上 下
12 / 346
第1章 日常 夢現(ゆめうつつ)

7話 夢  連合標準時刻:水の節 92日目 病室

しおりを挟む
 翌日。目が覚めればやはり白い天井に白い壁。そして横を振り向けば赤い髪の女医の笑顔。これもいつも見る景色だ。彼女は何時も通り当たり障りのない会話をしながら手際よく触診を行い、最後に決まって注射を打つ。これも見慣れた風景だが今日は少しばかり違った。

「どうしても君に会いたいと言ってきかない人がいてね」
 
「はぁ……」

 俺に会いたいという人がいるらしい。しかも口調から判断すればかなり強引な性格をしているようだ。

「フフッ。そう怖がらなくていいよ」
 
「いや、怖がってませんよ。ところでその人って……」

 物事は思うように進まない。誰が何をしに来たのか尋ねようとする俺の言葉を待つことなく扉が開き、そして一人の女が入ってきた。長身に細身の身体、整った顔と銀色の髪は正直なところ桁違いの美人というありきたりな言葉でしか表現できなかった。が、誰だ?

「君達の主治医として、これが彼の記憶を戻す切っ掛けになると判断したから特別に許可したのだからね」
 
「分かっています」
 
「脳の機能はまだ私達でさえ完璧に解析できていない。これがどんな影響が出るか分からない、よってこちらの判断で一方的に面談を取りやめる可能性がある点は留意してほしい。ではいったん失礼するよ。またね」

 女医は厳しい言葉を銀髪の美人に、優しい言葉を俺に投げかけると扉の向こうに消えていった。俺はよく似た2人の女性の姿を呆然と見つめるしか出来なかった。赤い髪の女医は大人っぽい落ち着いた雰囲気で、俺の事をとても気遣っていると思っていたのだけど……終ぞ俺に意見を聞くことは無かった。どうやらあの人も少しばかり強引な部分があったらしい。

 まぁ、今はそれよりもこの人は誰?という問題の方が重要だ。面会に来るならば俺の知り合いが一番可能性として高いのだが、しかし地球に居た頃にこんな人に会った記憶は無い。

 清雅の本社に勤めていた頃は芸能人やら各界の著名人の姿を目にする機会が幾らでもあった事は思い出せるが、しかし一目見たら頭に焼き付いて忘れる事が出来ないレベルの美人は見たことが無いから仕事ではなさそうだ。となればプライベートかも知れないが、清雅本社という華々しい経歴に反してまともな出会いが無かったし、仮にあったとして俺を選ぶか?と卑下する程度には釣りあいが取れていない。

 となると宇宙人か?確かに、ベッドのすぐ横に置かれた椅子に座りながらジッと俺を見つめる女の髪を見れば、とても染めているとは思えない位に自然だった。地球で銀色の地毛なんて見た事も聞いたことも無いし。
 
 さっきの女医さんもアマツミカボシという種族だと話していた記憶がある。地球と全く違う環境ならば地毛の色も変わると考えるのはそこまで不自然ではない。と、そんな事を考えながら艶やかな銀色の髪を見つめれば、その視線に気づいた女性はにこやかに微笑み返した。

 どうやら俺に悪い印象は持っていないらしい。が、困った。どうやって声を掛けよう?そもそもココに来てから驚きの連続なのに、いきなり見ず知らずの女性と上手く話せるものだろうか。

「あれから何日ぶりかな」
 
 口ごもる俺を気遣うように、彼女がそう声を掛けてきた。その一言で俺と彼女は知り合いらしいという確証を得たのだけど、頭には相も変わらずもやが掛かりっぱなしで、だからこの人が俺にとってどういう存在かまるで分らない。
 
「そうか。やはり思い出せないか」

 俺が無言で見つめていると、彼女は明らかに落胆したような表情と共にそう呟いた。やはり思い出せない数日の間に出会ったようだが、残念ながら全く思い出せない。

「だから、今日はあの時……私達が出会ったあの時の話をしようと思う」

 そう言い終えるや彼女はぽっかりと抜け落ちた数日の間に何が起こったかを語り始めた。

 ※※※

 聞きながら思ったのは、ルミナと名乗った彼女が聞かせてくれた話は相当に荒唐無稽な一方で真実だろうということ。俺達は20XX年12月15日に出会うとそのまま清雅市内を逃走し、最終的に市内の端にあるホテル街の一角を隠れ家としたそうだ。その周辺の一部区画のホテルは現金払いだから即座に足がつかないからと、そう話していた。確かに端末払いをすればその情報は清雅本社に共有されるし、何よりの一角にそんな場所が存在する事を外部の人間が知るのはなかなか困難だ。

 時折休憩をはさみながら話は続く。次はそのホテルで互いに自己紹介をしながら1日を無事に過ごし、翌日の夕刻過ぎに慌ただしく逃げ出した。曰く、追手が来たかららしい。そしてその追手は俺が良く知る……というか唯一と言って良い位の間柄だと一方的に思っていた山県大地だと言っていた。

 その名前を聞いて、確かにそんな事があったような気がした……そんな記憶が朧げに浮かんできた。そう、俺達が出会った12月15日もそうだし、翌日以降もそうだ。確かにその男に追い回され殺されかけた記憶がある。

 ほんの僅かだけ蘇った記憶をルミナと名乗った目の前の女性に伝えると、その人はそれまでの酷く冷静な表情を大きく崩した。まだほんの一部だけだというのに、それでも記憶が戻った事を彼女は喜んでくれた。そうやって話していれば少しずつ頭の奥から彼女の姿が浮かび上がってくる。目元を完全に覆うバイザーを付けていた当時の彼女はとても冷たく無感情な印象に思えて、だから例え記憶が完全に戻っていたとしても同一人物と分からなかっただろう。それ位に今の彼女の表情には感情が溢れていた。

 その後も話は続いた。彼女は自力で、俺は自転車で清雅市外を目指したが、結局逃げ切れず隣接区域の駅で戦闘に入ったそうだが、どうやら俺はその時に異常な力の一端を見せたらしい。そうやってどうにかこうにか逃げ延びた俺達は乗り捨てられた車を拝借して清雅市を脱出、そのまま別の区域にある現金払いのホテル街に再び身を隠した。

 だがその直後に俺はテロの容疑を掛けられ指名手配され、彼女には破壊命令が出されたと知った。俺達の落ち込み方は相当以上に酷かったらしいが、更に追い打ちを掛けるように警察まで集まって来た。逃げ切るにはやはり無謀、諦めようという空気さえ漂っていたらしいその空気を壊したのは"諦めたくないから逃げよう"という俺の一言だと、そう彼女は説明した。とても嬉しそうに。

 その言葉だけ聞けば酷く曖昧だけど、しかしその言葉を切っ掛けに俺達は再び逃げ出したのは確かで、今にして思えばこの一言が俺達の運命の大きな転換点だと彼女は語っていた。俺達はそうして彼方此方を転々としながら清雅市での全面衝突までを逃げ続け、決戦の22日を迎えた。

 其の当日、結果的に清雅源蔵に追い詰められた俺達は異形の力に目覚め、そのまま戦いを終わらせたそうだ。その時を話を端的に表現すれば異常としか表現できない状態なのに不思議と恐怖は感じなかったそうだ。ただ、1つ気になったのは"何かの声を聞いた"という事だけ。

 途中やけに豪快に端折られた部分があったが、俺が記憶を失った数日の間にそんな信じ難い出来事があったようだ。相変わらず記憶の大半は戻っていないが、しかしルミナと名乗ったその女性はそんな有様の俺を見て一喜一憂している。やがて面会時間の終わりが近づくと、彼女は明らかに名残惜しそうな表情を浮かべながら部屋を後にした。

 誰もいない部屋でゆっくりとルミナの話を反芻した。とても信じられないと、頭がそう結論付ける一方で記憶の奥底から時折その時の風景らしき何かが浮かび上がってくる。だけどそれはまるで夢の様で掴み処が無い。そんな現実感のない風景に意識を向けていれば、何時の間にか俺は意識を手放していた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

Hey, My Butler !

SF / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:0

僕の日常

K.M
青春 / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:0

うたかた謳うは鬼の所業なり

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:2

回復力が低いからと追放された回復術師、規格外の回復能力を持っていた。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:33,811pt お気に入り:856

9歳の彼を9年後に私の夫にするために私がするべきこと

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,841pt お気に入り:105

斬奸剣、兄妹恋路の闇(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:519pt お気に入り:0

日常歪曲エゴシエーター

SF / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:3

色とりどりカラフルな世界に生きている

N
SF / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:0

ただ前に向かって

SF / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:0

転生したら魔王軍幹部だったんだが…思ったより平和な世界だったんですよ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:278pt お気に入り:2

処理中です...