飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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43【side:菖蒲】

 ズキズキと、骨の奥が軋むような痛みを覚えた。
 ずっとこの調子だ。海陽から電話を受け取ったその時から――愛佐の、そして星名の騒ぎを聞いてからずっと脳味噌全体を締め付けるような痛みを覚えた。
 それは普段の偏頭痛とは違う。それよりももっと根が深く、芯から広がっていくような――。

「……どういうことか説明してもらえるかな」

 生徒会室。
 ソファーに腰をかける海陽、そして隣で足を崩す小晴に目を向ける。

「電話でも言った通りだ」
「つか、俺は巻き込まれたって感じなんすけどね。あいつが暴れやがるから」
「なんとか海陽が機転を利かせたお陰で大事にはならなかったが……一部の生徒の間ではもう噂が広まってるなってるようだ。愛佐のことが」

 そう、先程別の知人から送られた一年のグループチャットのスクショを表示させ、端末ごと二人に渡す。それを受け取った小晴は「うわ、まじだ」と笑った。普段と変わらない軽い調子で。

「はは、『会長があいつをお気に入りにしてるのは側にストレス解消用のSubが欲しかったから』だって。こいつAVの見過ぎだろ」
「……小晴」
「そんなカリカリしないでくださいよ。で? 愛佐君は? 一人にしてて大丈夫なんですか?」
「……暫く誰にも会いたくない、とのことだ」

 それも、海陽から聞いた話だった。
 僕とも顔を合わせたくない、とのことだ。心配にならないわけではない。無理矢理にでも会いにいくことも出来たが、Subの繊細さは僕自身よく知っていた。
 それに、と最後に愛佐に会った時のことを思い出す。あの時の愛佐の態度も気になっていた。
 愛佐は今不安定な状態だ。少しでもバランスを崩せば、それが命取りにもなる。刺激を与えたくなかった。

「あーあ、不登校になっちゃうかもなあ」
「随分と楽しそうだな、月夜野」
「海陽先輩、酷いなあ。俺はあいつのこと心配してるんすよ、これでも。俺、顔に出にくいらしいですけど」
「……」
「もういい、静かにしてろ。小晴。……人の口には戸は立てられない、そのことは僕もよく理解してる」

 はーい、と小晴は僕に端末を返す。それを受け取り、会長机に置いた。

「とにかく、愛佐にはこのまま休んでもらう」
「一週間、だったか」
「……こうなったら落ち着くまでは帰省させた方が良いだろうね。……最悪の事態は避けたい」

 本当はもっと休ませたいが、それは愛佐の希望でもあった。
 そんな僕の言葉が引っかかったらしい。小晴は口元にうっすらと笑みを浮かべたままこちらを見た。

「最悪な事態ってなんすか。もしかして――自殺とか?」

 小晴はデリカシーはある方だ。何より、人の顔色くらい目につき相手の心情を読むことに長けている。
 少なくともこの生徒会活動を通してそう評価をしていたつもりだったが、どうやらそれを改めなければならないようだ。

「……小晴、君は僕を苛立たせたいのか?」
「はは、まさか。けど、あいつなら大丈夫ですよ」
「何を根拠に――」
「あいつがSubってことはほら、会長、すげーDomなんですよね? 可愛がってあげりゃいいじゃないですか。セックスで」

 わざと煽ってる、というのは分かった。
 けど、隣にいた海陽が机を蹴り立ち上がろうとするのを見て「海陽、やめろ」と声をかけた。そして、小晴に殴りかかる寸でのところで海陽は動きを止める。

「……」
「……おっと、海陽先輩に殴られんのは勘弁。顔面の形変わるわ」
「小晴。君は僕を怒らせたいみたいだけど……無駄だよ。それよりもこれ以上自分の立場を悪くしない努力をすることだ」
「なら俺をリコールすりゃいいのに」

 肩を竦める小晴は子供のようだ。駄々を捏ねる子供。
 なるほど、そういうことか。と納得した。
 至って真面目に会計としての役職を全うしていると思っていたが、ずっとそんなことを考えていたのか。
 呆れを通り越して感心する。

「小晴。僕がここにいる以上、君を解任するつもりはない。そういう約束だからね」

 はっきりと述べれば、小晴は興味を失ったように笑う。

「……はー、そっすか。本当!会長ってDomの癖にそういうところSubみたいですよね。犬みたいに媚び諂って」
「僕の悪口ならなんとでも言えば良い。けど、周りを巻き込むようなやり方は却って自分の首を絞めるだけと学んだ方がいいね。君は一人じゃないんだから」
「ご忠告どーも」

 そう立ち上がる小晴。そのまま生徒会室を出て行こうとする彼を「話は終わってないよ」と呼び止めれば、「俺からは何もないですよ」とこちらを振り返った小晴は笑う。

「星名のやつから聞いた方が早い。何があったかなんて。……俺、呼んできますよ」
「結構だ、僕の方から伺うよ。どうせ指導室に行けば会えるんだから」
「……ま、それがいいですね」

 結局小晴はそのまま生徒会室を後にする。今度は呼び止めることなく見送った。

「……桐蔭、転校生に会いにいくのか」
「少し頭を冷ましたらね。……さっきは助かったよ。君がいてくれて良かった」
「殴った方がスッキリしたんじゃないか」
「一時的にはね」

 海陽のような思い切りの良さがあれば違ったのだろうが、僕にはその一歩を踏み出すことができない。この学園の生徒会長である限り、僕個人の感情で動くことに脳がセーブをかけている。それはもう癖のようなものだ。

 正直、今のは……少し堪えた。
 無意識に握り締めていた拳を開く。深呼吸をし、脳に酸素を流す。ゆっくりと鼓動を落ち着かせることで切り替えることができる。
 けれど、焦燥感はずっと付き纏ってくる。あの子のことになると手元が狂いそうになる。全ての均衡が崩れそうになる、それが怖かった。
 
 ……二の舞にはなるなよ。

 言い聞かせるように口の中で呟く。
 同じ轍は踏まない。そう決めた。そのためにここまで来た。
 僕が冷静を失えば、誰があの子を支えるのだ。

 ――ああ、本当に。
 コーヒーが飲みたい。あの子が淹れてくれたコーヒーが。
 こんな時に限って、いつも僕を隣で支えてくれていたあの子がいないのだ。

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