亡霊が思うには、

田原摩耶

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I will guide you one person

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 首輪を嵌められ、人にリードを握られるなんてのは俺にとって初めての体験であり到底慣れるものではない。

 それは南波も同じらしい。
 俺のリードを手にした南波は俺の首が締まらないように細心の注意を払ってくれているが、そのお陰で亀のような歩行スピードとなっている。
 これでは屋敷を後にするにも何日かかるかわからない。

「俺のことはいいんで普通に歩いていいですよ。こっちで歩幅あわせるんで」と声をかければようやく南波は普通に歩いてくれる。

 というわけで、俺は南波とともに屋敷を後にした。
 仲吉にいつでも会えるよう、あの崖上で待機したかったのだ。

 樹海を移動する途中、余所見した南波のせいで木の枝にリードを引っ掻け死にそうになったりしながらもなんとか俺たちの行動範囲ギリギリのそこへと来たとき。

 暗い闇の中、車を一台見つけた。
 それはいまはもう見慣れた仲吉の愛車だ。
 なんでこんなところにあるんだ、と辺りに探りを入れたとき。
 その側の木陰にはぼんやりとし人影を見つけた。
 ――仲吉だ。
 仲吉は木の幹に寄り掛かり、なにやら携帯端末を弄っている。こちらには気付いてる様子はない。

「なかよ……」

 そう、やつに声をかけようとして俺は自分の状況に気付いた。
 嵌められた首輪にリードを握る南波。
 こんな姿を仲吉に見られたらどんな誤解をされるか分かったものではない。

 けど、ここを恥じらって律儀に朝を待つわけにもいかない。

「っ、……」
「準一さん?」
「すみません、南波さん。……ちょっと付き合ってもらっていいですか?」
「付き合うって――」

 こうなったらやけくそだ。
 首を縛るそのリードを限界まで伸ばしてもらい、それを自分で掴んだ俺は南波を待機させたまま再度仲吉へと歩み寄る。
「よう」と声をかければ、仲吉は驚いたように顔を上げ、そしてこちらを振り返る。

「って、なんだ準一かよ。びびっただろ」
「来てたんならあっちで待っとけばよかっただろ」
「いや、まあそうなんだけどさ。……ちょっとな、心の準備が」

 言いながら仲吉は脇に抱えていたバッグを持ち上げ、立ち上がる。
 風のない深夜の森の中、仲吉の動きに合わせて近くの草むらがガサリと揺れた。
 この暗さだ。どうやら仲吉には首輪が見えていないらしい。
 ほっとすると同時に、妙に歯切れが悪い仲吉に不穏なものを覚える。

「……奈都の彼女のことでなんかあったのか?」
「まあ、ちょっとな」

 渋い顔をして頷く仲吉に胸の中のもやもやはハッキリとした嫌な予感に変わる。
 ……けれど、ここで逃げるわけにはいかない。
「どうした」と問い掛ければ、仲吉は落ち着かない様子で辺りを見渡した。

「な、準一。今さ、奈都どこにいんの?」
「あいつなら屋敷じゃないのか? ……まだ会ってないな」

 思い出しながら答えれば、ほっと息を吐いた仲吉は「そっか、ならよかった」と小さく呟いた。
 よかった――確かに仲吉はそう言った。

「どういう……」

 意味だ。そう仲吉を見たときだった。
 鞄からなにかを取り出した仲吉はそれを俺に押し付けてきた。それは、数枚の用紙が入ったファイルのように見える。
「見ろよ」と仲吉に促されるがまま俺はそれに目を通した。

 仲吉から手渡されたそれは新聞の記事をコピーしたもののようだった。
 仲吉の携帯の明かりを頼りに記事に目を走らせる。
 まず目についたのは『幽霊の仕業か?肝試しの学生、崖から転落』という俗物的な見出しだった。
 発行日は約二年前の冬。事故が起きたのはこの付近で、これがなにを表しているのか気付くのは然程時間はかからなかった。
 決定的な確信をしたのは被害者の欄に見慣れた名前を見つけたからだ。

『崖から墜落した奈都知己ともきは着地時に頭蓋骨を骨折し、即死。一緒にいた志垣真綾も重体で急遽病院へ搬送されたが搬送途中死亡が確認された。』

 無味乾燥などこか冷たい文字の羅列。
 それらが意味するものを理解したとき、俺は背筋がじんわりと冷たくなるのを感じた。

「奈都知己って、これ、もしかして」
「場所もここだし、奈都で間違えないだろ。……ほら、ここ」

 そういって記事を覗き込む仲吉は志垣真綾の名前をなぞる。
 シガキマアヤ。つい最近聞いたことのある名前だと思ったら、奈都の彼女で間違えないようだ。

「病院に搬送されたが、数時間後……」

 改めて事実を確認した上で再度文字に目を走らせる。そして、言葉を飲み込んだ。

「っ……仲吉」

 顔を上げれば、やつも同じことを考えていたようだ。
 いつもの楽天的な笑顔はそこにはない。苦虫を噛み潰したような顔のまま仲吉は小さく頷く。

「流石にこれを本人に伝えんのはまずいだろ」
「じゃあなんだよ。……このこと、奈都に言わないつもりか?」
「いやいやいや言わない方がいいだろ、普通に考えて。分かんなかったって俺から謝っとくから。だから準一も黙っとけよ」

 まさか仲吉がそんな提案をしてくるとは思わなかった。
 確かにショックな内容だが、奈都の求めていた事実には違いない。
 優しさだとしてもそれを隠すことが本当に奈都が求めることなのか、考えるまでもない。

「そんなの、駄目だろ。頼まれたんだから、奈都にはちゃんと言わないと……あいつだって、あいつ自身事故って死んだ時点で最悪の想定は出来てるはずだ。それを踏まえた上で知りたがってるんじゃないか?」
「確かにそうかもしれないけど……なあ、準一。準一が言ってる意味もわかるけど、あいつが準一と同じ考えとは限らないだろ。もし、奈都が彼女は生きていると信じている場合はどうすんだよ」
「でも、だからってこのまま放っておくのも……」
「だから言ってんだろ。俺が言うって。なんなら、彼女は元気に暮らしているって言うよ。それならいいだろ、なあ」

 仲吉なりに奈都のことを思ってくれているのは痛いほどわかった。
 多少強引だが、基本は困ったやつは見過ごせないようなお人好しだ。
 だからこそ相手を悲しませるようなことをしたくないのだろう。
 やつの性格は嫌いではないし寧ろ好ましく思っている部分ではある。けれど、それが本当に奈都の求めているものかどうかと考えれば簡単に頷くことができない。

「……」
「準一」
「分かってる、分かってるけど……」
「準一はなにも心配しなくていい。俺がちゃんとやるから」

「だから、任せてくれよ」そう、俺の肩を掴む仲吉。
 肩に感じるやつの感触に釣られて顔を上げ、俺は言葉を飲み込んだ。
 そこにいつもアホみたいな顔をした仲吉はいない。いつになく真剣な目でこちらを見据えてくる仲吉に、俺は思わず目を逸らした。
 今の俺にはこいつの目はあまりにも眩しすぎたのだ。

 心はまだ本当にこつに、仲吉に任せていいのだろうかと迷っていた。
 そこを仲吉の勢いに気圧された俺は渋々「分かった」と頷いた。
 瞬間、ぱっと仲吉の表情に光が戻る。

「……っ、準一」
「頼んだぞ、奈都のこと」
「ああ、任せとけって」

 言いながらばしばしと肩を叩いてくる仲吉。
 やつは俺から書類を受け取った。

「取り敢えずこれは俺が外で処分しとくから。奈都には『やっぱり見つからなかった』って言っとくし、そっちも口裏合わせといてくれよ」
「あぁ」
「それじゃあ、屋敷に行くか」

 そう、仲吉が気を取り直した矢先だった。
 鞄へと仕舞おうとしていた書類が仲吉の手の中から消えた。

「あれ?」

 そう近くに落ちていないか確認する仲吉の背後、影が動くのを俺は見た。
 そして、

「なーんか、面白そうなこと聞いちゃった」

 にゅ、と仲吉の背後から現れた幸喜に息が止まる。
 顔面に浮かべた満面の笑み、そしてその手に握られた新聞紙の切り抜きを見た瞬間全身から血の気が引いた。

「幸喜……っ」
「幸喜?」

 どうやら仲吉には見えていないらしい。
 より最悪だ。「お前の仲間がいるのか?」と呑気な仲吉は後回しに、俺は幸喜を睨む。

「おい、それ返せよ」
「しかしまあ準一たちってば俺に秘密でこんな面白そうなことするなんてずるくね? つーかハブ? 仲間外れすんなよ、誘えって」
「いいから返せって!」

 どこまでも人をコケにするようなその態度に頭に熱が集まる。

「テメェ、何してんだクソガキ!」

 そんな矢先、少し離れたところで待機してもらっていた南波も俺の怒鳴り声から事態に気付いたらしい。
 飛んでくる南波目掛けて近くの手頃な石を拾った幸喜はそのままその顔面に投げつける。
「ぉ゛ぐ!」と悲鳴をあげ、そのまま撃沈する南波。今のはキツイが、南波を気にしてる余裕は今の俺にはない。二発目の石を用意し、それを指先で弄りながら幸喜は「まあまあ!怒んなって」と馴れ馴れしく俺の肩に手を回してくる。

「お前……っ」

 そう近付いた隙を狙ってやつの手から記事を取り返そうとしたのも束の間、するりと身を翻した幸喜は俺の指先からすり抜ける。
 そして、

「準一がそんな風に言うんならもういーや、奈都に見せてこよーっと」
「おい待てって! 幸喜!」

 拗ねたように唇を尖らせ、姿を消そうとする幸喜を追い掛けようとしたときだった。首がリードに引っ張られる。
 しまった、南波が気絶したままのせいで動けない。
 こうなったら南波を抱えてでも、と追いかけようとした矢先だった。
 ちょこまかと逃げていた幸喜はふと姿を消した。

 どこに行った、あいつ……!
 そう辺りを探ろうとしたとき、仲吉の背後に現れる幸喜に血の気が引いた。

「仲吉ガード!」
「へ?」

 そう、幸喜は突っ立っていた仲吉の肩を掴む。
 いきなり勝手に動く体に驚く仲吉。転倒しそうになるやつの体を咄嗟に抱き止めようとするが、あまりにも距離が近すぎた。
 次の瞬間、ごぢ、と嫌な音を立てて頭蓋同士がぶつかり合う。そして唇には柔らかい感触。

「~~っ!」
「あはははっ! ちゅーだ、ちゅー! やるじゃん、仲吉~~!」

 暗闇の中に響く幸喜の笑い声。
 舌打ちをし、咄嗟に仲吉の肩を掴んで引き離す。
 声の聞こえる方を振り返ったが一歩遅かった。
「んじゃ、後は仲良くしろよ~」と余計な一言を残し、幸喜の姿はすぐに闇へと溶け込んでいき――そしてとうとう気配ごと消えた。

 ――最悪だ、逃げられた。

 幸喜がいなくなるとともに辺りに静寂が戻る。

「くそ、あいつ……っ!」
「……」
「あ……おい、大丈夫か? 今頭打ったろ、悪ぃ」
「……」
「仲吉?」

 痛覚が存在しない自分ならともかく、仲吉は生身の人間だ。
 何も言わないまま俯く仲吉に、もしかして口でも切ったのかと心配になって仲吉の顔を覗き込む。
 瞬間、びくっと目を見開いた仲吉は慌てて俺から飛び退いた。

「ゃ、大丈夫……です……」

 そして、口を押さえたまま仲吉は目を逸らした。
 なんで敬語だ。
 
「おい仲吉。とにかく幸喜を追い掛けるぞ」
「は? 幸喜?」
「あいつが新聞持っていったんだよ。あいつ、絶対奈都に見せるつもりだ……っ!」

 それならまだいい。
 幸喜の性格からしてもっと最悪なことになることすらある。それだけは避けなければならない。
 俺の剣幕からようやく事態が飲み込めたようだ。

「……まじで?」
「まじだよ。ほら、行くぞ」
「わ、わかった……」

 このままじゃせっかく奈都を心配する仲吉の気遣いまで台無しになる。
 なんとしてでも取り返さなければ。
 そう決意した俺は、早速幸喜を捕まえるためにまず南波を起こし、それから奈都がいそうな場所を当たることにした。

 それから俺たちは奈都を探すため、一度屋敷まで戻ってくる。
 瞬間移動出来ればすぐなのだが、拘束する首輪が阻害するので走るしかない。出血がまだ治らない南波だったが、幸喜の仕業だと知るや否や全力疾走してくれたので助かった。


 ――幽霊屋敷、奈都の部屋の前。
 未だどこか様子がおかしい仲吉の代わりに俺は奈都を尋ねることにする。
 そっと扉を軽く叩けば、乾いた音が薄暗い廊下に響いた。

「……奈都、俺だ。入ってもいいか」

 返事は返ってこない。
 このままでは埒が開かない。念の為「入るぞ」と声をかけ、俺は目の前の扉を開いた。

 その先には薄暗い闇が広がっていた。
 簡易ベッドがひとつ。それとその側には一人用のテーブルがあり、置かれた花瓶には生花が生けられていた。
 質素だが、混沌した幸喜たちの部屋やなにもない俺の部屋よりかはましだろう。
 色のない部屋の中、やけにその花の色だけが鮮やかに浮かんで見えた。

 部屋の中へと足を踏み入れ、奈都がいないか見渡したときだ。不意に廊下の外から物音が聞こえてきた。

「準一さん、奈都がいました」

 そう声をかけてきたのは南波だ。
 慌てて部屋を出た俺は、南波が指差す方へと向かう。

 長い長い廊下の突き当たり。月明かりが射し込む窓の前、奈都はいた。
 窓枠の外、月も見えない夜空をただ奈都は眺めていた。その目は相変わらず暗い。

「奈都、丁度よかった」

 そう声をかければ、奈都はゆっくりとした動作でこちらを振り返る。

「どうしたんですか、皆さん揃って」

 ぞろぞろとやってきた俺たちに少しだけ驚いたように目を丸くする奈都。
 よかった、まだ幸喜に会っていないらしい
 いつもと変わらない奈都に一先ずほっとする。

「いや、別にどうしたってわけじゃないんだけど」

 問題はここからだ。
 どう説明すべきか。そう口ごもったときだった。

「……どうしたわけじゃない?」

 それはぞっとするほど冷たい声だった。
 先ほどまで柔和だった奈都の表情が一瞬にして険しくなるのを見た瞬間、体が硬直する。

「準一さんにとってはどうしたってわけじゃないんですか、これは」

 なにか不味いことでも言ってしまったのだろうか。
 ずいっと詰め寄ってくる奈都は上着からとある紙切れを取り出し、それを俺の胸に叩き付ける。
 慌てて受け取り、その紙切れに目を向けた俺は青ざめた。

「奈都、これ……」
「そうですよね、準一さんからしてみたら所詮他人事ですもんね。僕の大切な人が死んでもそれは準一さんにとって痛くも痒くもないですしね。そうですよね、それが普通の反応です。当然です分かってました。僕だけが一人勝手に舞い上がってたみたいですね、お見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ないです」

「無駄な手間を掛けさせてしまいすみませんでした、準一さん」あくまでも丁寧な口調で続ける奈都だが、その言葉には触れたら切れてしまいそうなくらいの棘が含まれていた。
 刃物よりも鋭い言葉と感情の圧に気押され、こちらを睨む薄暗い瞳にただ俺は言葉を無くした。

 一歩遅かった。
 グシャグシャになった髪切りを握り締め、俺は奈都の背後に目を向ける。
 奈都の背後、その影に佇む幸喜は俺と目をあわせるなりくすくす笑いながら手を振ってきた。

 ――本当、間が悪い。

「……悪い、奈都。今のは俺が悪かった、ごめん」

 言葉に気をつけろ。態度も。表情も。
 奈都をこれ以上傷付けないように意識すればするほど恐ろしく自分の言葉が薄っぺらくなる。

 奈都に隠そうとしたのは事実だし、奈都に手渡った記事の内容も事実だ。
 今なにを言ったところですべて墓穴だ。

「……悪かった、奈都」
「謝らなくていいですよ。準一さんはなにも悪くないんですから。分かってますよ、そのくらい。……分かってます」
「――奈都」
「悪いのは僕なんですから」

 奈都の顔が歪む。その口から絞り出されるその言葉に、聞いてるこちらの胸が締め付けられるように息苦しくなった。
 幸喜が奈都になにを吹き込んだかはわからなかった。
 しかし、事実を膨張させあることないこと口にしたのは大体想像つく。

「……ごめんなさい、迷惑かけて」
「待て、奈都」
「……っ、触らないで下さい!」

 そう俺たちの脇を抜けようとする奈都を慌てて呼び止めようとしたとき、伸ばした手を振り払われる。
 乾いた音が響く。それ以上に張り裂けるようなその大きな声に俺は何も言えなかった。

「……すみません、一人にさせて下さい」

 ――じゃなきゃ、準一さんたちに八つ当たりをしてしまいそうで怖いんです。

 奈都はそう泣きそうな声で呟いた。
 そんなことを言われて無理に呼び止めることができるはずもない。
 そのまま廊下の奥へと消えていく奈都をただ見送ることしかできなかった。

 奈都が居なくなったのを確認し、ぐるりと辺りを見渡した幸喜はクスクスと笑いながらこちらを見上げる。

「……あーあ、泣いちゃった。カワイソ」
「幸喜、テメェ……」
「そんなに見詰めんなよ、準一」
「なに言ったんだよ、あいつに」
「なにも、『準一たちがこれを持ってた』って言っただけだよ?」

 それだけであそこまで取り乱すものなのか。あの憎悪に満ちた瞳を思い出すだけでも胸が締め付けられるように気分が悪くなる。
「本当かよ」と問い詰めれば、幸喜は「ああ、あと」と思い出したように口を開いた。

「お前の彼女は散々苦しんで死んじゃったのにお前だけ即死ってずるいよな、って」

 頭に血が昇るのが自分でもわかった。
 全身の血が煮え滾り、気付いたときには体が勝手に動いていた。
 幸喜の胸ぐらに手を伸ばせば、今度は呆気なくやつは捕まった。
 鼻先がぶつかりそうなくらいやつを掴み上げれば、幸喜は喉を鳴らして笑う。そして俺の首に繋がったリードへと指を絡めようとした、そのときだった。

「おい! 落ち着けって、準一!」

 背後から伸びてきた手に腕を掴まれ、そのまま幸喜から引き離すように羽交い締めにされる。
 ――仲吉だ。

「離せよ、仲吉」

 捕まる俺にくすくす笑う幸喜が頭にきて、そのまま蹴り入れようとすれば今度は幸喜はあっさりと躱す。

「準一って本当変わってるよな? なんで準一がムキになるわけ? 奈都ならともかく。つか俺、準一のために言ってやったってのに」
「何が俺のためだよ、お前のしてることは人を馬鹿にしてるようなもんだろうが! 人を馬鹿にすんのも大概にしろ!」
「うーわ、ブチギレじゃん。悲しいなあ。藤也のことは大好きなくせに」
「はあ……っ?!」

 あまりにも脈絡のない幸喜の言葉に思わず大きな声が出てしまう。
 そこで自分がやつのペースに引き込まれそうになっているのに気付き、喉元まで出てきた罵倒を飲み込んだ。
 冷静になれ。落ち着け。こいつの思い通りになるな。

「そーいうさ、差別っていうの? よくないよ。俺悲しくなっちゃうし。……藤也も俺と一緒なんだから」
「今あいつは関係ないだろ」

 そう怒鳴れば、僅かに眉を下げた幸喜は笑い「どうだろうね」と呟く。

「お、おい……準一、お前どうしたんだよ。さっきから」

 仲吉の腕を振り払い、一発だけでもいいから幸喜をぶん殴ってやろうと思ったときだった。
 再び手首を掴まれ、引き留められる。

「どうって、分かんねえのかよ」
「だから、なにが」
「幸喜のやつが、奈都に……っ」
「幸喜? 幸喜がいんのか?」
「いるだろ、目の前に!」

 とぼけてんのかと掴みかかりそうになるのを必死に堪え声を荒げれば、俺が指差した方向に目を向ける仲吉。
 しかし、理解できないといった表情は変わるどころかますます戸惑いの色を濃くする。そして、仲吉は困惑した目で俺を見た。

「……なんも見えないんだけど」

 その一言につられるように幸喜へと目を向ければ、既にそこに人影――やつの気配すらなくなっていた。

 ――あの野郎。

 舌打ちが漏れる。行き場のない怒りを堪えることが出来ず、近くの壁を蹴り上げた。
「ひっ」と傍で南波が小さな悲鳴を上げるのを聞きながら俺は窓の外を睨みつけた。
 僅かに開いた窓の外、生ぬるい風が吹き込むとともにざらざらと葉音が響く。

 一先ずこれからどうするかを考えなければならない。
 奈都……あいつをこのまま放っていくわけにはいかない。
 けれど、奈都からの依頼である志垣真綾の安否を調べるということは果たした。
 結果がどうであれ、やることはやった。

 頭では理解していたが、どうしても去り際の奈都の泣きそうな顔を思い出してしまい胸がつっかえる。

 こんなのって、どうなんだ。このまま知らんぷりなんて出来るわけがないだろう。だとしたらどうする。幽霊になった志垣真綾を探し出すか?そして奈都と会わせて願いを叶えさせるか?

 そんなことも考えてみたが、まずこの山の外にいるであろう死者の彼女を探し出すことが困難だろう。
 それに、もし探し出したとしても彼女が奈都に会いたがるかどうかもわからない。……最悪、俺たちみたいこの世に留まっているかすらも怪しい。

 つまり、俺たちに出来ることはない。
 ……ただ一つを除いて。
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