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女王との謁見
しおりを挟むヴラドの城は、青空に白い城壁が映える美しい城だった。
しかし城の中の全ての窓は、閉じられカーテンで覆われているようだ。
昼間だというのに薄暗く、ランプがなければ歩けない。
◇
女王の待つ、謁見の間の扉が開かれる。
ジークフリートは背筋を伸ばし、謁見の間の奥に座る女王をまっすぐ見つめた。
ぼんやりとランプに照らされた彼女の顔はよく見えない。だが頼りのないランプの灯りだけでも、色の白さはよくわかる。それから緩やかにカールした金の髪の艶やかさと、張り詰める厳かな気品も。
前に進み、女王の前で跪いた。
「本日は女王陛下に謁見できる幸運を頂き、ありがとうございます。私はアビニアの第二王子、ジークフリート・アビニアと申します。近衞騎士団の団長を務めております」
「ようこそ我が国へ、ジークフリート殿下。私はこのヴラドの女王、アメリアと申します。どうぞ、頭を上げてください」
透き通った声が、ジークフリートの耳に響いた。
可憐なのにどこか官能的なその声に、背筋を羽でなぞられたような、ぞわりとした感覚を覚えて彼は反射的に顔を上げた。
揺らめく灯に照らされた女王の顔が、はっきりと見えて彼は息を呑んだ。
きらきらと煌めく瞳は切れ長で、透き通った美しい赤色だった。すっと通った鼻筋に、形の良い唇が上品に弧を描く。動悸を覚え、頰に血が集まり、呼吸さえも忘れそうだ。これは、まるで。彼女は。
(女神ではないか)
「……?ジークフリート様?」
何も言えずに呆けているジークフリートに、女神が微かに小首を傾げる。罪深いほどの愛らしさに、思わず胸が捩られた。
透き通る赤い瞳が、ジークフリートを真っ直ぐ射抜いて、息をすることも忘れそうになる。
その時ごほん、と横から咳払いが聞こえてハッとする。ジョルジュだ。
そうだ、今はそれどころじゃない。自分の使命を、忘れてはならないのだ。
ジークフリートは雑念を頭から追払い、真摯な瞳で女王を見つめた。
「……失礼しました。先触れでも申し上げた通り、本日私がこちらに参りましたのは他でもない。三百年前に結ばれた血の誓約を、再度結び直して頂きたいのです」
「血の誓約の寿命は、三百年。今年がその年でしたね」
女王は脇に控える背の低い執事に目を向けると、執事が大きく頷いた。
「では、今ここで。国一番の騎士様は、ジークフリート様でいらっしゃいますか?誓約には、騎士様の血が必要なのですが」
「はい。この血を全て、女王陛下にお捧げします」
元よりジークフリートに迷いはなかった。捧げるために、騎士になったのだから。
「嬉しいお言葉ですが、一滴で結構ですわ。ムクルス、剣と書状を」
「ここに」
ムクルスと呼ばれた先程の背の低い執事が、長剣を女王に手渡す。女王は立ち上がり、ジークフリートの前まで進んだ。首を垂れ、彼女の一挙一動を感じながら、ジークフリートは覚悟を決める。
女王が手に持った長剣を、ジークフリートの肩にかざした。
「如何なる場合に於いても、我がヴラドは貴国アビニアを侵すべからざる場所として、不可侵を誓約する。貴殿の血と我が血にかけて」
そう言い終えると、女王はジークフリートの前にしゃがみこむ。手にした長剣を自らの指に当てると、血がぷっくりと小さく盛り上がる。驚いて顔を上げると、透き通った赤い瞳と目が合った。脳の中が痺れるような錯覚を覚えた。
彼女はその指を、ムクルスが手にしている何も書かれていない紙にそっと乗せる。それからジークフリートの顔を見て、柔らかく微笑んだ。
「手を」
頭が真っ白のまま手を差し出すと、彼女はジークフリートの指にも同じように剣を当てた。微かな痛みが走って、同じように小さな血が出る。女王はその手を優しく取って、先程と同じようにムクルスの持つ紙にジークフリートの指を乗せた。
紙に二人の血判が押されると、何も書かれていなかった紙に文字が浮き上がる。
そこには、一文が記されていた。
『ーーヴラドは、アビニア国への不可侵を誓う』
血の誓約は、無事に結ばれた。
「……感謝致します」
自身の使命は終わった。
安堵のため息を吐きながら、ジークフリートは女王に礼を述べた。
「誓約に望まれたのは、私一人。なればこのジョルジュは、このまま祖国へ帰らせて頂きたい」
彼女は、その美しい顔をきょとん、とさせた。
不思議そうに瞳を瞬かせて、可憐な薔薇のような唇を開く。
「誓約は終わったので、お二人ともお帰り頂いて構いませんわ」
「え?」
「ん?」
「?」
ぽかんとする二人に、女王は小首を傾げた。
「騎士様の血はもう頂きました。誓約の書に記すために必要な分さえ頂ければ、それで」
「それだけですか?私を、例えば……配下になさるのでは」
「まさかそんな。国一番の騎士様がいなくなったら、困ってしまいますでしょう?」
「それでは何故、騎士を……」
魔術の絡む血判状に、騎士でなければならないという誓約は普通はない。
大きな条約を結ぶ際、通常は国のトップーー王同士で締結するのが基本だ。特別な理由が無ければ、騎士が条約を結ぶなどありえない。
「普通の人間は、弱い生き物ですから」
美しく艶やかに微笑む女王の言葉の意味がわからず、もう一度尋ねようと口を開きかけた時、横のジョルジュが焦るように口を開いた。
「そ、それなら……俺……私たちは失礼しますね!どうもありがとうございました!」
考え込むジークフリートを、ジョルジュがぐいぐいと引っ張る。『早く船に戻りたい』という、強い念が伝わってきた。
ジョルジュの言葉に、女王は少し寂しそうな表情を見せた。
「そうですわよね。久しぶりのお客様ですから、私も外のお話など聞かせて頂きたくて、もし良ければお食事でもご一緒に、とお誘いしたかったのですが……しかし騎士様、それも王子殿下ともなればお忙しいですものね……残念ですが、お気をつけ……」
「ぜひ、ご一緒させて頂きたい」
断ろうと口を開くジョルジュを制し、ジークフリートは言った。
ジョルジュと女王が、同時に目を見開く。
「だ、だんちょ……」
「まあ!本当ですか?」
「はい。両国の親睦を深めるためにも。ヴラドのお話も聞かせて頂きたいです」
「嬉しいわ!ぜひ、ジークフリート様とジョルジュ様のお時間が許す限り滞在してくださいな。国中があなた方がいらっしゃるのを、とても心待ちにしておりましたのよ」
そう笑う女王の瞳が、ランプに揺らめいてきらりと輝いた。また背筋がぞくりとする。
「本当に、楽しみにしておりました」
無邪気にも妖艶にも見えるその微笑に、ジークフリートは気圧されながらも頷いた。
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