19 / 65
恋人は決意する
1
しおりを挟む
恋人が目の前で消えた。いや、実際にこの目で見たわけではないのだが。キッチンでコーヒーを入れていたら、寝室からふっと百合の香りが漂ってきて、こんな匂いの香水持っていたっけと伺えば明るい光が漏れている。何をしているんだろうと寝室に入ると、そこにいるはずの男が姿かたちもなくいなくなっていた。自分が傍を離れていた時間なんてたかが数分、キッチンと寝室の間にあるドアは開け放っていたので少し首を伸ばせばお互いの姿だって確認しあえるはずだった。
人間、あまりに動揺しすぎると一周回って冷静になるらしい。もしかしたら質の悪い悪戯かもしれないとベッドの下、クローゼットの中、ベランダに浴室トイレ、更にはマンションのエントランスも一通り確認してもう一度部屋に戻ってきた。次に涼貴のスマホに掛けてみる。音のする方を急いで見れば、彼のスマホはベッドサイドテーブルに置きっぱなしだった。いよいよ動揺が大きくなってくる。誰かに連れ去られたはずはない。自分に知られずに家に入ることは出来なかったはずだ。じゃあ彼は自分で出て行ったんだろうか?なぜ?何か至らないところでもあったろうか。確かにここ数週間会えてはいなかったが、それでも今日の彼に違和感は感じなかった。最近は喧嘩もすることもなく次の春には二人暮らし用の部屋を借りようかと話していたところだったのに。
まだほんの少し残った理性でとりあえず警察に電話を掛ける。指が情けないほど震えて数字3つがなかなか押せない。
「すいません、こ、恋人が、突然いなくなりました。」
初めはただの家出だろうと取り合わず、どうしてもというなら署に来て捜索願を書けばと言っていたオペレーターだったが、俺の剣幕が余程だったのだろう。取り合えず話を聞くために警官を数人寄こしてくれることになった。
小一時間待っただろうか。その間も居ても立っても居られずに家の中やら近所やらを何度も探し回ったが何の手がかりも得られなかった。共通の知り合いでもあるバーのマスターにも一報を入れ、もし見かけたら教えてほしいとお願いをする。「ひどい事したんじゃないでしょうねぇ」なんて凄まれたが誤解は後で解くとして今は協力してもらうことが先決だ。そうこうしている内に警察官2人がやってきたので部屋に招き入れる。
「恋人が急にいなくなられたということですが、状況を出来る限り詳しく教えてもらえますか。」
「その方の容貌がはっきり見える写真等お持ちでしたら渡してください。」
そう言って一応マニュアル通りの質問がされる。自分が傍を離れた数分の間にいなくなった、スマホも置きっぱなしだし出て行くにしても無理があると思う。という内容を途切れ途切れに話す。
「少し寝室の方見させていただいてもよろしいですか?」
ということで一人を寝室に案内し、俺はもう一人にいろいろと質問をされる。
「お仕事は何を」「いなくなった方とはお付き合いされてどのくらいですか」「二人の間になにかトラブルなどはありましたか」「失礼ですがどちらかに借金などは」「お相手のご実家はどちらに」「その方がいなくなられてどれくらい時間が経っていますか」
出来る限り詳細に、分かる範囲で答えていく。そのうち寝室から帰ってきた警官がもう一人に何か耳打ちをし、俺の方に向かって、警察の方でも優先的に行方を捜索するようにします。と告げて帰っていった。
警察に届けたからと言って安心など出来るわけもなく、その日は一睡もできずに朝を迎えた。幸いにも週末だったので土日両日を丸々使って思いつく限りのところに足を伸ばしてみたが何の結果も得られず、失意の中で会社に向かうと専務に呼び止められる。
「菖蒲くん、少しこちらへ。」
専務に連れられて入った応接室にはスーツの男性が座っていた。
「初めまして、菖蒲勲美さんですね。私、▽県警捜査1課の鶴見と申します。橘涼貴さんの件で少しお伺いしたいことがありますので、署までご同行願えないでしょうか。」
専務にも事情が説明され、俺は鶴見さんと一緒に警察署に向かう。道中、見つかったんでしょうか、などと声をかけてみても返事はもらえなかった。
ドラマでしか見たことのない部屋に通され、いなくなった状況など何度目かの質問をされる。なんだか雲行きが怪しい。
「つかぬことをお聞きしますが、あなたが涼貴さんと実際にお付き合いされていたと証明できるものは何かお持ちですか?」
「証明?全て私の妄想だと疑っておられるんですか?二人で撮った写真とかならいくらでもあります!」
「まあまあそう怒らないで、捜査上聞かなければならないことなので。」
やっと解放される2時間後まで、まるで俺が涼貴をどうにかした犯人だと言わんばかりの質問を延々聞かれ、交友関係まで洗いざらい説明させられた。
火曜日、憔悴しきって出社するとあちこちからこっちを見てひそひそと話す声が聞こえる。一体何が起きていると同期に問えば、昨日俺に会いに警察が来たことがおしゃべりの受付職員から漏れたらしい。辺りを一睨みして早く仕事に取り掛かるように命令してその場は収めたが、これが後どれくらい続くのかと痛む頭を抱えた。
人間、あまりに動揺しすぎると一周回って冷静になるらしい。もしかしたら質の悪い悪戯かもしれないとベッドの下、クローゼットの中、ベランダに浴室トイレ、更にはマンションのエントランスも一通り確認してもう一度部屋に戻ってきた。次に涼貴のスマホに掛けてみる。音のする方を急いで見れば、彼のスマホはベッドサイドテーブルに置きっぱなしだった。いよいよ動揺が大きくなってくる。誰かに連れ去られたはずはない。自分に知られずに家に入ることは出来なかったはずだ。じゃあ彼は自分で出て行ったんだろうか?なぜ?何か至らないところでもあったろうか。確かにここ数週間会えてはいなかったが、それでも今日の彼に違和感は感じなかった。最近は喧嘩もすることもなく次の春には二人暮らし用の部屋を借りようかと話していたところだったのに。
まだほんの少し残った理性でとりあえず警察に電話を掛ける。指が情けないほど震えて数字3つがなかなか押せない。
「すいません、こ、恋人が、突然いなくなりました。」
初めはただの家出だろうと取り合わず、どうしてもというなら署に来て捜索願を書けばと言っていたオペレーターだったが、俺の剣幕が余程だったのだろう。取り合えず話を聞くために警官を数人寄こしてくれることになった。
小一時間待っただろうか。その間も居ても立っても居られずに家の中やら近所やらを何度も探し回ったが何の手がかりも得られなかった。共通の知り合いでもあるバーのマスターにも一報を入れ、もし見かけたら教えてほしいとお願いをする。「ひどい事したんじゃないでしょうねぇ」なんて凄まれたが誤解は後で解くとして今は協力してもらうことが先決だ。そうこうしている内に警察官2人がやってきたので部屋に招き入れる。
「恋人が急にいなくなられたということですが、状況を出来る限り詳しく教えてもらえますか。」
「その方の容貌がはっきり見える写真等お持ちでしたら渡してください。」
そう言って一応マニュアル通りの質問がされる。自分が傍を離れた数分の間にいなくなった、スマホも置きっぱなしだし出て行くにしても無理があると思う。という内容を途切れ途切れに話す。
「少し寝室の方見させていただいてもよろしいですか?」
ということで一人を寝室に案内し、俺はもう一人にいろいろと質問をされる。
「お仕事は何を」「いなくなった方とはお付き合いされてどのくらいですか」「二人の間になにかトラブルなどはありましたか」「失礼ですがどちらかに借金などは」「お相手のご実家はどちらに」「その方がいなくなられてどれくらい時間が経っていますか」
出来る限り詳細に、分かる範囲で答えていく。そのうち寝室から帰ってきた警官がもう一人に何か耳打ちをし、俺の方に向かって、警察の方でも優先的に行方を捜索するようにします。と告げて帰っていった。
警察に届けたからと言って安心など出来るわけもなく、その日は一睡もできずに朝を迎えた。幸いにも週末だったので土日両日を丸々使って思いつく限りのところに足を伸ばしてみたが何の結果も得られず、失意の中で会社に向かうと専務に呼び止められる。
「菖蒲くん、少しこちらへ。」
専務に連れられて入った応接室にはスーツの男性が座っていた。
「初めまして、菖蒲勲美さんですね。私、▽県警捜査1課の鶴見と申します。橘涼貴さんの件で少しお伺いしたいことがありますので、署までご同行願えないでしょうか。」
専務にも事情が説明され、俺は鶴見さんと一緒に警察署に向かう。道中、見つかったんでしょうか、などと声をかけてみても返事はもらえなかった。
ドラマでしか見たことのない部屋に通され、いなくなった状況など何度目かの質問をされる。なんだか雲行きが怪しい。
「つかぬことをお聞きしますが、あなたが涼貴さんと実際にお付き合いされていたと証明できるものは何かお持ちですか?」
「証明?全て私の妄想だと疑っておられるんですか?二人で撮った写真とかならいくらでもあります!」
「まあまあそう怒らないで、捜査上聞かなければならないことなので。」
やっと解放される2時間後まで、まるで俺が涼貴をどうにかした犯人だと言わんばかりの質問を延々聞かれ、交友関係まで洗いざらい説明させられた。
火曜日、憔悴しきって出社するとあちこちからこっちを見てひそひそと話す声が聞こえる。一体何が起きていると同期に問えば、昨日俺に会いに警察が来たことがおしゃべりの受付職員から漏れたらしい。辺りを一睨みして早く仕事に取り掛かるように命令してその場は収めたが、これが後どれくらい続くのかと痛む頭を抱えた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
72
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる