紅に咲く ー鳥籠の姫君と忠義の軍師ー

やまだ

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三章 ただ、君を信じて

第五話 君を信じて

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ゆさ、ゆさ、と、重たい車輪の揺れが身体を打つ。

伽耶は、ゆっくりと目を開けた。

すぐに、口元に違和感を覚える。

(……っ)

猿轡が、喉の奥を圧迫している。声は、出せない。
手足も、しっかりと縛られていた。
細くて強い縄が、皮膚に食い込む。

(……やっぱり)

夢じゃない。
あの、下卑た声も、女官の叫びも、現実だった。

荷台は暗く、布が被せられているのか、外の様子は何もわからない。
剥き出しの木の床に、麻袋や荷物の束が転がっている。
どこまでも無機質で、冷たい空間だった。

(……逃げられない)

自分ひとりでは、どうすることもできない。
その現実が胸に落ちた瞬間、身体の奥がきゅっと冷たくなった。

けれど。

(わたしは、信じてる)

誠が来てくれる。
きっと、来てくれる。

彼女の心は、ただ一つの確信で支えられていた。
そしてその信念だけが、恐怖を押しとどめていた。

(だから今、わたしにできることを……!)

伽耶は、縄の下で、指を動かした。
きつく縛られた手首の、袖の内側。

手首に忍ばせていた、小さな紅い布のお守り。
今は亡き伽耶の母が、幼い頃に縫ってくれたという、色褪せた布の御守り。

いつも袖の内側に隠していた。
誰にも気づかれず、どこへ行く時も離さなかった。

(お願い、気づいて……)

床板のわずかな隙間。
その隙間を探り当てた伽耶は、手を捩じり、必死に指先を伸ばす。

布の一部を、板の間の狭い隙間へと差し込み、
そっと落とした。

紅い布は、木板の下を通って、土の地面へ舞い落ちる。
再び馬車が大きく跳ね、伽耶の身体が軋む。
猿轡に押し込められた息が、喉で詰まりそうになる。

(わたしは、ここにいる)

目を閉じ、祈るように心の中で叫ぶ。

(だから……見つけて)

闇の中で、目を閉じる。

まるで、空に浮かぶ星のように。
小さな小さな、希望の灯火を、そこに残して――







――森を抜け、乾いた山道を駆け抜ける一行。

先陣を切る誠の眼差しは、前方を鋭く見据えたまま揺るがない。
地図と伝令の報告から導いたルートを、本軍はまっすぐ進んでいた。

「……速度を落とすな!」

風を切りながら、誠が指示を飛ばす。

(姫様は、必ずこの道を通っている……)

そんな確信にも似た感覚があった。

と――

「止まれ!!」

突然、誠が叫んだ。
手綱を引き、馬を下りて、茂みの一角に走り寄る。

地面に、微かに落ちていた紅い布。
乾いた土の上でも、目が慣れればすぐにわかる。

あまりにも鮮やかで、見慣れた色。

胸の奥がどくんと鳴った。

誠は、跪いてそっとそれを拾い上げた。
風に煽られないよう、大事に手のひらで包む。

「これは……!」

その瞬間、心の奥で何かが弾けた。

『母様が縫ってくれたの。わたしを守ってくれる、お守りなんですって』

そう言って、手の中で紅い布を握っていた。
その時の光景が、脳裏に鮮やかに蘇る。

「姫様……!」

誠の声が、かすかに震えた。

風が吹く。
彼の手の中にある紅い布が、ふわりと揺れた。

目を伏せたまま、そっと口の中で呟いた。

「……やはり、この道だ」

静かに、そして確かに、確信が胸に満ちる。

誠は顔を上げ、馬に跳び乗った。
振り返り、全軍を見渡す。
風が吹き抜け、部隊の旗がなびく。

そして、全軍へ、堂々と告げた。

「全軍、聞け!」

騎兵の蹄がざわめきを止める。

「姫様は、この道を進んでおられる!」

紅い布を高く掲げ、その瞳は、烈火のごとく燃える。

「全軍、全速前進!!
姫様は……この先にいらっしゃるぞ!!」

「おおおおおおお!!」

兵たちの雄叫びが森を震わせる。
誠は、胸にしまった紅の証をそっと押さえた。

(もうすぐです、姫様。今、必ず、お迎えにあがります)

馬の腹を蹴り、先頭を駆ける。

夜が明けようとしていた。





朝焼けが、山の稜線を朱に染め始めた頃。
誠は、先頭で馬を走らせながら、視界の先にある古びた小屋群と林に囲まれた一帯を睨んでいた。

「……あれが、賊の拠点」

粗末な見張り台、囲いも甘い。
防御よりも、急ぎ隠れるために作られたことが一目でわかる。

(……やはり、盗賊まがいの連中か)

誠は手を挙げて本軍を止める。

後方から、総雅が並ぶ。

「どうする」

「奇襲です。彼らに整列を許せば、包囲も面倒になります。
いま、一気に踏み込みます」

「よし。行け」

総雅がわずかに頷いたその瞬間。
誠は高らかに旗を掲げ、叫んだ。

「全軍――突撃!!」

「おおおおおお!!」

号令と共に、地を震わすような騎馬の突進が始まる。混乱する盗賊たちの間に、次々と兵たちが雪崩れ込んだ。




敵の陣形は乱れ、各所で兵が応戦しているが、肝心の、姫の姿がない。

誠は、剣を手にしながらも、戦場の全景を目で追い、敵兵を薙ぎ払いながら、叫んだ。

「姫様は――どこだ!!」

その声は、まるで雷鳴のように拠点に響き渡り、兵たちの背筋が震えた。

普段、冷静な軍師のその怒声に、敵も味方も一瞬、動きを止めるほどだった。

誠は伏せ倒した賊のひとりの首筋に剣をつきつけ、冷たく見下ろす。

「これで、終わるか?」

次の瞬間、賊はたじろぎながら叫ぶ。

「ひ、姫は、あ、あっちの荷車に……!」

その言葉を聞いた瞬間、誠の身体が前へと跳び出した。

「そこか……!」

林の奥、ひと気のない場所にぽつりと置かれた荷車。
雑に布をかぶせられている。

誠はその前に立ち、息を殺した。

(……どうか……ここに、姫様が――)

風が吹いた。
布の端がわずかに揺れる。

誠は、深く、静かに息を吸った。
そして、震える手を、そっと布に伸ばす。



ゆっくりと、布をめくる。



目に飛び込んできたのは、

縛られ、口を塞がれたままの伽耶の姿だった。

(……いた)

その瞬間、何かが砕けた。

「――姫様!!」

誠は声を上げて、荷車に飛び乗った。
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