もう君以外は好きになれない

皐月めい

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花の雨(side橘)

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 橘が目覚めたのは、花の儀の二日後のことだった。
 目を覚ました自分に女官が驚き、大慌てで誰かを呼びに行った。

 体を起こせば引き攣れたように背中が痛み、橘は眉を顰めた。

「目覚めたか」

 すぐに帝がやってきて、礼をしようとする橘を「よい」と片手で制した。

「桜花は無事だ。お前はどこまで記憶があるのか、わからぬがーー」
「うつつにですが、全て聞いておりました」

 体に力が入らなくとも、絶対に意識は手放さないと朦朧としながら話は聞いていた。
 ぎろりと帝を睨みつける。彼はさして驚きもせず、そうか、と頷いた。

「白萩……彼女はまるで誰かに成り代わりたいと思っているように、俺には聞こえました」

 自分こそが毒の使い手だと、示したがるような素振りだった。
 それに本当に桜を殺したいのなら、致死量の毒を盛れば良かったのだ。何も龍花と言った、殺すのに時間がかかるような毒を使う理由がない。

「……嫉妬に狂った花の女神とは、前世の白萩殿ではないですか」
「お前はお伽噺を信じるような人間ではないと思っていたよ」

 彼は、否定はしなかった。

「黒龍とは、桜花さまのことですか」
「……いいや。桜花は彼女ではない。彼女と、彼女が好いた男の血を引くだけの女性だ」

 そうしてぽつりぽつりと、帝は話した。
 千年前のこと。龍花に侵され、花の女神の武士に彼女を殺せと命じたこと。
 未練が募り、生まれ変わり、そうして現在。白萩と桜に出会ったこと。

「ずっと彼女を探していた。彼女は……死んでしまったのか、はたまたあの男が彼女を逃がし、結ばれたのか。手を尽くして捜したが、桜花の母を見て初めてわかったよ」

 調べたところ桜の実母の両親は、北の大地に住んでいたのだという。桜の祖父の優秀さが都の役人の目に留まり、下級役人の座につく事を薦められやってきたそうだった。
 きっと北の大地まで逃げ延びて、結ばれたのだろう。

「私はお前と桜花を利用し、千年前の復讐を遂げた」

 陰鬱な表情は、決して許してくれるなと言っているような顔だった。

「……馬鹿な方だ」

 憐れみを覚えた。自分を許せず苦しんでいるくせに、今もなお更に苦しみを重ね続ける男のことを。


 ◇

 広がった沈黙を、破ったのは橘だった。

「大逆罪、不敬罪は覚悟しておりますが」
「何だ」
「殴っても宜しいですか」

 答えを聞く前に、力を込めて彼を殴った。寝たきりの怪我人だから大した力はなかったが、帝は吹っ飛んだ。呻く彼が、顔を顰めながら両手を上げる。

「……怪我人のくせに、すごい力だな……」
「一歩間違えれば桜が死んでいた。桜の気持ちを踏み躙り、利用するだけ利用して、……最低だ」

 彼が苦しみ続けたことは気の毒だと思うが、それとこれとは話が別だ。
 この人間の妻にするなど、もう絶対に何があっても認めたくはなかった。桜が望むことなら何でも叶えると決めたが、こいつの妻になることだけは、どうしても、耐えられそうにない。

 全てを知って、彼女はどれだけ傷ついたのだろう。

 皇后になろうとひたむきに努力する桜や、その桜に思わせぶりに接していた帝の姿が蘇る。
 傷を負った自分を泣きながら支える姿も、白萩に罵倒をされた姿も、懐剣を持つ自分の父にしがみつき、血に塗れた手で頰を触られ呆然としていた桜の姿も。
 掠れて朦朧とする意識の中で、彼は立ち上がれない自分を憎みながら見つめていた。

 見たくもなかったその光景を、目の前の男が引き寄せた……と言っては、八つ当たりになるかもしれない。自分が見抜けなかったことが、悪いのだ。
 けれど防げたものを防がず、予想できたものを利用した男をどうしても許せなかった。

「彼女をお前のような人間の妻にはしたくない」
「……最初からそう言っていれば良いものを」

 呆れたように言う帝に、お前には何も言われたくないとぎろりと睨みつけた。不敬罪で投獄されても良い。体中の骨を折ってやりたかった。

「桜花には振られてしまったよ。好きでもない男に嫁ぐくらいなら尼の方が幸せだとさ」
「え?」

 目を見開いて、言葉が出ずに帝を見つめれば彼は口元の端だけで笑った。

「それから桜花に、お前を許せと願われた。目覚めたら橘は桜花のために私を殴ってしまうかもしれないから、一発くらいは許して欲しいと」
「桜が……」
「彼女は桜花宮にいる筈だ。ついさっきまでずっとお前の看病をしていたが、間の悪いことに少しは休むよう芙蓉に引き摺られて行ってしまった。眠れていないようだから、早く行ってやると良い」

 帝の言葉に、反射的に立ち上がった。彼の微笑みが癪に触るが、おざなりに頭を下げる。

「罪滅ぼしにも礼にもならないが、お前たちが幸せになれるように手を尽くそう」


 ◇

 時間が惜しい。
 きっと桜は寝れていないだろうという予感があった。早く安心させてやりたかった。
 背中の傷の痛みも、もはや感じない。

 桜は皇后にはならないという。
 尼になった方が幸せだという彼女に、自分はこれから何を応援するのだろう。

 思考はぐるぐるしていたが、妙に頭が冴えていた。


 桜花宮の前に来たとき、橘の額には汗が滲んでいた。
 暑いくらいの陽気につい先日まで五分咲きだった桜が一気に満開となっている。
 そしてその桜の下、焦がれてやまない彼女が見えた。何かを願っているようだった。

 一瞬見惚れる橘を急かすように、風が吹いた。
 花びらが舞う。花の雨だ。

 淡紅色の雨の向こう、世界で一番愛しい人と目が合った。
 橘の口元が、勝手に弧を描く。

「橘!」

 桜が小走りで駆け寄ってきて、遠慮がちに抱きついた。
 胸いっぱいに桜の香りを吸い込んで、目が眩むような幸せの中熱い体を抱きしめる。

「良かった……無事で……」

 小刻みに震える桜に、もう大丈夫だと言うように強く抱きしめながら頭を撫でた。

「心配かけてごめん」

 何も言えない桜が、何度も何度も首を振った。



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