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7.晦(つごもり)の月
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目覚めた時、見慣れた父の曹司であったのは、身に覚えがなかったので、一体どういうことだろうかと首をひねった源影だったが、なにやら暖かいものに慈しまれるようにして包み込まれていることに気が付いた。
褥でも、衾でもない。もっと柔らかく、もっと熱く、半身が蕩けるような心地がするものだ。
この幸福な感触の正体を、影は知りたくなかった。
それほど、甘美な感触だったのである。
しかし、いつまでも寝ている訳にもいかないと、半身に巻き付くものを見て、影は、思わず叫び声を上げてしまった。
「せ、せ、青女さま!」
すやすやと、穏やかな寝息で眠るのは、まちがいなく、青女……中将である。
「あぁ、影さま、お気付き遊ばしまして?」
中将が、億劫そうに身を起こす。五衣も身に纏わず、小袖のみという、しどけない格好である。小袖は、下着だ。
「な、なぜ、青女さまが、私の父の曹司に?」
「覚えておられませんの?」
中将は、驚いて聞きかえす。
「なにも」
覚えていないことを、影は、悔やんだ。昨晩、二人のあいだに、なにかしらの出来事があったとは思わないが、長い間、同衾したのはまちがいない。
それならば、この女の感触を、余すことなく、覚えていたかったものだ。
離れがたく、抱き寄せたい衝動を、影は、必死で殺した。
「一晩中、外に立っておられたから、影さまは、熱を出してお倒れになったのですよ。それで、お父上さまの曹司にお連れ致しました。本当は、薬湯などをお持ちしようかとおもいましたら、行かないでと、影さまがおっしゃるから……」
中将は、恥ずかしげに目を伏せた。長いまつげが瞳に影を落とす。その際が、ほんのりと薄紅色に染まっていて、あえかだった。
「私が、行かないでと? それで、あなたを褥に連れ込むなどという、不埒な真似をしたのでしょうか」
口にして、背中に冷たい汗をかくような心地になった。意識が朦朧として、心の赴くままに行動していたとしたら、恐ろしい。何を仕出かすか、わかったものではない。
「いいえ、褥に入ったのは、わたくしの方です。影さまが、とても寒そうにしていらしたのですもの。暖めて差し上げなればと、必死の思いでしたわ」
中将のことばを聞きながら、影は、少し気分が冷えていくのを感じていた。
「寒かったから、ですか」
存外、声は、残念な響きが滲んだ。
「え、ええ……」
「あなたの、優しいお気持ちは、残酷です。私は、あなたが……私を慕わしく思って、褥に入ってくれたら、と……一縷の希望を抱いてしまいました。あなたを恋い慕う男の前で、なんと、残酷なことを仰せになるのでしょうか。ただ私が、寒がっているようだったから、なんて」
言っても仕方のないことだとはわかっていたが、詰らずにはいられなかった。
ともかく、このままでは、中将も影も外を歩くこともできない。
「あなたの装束を、持ってこさせましょう、今、人を呼びますから……」
影は。
そのまま、言葉を失った。中将の美しい頬に、涙が流れていたからだ。
「青女さま……」
中将は、なにも答えなかった。ただ、拭いもせずに涙を流し続けているので、影は、ためらいながら、その、柔らかな頬に触れる。
「なぜ、泣くのですか?」
中将は、影から目を背ける。影は、どうしても答を聞かなければならないと思って、中将の頬を包み込んで、顔を向けさせた。
「なにか、仰有って下さい」
影の真摯な呼び掛けに、中将が、躊躇いがちに口を開いた。
「あなたが、倒れたのをみて、胸がつぶれそうになったのに。あなたは、わたくしが、何にも思わなかったようなことを、仰せになるのですもの」
「私を、心配して下さったのですね。ですが、私は、この通り、回復しましたから、もう、ご案じ下さらずとも……」
「心配致しますわ!」
中将が、思わず声を荒げたので、影は、驚いて目を丸くした。
「心配致します。愛しい殿御が、わたくしのせいで、熱を出して倒れになったのですもの。心配致しますわ!」
「それは、私の方も、あなたを勝手に待っていただけですから……いや、お待ちください。青女さま、あなたは、今、私の事を、愛しい殿御と、そう、言ってくださったのですか?」
はた、と気付いた影が、中将の表情を窺いながら、恐る恐るというようすで、問いかける。
中将は、「申し上げましたわ」と、きっぱりと言った。
「最初は、年若なあなたを、からかうようなつもりでしたのに、気が付いたらあなたに、惹かれてしまいました。私のように、数多の浮き名を流した、身持ちの悪い女など……あなたの、武勇伝になるかもしれませんけれど」
中将は、自分でも、何を口走っているのか、良くわからなくなっていた。
ただ、目の前にいる源影は、真剣なまなざしで、中将の言葉の一字一句を逃さないようにと、聞いてくれるのが、わかったので、中将は、胸があつくなる。
「あなたが、私を慕って下さっている……と思ってよろしいのですね?」
確認する影に、中将は、大きく頷いてから、
「多分、わたくし、一生で一度の恋なのだと思います」
と、こちらも、真剣に答えた。
中将からの言葉を、影は、信じられないという面持ちで聞いていた。
「これは、夢だろうか?」
などと、馬鹿真面目な顔をして中将に問いかけるのに、中将は呆れたが、そっと影の手を取って、囁くように言った。
「夢だと思うのでしたら、お確かめになって」
「た、確かめるとは……」
顔を赤く染めながら、影は、しどろもどろにいう。中将が握りしめた掌も、燃えるように熱かった。
「口づけて下さいませ。ゆめまぼろしとは、口づけ出来ませんわ」
「く、口づけっ!」
影の声が裏返る。
「ええ、口づけを」
影の掌が、中将の頬に触れる。躊躇いがちに、影は、ゆっくりと中将に顔を近付けて行き、触れるかどうか……のところで、甘く視線が絡んだ。
「青女さまは、ゆめまぼろしには口づけ出来ないと仰せてしたけど……夢の中ならば、いくらでも出来るのですよ」
「じゃあ、夢の中のわたくしと、口づけなさったの?」
「ええ……」
ふんわりと、一瞬、重なった口づけは、酷く熱かった。
「あなたの、青女さまの、温もりを感じます。夢の中では、感じられなかった」
うわごとのように影は呟きながら、なんども、なんども、口づけを繰り返し。
日が高いうちの、宮中の、父親の曹司だとは気付いていたが、素肌を探りあわずにはいられなかった。
褥でも、衾でもない。もっと柔らかく、もっと熱く、半身が蕩けるような心地がするものだ。
この幸福な感触の正体を、影は知りたくなかった。
それほど、甘美な感触だったのである。
しかし、いつまでも寝ている訳にもいかないと、半身に巻き付くものを見て、影は、思わず叫び声を上げてしまった。
「せ、せ、青女さま!」
すやすやと、穏やかな寝息で眠るのは、まちがいなく、青女……中将である。
「あぁ、影さま、お気付き遊ばしまして?」
中将が、億劫そうに身を起こす。五衣も身に纏わず、小袖のみという、しどけない格好である。小袖は、下着だ。
「な、なぜ、青女さまが、私の父の曹司に?」
「覚えておられませんの?」
中将は、驚いて聞きかえす。
「なにも」
覚えていないことを、影は、悔やんだ。昨晩、二人のあいだに、なにかしらの出来事があったとは思わないが、長い間、同衾したのはまちがいない。
それならば、この女の感触を、余すことなく、覚えていたかったものだ。
離れがたく、抱き寄せたい衝動を、影は、必死で殺した。
「一晩中、外に立っておられたから、影さまは、熱を出してお倒れになったのですよ。それで、お父上さまの曹司にお連れ致しました。本当は、薬湯などをお持ちしようかとおもいましたら、行かないでと、影さまがおっしゃるから……」
中将は、恥ずかしげに目を伏せた。長いまつげが瞳に影を落とす。その際が、ほんのりと薄紅色に染まっていて、あえかだった。
「私が、行かないでと? それで、あなたを褥に連れ込むなどという、不埒な真似をしたのでしょうか」
口にして、背中に冷たい汗をかくような心地になった。意識が朦朧として、心の赴くままに行動していたとしたら、恐ろしい。何を仕出かすか、わかったものではない。
「いいえ、褥に入ったのは、わたくしの方です。影さまが、とても寒そうにしていらしたのですもの。暖めて差し上げなればと、必死の思いでしたわ」
中将のことばを聞きながら、影は、少し気分が冷えていくのを感じていた。
「寒かったから、ですか」
存外、声は、残念な響きが滲んだ。
「え、ええ……」
「あなたの、優しいお気持ちは、残酷です。私は、あなたが……私を慕わしく思って、褥に入ってくれたら、と……一縷の希望を抱いてしまいました。あなたを恋い慕う男の前で、なんと、残酷なことを仰せになるのでしょうか。ただ私が、寒がっているようだったから、なんて」
言っても仕方のないことだとはわかっていたが、詰らずにはいられなかった。
ともかく、このままでは、中将も影も外を歩くこともできない。
「あなたの装束を、持ってこさせましょう、今、人を呼びますから……」
影は。
そのまま、言葉を失った。中将の美しい頬に、涙が流れていたからだ。
「青女さま……」
中将は、なにも答えなかった。ただ、拭いもせずに涙を流し続けているので、影は、ためらいながら、その、柔らかな頬に触れる。
「なぜ、泣くのですか?」
中将は、影から目を背ける。影は、どうしても答を聞かなければならないと思って、中将の頬を包み込んで、顔を向けさせた。
「なにか、仰有って下さい」
影の真摯な呼び掛けに、中将が、躊躇いがちに口を開いた。
「あなたが、倒れたのをみて、胸がつぶれそうになったのに。あなたは、わたくしが、何にも思わなかったようなことを、仰せになるのですもの」
「私を、心配して下さったのですね。ですが、私は、この通り、回復しましたから、もう、ご案じ下さらずとも……」
「心配致しますわ!」
中将が、思わず声を荒げたので、影は、驚いて目を丸くした。
「心配致します。愛しい殿御が、わたくしのせいで、熱を出して倒れになったのですもの。心配致しますわ!」
「それは、私の方も、あなたを勝手に待っていただけですから……いや、お待ちください。青女さま、あなたは、今、私の事を、愛しい殿御と、そう、言ってくださったのですか?」
はた、と気付いた影が、中将の表情を窺いながら、恐る恐るというようすで、問いかける。
中将は、「申し上げましたわ」と、きっぱりと言った。
「最初は、年若なあなたを、からかうようなつもりでしたのに、気が付いたらあなたに、惹かれてしまいました。私のように、数多の浮き名を流した、身持ちの悪い女など……あなたの、武勇伝になるかもしれませんけれど」
中将は、自分でも、何を口走っているのか、良くわからなくなっていた。
ただ、目の前にいる源影は、真剣なまなざしで、中将の言葉の一字一句を逃さないようにと、聞いてくれるのが、わかったので、中将は、胸があつくなる。
「あなたが、私を慕って下さっている……と思ってよろしいのですね?」
確認する影に、中将は、大きく頷いてから、
「多分、わたくし、一生で一度の恋なのだと思います」
と、こちらも、真剣に答えた。
中将からの言葉を、影は、信じられないという面持ちで聞いていた。
「これは、夢だろうか?」
などと、馬鹿真面目な顔をして中将に問いかけるのに、中将は呆れたが、そっと影の手を取って、囁くように言った。
「夢だと思うのでしたら、お確かめになって」
「た、確かめるとは……」
顔を赤く染めながら、影は、しどろもどろにいう。中将が握りしめた掌も、燃えるように熱かった。
「口づけて下さいませ。ゆめまぼろしとは、口づけ出来ませんわ」
「く、口づけっ!」
影の声が裏返る。
「ええ、口づけを」
影の掌が、中将の頬に触れる。躊躇いがちに、影は、ゆっくりと中将に顔を近付けて行き、触れるかどうか……のところで、甘く視線が絡んだ。
「青女さまは、ゆめまぼろしには口づけ出来ないと仰せてしたけど……夢の中ならば、いくらでも出来るのですよ」
「じゃあ、夢の中のわたくしと、口づけなさったの?」
「ええ……」
ふんわりと、一瞬、重なった口づけは、酷く熱かった。
「あなたの、青女さまの、温もりを感じます。夢の中では、感じられなかった」
うわごとのように影は呟きながら、なんども、なんども、口づけを繰り返し。
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