フォィラム夫妻の魔狩事件簿

秋津冴

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第一章 寒空のリュート

第一話 喪服の女

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 バスタ男爵夫人はその青白い顔に陰を落としながら語り始めた。

「――半月ほど前から、妙な音が聞こえるのです。ええ、そう、まるで古びたハープが奏でるような音色です。楽士が奏でるものではなく、どこか不協和音が混じる、重苦しい響き。それが、あなた、特に雪が深く降り積もるような薄暗い日にはっきり聞こえるのです。遠く、屋敷の外からのようでいて、実際には屋敷の奥深く、あの長い回廊の先から……」

 男爵夫人は手にしていたレースのハンカチを強く握りしめ、低い声で続けた。

「それで、一度確かめようと思い、召使いに命じて回廊の先を調べさせました。けれども、そこには何もないと言うのです。けれど、音は消えない。それどころか、別の場所――例えば、礼拝堂の近くや使用人の居室からも聞こえるようになって……。――ねえ、気味が悪いでしょう?」

 向かいの長椅子に静かに座っていたセリナ・フォィラムは、その言葉に軽く頷いた。
 黒絹のリボンで束ねた長い黒髪が揺れ、その端正な顔立ちに僅かな憂いが漂う。
 彼女は丁寧に椅子の肘掛けに手を置き、落ち着いた声で口を開いた。

「その音を聞くたびに、夫人は何か……感じることはございますか? 例えば、寒気や頭痛、あるいは胸騒ぎのようなものを」

 男爵夫人は目を伏せ、かすかに震えた。

「そう言われてみれば、冷たい風に体が締め付けられるような感覚を覚えることもあります。それに、最近は妙な夢ばかり見るのです。いつも同じ夢で……赤い光がゆらめく中、誰かが泣いているような声がする……。その声が、とても苦しげで、悲しい」

 セリナは頷きながら、その瞳を回廊の奥へ向けた。

「わかりました。まず、その回廊の先を改めて調べる必要がありそうです。その音色と夢の原因が結びついている可能性もあります」

 男爵夫人は安堵の表情を浮かべたが、次の瞬間、部屋の中にひんやりとした風が吹き抜け、壁にかかった大きな肖像画が微かに揺れた。彼女が身をすくめるのを見て、セリナは静かに微笑んだ。

「その不安の原因を取り除くためにわたしが、バルッサムの神殿から派遣されてまいりました」

 言葉は優しかったが、セリナの胸の内には、何か不穏なものが渦巻いていた。
 この音が何を呼び起こそうとしているのか、その答えを知ることへの恐れと期待が交錯していた。

 セリナの反応に夫人はいっときの落ち着きを得たのか、ほぅっと安堵をつくと、菫色のスカートに手をおいた。その手にしたブラックオパールが蒼でもない藍でもない、黒く、墨色にちかいようなかがやきを放ち、話の内容とあいまってセリナは不気味さを感じてしまう。

「主人には申し伝えましたが、気のせいだと。あの人は貴族連盟の用事でいま忙しくしておりまして、伝えたとしても気のせいだと歯牙にもかけていただけないのです。でも、段々とその姿が見えるようになってきたの……」

 男爵夫人、ミシェルは片手を額にやってうつむいた。
 背中は小さくなり、まだ三十代前半だというのに、六十を超えた老婆のように見えた。

「見えるといいますと?」
「……ちらっとだけ。あるかないか、と言われればあるように見える、といった程度です。詳しく見ようとすると、もう影も形もないの。まるで見せないようにこちらの視界からずれていくみたいに」

 だけど、わかるんです、とミシェルは続けた。

「薄紅色に肌をした豪奢なドレスを着た若い女性です。身分の高い―ーそう、シルクの蝶が胸に舞っていましたわ」
「シルクの蝶……シェルカメオですか」
「ええ、そうね。あれは貝殻のブローチだったと思います」

 シェルカメオとは天然の貝の白い部分と褐色の部分を彫りこみ、絵柄を浮かび上がらせる熟練の職人による手作りの宝飾品のことだ。
 ここヴァリシオン王国では、もともと王侯だけが手に入れ身に着けることができる作品だった。
 現在では、聖職者や高位の神殿関係者、王室に繋がる貴族の婦女だけが身に着けることを許されている。
 つまり、ミシェルが見たという女性は、王侯貴族――王室に繋がる女性の霊という可能性が高い。
 セリナはううん、と目を細めてミシェルの後ろを見た。
 喪服を思わせる黒真珠のネックレスを付けた、濃紺の衣装に身を包む、銀髪の少女がそこ立っている。

「顔には黒のレースを垂らし、ドレスの帯を飾る飾り紐は淡い紺で染め上げられていて、髪は銀髪――」
 
 しかし、足元は黒々としていて足があるのかないのか、判別がつかなかい。セリナは相手と視線が合う前に、目を反らした。

「左手首にはオパールの腕輪をしていて、それがたまに陽光を反射してきらきらと煌めくの」

 ミシェルの言葉に、セリナはよく見ているなと思い相槌を打つ。
 夫人のうしろに立っている女の容姿は、まさしく言葉通りだった。
 少女は顔に黒のレースを垂らしているせいか、顔は見えない。たまにふらふらと揺れて見えるその隙間から、ととのった顔立ちなのだと見て取れる。
 本来ならば三つ編みし、後頭部で編みこんでリボンで止めている。
 リボンの色は喪服に合わせて濃紫になっていた。
 だが、リボンの下から紺色の喪服の背中にかけて、赤黒く色が変わっていた。
 血だ……、とセリナは悟った。
 流れ出ているもとは女のリボンの上。後頭部に近い部分だ。

「そのような高貴なお方に、お知り合いでもいらっしゃいましたか」

 夫人はいいえ、と首を横に振る。
 しかし、「旦那様はどうか、わかりませんが」と密やかに付け加えた。
 その口調は皮肉に満ちており、普段から家に寄り付くことが少なくなっているという噂にも当てはまる。
 バスタ男爵はその昔、ミシェルと身分違いの恋をして婿養子に迎えられた存在だ。
 当時の彼は商家の次男坊で、ミシェルは男爵家の長女。
 貴族も商人も町人も分け隔てなく教育を受けることができる王立学院の弊害だ、と噂になったものだ。
 現在、16歳のセリナでも幼い頃に耳にしたことがあるから、さぞや有名な出来事だったのだろう。
 そんな男爵が熱愛の末に婚姻したミシェルに見向きもしなくなったとは……。
 将来とは必ずしも幸せに満ちているものではないのだな、とセリナは自らの身に置き換え考え、ふっと自虐的に笑った。
 そうこうしているうちに、窓から見える天気が青空から灰色へと変わっていく。
 陽光が遮られ屋内に届く光が薄くなって、室内に影が多くなってきた。
 バスタ男爵邸のレンガの壁を、雨が打つ。
 大きく陽光を取り入れるために採光とデザインが調和した窓を、みぞれ交じりの雨が叩きつけた。
 そうこうしているうちに、ポロン、と音がする。
 調律がされていない、不協和音が奏でる序奏が鳴るたびに、肌を長い髪先で叩かれているような感触が触れた。
 ミシェルは途端、恐怖に満ちた顔になった。

「お聞こえになられて?」
「ええ、高い音階でまるで金属に肌を打たれているよう……」とセリナは短くこたえた。
「良かった。聞こえるかたがいてくれて……わたくしの妄言ではないでしょう? でも主人は幻聴だといいまともに取り合ってくれないのです」
「だから――我が神殿に助けを求められた、と」
 
 ミシェルはどこからか聞こえる音をもう聞きたくない、と両手で耳を塞いだ。
 でも、セリナにはわかっている。
 これは耳を通じて聞こえる幻聴ではなく、魔力を通じて人の脳に直接届く音なのだ、と。

「わたくしがなにをしたというのですか……これまでバスタの家にはこんな呪いのような出来事は一度も怒らなかったというのに……」

 ハープの音から逃れるように、夫人は叫んでいた。
 しかし、やはり音は途切れないらしい。しまいに頭を両手で抱えてふさぎ込んでしまった。
 セリナは少女がいつの間にか手にしている短剣が見えた。
 鋭利な刃先が室内を温めている暖炉の光にきらっと煌いて、どろっとした付着物まで描いていた。
 血だ。そう気づいた。短剣の先からは少女の頭から流れているのとはまた別の、赤黒い血がしたたっている。
 ハープの音にまぎれて、ふふふっと笑い声が聞こえた。
 すすり泣くような声が混じった、すさまじい自嘲の声。
 怨念が込められた声だ。夫人のものではない。
 セリナは夫人から目を離し、少女の語ろうとしている言葉に耳を澄ました。
 だが、「わたくしが何をしたというの」という夫人の問いかけにより、遮られてしまった。

「ねえ、セリナ様。こんなことはよくあるのですか? 神殿ではさまざまな依頼を受けると聞いたことがあります。今回だってそうやって来ていただいたの……」
「ミシェル様、わたしは神殿の遣いとしてただ、お話を聞いてくるように申し付かったまでのこと。よくあるかと言われれば、わかりかねますとしかお答えできません」
「では、神殿に対しての依頼はどうなるの? この魔族の仕打ちのような、幽霊のような騒動を祓って欲しいと願ったわたくしの願いは?」
「……お祓いのことに関してはわかりかねます。わたしはただ、状況を見てこい、と命じられたものですから」
 
 セリナは自分の役目が事情伺いで、それ以上ではないことを告げる。
 夫人は恨みがましい視線をセリナに向けた

「では魔神ブロッサム神殿が派遣されている聖騎士については御存知? あなたと同じ神殿でしょう?」
「聖騎士……? いいえ、わたしはそのような話は聞いておりません。どのような――」

 そこでセリナは口とつぐんだ。
 夫人の後ろに立つ少女が突然、顔を上げたからだった。
 

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