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6.幾(き)を望(のぞ)む月
しおりを挟む宮中の朝は……掃部が庭中を掃き清める、ザッザッという音で、闇が払われるように始まる。
薄暗いなか、広大な御所を掃き清める掃部たちの仕事は丁寧で、人目につかないような木々の影に至るまで、塵ひとつない。
宮中の本当の『朝』は、帝が御帳台(ベッド)を出てからのことになるが、そろそろ東の山の端が白みはじめる頃合いだろう。
衾を除けると、ぐんと冷たくなった空気が、一気に体から熱を奪うようで、中将は、身震いした。
霜でも降りているかと思うような冷たさだ。そっと起き出して、綿も入れていない表着を羽織り、御簾を上げて簀へ出る。
半蔀を上げて外を見やれば廊下は白く輝いていた。
「霜だわ……道理で寒いはず」
呟いた中将の吐息が白く凍る。これ以上、外にいれば冷えてしまうと思った中将は、部屋へ戻ろうとした。掃部が、中将の方へ顔を向ける。姿を見られるのは恥ずかしいことだ。中将は、急いで部屋へ戻りかけて、ぴたり、と止まった。
「おや、源殿。こんなところで、どうなさいましたか? あなたのことだから、万が一にも、色めいたお帰りではないでしょうが」
源殿、という、思いがけない言葉を聞いたからだ。
「これは、掃部の皆様。……いえ、こちらに、思う方がいるので、頼まれもしないのに、宿直をしているだけですよ」
「この霜の降りる中、一晩、立っておられたのですか?」
掃部の飽きれた声が聞こえて、中将は、口許を覆った。そうしていないと、あの掃部たちの前で、なにかを口走ってしまいそうだったからだ。
「良いのです。霜が降りて来たのは、きっと、瑞兆ですから。きっと、私の願いは叶うと思ったら、あっという間に一晩過ぎましたよ」
楽しげな源影の言葉に掃部は、「それは良いのですが、しっかり、お休みください。倒れますよ?」と言い残して去っていった。
まさか、と中将は胸騒ぎを抑えつつ、陛に立った。
長袴越しに、霜が体温で溶けて、足の裏が濡れる。
陛の側には、源影の姿があった。袍には、うっすらと霜が降りているようで、きらきらと朝日を受けて輝いていた。
「なぜ……」
中将の声が掠れる。
やっと、中将に気がついた源影は、中将の姿を見て、顔を緩ませた。寒さの為か、頬も、鼻の頭も真っ赤になった源影が微笑むのは、赤い花が綻ぶようだった。
「ご迷惑とは思いましたが、待っていた甲斐がありました」
源影は、晴れやかに笑う。黄金色の朝日を受けて、まばゆいほど輝いて見えた。
「夜通しまてば、青女殿が来て下さる」
「なぜ、お待ちになっていらしたの?」
涙声になりながら、中将は問うた。
「一目、お逢いしたかったし、少しで良いから、お声を聞いてみたかった。
青女殿が、私など相手と見て下さらずとも……」
源影は、言葉をすべて言うことができなかった。くしゃみが、酷く続けたからだ。
「お風邪を、めされましたのね」
「いや、この程度のことは……」
しどろもどろに後退り、逃げようとした源影の額に、中将は手をあてがった。
「せ、青女殿っ!」
狼狽える影をよそに、中将は、その額の熱さを確かめる。
「酷い熱がありますわ。……たしか、お父上さまの曹司(宮中に賜って居る部屋)がおありでしょう? そちらで、お休み下さいませ。
わたくしも、お側にお付きいたします」
そっと、中将は源影の手をとる。子供だと思っていたら、存外、逞しくて大きな手だった。冷えていると思ったのに、指先は、燃えるように熱い。
「けど、あなたは、主殿にお仕えする身でしょう。あなたに、ついて頂くのは……」
などとくちごもっていたので、中将は、チラリと部屋の中を窺った。外からは中の様子は解らなかったが、中将には、確信があった。
「同輩の女房が、垣間見をしておりますから、仔細は、そのものがあるじに致しますわ。あなたはお気遣いなく。
さあ、参りましょう」
源影の手を引いて歩きながら、中将は、自分が顔も隠さず、装束も整えていないことに、今更気が付いたが、まさか、部屋へ引き返すことなどできなかった。
源影の父親は、権大納言。これが、重用されており、曹司を賜っている。
曹司は、誰もいなかった。
「女房の一人居るかと思ったのに……」
中将は、思わず愚痴を溢すが仕方がない。
勝手に褥を用意して、影を寝せてやった。中将が話しかけても、受け答えが怪しい。熱が、先程よりも上がったらしく、真っ赤な顔で、荒い息をついている。
「薬湯でも、お持ちいたしますわ」
中将が席を外そうとしたのを、影が止めた。
「行かないで、青女さま」
熱のせいで、影のまなざしは、欲情したように潤んでいた。捕まれた手が、燃えるように熱いのは、熱のせいだけではないのだろう。
「薬湯を、呑んだほうがよろしいわ」
「あなたがいなくなるほうが、私には、耐えられないことです。青女さま……」
意識が相当混濁しているようで、中将は困り果てる。
「寒……」
こんなに熱があって、身体も熱いのに、影は、酷く寒がっていた。
しかし、この部屋には、他に夜具はみつからない。
中将も、五衣などを着ていれば、衾代わりに掛けてやったものだが。しかし、影は、酷く震えている。
中将は、意を決した。
影の休む褥に、ともに横になって、酷く震える、熱い身体を抱き締めた。
影は、ふうわりと笑う。
「暖かい」
「それならば、ようございました。さあ、どうぞ、お休みになって。……お目覚めになるまで、こうしておりますから」
うん、と幼い返事をのこしつつ、影は、瞼を閉ざした。やがて、荒かった呼気が、穏やかなものへと変わっていく。
それに安堵しながら、中将も、瞼を閉ざした。
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