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生贄
しおりを挟むーー島国、ヴラド。
大陸から少し離れた場所に位置するその小さな島国は、切り立った崖で囲まれている。
一つしかない港には、灯りすら存在せず、余所者を歓迎する気配はない。
……そもそも、訪れる者もいないだろうが。
島の周りの海は、複雑な潮のうねりに、凶暴な海洋生物が多く生息している。
だが、それ以上に島外の人間が恐れているのはこの島だ。
悲鳴が轟き、血と苦痛が色濃く匂うと言われるこの国は、不用意に訪れればけして生きては帰れないと語り継がれている。
騎士を表す青いマントを翻して港に降り立ったジークフリートは、ぬるい潮風を頬に受けながら辺りを見回した。
黒く短い髪に、青い瞳。端正な顔立ちに、研ぎ澄まされた刃のような雰囲気を纏う彼を、港にいる漁師たちが威嚇するかのように睨め付けている。
「歓迎されてはいないようですね」
ジークフリートにようやく聞こえるくらいの小声で囁く男は、ジークフリートの部下である騎士、ジョルジュ・ラドゥだ。金の髪が風に揺れ、赤みの強い紫の瞳が不安そうに辺りを見回す。
「遠路はるばるとよくぞいらっしゃいました」
低く固い声が聞こえた。見れば非常に大柄で、凶悪な人相の男がこちらを見ている。丸太くらいありそうな鍛えた手足に、顔を含め至るところに見える古傷の痕が、ジークフリートとジョルジュを威圧した。
「私はこのヴラドを治めるカーミラ女王陛下の遣い、アダム・シュタインと申します」
「アビニアの願いに応じて頂き、貴国に深く感謝致します。私はジークフリート・アビニア。アビニアの第二王子で、近衛騎士団の団長を任されています。それから、私の部下であるジョルジュ・ラドゥ。どうぞ、よろしく」
「……お会いできて大変嬉しく思っております。何せ他国の方がいらっしゃるのは久しぶりのこと」
アダムと名乗る大男は、傷だらけの顔を奇妙に歪めて笑った。
「心より歓迎いたします。ジークフリート殿下。ジョルジュ様。どうぞお楽しみくださいますよう……」
彼がそう言うと、ひそひそと声が聞こえる。いつの間にか漁師だけでなく、住民達が集まってきたらしい。
好意的な視線ではない。時折「命知らずが」「なあに。すぐ後悔することになるだろうよ」と言う、歓迎とは程遠い囁きが聞こえてきた。
◇
手配された馬車に、ジークフリートたちは乗り込んだ。
二人きりになった途端、ジョルジュが騎士にあるまじき悲痛な声でまくし立てる。
「マジ無理なんですけど!なんなんすかあの人たち!めちゃ怖!帰りたいです!団長、帰りましょうよ……!」
「お前、今更……」
騎士とは思えない言葉に絶句する。
しきさジョルジュも動揺してるのだろう。かぶりを振って答えた。
「……我が国の命運がかかっているんだ。今更帰ることはできない」
「国より自分の命のが大事じゃないですか……。死んだら終わりですよ」
「お前、それでも本当に騎士なのか?」
国より自分の命が大事と堂々と言う騎士を初めて見た。アビニアにいたら間違いなく何らかの処分を下している。
「大体ここで逃げ帰るなんて、殺してくれと言うようなものだ。万が一無事に帰れたとしても、この役目を放棄したとなると、アビニアでもお尋ね者だぞ。死罪も有り得る」
「ひいい……」
「安心しろ。今回も国で一番腕が立つ騎士を一人だけ望まれた。以前も騎士以外の供はアビニアに帰国しているから、お前は帰れるさ」
「俺、念のためににんにくと十字架は持ってきたんですけど」
「お前絶対にそれ出すなよ」
青ざめたジョルジュを強く睨め付け、ジークフリートはため息を吐いた。
部下の塵のような騎士道精神に、指導不足だったかと少なからずショックを受けたが、彼が怯えるのも無理はない。いくら自分やジョルジュが強くても、闇の魔術が相手では無意味なのだ。
だからこそ、彼はジョルジュを供に選んだ。普段の彼は腕が立ち、悪運が強く、勘が良い。そしていざと言うときには、躊躇いなくジークフリートを見捨てられるだろう。
ジークフリートの周りには、彼のためなら命を投げ捨てられるという者しかいなかった。それではダメだ。自分は所詮、生贄にしか過ぎない。
必要ならば致し方ないが、不要な血は、流したくない。
そのために、ジークフリートはここへ来た。
三百年前のことだ。
アビニアの当時の王が、わずか十日という歴史上一番短い戦争の果てにブラドの女王と血の誓約を結んだ。
国で一番の騎士の血を捧げる代わりに、三百年の間アビニアから手を引くという誓約である。
誓約を交わした時点で当時のアビニアは、ヴラドに攻められほぼ壊滅状態と化していた。
小さな島国であるヴラドが、大陸で一、二を争う大国アビニアを蹂躙できた理由は、一つ。
ヴラドの王族は代々最悪にして最強と言われる、闇の魔術を仕える唯一の存在なのだ。
闇の魔術について、詳しいことは誰も知らない。文献も残っていない。ただあまりにも悍ましく、圧倒的であったが故に禁忌とされ、古の時代に封印されたはずの魔術だった。
禁忌の術を使える彼女たちには、恐ろしい噂もあった。
ヴラド王家は人間の血と悲鳴と苦痛を何より好む闇の一族ーー、かつて滅んだと伝えられる不死の王、吸血鬼の末裔なのだと。
その噂を裏付けるように、代々女王が王位を継ぐヴラドでは、遠い昔の建国当初から、一人の女王が代替わりせず変わらぬ美貌で君臨しているという噂すらある。
残忍な吸血鬼は、人の生き血を吸い、誇り高き騎士さえ意思を持たぬ眷属に変えるという。
しかし女王が吸血鬼でも人間でも、ジークフリートには大した問題ではないのだった。
この身一つで国が救えるのならば、どのような責め苦にも耐えるだけだ。
祖国を守るため、大切な人を守るため、王子であり騎士であるジークフリートは、何としても血の誓約を結ばねばならなかった。
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