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Ⅲ 過去の魔女

ii 聖夜祭の夜 ★

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 やがて二人がともにいる姿を目にした者の口から、徐々に二人の関係が噂になり始めた。
 だが、レイモンドがそれを気にする様子はない。

 噂に違わぬレイモンドの秀麗な顔立ちは、隣に立つにはなかなか勇気がいる。
 だがレイモンドの見た目など、すぐに気にならなくなった。

 彼の魔術への知見は驚くほど広い。
 アズレイアに負けず劣らず研究熱心で、彼女が持ち出す魔術関連の話題には、大抵何らかの知識があった。
 それどころか、ときに貴族間でしか知られていない希少な実証例まで持ち出してくる。

 頭脳明晰な彼は一分野のみの研究だけでは飽き足らず、複数の研究室に席をおき、多くの教授に師事しているという。
 どうりで、モントレー教授の研究室で彼を見かけないわけだ。


 たった一つの課題を突き詰めるのがやっとの私とは大違いだわ。


 そうは思うも、アズレイアは今更それで卑屈になったりはしない。
 ただ、やはりレイモンドは自分とは違う世界の住人なのだと感じずにはいられなかった。

 そんなレイモンドが、ある日突然、気恥ずかしそうに「君に声をかける理由をずっと探していた」と打ち明けた。
 アズレイアが舞い上がったのは言うまでもない。

 恋人どころか、近所付き合いさえ限られた農村で育ち、ただ一人、ひたすら生きることと勉強だけに人生を費やしてきたアズレイアである。
 彼女にとって、それは生まれて初めて経験する、浮足経つような瞬間だった。


 それまで研究一色だったアズレイアの一日が、徐々にレイモンドと過ごす時間で埋め尽くされていく。
 二人で過ごす幸せな時間は、あっという間に過ぎ去っていった──。


   ☆   ☆   ☆


 気づけば城内の木々は葉を落とし、ちらほらと舞う雪に、兵士たちが冬仕立ての厚い軍靴を響かせ出す。

 それは年の暮れ、多くの者が家族とともに長い冬の夜を過ごし、新しい年の訪れを祈る、聖夜祭の夜。
 結露に濡れるアズレイアの私室の窓から、風とは違う、はっきりとしたノックの音が響いた。

 補助金を頼りに学院への入学を果たしたアズレイアには、学生寮の中でも最低ランクの、狭い一階の小部屋があてがわれていた。
 とはいえ、寮への道には門番がいる。
 誰かが勝手に忍びこめる場所ではない。
 しかも聖夜祭の夜だ、学生も殆どが帰省しているはずである。

 不審に思い、窓辺に寄って暗闇に目を凝らす。
 と、暗闇にぼうっと浮かび上がった白い人影に、アズレイアは思わず悲鳴を上げそうになった。

 だがよく見れば、それは夜露に濡れ、凍えながら肩をさするレイモンドの姿だった。


「レイモンド!」
「ごめんね、君の顔がどうしても見たくて」


 突然すぎて、言葉に詰まるアズレイア。
 けれど震える彼の様子に気がついて、慌ててレイモンドを部屋に引き入れる。

 引き入れてしまってから、ほんの少し後悔した。


 『婚約のあるなしにかかわらず、子女・子息の婚前交渉を禁ずる』


 ──これは学院に通うようになって学んだ数多い貴族間のルールの一つ。
 信じられないことに、学生の規則書にまで記されている。
 無論アズレイアは貴族ではないが、レイモンドは貴族なのだ。

 それだけではない。
 アズレイア自身、たとえ貴族ではなくともこの学院内で学生の規則書に書かれているルールを破っていいわけがない。
 

 部屋に入れただけ、ただそれだけよ……。
 あんな捨てられた子猫のようにすがるような眼差しで望まれたら、どうして追い返すことが出来るだろう。


 そう自分に言い訳をする傍らで、彼の来訪に胸躍らしている己にも気づいてしまう。


「夜遅くに、ごめんね」


 部屋に入り、火が落ちかけた暖炉の前で濡れた金髪をかきあげたレイモンドが、アズレイアを見つめて苦し気に微笑む。
 消え入りそうな彼の謝罪が、罪悪感のくすぶるアズレイアの胸に鋭く刺さった。

 図書館での短い逢瀬だけでは、お互いもう、もの足らなくなっていた。
 冬の日の短さを言い訳にアズレイアの部屋まで送っては、いつも名残惜しそうに別れを告げていたレイモンド。

 その彼が今、アズレイアのもとに忍んで会いに来てくれた。
 そのことに、心が揺れた。

 一歩、また一歩とアズレイアに歩み寄る彼の淡いグレーの双眸に、自分の姿が映って見える。 
 いつも理知に輝くその瞳が、今夜は全く違う熱を帯びて輝き、アズレイアを見つめている。
 近づく彼の顔と、薄く形の良い唇に、自分たちに起きようとしている『関係の変化』をアズレイアははっきりと意識した。

 自分の中に湧き上がる、経験したこともない強い感情の揺れに戸惑うばかりで動けないアズレイア。
 そんな彼女の目前で立ち止まったレイモンドが、


「父が僕に縁談を持ってきた」

 
 そう言って激情のままにアズレイアを抱きしめた。

 初めての抱擁と、聞かされたその言葉の衝撃でアズレイアの思考が凍りつく。


「アズレイア、僕にはもう君以外との結婚なんて考えられないのに」


 間近にアズレイアを見下ろしたレイモンドが、苦し気なため息とともにそう告げる。
 情愛の炎を灯した瞳でアズレイアを間近に見つめ、そして重く痛々しいため息とともに、アズレイアの肩口に額を落とす。


「私も……私もレイモンドを愛しているわ」


 彼の言葉と肩口に触れた額の熱に浮かされて、普段決して口にしないような甘い愛の言葉がこぼれ出す。

 途端、跳ねるように顔を上げたレイモンドが、嬉しげに微笑んでアズレイアを見つめる。
 そしてふっと笑顔を消したレイモンドが、アズレイアの唇に柔らかな彼の唇を重ねた。

 それは、アズレイアの初めてのキスだった。
 突然のことで頭が真っ白になり、それからゆっくりと唇に触れるその感触に意識が集中していく。
 唇をついばまれる度に全身が熱くなり、思考は泥のように沈んでいった。


「ねえアズレイア、僕を本当に愛してる?」


 長い接吻のあと、思考のぼやけたアズレイアに、親指で唇を拭いつつレイモンドが尋ねる。

 今、まさに心の結びつきを形にしたようなキスの味を知ったアズレイアには、否ということなど思いもよらない。


「もちろん」


 はっきりそう答えたアズレイアに、レイモンドが再び唇を重ねてくる。
 その唇はアズレイアの唇を押しわり、艶めかしいレイモンドの舌がするりと滑り込んだ。

 一瞬身を引こうとしたアズレイアの体を、レイモンドの腕が囲うようにして抱きすくめる。
 逃げ場を失ったアズレイアの口内を、レイモンドの舌が入念に愛撫していく。


 あんなに冷静沈着なレイモンドが、いつもの余裕をかなぐり捨てて、劣情のままにアズレイアの口内を貪っている──。


 その事実がアズレイアの理性をグズグズに溶かしていく。
 抗う気力も消え失せてしまえば、残るのは押し寄せる、ただただ甘美な快楽のみ。
 くたりと力の抜けたアズレイアの体は軽々とレイモンドに抱えられ、ゆっくりとベッドへと運ばれていく。

 丁寧に服を剥がれ、部屋の冷気にブルリと震えたアズレイアは、そこでやっと己の現状に頭が追いついた。


「まってレイモンド、私たちまだ結婚もしてないのにこんな──」
「聞いてアズレイア」


 懸命に押しとどめようとするアズレイアの言葉を遮って、レイモンドの逞しい腕が強く抱きしめる。
 それは線の細い彼には似つかわしくない、固い檻のような、強い抱擁。

 身動きも取れなくなったアズレイアの耳に、レイモンドが甘い声で囁く。


「僕たち貴族の慣習にも例外はある。未婚の男女が契りを交わしてしまえば、それは事実、婚姻ともみなされる。そうすれば君はもう僕の妻も同じ。父にだって文句は言わせない……」


 甘い言葉は熱い吐息へと変わり、耳を這う艶めかしい舌の感触がアズレイアの脳の奥まで侵食していく。


「愛しいアズレイア、結婚しよう」


 愛の言葉と、熱い吐息。同時に耳に注がれて、まだあどけないアズレイアの自制心は粉々に砕け散った。
 微かに残る罪悪感はやがて情愛の炎の糧となり、二人の体はどこまでもお互いを求め絡みあい。

 そしてその夜、アズレイアはレイモンドに純潔を捧げた──。
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