もう君以外は好きになれない

皐月めい

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※追加しました!!不協和音(side橘)

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※更新する際、この回が抜けておりました。
 申し訳ありません!



 先ほどまでの喧騒が嘘のように、しんと静まりかえる部屋に水音が響く。

 用意させた朱塗の木杯に、香り高い透明な酒が注がれていく音だった。帝自ら、注いでいる。
 止める侍従の静止を軽くいなし、人払いをした帝は橘にその木杯を差し出した。帝から渡された酒を断るなど、通常なら許されない。しかし飲む気にもなれず、首を振る。

「……いえ、俺は」
「そうか」

 気にした素振りもなく、彼はそのまま一気に呷る。強い酒だが、彼は水でも飲んでいるような反応で、さして面白くもなさそうに口を開いた。

「お前にとっては災難だろうが、膿を出す良いきっかけになった」
「…………」
「人間というものは、どう足掻いても腐るようにできているらしい。明日からどこもかしこも、人手不足で忙しくなるぞ。誰もいなくなるかもな」

 自嘲気味に笑う。

 帝が言っているのは、家宅捜査で炙り出される不正について言っているのだろう。龍花の毒についてというよりも、どちらかと言えば不正を炙りだすことの方が目的と言わんばかりの言い方だ。僅かに眉を上げる。波打つ心に、微かに帝への不信が揺れる。

 しかし、これは八つ当たりなのかもしれない。桜を守れないのは自分。彼女が毒に倒れた日から、自分を責めなかった日はなかった。挙げ句の果てに、自分の詰めの甘さのせいで追い詰められた自分を、彼女は身を挺して守った。強く握る拳にギリギリと爪が食い込む。

 それに引き換え、と唇を噛む。
 前回も今回も、桜を守ったのは他でもない帝だ。彼女を守れない自分が疑うなど、とんでもない。

(だが……)

 よぎる微かな違和感が警鐘を鳴らす。自分は何かを勘違いしている、見過ごしているのではないかと。
 そんな思考を遮るかのように、帝が口を開いた。

「橘。お前は以前、私に自分を近衛武士にしてくれと頼んできたことがあったな」
「……はい」
「お前は私が考えていた以上に活躍してくれたよ。完璧だった」

 試練の結果か。それとも間抜けにも、毒を隠されたことを言っているのか。はたまたほかに、何か裏があったのか。
 そう言えば彼はあの時、ちょうど良かった、と言っていた。

 とくとくと、また酒が注がれる。真理のように澄んだ酒が木杯の朱塗を透かして赤くきらめいた。

「……ありがたいお言葉ですが。俺に何を、期待してくださっていたのですか」
「彼女のために尽くすことを」
「あなたは当時桜花さまに会われたことはなかったはずです」

 違和感がまた少し濃くなった。

 そうだ。少し、意外だと思っていたことがあった。

 寵愛していると、見せつけるような素振りが意外だったのだ。
 自分の嫉妬のせいで違和感があるのだ、それだけ愛が深いのは良いことだろうと考えていたのだが、何事も思慮深い帝にしてはやや短慮ではないだろうか。

 皇后候補に一番近い桜を狙ったと考えるのが自然な中で、犯人を刺激するような事を彼がするだろうか、と思う。

 先ほどの神明裁判でもそうだ。彼は確かに桜を助けたが、もっと早くに助けられた筈だった。そもそも、彼女を危険や悪意に晒さないためにも、あの場に入れるべきではない。

 本当に帝は桜を、愛しているのだろうか。
 愛していないのならば、説明がつく。

 腐敗した公家を掃討するために桜を囮に使い、家宅捜査に都合の良い事件を起こさせたのではないだろうか。

「……もしやこうなる事を見越して、桜花さまに特別目をかけられたのではないですか。犯人を刺激するために」
「お前はどうも考えすぎる。私が桜花を囮に公家の腐敗を暴こうとしたとでも言いたいのか?」

 少し呆れたような声が響いた。

「元々私は桜花が『人を狂わす姫君』と呼ばれていることに興味を持っていた。人に興味の薄い私が初めて興味を持ったことで、先代の帝が気を利かせて彼女を皇后候補に据え置いた。東一条家の者は面白くないだろう。加えてその出生で侮られやすいだろう桜花が、東蓮寺家の武士に否定的な態度を取られたら気の毒だと思っていたところ、桜花に好意的なお前が優秀な武士になり、近衛を希望した」
「……」
「桜花へ寵愛を示したのは、彼女の出自にうるさい外野を牽制するためだ。宮中にいる桜花に危険なことが起こらぬよう、護衛を増やした。不安だろう彼女を労るため、優秀な女官である芙蓉をつけた。私はお前の大切な姫君を、この上なく大切にしているように見えないか?」
「……大変申し訳ありませんでした」

 橘が深く頭を下げた。確かに帝が言っていることは、理にかなっている。

「良い。それほどまでに大切に思っているのだろう。全く、お前は私が彼女を利用していると言ったらどうするつもりだったんだ」
「申し上げられません」
「恐ろしいな……もしかしてまだ疑っているのか」

 何も言わない橘を、帝がやれやれとため息を吐いた。

「元々興味を持っていたが、お前の話を聞いてからは彼女に会うことをよりずっと楽しみにしていたよ。そして彼女は、想像通りの人だった」

 優しい口調には確かに愛情が感じられるようで、橘はハッと顔を上げた。その橘を見ながら、お前には酷だろうがな、と彼は言う。

「しかし、彼女が皇后になることはお前も望んでいたことだろう?今更邪魔するのはやめてくれよ」
「邪魔など、とんでもありません」

 胸に焼き付く嫉妬は見ないふりをした。握る拳に痛みが走り、桜に見られたらまた叱られてしまうだろうな、とぼんやり思う。

「俺は彼女が無事でいてくれればそれで良いのです。出過ぎたことを申し上げ、失礼いたしました」
「……私も一つ聞きたいのだが、そこまで大切にしている桜花を、お前はなぜ皇后にしたがる?」

 質問の意図が分からず眉を顰める橘に、「私にはお前が理解できない」と、帝は酒を飲みながら淡々と言った。

「彼女自分のものにしたいと思わないか?惚れ抜いた女が自分以外の男に抱かれるんだぞ。何故耐えられる?誰の目にも触れないよう、閉じ込めておきたいとは思わないか。それは果たして、愛なのか。お前の努力は知っている。なぜ彼女を望まない?ましてや、なぜ他の男の妻にするために努力ができる?」

 まっすぐに橘を見つめる帝の目は、心底不思議に思っているようだった。口を開いて、また閉じる。どう誤魔化そうかと逡巡したが、結局吐息を吐くように「彼女が望んだからです」と真実を言った。

「ーー俺が初めて彼女を好きになったのは、彼女が幸せそうに笑っている姿を見た時でした」

 青空みたいなあの日の笑顔を思い出す。恋に落ちたあの瞬間の誓いのことも。

「その時、あの笑顔を守ろうと、幸せにしようと誓いました。理由ならばそれだけです」
「ーーそうか」

 その言葉を聞いて、帝は片手で眉から目を覆った。泣いているようにも見える仕草に、橘がぎょっとする。

「ど、どうされました。酔いが回られましたか」
「……そうだな、酔ったようだ」

 そう言いながら額から手を外した帝は、それでもいつも通りの底が見えない美しい顔で笑っていた。


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