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義母の涙
しおりを挟む「大変なことがあったのですね」
橘が捕らえられた数日後、治癒のためにやってきた蝋梅が気遣わし気に眉を下げた。
桜はため息を吐きながら頷いた。
「私だけが狙われているのなら、受けて立つ!とも思えるのですけれど、関係のない橘を巻き込んでしまって……」
「関係のない、なんて仰っては橘さまが怒りますよ」
しゅんと落ち込む桜に、蝋梅が両の人差し指を頭に立てる。鬼のまねだろうか。可愛らしい仕草をする蝋梅に思わず笑うと、蝋梅もホッとしたように微笑んだ。
「ふふふ、可愛らしい鬼」
「そう言われると恥ずかしいですね……」
恥ずかしそうな蝋梅に更に笑うと、蝋梅が「まあ笑いは健康に良いですから」と平然を装った。
「ふふ……あ、先日頂いたあのお薬。とてもよく効きました。ありがとうございます」
思い出して礼を言う。
先日の橘の事件があったその日に、蝋梅から丸薬が届いた。
深い深い緑色のその小さな丸薬は、床につく前に飲むとよく眠れると手紙が添えられていた。気が昂ってよく眠れないだろうと覚悟していたのに、さらりと溶けるその甘い丸薬を口に含むとすぐに眠れたのだ。
「良かった。疲労回復の丸薬に治癒の力を込めたものです」
「お薬に治癒を込めることなどできるのですか?」
「気休め程度には。よく眠れる以外に大した効果はありませんが」
よく眠れるお薬というのも、すごいものだと感嘆する。
帝にも献上してるものなのですよ、と蝋梅が嬉しそうに微笑む。
「龍花の毒は、どうもしつこく残って、治っても感情が昂った日には悪夢を見てしまうのだそうです。それを帝に教えて頂いたので、急いでお届けしました」
どおりで先日、変な夢を見たのだ。龍花に侵されていた時のいつもの悪夢と、帝の夢。どちらも妙に生々しく、起きた時には疲れていたことを思い出した。
「ありがとうございます。おかげさまで夢も見ず、ぐっすりと眠れました」
「いいえ、夜はゆっくりお休みください。家宅捜査が始まって騒がしいですし、花の儀も間も無く再開しますから」
蝋梅の実家の北小路家も、そろそろ家宅捜査が始まるのだそうだ。
「と言ってもうちの父は、娘から見てもあまり欲のない人間ですから……心配はしておりませんが、思った以上に悪事に手を染めている公家が多そうだと、手紙でこぼしておりました」
「そうなのですね……」
確かに、既に捜査が終わった公家の三割は、横領や窃盗など何かしら汚職が認められたそうだ。これから深く捜査をする中で、その割合は増えていくのではないかと芙蓉がぽつりとこぼしていた。
そして、この状況に関わらず花の儀の再開が決まった。
龍花の犯人もまだ見つからず、慌ただしいこの状況の中、落ち着いてから開催すべきだと宮中内からも反発の声が大きかったが、帝が却下した。
「思ったよりも汚職に手を染めた奴らが多い。恩赦が必要だ」との言葉に、誰も何も言えなかった。
花の儀の開催日に捕まった罪人には、恩赦の一環で減刑がされる。それ故少しでも人手が多いうちに花の儀を開催し、その日の当日にできる限りの捜査を行うようにとの命令だった。
恩赦といっても、それを口実に犯罪が増えては意味がない。それゆえに、花の儀の恩赦は当日以降に犯した犯罪については減刑の対象にはならなかった。
過去の汚職に関しては、花の儀当日の発覚であれば減刑がされる。
しかし花の儀当日に捜査が行われた場合、隠蔽しようとすれば、捜査に協力しなかったとしてその分の罪が多く加算されるのだ。
おそらく隠蔽されると不自然な箇所の裏取りで、時間がかかってしまうのだろう。『恩赦してやるから悪あがきをするな、面倒だ』という意味なのだろうと、桜は思った。
「花の儀が終わったあと、どのような結果になっても、桜花さまとこうしてお話しする時間を持てたらいいなと思っています」
「嬉しいです。ぜひそうしたいですね」
そう微笑む蝋梅に、そうできたら素敵だろうなと桜も微笑んだ。
そのためにも早く犯人が捕まるといいのに、と考える。手首を縛られた橘の姿が浮かんだ。
桜の周りにいる人は、いつも自分のせいで不幸になる。苦々しい気持ちが込み上げて、込み上げるため息を飲み込んだ。
◇
「……お義母さまが、こちらへ?」
今から義母がやってくるとの知らせに、聞き間違いかと思った桜は引き攣った顔で芙蓉に聞いた。
「さようでございます」と言う芙蓉に、義母と桜の確執を伝えたことはないが、察してはいるのだろう。「気分が優れないとお断りしても構いません」と彼女は言った。
「一連の流れがご心配とのことで、長くはならない、お顔だけでも拝見したいと仰ってるそうですが……」
「わかったわ」
まさか義母が桜を本気で心配し、顔を見たいと思っているわけがない。今日は何を言われるのだろう。家宅捜査で迷惑がかかったという文句だろうか。
できれば会いたくはないが、今後皇后になろうとなるまいと、生家の母とは事あるごとに関わっていかなければならない。
ここで断って、後から面倒なことになるくらいなら芙蓉の目ーー即ち帝の目がある今、文句を聞いておいた方が良い。そう思ってため息を堪えつつ、了承した。
やってきた義母は予想に反して桜に嫌悪感は示さなかった。微笑みこそはないものの、表情に悪意も敵意も感じず、拍子抜けをする。挨拶をする義母に、桜は慌てて頭を下げた。
「毒を盛られたと聞いたのだけれど、顔色は良さそうね」
「ご心配とご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした」
「……治癒をかけてもらったと聞いたわ。もう完治したの?」
「あと少しと聞いておりますが、体調には全く問題ございません」
桜が万が一皇后になってしまったら、今まで通りの態度では東一条家が危ういとでも思ったのだろうか。初めて体調を気にする言葉をかけられて、困惑する。
義母の視線を感じて顔を上げると、義母は何かを堪えるように眉根を寄せた。しまったと目を伏せる。いつも目を合わせるたびにこっちを見るなと叱られていたのだ。
しかし義母は、文句は言わず、しずかに語り始めた。
「私と夫……いえ、あなたの父親は、小さい頃からの許嫁だった」
困惑する桜に構わず、義母が力のない声で話し出したのは、こんな内容だった。
ずっと仲が良くて、どこに行くのも一緒で、賢くて穏やかな父と何の問題もなく結婚した。結婚してからも仲の良さは変わることなく、四人の子どもにも恵まれ春の陽気のように穏やかな日常を過ごしていたそうだ。
「その日々が終わったのは……あなたの母と会った、その日よ」
ぎゅっと拳を握る義母に、桜は息を呑んだ。
「あの人は私に言ったわ。本当に愛する人ができた。金はいくらでも出す。全てを渡す。別れてくれと」
「……」
「あの人は拒否する私に、愛する人がどれほど素晴らしいのか、いかにそれまでの自分の人生が無意味なものだったのかを語って私を説得しようとした。あなたの異母兄が、生まれて三日目だったかしら。命を懸けて産んだ息子が必死に生きようと私の母乳を飲んでいるその時に、あなたの父は私と子どもたちを無意味なものだと言ったのよ。出会ってたった一日の、女のために」
絶対に別れないと誓う義母に、父は諦め、愛する人のために小さいものの美しい装飾を施した離れを建てた。時折本宅にやってくる父は、罪悪感と幸福に彩られ、まるで知らない人のようだったと言う。
「初めてその女を見たのは、あなたが生まれた直後。無事出産を終えた彼女は急に苦しみを訴え出し、あなたの父が錯乱していると女官が来たの。急いで行くと、血に塗れて荒れ狂うあなたの父を、下男が数人がかりで抑えていた。息をするのも苦しそうな彼女は、あなたをしっかりと抱きしめて、私に言ったわ。今まで申し訳なかった。罪は全て自分が贖う。どうかこの子を生かして欲しい。平民に養子に出しても良い、間違っても権力者に見染められることがないようにしてくれと。自分の血は、高貴な方に見染められてはならないからと」
「…………」
「苦しみの中にあっても美しい女だった。殺したいほど憎かったのに、なぜか逆らえない。冗談じゃない、育てたくないと思ったのに、拒否ができない。頷くと彼女は安心したように笑って、亡くなったわ。私は彼女の血を引くあなたのことが、ずっと恐ろしくて憎かった。それでも毒を飲んだと聞いて、私は……」
桜が直接、母の話を聞くのは初めてだった。
口さがない使用人の噂話を耳にしたことはあれど、母の口から桜の母の話題がのぼることは今まで一度たりともなかった。
「…………申し訳なかったわ」
掠れた声に驚いて義母を見ると、目に光るものを見つけて桜は息を呑む。
この女性が涙を見せることなど、記憶の限りでは一度もなかった。
「生き延びるためには、誰のことも信じないことよ。どこで誰があなたを見ているのかわからないから」
震える唇でそう言う義母の瞳には、苦しみが浮かんでいた。
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