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よいこの御主人様倶楽部
出会って十分、即失恋。
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出勤するなり死んだ顔の店長に棚卸しを命じられるがまま店内の棚卸しに入っていたときのこと。
そろそろ小腹も減ったしそろそろ休憩取るかと思っていると、不意に一人の客が入ってきた。
棚卸し中、座り込んでいた俺の視界に人を刺し殺せそうな鋭いピンヒールが映り込む。
上品な丈のタイトスカートから覗く美脚にビビり、ぎょっと顔を上げればそこには一人の美人な女の人が立っていた。
そして、まるで虫かなにかを見るような目で俺を見下ろしている。濡れたような艷やかな黒髪に平伏したくなるような雰囲気に飲まれそうになったときだった。
「ねえ、辰夫はいる?」
「じゃ、邪魔ですみませ……っえ?」
辰夫?どこかで聞いた名前だが、どこだったか……。というか、立って気付いたがこの人背高いな。ヒールもあるだろうが、俺よりも遥かに大きい。
なんて必死に記憶を掘り返していたときだった。
棚の奥から「ああ、いたいた」と聞き慣れた声が聞こえてきた。
「かなたん、次の休憩だけどさ……って、菊乃さん」
現れたのは紀平さんだった。
笑顔を浮かべていた紀平さんだったが、俺の奥にいる長身美女を見つけた瞬間その笑顔がやや強張る。
そこで気付いた。――辰夫って紀平さんの下の名前だ。
菊乃さんなる女性客は紀平さんを見つけるなりそのまま俺の横をするりと抜けそのまま紀平さんに詰め寄る。
「辰夫、アンタ連絡くらい返しなさいよ」
「へえ、わざわざそれで職場まできたんだ?」
一体どんな関係なのかと右往左往していた傍から一気に辺りに広がる不穏な空気。
え、もしかしてこれって修羅場ってやつでは……?!
しかも口振りからしてなんか……プライベートな修羅場では?!
どうすればいいんだ、と一人あたふたしていたとき。ちょいちょい、と後ろから服の裾を引っ張られる。振り返ればそこには棚の物陰に隠れた笹山がいた。
「原田さん、こちらへ」
そう何故か小声で促してくる笹山に、俺は「お、おう!」と慌てて険悪なムードの二人を残して退散することとなった。
そして、そのまま笹山に連れて行かれたのは休憩室だ。
「さ、笹山っ! どうしよう、紀平さんが修羅場だ……!」
「お、落ち着いて下さい原田さん。あの、まああれはですね……なんというか、放っておいていいやつです」
「え、いいのか?」
普段だったら誰よりもこういうことを心配しそうな笹山なのに、笹山はなんだか困ったように「はい」と頷くのだ。
「先程の方は紀平さんの知人の方でたまにお店にも来てくださるんですよ。……仕入れや試し打ちに」
「あ、あんなに綺麗な人が……って、え……試し打ち?」
普段なかなか聞き慣れない単語が聞こえてきたが気のせいか。
固まっていると、休憩室の扉が乱暴に開かれる。やってきたのはいつもに増して不機嫌そうな四川だ。
やつはそのままズカズカと休憩室に入ってくるなりソファーに座る。
ただでさえ破れかけていた革のソファーが悲鳴をあげているではないか。
「まじ面倒臭え、女王様が来てんじゃねえかよ」
「え、女王様って……」
「ああ、菊乃さんのことですよ」
じょ、女王様……!
分かる、確かにあのオーラは女王様と言われて納得できる。やべえ、踏まれて……いや待て落ち着け俺。俺にそういう趣味はない、なかったろ?
「なんだ、阿奈も菊乃さんと会ったんだ」
「会ってねえ。ちらって見かけて速攻こっち逃げてきた。……くっそ、あの野郎人の顔見る度ネチネチ煩くて面倒臭えんだよな」
「え、そんなに怖い人なのか……?」
「気にしないで下さい、原田さん。菊乃さんは普通に接客してたらいいお客様なので」
それはそれで四川のやつ、どんな接客したんだよ。
四川はというと俺は悪くねえという顔のままフンと鼻を鳴らし、足を組む。こっちを見すらもしねえ。
多分菊乃さんにもこんな感じで接したんだろうなという気はした。
「まあ、さっきの感じからして今日は仕入れというよりも紀平さん絡みっぽそうですね。……こういうときはそっとしておいた方がいいでしょうね」
「そ、そうか……」
とはいえ、気になる。
紀平さんにあんな綺麗な知り合いがいるなんて……!
深く聞いていいのか、ここは。どんな関係なんだ。てか試し打ちってなんだ?!
などと一人で悶々としていると、再び休憩室の扉が開いた。
そして、
「はあ、疲れた~~……」
大きな溜息とともに休憩室に入ってきたのは紀平さんだった。
噂をすればなんとやらである。
「紀平さん、あの……大丈夫でしたか?」
「まあね。ってかごめんね、かなたん。話途中になってたね」
「あ、いや俺は別に……」
「そ、よかった。別に大したことじゃなかったんだけど、また後で休憩あがったあと改めて話すよ」
そう笑う紀平さんだがその顔は疲弊しきってる。
よろよろと冷蔵庫までありつき、冷凍庫からアイスを取り出した紀平さんはそのまま近くの椅子に腰をかけた。
「あの人、今度はどうしたんすか。クレームっすか?」
「クレームじゃないよ。……まあ、色々ね」
「紀平さんの言う色々の幅広すぎて想像つかねえ……」
こればかりは四川に同意だ。未知数と言うか、下の名前呼びってことは親しいのか……?いやでも紀平さん、俺のことも下の名前で呼んでくれるしな……などと更にもやもやしていると、チョコレートアイスを齧って少しメンタル回復したらしい紀平さんと目があった。
「そういや、かなたんは初めましてだよね。さっきの人は菊乃さん。……近くのSMクラブのオーナーさんね」
「え、SM……っ?!」
え、えっちなやつだ?!
女王様だとか試し打ちとかで薄々気付いていたが、似合いすぎる。思わず謎に立ち上がってしまった。
「かなたんが今思い浮かべてるの、想像つくなあ」
「じ、実在するんですね……つかここの近くにあったんすか」
「何、興味あるんだ?」
「え?!」
「かなたんマゾだからなあ。けど、残念だけど女風だから。カップルじゃないと遊べないよ」
「じょふ……? カップル……?」
「因みに菊乃さんは男性だから」
「男性……?」
「そういや、かなたんちで働いてたらしい向坂君。菊乃さんが黒服募集してたから向坂君引き渡しておいたよ」
「向坂さん……?」
「紀平さん、原田さんがキャパオーバーになってます。情報は小出しにしてあげてください」
「あ、ごめんごめん」
俺の脳味噌がオーバーヒートを起こしてる。未知の世界過ぎてなんも思い浮かばねえ。
……え? 男性……?
「菊乃さん、男性……?」
「あ、そこショック受けるんだ。因みにバリタチだからワンチャンあるかもね」
残念ながらそのワンチャンは俺が求めてるものではない。長身美女に鞭打ちされる夢は一瞬にして崩れ去ってしまった。
そろそろ小腹も減ったしそろそろ休憩取るかと思っていると、不意に一人の客が入ってきた。
棚卸し中、座り込んでいた俺の視界に人を刺し殺せそうな鋭いピンヒールが映り込む。
上品な丈のタイトスカートから覗く美脚にビビり、ぎょっと顔を上げればそこには一人の美人な女の人が立っていた。
そして、まるで虫かなにかを見るような目で俺を見下ろしている。濡れたような艷やかな黒髪に平伏したくなるような雰囲気に飲まれそうになったときだった。
「ねえ、辰夫はいる?」
「じゃ、邪魔ですみませ……っえ?」
辰夫?どこかで聞いた名前だが、どこだったか……。というか、立って気付いたがこの人背高いな。ヒールもあるだろうが、俺よりも遥かに大きい。
なんて必死に記憶を掘り返していたときだった。
棚の奥から「ああ、いたいた」と聞き慣れた声が聞こえてきた。
「かなたん、次の休憩だけどさ……って、菊乃さん」
現れたのは紀平さんだった。
笑顔を浮かべていた紀平さんだったが、俺の奥にいる長身美女を見つけた瞬間その笑顔がやや強張る。
そこで気付いた。――辰夫って紀平さんの下の名前だ。
菊乃さんなる女性客は紀平さんを見つけるなりそのまま俺の横をするりと抜けそのまま紀平さんに詰め寄る。
「辰夫、アンタ連絡くらい返しなさいよ」
「へえ、わざわざそれで職場まできたんだ?」
一体どんな関係なのかと右往左往していた傍から一気に辺りに広がる不穏な空気。
え、もしかしてこれって修羅場ってやつでは……?!
しかも口振りからしてなんか……プライベートな修羅場では?!
どうすればいいんだ、と一人あたふたしていたとき。ちょいちょい、と後ろから服の裾を引っ張られる。振り返ればそこには棚の物陰に隠れた笹山がいた。
「原田さん、こちらへ」
そう何故か小声で促してくる笹山に、俺は「お、おう!」と慌てて険悪なムードの二人を残して退散することとなった。
そして、そのまま笹山に連れて行かれたのは休憩室だ。
「さ、笹山っ! どうしよう、紀平さんが修羅場だ……!」
「お、落ち着いて下さい原田さん。あの、まああれはですね……なんというか、放っておいていいやつです」
「え、いいのか?」
普段だったら誰よりもこういうことを心配しそうな笹山なのに、笹山はなんだか困ったように「はい」と頷くのだ。
「先程の方は紀平さんの知人の方でたまにお店にも来てくださるんですよ。……仕入れや試し打ちに」
「あ、あんなに綺麗な人が……って、え……試し打ち?」
普段なかなか聞き慣れない単語が聞こえてきたが気のせいか。
固まっていると、休憩室の扉が乱暴に開かれる。やってきたのはいつもに増して不機嫌そうな四川だ。
やつはそのままズカズカと休憩室に入ってくるなりソファーに座る。
ただでさえ破れかけていた革のソファーが悲鳴をあげているではないか。
「まじ面倒臭え、女王様が来てんじゃねえかよ」
「え、女王様って……」
「ああ、菊乃さんのことですよ」
じょ、女王様……!
分かる、確かにあのオーラは女王様と言われて納得できる。やべえ、踏まれて……いや待て落ち着け俺。俺にそういう趣味はない、なかったろ?
「なんだ、阿奈も菊乃さんと会ったんだ」
「会ってねえ。ちらって見かけて速攻こっち逃げてきた。……くっそ、あの野郎人の顔見る度ネチネチ煩くて面倒臭えんだよな」
「え、そんなに怖い人なのか……?」
「気にしないで下さい、原田さん。菊乃さんは普通に接客してたらいいお客様なので」
それはそれで四川のやつ、どんな接客したんだよ。
四川はというと俺は悪くねえという顔のままフンと鼻を鳴らし、足を組む。こっちを見すらもしねえ。
多分菊乃さんにもこんな感じで接したんだろうなという気はした。
「まあ、さっきの感じからして今日は仕入れというよりも紀平さん絡みっぽそうですね。……こういうときはそっとしておいた方がいいでしょうね」
「そ、そうか……」
とはいえ、気になる。
紀平さんにあんな綺麗な知り合いがいるなんて……!
深く聞いていいのか、ここは。どんな関係なんだ。てか試し打ちってなんだ?!
などと一人で悶々としていると、再び休憩室の扉が開いた。
そして、
「はあ、疲れた~~……」
大きな溜息とともに休憩室に入ってきたのは紀平さんだった。
噂をすればなんとやらである。
「紀平さん、あの……大丈夫でしたか?」
「まあね。ってかごめんね、かなたん。話途中になってたね」
「あ、いや俺は別に……」
「そ、よかった。別に大したことじゃなかったんだけど、また後で休憩あがったあと改めて話すよ」
そう笑う紀平さんだがその顔は疲弊しきってる。
よろよろと冷蔵庫までありつき、冷凍庫からアイスを取り出した紀平さんはそのまま近くの椅子に腰をかけた。
「あの人、今度はどうしたんすか。クレームっすか?」
「クレームじゃないよ。……まあ、色々ね」
「紀平さんの言う色々の幅広すぎて想像つかねえ……」
こればかりは四川に同意だ。未知数と言うか、下の名前呼びってことは親しいのか……?いやでも紀平さん、俺のことも下の名前で呼んでくれるしな……などと更にもやもやしていると、チョコレートアイスを齧って少しメンタル回復したらしい紀平さんと目があった。
「そういや、かなたんは初めましてだよね。さっきの人は菊乃さん。……近くのSMクラブのオーナーさんね」
「え、SM……っ?!」
え、えっちなやつだ?!
女王様だとか試し打ちとかで薄々気付いていたが、似合いすぎる。思わず謎に立ち上がってしまった。
「かなたんが今思い浮かべてるの、想像つくなあ」
「じ、実在するんですね……つかここの近くにあったんすか」
「何、興味あるんだ?」
「え?!」
「かなたんマゾだからなあ。けど、残念だけど女風だから。カップルじゃないと遊べないよ」
「じょふ……? カップル……?」
「因みに菊乃さんは男性だから」
「男性……?」
「そういや、かなたんちで働いてたらしい向坂君。菊乃さんが黒服募集してたから向坂君引き渡しておいたよ」
「向坂さん……?」
「紀平さん、原田さんがキャパオーバーになってます。情報は小出しにしてあげてください」
「あ、ごめんごめん」
俺の脳味噌がオーバーヒートを起こしてる。未知の世界過ぎてなんも思い浮かばねえ。
……え? 男性……?
「菊乃さん、男性……?」
「あ、そこショック受けるんだ。因みにバリタチだからワンチャンあるかもね」
残念ながらそのワンチャンは俺が求めてるものではない。長身美女に鞭打ちされる夢は一瞬にして崩れ去ってしまった。
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