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千年の花(side帝)
しおりを挟む龍花の毒は、この体では当然味わったことがない。
しかし彼は千年間、悪夢に苦しみ続けている。
◇
「龍の加護が宿る大陸より、最新の文明を学んで参りました」
「長い間、ご苦労だった。面を上げよ」
艶めく長い黒髪が、宝珠が描かれた黒い小袿にさらりと揺れる。
当時まだ十六歳。若き帝はほんのわずかな興味をもって、彼女を眺めた。
彼女は大陸の文化を学ばせるために遣わされた文官の一人だった。
聡明で、大陸への造詣も深く、何より飽くなき探究心が見事なりと、先代の帝に推薦されたただ一人の女性。しかし彼女にとっては幸か不幸か、比類なき美しさに万人を惑わしかねないとして、普段は顔を隠して生活している。
ゆっくりと顔をあげる彼女の美貌は噂に違わぬものだった。自分より八つも上だと聞いているが、信じられない。異形の者ではないかと、一瞬畏れを感じたほどだ。
平然を装い見てきたものを報告せよと命じれば、彼女は瞳を輝かせて話し出した。
「大陸は、大変広く、素晴らしいものがたくさんございました」
彼に萎縮することなく、堂々と話す彼女の姿はそれまで帝が見たどんな女性よりも溌剌として眩しかった。
話す内容も整理されていて面白い。いつの間にか彼は、彼女の話に身を乗り出して聞き惚れていた。
「しかし大陸を見てしみじみと、我が国の素晴らしさも感じるのです。私はこの国が大好きです」
話が終わり、彼女がそう微笑んだ時には、帝は恋に堕ちていた。
◇
暇を見つけては会いには行くが、彼女は自分が望まれているとは思っていないようだった。当時帝の妻となる女性は二十歳までと決められていた。彼女はそれより、二つほど年上だった。
しかしそれは、些末なことだ。自分は誰よりも尊い身。決まりなどいつでも撤廃できる。
自分が彼女を妻にと望んだら、きっと喜んでくれるだろう。いつ伝えようか。
彼は悲しいほどに傲慢で、自身の手に入らないものなど何もないと疑っていなかった。
大陸に伝わる龍という霊獣が好きな彼女は、いつも霊獣を彷彿とさせるような着物を身につけ、彼にいろんな伝承を話してくれた。
とりわけ心に残ったのは、龍花という毒草の話だ。
「大陸には龍花という花がありました。解毒してもしつこく残る、恐ろしい毒なのだそうですが、私の目にはそう見えないほど美しくて」
彼女はそう言って微笑んだ。
「そして恋に苦しむ方にしか効かないそうなのです。同行してくれた護衛の武士が、触ろうとして慌てて手を引っ込めておりました」
思い出したのか、彼女が頰を染めてくすくすと笑った。揺れる髪に、降った花びらがくっついた。取ろうと手を伸ばすと、彼女が驚いたように跳ねた。引っ込めた指は行き場がなかったが、男性に慣れていないその姿は、愛しかった。
◇
「またあの女性の元に行かれるのですか?」
宮中を出たところで、声をかけられた。
振り返れば次期皇后候補の姫君だった。宮中で、一番権力を持つ家の娘だ。位が高く、美しく利発。皇后に相応しいと誰もが言い、そろそろ立后してはどうかと進言する声も増え始めていた。
しかし自分の妻は、彼女以外には考えられない。
そもそも姫の、まとわりつくような執着を彼は嫌っていた。
「私がどこに行こうとお前には関係がないことだ」
姫の整った顔が歪む。
「わたくしは、あなたの妻になる女です」
「私は認めていない」
姫が一粒涙をこぼし、疎む彼の袂を縋るように掴んだ。
「離せ」
「彼女は、わたくしの抱える武士と恋仲です。共に大陸に渡り、絆を深め婚約しました。家族の反対を押し切ってでも、何があっても結婚すると誓い合ったそうですわ」
◇
姫の言葉を戯言だと飲み込むまで、一月かかった。
気づけば毎夜悪夢に魘されて、彼女に会いたくてたまらなかった。
久しぶりに彼女の家に行くと、先客がいた。
彼女の髪に絡んだ花を、精悍な男が取っていた。
はにかむ彼女を、男は愛おしそうに見つめていた。男が頰に伸ばす手を、彼女は慣れたように受け止めていた。
「何をしている」
こちらを見る二人の顔に浮かぶのは、驚きと恥じらいだった。見咎められたという恐れはない。
恋仲なのです、と恥じらう彼女の顔は、見たことがないものだった。
悪夢が、彼に牙を剥いた。
それからはもう、記憶が混濁している。
彼女を宮中にある離れに迎えた。彼女の親は喜んだ。悪夢。毎日彼女の元へ訪れた。笑顔を失くした彼女。憐れむ瞳。その目で見るな。床に懐剣を投げつけた。細い指が懐剣に伸びる。慌ててその手を止めた。彼女に触れたのは、初めてだった。すぐに振り払われた。懐剣は取り上げて、逃げるように自室へと帰った。自分は、今、何を。
もう思考は溶けていた。失いたくない。いや、自分のものにならないのなら死んで欲しい。今まで自分の手に入らないものは何もなかったというのに、何故、一番欲しいものは手に入らないのだろう。
「あの女が、あなたに龍花の毒を盛ったのですよ」
苦しむ自分の背を撫でるのは、姫君だった。不快だった。思考が歪み、内臓が痛み、体がだるくて力が入らない。
「大陸にあるという龍花を使えるのは、大陸を訪れた彼女だけでしょう?あなたが憎いのよ。だって彼女は、彼のことだけが好きなのですもの。彼女が生きている限り、絶対あなたの物にはならないわ。でもきっと、彼女を殺せばあなたはその苦しみから解放されて、彼女は生涯あなたのものよ」
あの男を呼び出した。彼女を殺せと命じ、大金を渡した。男の目は憎悪と嘲笑と憐れみで染まった。
彼が出ていきすぐに後悔した。急いで使いをだしたが、その使いは、間に合わなかったらしい。
彼の前に差し出されたのは、一房の黒髪だった。
慟哭。
その後の記憶は、一つ。
龍花を盛ったのは、姫君だった。大陸に遣わされた文官が密かに手に入れた物を、姫は大金で手に入れた。
全てを知って姫を締め殺そうとした時、姫はにこやかに笑った。
「愛しい方に殺された女の行き着く先は、一緒でしょうね」
「あなたの愛しい愛しいあの方を、今度はどんな風に傷つけてやろうかしら」
殺せなかった。姫君は彼に、何か不思議な香を嗅がせた。
そしていつしか姫君は、亡くなった筈の彼女に変わった。
その後の、記憶はない。
ただ次に目が覚めた時、不思議なことに自分は自分の孫として生まれ変わっていた。
自分の愛した女性は、刺客ということになっていた。大陸に伝わる毒を帝に盛り、国家の転覆を狙ったのだと。
そして姫君が自分の妻となり、子を成していた。姫君を後押しする四家は刺客を追い詰めたという忠臣となり、大公家として力をつけていたことを知った。
利発で貪欲な姫と四家は、廃人同然となった彼を傀儡とし、周りの国に戦を仕掛けたそうだ。
皮肉なことに勝利を重ね国は繁栄し、彼女は花の女神の加護があると讃えられた。
生まれ変わったその時既に、花の女神と讃えられた姫君も、彼や彼女を陥れた人物も亡くなっていた。
復讐すらできぬまま、彼は何度も生まれ変わった。
なぜ自分だけが生まれ変わるのだろう。
様々な文献を集め同じような人間の話を聞き、気づいたことは、強い未練のある人間だけが生まれ変わると言うこと、未練の強さで生まれ変わる頻度が変わること、自分の血の流れる子孫にしか生まれ変われないということだった。
自分の血は大公家に渡り、大公家から公家へ、公家から時には平民へ、渡ることもあった筈だ。
しかし自分は、毎回帝の嫡男として生まれ変わる。何故なのかはわからないが、嫡男として生まれた以上子を成さなければならなかった。彼はこの国を愛している。彼女が好きだと言ったこの国を。
子を成さないという選択肢は、選ばなかった。
◇
そうして千年。千年が経ち、彼は懐かしい女性を見た。
二歳の頃、母に連れられ行った東一条家の屋敷のこと。
美しい小さな離れ、渡り廊下で桜を見ていた女性がいた。艶めく長い黒髪に、輝く雪のような、白い肌。
心臓がどくどくと鳴る。目を離せず凝視すると、彼女がこちらをふっと見た。見た瞬間、心が割れた。
黒曜石のような瞳が彼女と同じだ。しかし唇。唇の形が、あの男に似ていた。
噴き出したのは、愛憎だった。確証はないが、確信は会った。
きっと彼女は未練も残さず、面影だけを遺して生き抜いたのだ。あの男と共に。
◇
東一条家の当主の最愛の女性だという彼女は、娘を産んで亡くなった。同日に、彼女の両親も亡くなった。
当主は狂ったように嘆き悲しみ、父帝に「どうか厳正なる捜査を」と嘆願した。
「彼女は毒殺されたに違いない」
当主の嘆きを、そうだろうなと、彼は耳を澄まして聞いた。
犯人は分かっている。初めて会った時に、『今回こそ、あなたさまと夫婦になれる』と言った女だ。
あの時は覚えていないふりをした。それ以上思い出話をされたら殺してしまいそうだったから。
殺せなかったのは、一抹の、期待と絶望ゆえだった。
彼女は、もしかしたら誰のものにもならず、あの男の手にかかって死んだのかもしれない。
彼女の血筋とあの男が結ばれた、その子孫が東一条家の当主の最愛の女性という可能性もある。
それはないだろうと思うのに、一縷の可能性ーー望みとは言いたくないーーを捨てきれなかった。
捨てきれない以上、自分が白萩を殺すことも、死刑台に送ることもできない。あの女が彼女と同じところに逝くことなど、絶対に許せなかった。
桜の噂を耳にして思わず反応してしまったとき、父は桜を皇后候補にと望んでしまった。
感情が薄い彼が拒めば拒むほど、父帝は照れているのだろうとますます喜び皇后候補にする意思を固めてしまった。
きっと、あの女は桜を殺そうとするだろう。確信があった。
まだ見ぬ桜を守りたいとも、死んでも良いと切り捨てることも、できなかった。
屈折した思いを抱えて、彼は桜を利用することに決めた。
話を聞いている以上、思い合っているのだろう橘を桜の近衛武士に取り立てた。
千年前をより彷彿とさせるよう、白萩を刺激できるように。
白萩が桜の周りと接近しやすいように、女官同士が交流できる花見を催した。
南條三家が大陸と秘密裏に取引している事を知り、おそらく龍花だろうと検討をつけた。
桜に盛るのは意外だった。千年前と同じように、自分に盛るのかと警戒していた。治癒ができる蝋梅がいるからかもしれない。
花の儀で橘が活躍したら、花の女神の再来だと褒めそやした。
誰よりも大切に、宝物のように扱った。誰が見ても、彼女を大事にしているのだとわかるように。
全ては白萩を刺激し、桜を害する証拠を掴むためだった。
そうして今、とても虚しい。
罪人は所詮、自分だった。
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