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第7章 平穏は遥か遠く

239話 敵意

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 連合標準時刻 火の節88日 午後

 囮となったアックス、白川水希に別れを告げる暇なく車外に放り出された伊佐凪竜一は車を一瞥すると次の目的地へと目指す。が、その足取りは鈍い。迷路のように複雑な駅構内、同行予定の白川水希の不在、勝手を知らぬ土地で適当に行動するアックス程に豪快ではない性格、旗艦内での生活全てをツクヨミに頼っていた過など、幾重にも重なる要素が尾を引く。

「次は……コレか?」

 携帯端末が示す目的地を睨みながら漸く目的地へと向かう電車へと乗り込んだ彼は一息付ける間もなく周囲に視線を泳がせ、今度こそホッと一息ついた。

 一先ず伊佐凪竜一の顔を知る者はこの場に居ないようだ。ソレは現時点で指名手配されていない事実を指すが、それは今この瞬間だけの話。英雄"伊佐凪竜一"が黄泉から逃げ出した事実が顔写真と共に市民に周知されるのは時間の問題。

 守護者達も馬鹿ではない。彼の痕跡が何処からも検出されない事実に気付けば特製IDの存在に辿り着き、そうなれば市民から情報を募るだろう。寧ろそうしない理由がない。

 特に無駄な行動を極端に嫌う守護者総代アイアースが指揮を執るなら尚の事。スサノヲの地位を不当に落とす事で勝ち得た信頼を僅かに失うのと引き換えに得る利は多大だ。急がねばその時が来る、同じ結論に辿り着いた彼の顔に若干焦りが浮かぶが、一方でそんな心理的圧迫を除けば全てが順調に進んでいる。

 効果絶大な特製IDの性能と相まって彼は見事なまでに一般人として周囲に溶け込んでいる。ただ、取り立てて普通な容姿が功を奏している反面、黒のスーツだけは否応にも目立ってしまう。流行し始めたとは言え地球製のスーツを身に着ける者はそう多くはないが、その中にスサノヲも含まれている。

 もしかしたらこの人物はスサノヲではないか。周囲が向ける疑念を含んだ好奇の視線は彼の顔を自然と俯かせ、否応なく彼とそれ以外に横たわる違和感、違いを浮き彫りにする。素性がバレるかも知れないという緊張感に自然と身体が強張る。

 が、それもあと僅か。もうすぐ旗艦の各所を繋ぐ施設へと到着する。そこまで辿り着き、転移に成功すればもはや彼を追跡する事は不可能に近い。広大な艦からたった1人の人間を探し出すのは砂漠から小石を探すに等しい行為で、旗艦の神以外の誰にもそんな真似は出来ない。指名手配が先か、転移が先か。少しずつ近づく目的地は、同時にタイムリミットへと変化する。

 ※※※

 幸いなるかな。彼は程なく彼は目的地、旗艦の各所をハイドリで繋ぐ"神楽殿カグラデン"の入り口へと足を踏み入れるに至った。入口でID審査を受け、無事に合格すれば旗艦の指定座標へと転移する門へと案内される仕組みだ。しかし、またしても足が鈍る。彼もこの手の施設を利用した経験はあるのだが、過去に付きっ切りで補佐したツクヨミが手続き一切を率先して代行していた為、何をすれば良いか全く知らないらしい。

「良い旅を」

 係員の定型文に背中を押される様にゆっくりと施設へと足を踏み入れた彼の目に飛び込んで来たのは無数の通路と、その遥か奥に仄かに輝く灰色の光。周囲を見渡せば、受付に続き簡単な審査を終えた人々が談笑しながら光へと向かう、あるいは光から出てくるごく一般的な旅行の風景。いずれにせよ談笑しながら通路を往来する人々は、今やテロリストと呼ばれる伊佐凪竜一の傍を無遠慮に通り過ぎる。

『お困りですか?』

 不意に呼びかける機械的な声に彼は驚く。背後を振り向けば駅構内を巡回する式守シキガミの姿。と、いっても空中に投影されたホログラフィーで実体は無い。空中に浮かび上がった非実体型の式守は、施設内に設置された映像諸々から利用者に適したサービスを案内、提供する。

「えーと、第5区域に行きたいんだけど」

『畏まりましタ……でハ……アシ元に走る緑色のラインに沿ってお進みください。しばらく進むと二股に分岐しますのでその後……ミギ側通路へとお進みください。通路上部の案内図では第23区域と表示されておりますが、作業者のミスによる誤った情報です。ご迷惑をおかけしますがくれぐれもお間違いの無いようご注意ください』

 伊佐凪竜一の問いかけに式守は事務的な笑顔で目的地へと至る道順を告げると、彼は疑いもせずその方向へと足を向ける。罠の可能性を疑いもしないで。

 如何に神の監視が消えたとはいえ、こんな致命的なミスが放置されたままの筈がない。こんな程度、即座に修正すれば事足りる。罠。私の中に疑念が浮かび、膨らみ始める。いや、その可能性が高い。だが、守護者でさえまだ彼の居場所を特定できていない状況で一体誰が罠を仕掛けられるのか?

 とにもかくにも私は伊佐凪竜一の進む先が何処に繋がっているか急いで調査し、やはり先程の説明が偽りである事を理解した。

 が、彼は既に突き当りの奥の部屋へと進んでいた。通路よりも一段低い、仄かに灰色に輝く円形の大部屋へと迷いなく進んだ彼は直後に濃い灰色の光に包まれ、本来の目的地とは全く違う場所へと飛ばされてしまった。

 ※※※

「ココが第5居住区域?書いてある情報と違うな」

 作業ミスなど存在しない事実を知らないまま彼は誤った道を進む。灰色の光を抜けた先は彼の行先とは全く違う場所で、更に確実に次の災難が待ち構えているだろう事は想像に難くなかった。予想外だったのは、その災難が私の予想を悪い方向に超えていた事だ。

 待ち構えていた何者かと戦闘になると考えていた私が目撃した光景は、しかし伊佐凪竜一にとっては戦闘よりも厄介で、精神を削られる相手だった。彼の幸運もココまでか、いやあるいはどうあってもこうなる運命だったのか。次の災難、それは大いに目立つ地球製のスーツを纏う仲間に出会ってしまった事。

「お前はッ!!」

「馬鹿な、どうして普通に駅を利用している!?」

 ヤタガラス。地球で言う警察に当たる、旗艦の治安維持を担う実力組織。彼等は他の客と同じく何食わぬ顔で駅から姿を見せた伊佐凪竜一の顔に動揺するも、即座に応援を呼び始めた。

 当然、周囲は騒然とし始める。旗艦を混乱に貶める"堕ちた英雄"伊佐凪竜一は何時の間にやら黄泉から脱獄、一般人に紛れ込み往来を堂々しているという事実に恐怖する。

 しかし、程なく恐怖は怒りへと転化する。伊佐凪竜一が何らの手も、口も出さない事実に1人また1人と罵声を上げると、その波は瞬く間に周囲へと広がり、やがて物まで投げ込まれ始めた。過去、ルミナが経験した光景を彼もまた見る事となった。意志薄弱な人間が周囲に押し流され、正誤の区別もつかぬままに心の内の醜い感情を吐き出す様を。

「醜い」

 私の口は、目の前の光景にそんな感想を絞り出した。何故こうなってしまったのか。こうさせないための旗艦法を整備し、神の監視が常態化した社会を作り上げたのに、枷が外れた途端に本能を剥き出す。一方、伊佐凪竜一は……

「逃げた!?」

「チィ、マジかよ!!」

 迷いなく、一目散に逃げ出した。今、戦う訳には行かない。彼とヤタガラスの戦力差は天と地ほどに開いており、余程に加減せねば殺しかねない。が、そんな程度はヤタガラスも承知。故に、己が命を盾に立ち回る。無謀ではない、計算だ。彼が人を殺傷出来ないと知るからこそ取れる最低の、だが現状において最も有効な戦法。

 しかし、大きな誤算が一つあった。

「クソォ!!」

「ふざけるなよ犯罪者ァ!!」

 断末魔と共にさながら枯葉の如く吹き飛んだヤタガラス達は、雑踏の中に、ビルの壁面に、地面に叩きつけられるや全員が意識を手放した。彼等の誤算はただ1つ、圧倒的という表現さえ不適切な、絶望的な実力差。

 周囲の罵声はピタリと止む。彼は、伊佐凪竜一は実体化させた刀を力任せに横に薙いだだけなのに、その風圧で最前列に立つ数人のヤタガラス達を容易く吹き飛ばした光景は、何の根拠もなく安全だと信じる愚者を目覚めさせるには十二分だった。

 しかしヤタガラス側に逃がすつもりは無く、再び己が命を盾に、無数の四足歩行獣型式守イヌガミを総動員して足止めに入る。止むを得ない。被害を最小限に抑える為、己が力を最大限に振るう彼の表情に迷いは無く。味方だと信じていたヤタガラスが殺意と敵意を剥き出しに襲い来る現状にも、飛び交う無数の怨嗟にも彼は揺らがない。

 故に、カグツチは彼に力を貸す。未知の粒子は伊佐凪竜一の意志に反応、その力を爆発的に向上させる。

「守護者が来るまで何として持たせろォ!!」

 怒号、続いて叫び声。ヤタガラスが発した号令に戦闘の気配を感じた市民達は我先にと逃げ出す。刹那……

「うぉぉッ!?」

 恐怖、憎悪、悲哀、様々な感情がない交ぜになる戦場に無数の叫びと衝撃、爆発が連鎖した。伊佐凪竜一が刀を横に薙げ、振り下ろす度に数人が纏めて吹き飛ぶ。力の一端を解放したというたったそれだけ、当人からすれば全力とは程遠い攻撃を受けたヤタガラス達は木っ端の如く吹っ飛び、堅牢なイヌガミは玩具の様に破壊される。圧倒的な力の差。が……

「殺す!!」

「殺せェ!!」

 それでも尚ヤタガラスは止まらず、悪意と敵意に塗れた怒号を上げる。戦況は優勢……ではなく、現状を総合すれば圧倒的な劣勢。伊佐凪竜一はヤタガラスを殺せない。殺せば最後、状況を誇張し、恣意的に捻じ曲げ、最悪の犯罪者として喧伝するのは明白。

 一方、ヤタガラスは躊躇いなく殺せる。いや、殺さなければならない。組織として動くヤタガラスが伊佐凪竜一擁護する真似は信頼が地の底まで落ち切った現状では自殺行為に等しいのだが……アレは違う。

 はがからず殺意を口に出すヤタガラスの真意は市民達と同じく、濁流のように流される恣意的な情報に飲み込まれた結果だ。旗艦の窮状を全て英雄に押し付け、責める。が、その惰弱な精神にカグツチが力を貸す筈もなく、戦闘は呆気ない程にアッサリと終了した。

 止むを得ず、短時間で強引に戦闘を終わらせようと全力を出さない程度に奮闘した結末はある意味において無慈悲で残酷。彼は増援含めた50名近いヤタガラスに数百を超えるイヌガミをたった1人で、しかも僅か2分足らずで叩き伏せると瞬く間に戦場から姿を消した。

 後に残ったのはボロボロのヤタガラスと原形を留めない程に破壊されたイヌガミ、そして……恐怖に染まった無数の視線。
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