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第8章 運命の時 呪いの儀式

296話 約束

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 そこにあるのはやはり人の波。全ての人間が一様に祈りを捧げる姿はいつぞやと全く変わらず、一つだけ違うのはあの時よりもさらに大勢の人間が祈りを捧げていると言う事だけ。誰もが幸運の星に祈り、その力にあやかろうとする。

『どうか私達をお守りください』

『どうか幸運をお分けください』

 人々の口から漏れるのは、絶対たる幸運の星への憧憬。だけど、何故だろう。私はその光景に酷い不快感を覚えている。何時からこうなってしまったのだろうか。且つてはよく見た光景を、今の私が激しく否定する。神に祈るという、たったそれだけの行為に言い知れない不快感を持っている。
 
 淀んだ視線が、映像を横切る黒い点を捉えた。遂に、ホテルから車が発進した。姫とオレステスが乗る車が向かう先は旗艦大聖堂、主星フタゴミカボシに建造された婚姻の儀という特別な日にだけ使用するオリンピア大聖堂を模した荘厳な教会。婚姻の儀は旗艦と主星で前後半に分けて行われる。計2回。連合発足時、まだフタゴミカボシが現地の名前"オリンピア"と呼ばれていた頃に交わされた約束は両者の友好の証として連綿と受け継がれ、今回もまた正しく履行される。

 約束。その言葉は同時に別の思い出を私の中から呼び起こす。2000年前、遡る事四世代前の"私"がオリンピアの監視者と交わした言葉。遠き日に交わした約束は両惑星の友好を維持するという誓いと同時に課せられた使命の確認でもあった。

「幸運の星の加護をあまねく銀河に、そして我らが主の悲願達成を」

 そんな、遠き日に交わした約束が今の私を蝕む。安寧の日々は人々に幸福をもたらすと信じていたのに、しかし現実は予想よりも遥か下を潜る。幸運の星とアマテラスオオカミ、二柱の神を持ってしても人は争い続けた。私はそんな人に怒り、憎み、呪い、絶望し、遠き日に交わした大事な約束を心の底の暗い闇の中に沈めてしまった。

 歓声が、響いた。映像には旗艦アマテラスの人々は数十年に一度の大イベントに湧き立ち、浮足立つ光景が広がる。暗く淀んだ思考を覚ます声は、過去に苛まれる私には理解し難くて、だから酷く耳障りだった。苦難に続く苦難、復興を阻害する幾つもの要因に疲弊した人々にとってみれば、たとえ他人事でも婚姻の儀はこれ以上ない娯楽、不幸な現状を忘れる最大のイベントだと理解しているが、頭が拒む。

 その熱狂がただの逃避に見えたからだ。こうでもしなければ、コレを楽しまなければやっていられない。不幸から目を逸らしたい、あわよくば幸運の星に救って貰いたい。いや、救ってくれるはずだ。そんな、浅ましい思惑を映像から感じた。

※※※

 報道機関が操作する映像中継用の式守シキガミは、全行程の半分ほどを走破したところで休憩を取る車を映している。周囲を警護するのは夥しい数の守護者達。連合において最も重要な儀を間近に控えているという以上に、堕ちた英雄の襲撃への警戒から誰の目にも極度の緊張の色が浮かぶ。

 その目が、一点を凝視し始めた。無数の黒い騎士の頭部が不意に青い空へと向かう。一機、また一機と上を眺める騎士の数が増えるにつれ、生身で警戒する守護者達も青い空を眺め始めるが、程なく届いた通信に態度は一転、異様なまでに焦り始めた。生身の守護者が忙しなく動き始めると、黒雷は巨大な銃器を空に向ける。

 その光景に人々は驚き、焦り、恐怖した。報道機関もまた同じく、浮足立つレポーターは口々にこう叫ぶ。堕ちた英雄と渾名されたかつての英雄が襲撃して来たのではないか、と。ある者は英雄の襲撃に恐怖し、ある者は現状を考えない行動に憤り、また別のある者はそんな事をする筈は無いと反論する。が、無数の中継映像が捉えたのは別の物体、巨大な塊だった。

 高天原と居住区域を分ける境目、人々が見上げる地上から数千メートルの距離にある天井の一部が剥離したようだ。地上目掛けて降り注ぐ光景は、正しく閉じた世界に現れた隕石。不幸中の幸いか、儀式の当事者たる姫に直撃する様なコースこそ取っていないが、しかしこの日を待ちわび、また祝う為に詰めかけた無数の人波に直撃すると予想された。

 守護者達の通信は酷く冷静に見えるが、しかし誰もが何らの行動を起こさない。いや、起こせないと言った方が正しいか。迂闊に破壊しようものなら飛散した破片が周辺を襲い被害が増加、更に外れた銃弾が何処かに降り注ぐ可能性もある。が、さりとて受け止めるには余りにも大きく、また加速し過ぎている。

 程なく、10機ほどの黒雷が武器を投げ捨てると鉄塊目掛けて上昇を始めた。どうやら受け止めるつもりらしい。確かに現状で取り得る最も確実で安全な手段だろう。余程に出力を上げねば圧壊は免れないが、しかし彼等は不正に入手してから僅か数日程度しか経過しておらず、習熟する時間的な余裕は無かった。

 儀式当日に何とも不幸な……いや、パフォーマンスかもしれないと、そんな悪辣あくらつな結論が頭に浮かんだ。姫の為に命を懸ける守護者の勇ましい姿は旗艦を混乱の渦に突き落とす英雄とは対照的で、更に誰かの為に命を懸けるという行為は崇高や正当性という考えを想起させる。

 操縦者という機動兵器のパーツ損耗防止を設計思想に持つ黒雷は滅多なことでは死者を出さないが、それでも神の殉教者と思わせるような行動を大々的にアピールすれば彼等の行動を疑う者はほぼいなくなり、仮にいたとしても声を上げる事など不可能となる。遠回しな言論封殺と考えるならば、寧ろ絶好の機会だ。

 しかも守護者達が姫を命懸けで守る使命を持つのは周知の事実で、駄目押しで婚姻の儀という重要な日となれば誰も自演の可能性など疑いもしない。全てが守護者の利になる状況だと認識すれば、行き交う無数の通信から漏れる悲壮な覚悟も嘘くさく聞こえてしまう。無論、姫と同じ車に同乗するオレステスも同じく。何とかして落下地点を逸らす様に檄を飛ばす男の声には焦りの色が滲み出るが、これも殺意を隠すパフォーマンスと考えれば納得がいく。どうやら顔だけではなく演技力も高いらしい。いっそ、俳優にでもなればよかったのに。

 故意か、寓意か。様々な思惑に押されながら、無慈悲な鉄塊は降り注ぐ。人如きの無力さを知らしめる為に、容赦なく地面に向けて。
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