完璧な貴婦人のそれで、ルミナはベルベラッサが鏡の前で美しく着飾る姿を見るのが何より好きだった。
「これでもう誰も私とお母さまを馬鹿になんてできないわ」
そう呟くルミナの瞳は欲望にきらめいていた。
ベルベラッサは平民の出だが、貴族の血を引いている。祖父がとある貴族の庶子だったのだ。
その美しい見た目は高貴な血統がもたらした恩恵だと祖父は喜び、彼女に最高の教育を施した。そして縁者を頼り、行儀見習いの名目で貴族の屋敷に出入りさせたという。
努力の甲斐あって、幸運にもベルベラッサは妻を亡くしたばかりのリュース伯爵の目に留まり、ルミナを身ごもった。
平民の生まれでありながら伯爵夫人にまで登り詰めたベルベラッサの物語はルミナの自慢だったが、周囲はそうではなかった。成りあがりの毒婦だと見下す者は少なくない。母は何を言われても平然としていたが、ルミナは悔しくてたまらなかった。
父である伯爵はいつも忙しいらしく、ほとんど屋敷にいることがない。母が苦しんでいることすら知らないのかもしれない。
せめて自分だけでも母の足枷にならぬように、ルミナは必死に努力した。礼儀作法をはじめ、あらゆる勉強に必死に取り組んだ。
だが、どうあがいてもロロナには敵わなかった。
周囲はルミナの不出来さを嘲るどころか、相手がロロナなのだから仕方がないと慰め甘やかした。その優しさは逆にルミナのプライドをひどく傷つけたのだった。
「ふ、ふふ……でももういいわ。だって私がリュース伯爵家を継ぐんだから」
この国は男女問わず、第一子相続が原則。
だがリュース家の第一子であるロロナは王太子ベルビュートの婚約者で、いずれは伯爵家を出て王家へ嫁ぐ身だ。ルミナは自分がリュース家を相続するものだと信じていた。だから幼い頃はロロナがどんなに優秀でも許せたのに。
『ロロナお姉さまが次期当主ですって!?』
ある日突然知らされた事実に、ルミナは激しく打ちのめされた。
第一子が別の家門に婿入りや嫁入りする場合、爵位を掛け持ちできるという法律があったのだ。
それは第一子を体よく追い出し家門を乗っ取るという悪事が横行したことにより生まれた古いもので、ルミナは存在すら知らなかった。
ロロナはベルビュートに嫁いだ後もリュース家の家門を背負い、いずれ生まれる子どもにリュース伯爵位を継がせるつもりだと宣言したのだ。
「ルミナがいるのに!」
その時のことを思い出したルミナは、怒りに任せてクッションを殴りつけた。
跡継ぎになれないルミナは、ほんのわずかな財産を分与されてどこかの貴族に嫁ぐことになるのだろう。
そんなの納得できなかった。どうしてロロナばかり優遇されるのだ。血統、見た目、才能。何もかもを持って生まれたくせに。王太子の婚約者という地位だけでは飽き足らず、伯爵家のすべてを手に入れようとするロロナが憎らしくて、疎ましくてたまらなかった。
「残念だったわね、お姉さま。死んでくれて助かったわ」
ロロナが死んだいま、リュース家の跡継ぎはルミナ一人。
誰がなんと言おうと、全部ルミナのものだ。
「ベルビュートさまにお会いしなくっちゃ!」
声を弾ませながら立ちあがる。
たとえ喜ばしい死であっても、表向きは悼まなければならない。
なるべく喪に服して見えるような大人しいドレスを選ぶため、ルミナは鼻歌交じりでクローゼットの扉を開けた。
管財人シェザム 一
「ロロナお嬢様が亡くなっただと!?」
真っ青になって叫んだのは、リュース家の管財人であるシェザム・ベルマン。
まだ二十六歳という若さだというのに、その顔には拭いきれぬ疲れが滲み、目の下には深く濃いクマが浮かんでいる。
シェザムは祖父の代から伯爵家に仕える家系に生まれ、早逝した父に代わり、若くしてリュース家の管財人となった。
不在がちな伯爵に代わり、いまではリュース家の金回りを一手に管理している。
伝令が息を切らせ届けてくれた電報を受け取ったシェザムは、蒼白な顔のまま執務室の椅子から一度は立ちあがるも、足を震わせずるずると床に座りこんでしまった。
「おしまいだ……何もかもがおしまいだ……」
虚ろな瞳のまま震える声でそう呟いたシェザムは、机にしがみつくようにしてなんとか立ちあがる。そして震える手で引き出しという引き出しを開けて、何枚もの書類を机の上に引っ張り出した。
乱雑に散らばるその書類には、どれもロロナのサインがしてある。それらはすべて借用書だった。
「伯爵に……伯爵に知らせなければ!」
悲痛な声で叫んだシェザムは書類をすべて鞄に突っこむと、転がるように執務室を飛び出す。
リュース家は借金まみれの家だ。
家のことに興味を示さず軍事に入れこむ伯爵は、訓練だ演習だといって別邸に入り浸り、めったに屋敷へ戻ってこない。戦時中はそれでよかったのだろう。功績を上げれば報奨金がもらえたし、ほかの貴族たちからの貢ぎ物が絶えることはなかったという。
だが、皮肉にもリュース伯爵の戦果がこの国に平和をもたらしたことにより、リュース家の収入は領地からの税だけになってしまった。
それでも問題はないはずだった。終戦の際に受け取った多額の報奨金があり、未来の王太子妃を出した家として社交界で揺るぎない地位を築いていたのだから。
「何も知らないんだ……あいつらは何も……」
シェザムは早足で廊下を進みながら、滲む汗と涙を乱暴に拭う。
「いまなら、まだ可能性があるかもしれない。伯爵がお嬢様の死で心を入れ替えてくだされば。そうすれば」
そう口にしながらも、青年は逃れられない破滅への予感に全身を震わせていた。
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