残酷な妻ですがそれでも愛しているので、彼女の異世界まで妻を探しに行きました

和泉杏咲

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本編

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 僕は妻を、世界で1番愛しています。
 妻のためなら死んでもいいと、本気で思っています。
 妻以上に理想の女性は、この世に存在しないと思っています。
 妻にも、自分を同じように思って欲しいとは、言ったことはありませんでしたが、毎日寝顔を見る度に祈り続けていました。

 でも、結局僕の一生分の恋は、同じ戸籍に入っても変わることはなかったのでしょう。
 妻が書き遺したWeb小説が、そう僕に教えてくれました。
 そうか。妻の理想の男性は、僕ではなかったのだと。
 俺様で、自信たっぷりで、常に豪快。それでいてユーモアのセンスがある。
 本当はそういう男に、妻は愛されたかったのでしょうと、僕は現実を突きつけられました。
 もう決して続きが書かれることのない、妻のWeb小説のアカウントには、そんな男にばかり愛される、様々なヒロインが幸せになっていく物語ばかりが詰め込まれていました。
 妻の骨壷を抱きながら、僕は何度も繰り返し妻を求めては小説を読み、そして傷ついていきます。

 決して僕が言わないようなセリフ。
 僕としたことがないような、寝室での激しい行為。

 妻が書いた文章だと考えれば、それらを全て愛することもできました。
 ……そうする努力をした……というのが、正解かもしれません。
 でも情けないことに僕は、文章で作られた存在によって、何度も胸を締め付けられるのです。吐いたことも、あります。
 
「もう、忘れればいいじゃないか」
 
 僕の事を知っている人は、僕が知っている彼ららしい親切で、そう何度も話しかけ続けてくれました。
 それは、分かっているのです。
 でも結局僕は、それでも妻を愛し、妻の文章を愛し、妻が作った世界に傷つき、男に憎しみを抱こうとするのです。
 そうやって僕は、妻によって「異世界転生」という概念を、心に刷り込まれました。
 
 死んだ魂が、ここではないどこかの世界へと旅立ち、新たに幸せになっていく。
 そんな小説をたくさん、妻が遺していたのです。

 一通り、妻の小説を読み終えたのは、妻が骨になってから数ヶ月後のこと。
 これも情けない話ですが、妻が死んだ後はうまく文字を認識することができなかったのです。
 1週間、1ヶ月、49日と時が経ち、必要な死後の儀式を1個ずつこなしていくことで、文章を読み、考え、再解釈し、理解するという、人間の脳の働きを取り戻していきました。
 でも、果たしてそれが良かったのか。
 いっそこのまま、文字を文字としてしか読めないままでいられたら、まだ良かったのかもしれません。

 ヒロイン達は、容姿も名前も性格も違っているように見えました。
 でも、ヒロイン達が語る言葉に、妻は隠れていました。
 言ってしまえば、ヒロインは全部……結局妻なのです。
 考え方も、辛い時の乗り越え方も、ヒロインが違えばどれもが違うはずなのに、妻が見えるのです。
 そして……愛される男は、決して僕とは思えない別人でした。
 つまりこういうことなのでしょう。
 妻は、数々の小説のヒロインとして、本当に結ばれたかった男との恋愛を楽しんでいる間、それを知らない僕は、せっせと妻のために夜遅くまで働き、妻を抱く時間も体力も無意味に奪われ続けていたのです。

 なんて、滑稽な話なのか。
 そんなことを、妻がこの世界からいなくなってから初めて知ってしまうなんて。
 いっそ知らない方が良かった。本当に、そう思いました。
 忘れてしまえればいいと、願ってしまいました。
 それでも幾晩も、いつ眠ったかもわからない夜を過ごし、夢で妻と話す度に思ってしまうのです。
 もう一度妻とキスをし、体温を感じたいと。
 妻の毛布に残っていた匂いも、そろそろ消えてしまいそう……。

 そう考えた時、驚くべきことが起きました。

「ここは、どこだ?」

 妻の遺品だらけの、真っ暗な部屋がいつの間にか、豪華な西洋風の寝室に生まれ変わっていました。

「夢……だよな?」

 僕は自分の頬をわざとらしくつねりながら、言葉にしました。
 妻と話している夢の時は、夢だと分かっているのか疑う事なく、会話をしているのですが、無性にこの時は疑えと、本能が言っているように思えたからです。
 その予感は的中しました。

「痛い……」

 僕は急いで鏡を探しました。
 西洋風の昔ながらの世界に、鏡がないという可能性を一切考えなかったのです。
 僕の体は、まるでそこに鏡があることが分かっていたかのように、迷いなく部屋のすみまで行きました。

「これは、誰だ?」

 妻の小説で読んだ事があるセリフを、心の奥底からの自分の気持ちとして、発していました。
 僕は、特徴もない黒髪に中肉中背……ちょっと筋トレしないとすぐにぼよぼよになる腹という、よくいるアラサー男の容姿だったはず、でした。
 ところが鏡に映る自分は、金髪碧眼でシックスパック。
 妻との初めての映画の主役を演じた、イギリスの有名俳優と似たような容姿だったのです。 
 
「一体何が起きたのか」

 頭の中で、出来事の整理をしようかと思った時、都合よくある人物が現れました。

「お目覚めですか。ウィリアム王子」
「……え?」

 妻が好きだと言っていた声優と同じくらいダンディーな声の持ち主は、執事服に身を包んだ、上司と同じ50歳くらいの男性でした。
 誰だ?と聞きそうになる前に、男性は言葉を重ねてきました。

「朝食の準備は整っておりますが、こちらにお持ちしますか? それともダイニングでお召し上がりになりますか?」
「持ってきてもらえま……るか?」
「御意」

 うっかり上司に話すように敬語で話すところでしたが、「王子」と呼ばれたことを思い出したので、それっぽい語尾を無理やり繋げました。
 それが良かったのかは分かりませんが、執事服の男性は疑いもせず、そのまま部屋を出ていってくれました。ほっとしました。

 それからすぐ、男性は驚く量の朝食を持ってきてくれました。
 つやつやの黄色いオムレツに真っ赤なトマトケチャップ。
 ほかほかのクロワッサン。
 純白の牛乳と漆黒のコーヒー。
 宝石のようなフルーツポンチ。
 全部、見た事があるメニューでした。

「王子。何かございましたか?」
「え?」
「いつもなら、淡々とお召し上がるのに、今日は渋い顔をされていらっしゃるので」
「あ、いや、何でもない」

 僕は急いでフォークを手にし、オムレツを切り裂きました。
 その瞬間、とろりと卵が流れ出しました。この半熟具合も、間違いなく自分が知っているものでした。

「食事が終わる頃、また戻って参ります」

 執事服の男性が立ち去ってから、僕は一口サイズにすくったオムレツを口に入れました。
 やはり、そうでした。
 妻と初めて結ばれた時に泊まった、少しおしゃれなホテルで食べたルームサービスの朝食と同じ味がしたのです。

「まさか、ここって……」

 僕はいそいで、目をつぶり、集中しました。
 僕の推測が正しければ、もしこれが異世界転生の場合は、体の持ち主の記憶がある可能性が高かったからです。

「間違いない。あの小説の登場人物だ」

 ウィリアム王子というのは、妻の小説アカウントの中で最近更新したらしき小説の、ヒーローの名前でした。
 金髪碧眼でシックスパックという特徴も、一致しています。
 それに、イギリスのホテルのような王子の寝室も。

「僕は、妻の小説の中に転生したのか?」

 ほんの少しの材料ではありましたが、そう発想してしまうくらいには何度も繰り返し、妻の異世界転生の物語を読み続けてきました。
 だからでしょうか。
 自分の考えが絶対的に正しいという自信すらあります。
 つまりそれは。

「僕は、死んだということか?」

 異世界転生者はほとんど死者ですから、ここにいる自分も死んだと考えることも、なんの不思議もありませんでした。

「え、ちょっと待って」

 僕は今、妻の小説の登場人物の姿をしている。
 これを異世界転生だと考えると、僕が死んでいる可能性は大いにある。
 つまり逆に考えると……?

「彼女も、転生しているんじゃ……?」

 そう考えたくもなります。
 妻は僕よりも先に死んでいます。
 妻の遺体を拭きましたし、妻の骨も拾いました。
 そんな妻の魂は、三途の川を渡り、僕たちが知っている天国に行ったものと、誰もが考えてました。でも実際妻が本当に三途の川を渡ったのかは、確かに誰も見ていません。

「今は、いつだ!?」

 妻が、もしこの世界に転生しているのだとしたら、きっとヒロインとして現れることだろう。
 そう考えた僕は、まず自分の状況を全て把握するところから始めました。

 スチュワートと名乗る執事服の男に、僕は「記憶喪失になってしまった」と告げるところから始めました。
 この方法も、妻の小説が教えてくれました。
 どのストーリーも、そうやって情報を集めていたのです。
 そんな都合の良い話運びなんかあるわけないと、正直半分くらいは疑ってもいました。
 でも、スチュワートはあっさり教えてくれました。
 今の自分がいるのは、ちょうど妻の物語が始まる直前だと知る事ができました。
 妻はやはり、僕にとって完璧な女性でしたので、妻を疑うなんてあってはならなかったのです。
 僕はそれから、妻の小説が教えてくれた通りの方法で、異世界転生というイレギュラーな出来事をサクサクと乗り越えていきました。

 やったことのない王子としての仕事も、体が教えてくれました。むしろ、現実より遥かに楽でした。
 何故ならば、変に相手に媚びなくても、正しいと思ったことを正しいと突き進めば、大抵の仕事が簡単に片付いたからです。そして誰も、王子の中身が、いつの間にかさえないアラサー男になっているなんて、気付きもしませんでした。
 それどころか、むしろこう言われるようになりました。

「ますます、王子として貫禄が出て参りましたね」
「これならば、国の後継者としても安心でしょう」

 何ということでしょうか。
 僕が社会人として当たり前にやっていたことが、この体の評判を鰻登りにしているのです。
 
「もっとやれるだろう? やる気あるのか?」

 怒鳴られ続けていたあの日々は、一体何だったのでしょうか。
 俯いて、自分のダメさを呪い、妻に「こんな自分が夫でごめん」と詫び続けていた自分の影が、もうどこかに行ってしまったかのようです。
 
 だからこそ、僕は早くヒロイン……妻の登場を待ち侘びました。
 ヒロインとの出会いは、ウィリアム王子の誕生日を記念して開かれた舞踏会だと書かれていました。
 お互い、一目惚れ。
 そのまま王子は、寝所にヒロインを連れていき、二人は結ばれる。
 この流れは、自分の心に深く刻まれています。
 何度も繰り返し読んでは、勝手に傷つき、泣いた場面でもあったからです。
 妻に、そんな愛情をぶつけてやれなかった自分を思い出すのが、本当に辛かったのです。
 でも今は違います。
 早く、あの場面が来て欲しい。
 妻に会いたい。
 妻を今度こそ、妻が望むように抱きしめたい。
 頭の片隅で、何度も妻を抱くイメトレをしながら、王子としての義務を果たし続けました。
 
 でも。
 ようやく待ち望んだ舞踏会の日になったのに。
 僕は絶望していました。
 妻が詳細に書き記していたおかげもあり、誰がヒロインかすぐにわかりました。
 結婚指輪のような、キラキラした銀髪に、婚約指輪のルビーのような赤い瞳。
 そんな特別な容姿を持つ人間が、大勢の人間に埋もれるなど、到底考えられませんでしたし、実際ダンスホールの中で存在は際立っていました。
 妻の小説のように、ヒロインは顔をあげ、王子は顔を下げた時に目が合いましたし、ヒロインはその瞬間、横浜のバラ園で見たピンクのバラのような頬になりました。
 王子の体は、ヒロインを求めていたのかもしれませんし、求めるべきだったのかもしれません。
 でも、僕の魂は反応しませんでした。
 僕が妻に感じたような、「生涯一緒に生きるんだ」という気持ちには、到底なれませんでした。
 だから、ヒロインの行動が小説をなぞっているのを分かっていたのに、僕は王子としてではなく、僕として振る舞ってしまいました。
 その結果、僕はヒロインとの縁を無くしただけでなく、小説の続きを追いかける事ができなくなりました。
 
 物語は、ヒロインと王子が交流することによって起承転結が生まれ、ハッピーエンドへと突き進んでいくはずでした。
 僕と妻の間には出来なかった赤ん坊も、誕生しているはずでした。
 そうすることが、この世界の王子としては正しい生き方だったのでしょう。
 でも、違うものは違うのです。
 僕の魂は、ヒロインは妻ではないとはっきり教えてくれるのです。
 だとしたら、僕には絶望的な考えしか思い浮かびません。
 妻は、この世界に転生していないんじゃないか、と。
 全く別の世界に行ってしまい、僕のことなんかもう忘れているのではないかと。
 違う男と絡み合っているのではないか、と。
 想像しただけで、やはり吐きそうになりました。

 せっかく妻が書いた理想の男になったはずでも、妻がいなければ何の意味もありません。
 しかもこの世界は、妻と僕の思い出に満ち溢れています。
 妻は、なんて残酷な小説を書いたのでしょう。
 僕がこの世界で生きていく限り、僕は決して妻を忘れる事が許されないのです。

 妻が作り上げたこの異世界のモデルは、イギリス。
 妻が、新婚旅行で行きたいと願った場所でしたが、僕の貯金が間に合いませんでした。
 ヒロインが着ていたドレスのデザインは、妻が結婚式で着たいと願ったウエディングドレスのデザインでしたが、僕の貯金が間に合いませんでした。
 他にもあります。
 メイドの衣装は、妻と初めて喧嘩したテーマパークで、アトラクションの案内人が着ていたものでした。
 僕の王子としての仕事は財政管理で、これは僕のいつもの仕事と同じでした。
 妻は、僕との日常も小説に書きながら、僕以外の男と愛し合う物語を書いていたのです。
 そして、僕だけが、この小説に閉じ込められ、妻との思い出に押しつぶされそうになっているのです。
 なんて、残酷なことを妻はしてくれたのでしょう。
 僕は、どうすれば良いのでしょう。
 妻とこんな僕が、もう一度結婚したいだなんて、おこがましすぎる願望だったのでしょうか。
 何をすれば、僕は本当の記憶喪失になれるのでしょうか。
 僕が本当に聞きたい答えは、この世界では誰も教えてくれません。
 何故ならここは、妻の頭の中の世界だからです。
 僕が聞きたい答えを持っているであろう、小説を書いている時の妻とは二度と、会話ができないのです。

 ただ絶望だと嘆いている日々よりも、一度希望を取り戻した後の絶望は、強固な肉体をもボロボロにしていくことを知りました。
 僕は、妻の理想の男の体を、どんどんひ弱にしてしまいました。
 起き上がれず、食事も喉を通らず、何かを考えようとしても、何も思い浮かばない日々が続いていきます。
 僕は、妻がこの世界に転生していなくて良かったと、心から思いました。
 僕はもう二度と、妻から幻滅をされたくありません。
 僕と正反対の人間と妻が愛し合う妄想を、して欲しくはありません。
 だったらいっそ、妻という魂はどこにも行かず、消えていて欲しいとすら考え、そしてまた後悔するのです。

 そんな日々に、変化がやってきました。
 今までは王家専属の医師が僕を診察していたのですが、遠くの街の医師を呼んだのだと、スチュワートが教えてくれました。
 ダンディーな声が、何故その医師を呼んだのかを詳しく説明してくれてはいたのですが、僕の頭にはちっとも入ってきませんでした。
 それだけ、僕が入った王子の脳みそは、限界が来ていたのでしょう。
 僕にできるのは「そうか」と小さく頷くだけでした。
 
 スチュワートが「入ってください」と言った直後に、驚くべき事がおきました。
 ふわりと、優しい匂いが僕の鼻をかすめました。
 妻の毛布に残った、あの残り香と同じでした。
 どうして?
 そう思ってすぐ、僕は扉を見ました。

「初めまして、殿下」

 信じられませんでした。
 妻がそこにいました。
 声も、顔も何もかもが、妻そのものでした。

「私は医師をしております」
「加奈……?」
「え……?」
「加奈だよな……?」

 僕は、妻の名前を数ヶ月ぶりに呟きました。
 最初目を見開いていた、妻と瓜二つの医師は、スチュワートに「二人きりにしてもらえますか?」と言いました。
 スチュワートはすぐに「分かりました」と言いながら去っていきました。
 とても都合の良い、小説の登場人物らしい執事でした。
 そして二人きりになった時、僕は体を起こし、彼女は僕を支えるためにベッドにかけ寄りました。
 それから、お互いがお互いの顔をしっかりと見つめ合いました。
 普通はここで、「どうして?」という言葉が来るのでしょうが……違いました。
 彼女は、ウィリアム王子の顔をしている僕を見ながら、こう言いました。

「あなたなの……?」
「やっぱり、加奈か!?」

 彼女……加奈は大きく頷きましたので、僕は力一杯抱きしめました。
 僕が知っているぬくもりと感触、そのままでした。

「どうしてあなたがここにいるの!?」
「それは僕のセリフだよ。君は天国に行ったかと思ったよ」
「私も行かなきゃって、思ったわ。でも……」

 加奈はそう言いながら、僕の頬に触れました。

「私のお葬式で、あなたが私を愛してるって言ってくれた時、どんな形でもいいからあなたといさせて欲しいって願ったの。そしたら、この小説に転生してたの」

 僕には、加奈が僕と一緒にいたいと、願ってくれたことが、まず信じられませんでした。
 もちろん、そこからどうして、小説に転生という流れになるのかも。

「どういうことだ? 君は……僕と違う男と結ばれたいから、この小説を書いたんじゃないのか?」

 僕は自分で言いながら、自分をさらに深く傷つけました。

「どういう意味?」

 今度は、加奈が尋ねてきました。
 その声色に怒りが混じっているのが、僕には分かりました。

「君が作ったウィリアムという男は、僕と正反対じゃないか。イケメンで、お腹も出ていなくて、何をやるにも自信に満ち溢れていて……何をしても完璧にこなす……。こういう男に抱かれたかったんだろ?」

 また1つ、僕は自分の心に大きな傷を自分でつけました。

「でも、君に謝らないといけないな。僕のせいで、君の理想の男は消えてしまったんだ。情けなくて、何もできない、ただの弱い男に変わってしまったよ」

 そう言った時でした。
 右の頬に、痛みが走りました。

「あなた、この小説全部読んだのよね!?」
「ええと……」
「読んだのよね?」
「…………はい」

 僕のこれまでの言葉で、加奈は僕が小説を読んだことに気づいているのは明白でした。
 そうでなければ、繋がらないはずの会話でしたから。
 僕は観念して、仕事にも行けない日々を、加奈の小説ばかりを読んで過ごしていたことを白状しました。
 すると加奈は、大きなため息をつきました。

「だったら、この小説があなたとの思い出で出来ていることがすぐに分かったでしょ?」

 それは分かりすぎるほどでした。
 だからこそ、苦しかったのです。

「でもこの小説に、僕はいないじゃないか」
「いるじゃない!」

 加奈は、ウィリアム王子の顔をした僕を指差しました。

「……え?」
「ウィリアム王子は、あなたなのよ!」
「…………なんだって?」

 僕は耳を疑いました。
 僕は、何の変哲もないアラサー男でした。
 仕事もできる方ではありませんので、いつも上司に怒られてばかりいました。
 冴えない男とウィリアム王子は、決して相容れない存在なはずです。

「出会った頃のあなたを思い出しながら書いたのよ……」

 恥ずかしそうに俯く加奈に、数年ぶりに欲情しそうになりましたが、さすがにそれは耐えました。

「僕、ちっともこんな容姿してないけど」
「だから! 私にとってはこういう人なのよ! かっこよくて眩しくて、いつも優しくて自信たっぷりで。 そういうあなただから、私は好きになったの!」
「…………それさ、本当に僕のことかい?」

 加奈の言う事を、疑いたくはありません。
 世界で愛する妻なのですから。
 でもそれにしては、あまりにも非現実的な言葉でした。

「書いた本人がそう言ってるんだから、認めろこの野郎!」

 加奈はぽかぽかと、もう筋肉がほとんど落ちてしまったウィリアム王子である僕の体を殴ってから、抱きついてきました。

「普段は小説にいて、夜あなたが眠った時に夢で会いにいくのが、密かな楽しみだったのに」
「え?え?」
「それなのに、気がついたら夢に行けなくなって……もうすっごい心配したんだから……」
「待って、加奈」

 夢の中で会っていたのは、僕が作り出した幻想だと思ってました。
 それがまさかの本人だったというのも、衝撃でした。

「そしたら、こんなところにいて……。もう、心臓止まるかと思った」

 すでに一度止まってる、というツッコミは野暮だと思ったので、ただ僕は加奈の頭を撫でるだけにしました。
 するすると指通りが良い滑らかな髪も、加奈そのものでした。

「じゃあ、僕がどうしてここにいるのか、君は知ってるの?」
「死んだから転生したんでしょ」
「あ、やっぱり?」
「それ以外ある?」

 普通の神経なら、自分が死んだことを認めるのに時間がかかったでしょう。
 僕の記憶が正しければ、僕は家でただ一人、加奈の遺品に囲まれたベッドの上にいるのがあの世界での最後です。
 誰か、僕の死体に気づいてくれるんだろうか?
 そんな心配も、遺してきた人のためにするべきだったかもしれません。
 父も母も健在です。
 僕は親不孝者です。
 罪深い人間です。
 それでも僕は、加奈を抱きしめられた死を心から喜びました。

「加奈……愛してるよ」
「うん、知ってる」
「抱きしめてもいい?」
「もう抱きしめてるよね」
「じゃなくて……」

 僕は、数年ぶりに「抱きたい」と言ってみました。
 すると、加奈ははにかんだ笑顔で「いいよ」と言いましたがすぐに「ちょっと待って」と言い出しました。

「やっぱり僕のこと愛してないの?」
「そ、そうじゃなくて……」
「だったら何?」

 僕はもう、加奈の服に手をかけていました。
 あれだけ体調が悪かったのが嘘のように、肉体は精力に満ちているのが分かりました。

「あのね……」

 加奈は、僕の唇に軽く口付けた後、申し訳なさそうにこう言いました。

「私の小説の設定でね、1個謝らないといけないことがあるんだけど」
「うん」
「この国……王族と庶民って、結婚できない決まりになってるんだよね」
「え」
「で、私……庶民で孤児設定」
「と、いうことは……?」
「…………ごめん、このままだと結婚できない」

 何と言う事か。
 最後の最後で、彼女がいかに残酷な小説を書いたのかが分かってしまいました。

「じゃあ、俺生き返ってもう1回転生しなおす?」
「それってできるものなのかな?」
「時間を戻す魔法とか、あるんじゃないのか?」

 加奈の小説には、そういうタイムリープ、と呼ばれる概念が使われているものがあったことを思い出しました。

「ごめん。この小説にはそれない」
「この世界はそもそも君の世界だろ? 君の思い通りにならないのか?」
「思い通りになるんだったら、私はヒロインに転生して、綺麗な姿であなたと再会したかったよ」

 そうしなくて良かったと、僕はこっそり思いながら、ふと良いアイディアを思いつきました。

「じゃあ、王族と庶民が結婚できるようにすればいいってこと?」
「あー……できるのかな?」

 何故、書いた本人が疑問に思うのでしょうか。
 ますます意味が分かりません。
 でも、自分が生き返って転生し直すよりは、よっぽど成功率が高い方法ではないかと思いました。

「じゃあ、やるしかないな」

 そう言いながら、僕は加奈の服を1枚取り去りました。

「ちょっと待って! その前に診察させて! 今の私は医者なのよ!」
「もう元気になった」

 こうして、僕は残酷な小説を書いた妻に、妻の小説でよく見かけた「お仕置き」を覚えている限り与えながら、まずは自分の死体の処理を、誰の夢で依頼するかをそっと考えた。
 そうしないと、残酷な妻ともう一度結婚するための義務に、集中できそうになかったから。
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